弱者と怠惰とフリーライダー~集団思考の事例研究(4)

弱者と怠惰とフリーライダー

集団思考の集団の大きさを最大限にとると日本全体になります。この場合には、日本全体に集団思考が存在するかという点が検討対象になります。

結論を先に言えば、日本全体に集団思考が存在していると思います。

日本全体を集団としてとらえることができるのは、「いやなことや、不得意なことはやらないですます」というスタンスとそれが許容される社会であるという点があると思うからです。

例えば、小学校から、大学まで、日本では、必修科目ができるようにならないと、進級できないという規定は、実質は反故にされて存在しません。文部科学省教育委員会も、落第者が多いことは問題にしますが、学習到達度を問題にすることはありません。学習到達度を計測する共通テストは、たまにしかおこなわれません。

PISA-TMSSは、2000年から3年ごとに、高等学校1年生を対象に行われています。

国学力テストは、2007年度から、毎年、小学校6年生と中学校3年生を対象に実施されているテストです。

2019年度は小学生約108万人、中学生約109万人を対象に実施されています。

しかし、アメリカのように、学力到達試験で、エビデンスをとって、カリキュラムや教育方法に、反映させるようにはなっていません。つまり、エビデンスはなく、科学的でない教育が行われています。

飛び級もなければ、落第もないのが、日本の学校です。こうなると不得意な科学は、学習しなくなります。必修科目ができなくとも、落第しません。授業に出席すれば、進級できます。文部科学省は、学習到達度については、不問ですが、授業の出席については、条件を付けます。こうすると、出席すれば、全く理解できなくとも、進級できますが、飛び級は不可能です。学生は、嫌いな教科は学習しません。大学入学試験に、国語、英語と数学が必修でない基礎学力がない学生を受け入れることになりますから、授業が成立しません。

筆者は、嫌いな教科を学習しない原因の9割は怠惰だと思いますが、嫌いな教科を学習しない正義が認められています。それは、学生が、その教科に向いていない自分は弱者である、と主張していることからわかります。教科どころが、失調症になって、まともに登校できない場合でも、医師の診断書があれば、自分は弱者なので、学校はサポートする義務があると考える学生も多くいます。規則正しい生活をしないことが、失調症になる原因の半分くらいをしめると思うのですが、その点は不問にされます。

更に、大学を出て、就職するときにも、嫌いな教科が出来ないからといって、初任給が下がることはありません。

舞田敏彦氏の説明がわかりやすいので引用します。


日本の雇用はメンバーシップ型で、企業は学生が学校で学んだことにあまり関心を持たない。知りたいのは性格にクセがないか、組織の和を乱さないか、長く勤めて自社の色に染まってくれるか、ということで、一緒に働くにふさわしいメンバーを迎え入れることを意図している。

対してジョブ型雇用の欧米では、学校で何を学んだか、何ができるかを徹底して訊かれる。労働者に期待する職務が明瞭で、それを遂行する能力を有しているかを判断する。学校で実践的な専門教育に力が入る所以だ。


舞田敏彦氏は、メンバーシップ型の雇用といっていますが、これは、集団思考による幻想です。

1990年代に、金融工学が出て来た時に、日本の銀行や証券会社は、完全に出遅れます。金融工学がわかるレベルの数学のできる社員がいなかったのです。それから、30年たって、現状は、全く変わっていません。銀行や証券会社は、依然として、金融工学をつかった商品は、欧米の商品を売っているだけで、自社開発の商品は生み出せていません。そうこうするうちに、銀行、特に、地方銀行は立ち行かなくなっています。

銀行は、メンバーシップ型の雇用をします。金融工学ができても、給与はかわりません。なまじ、金融工学ができることがわかると、給与は、変わらずに、他のひとより多く仕事を押し付けられます。つまり、金融工学分はただ働きさせられます。そうであれば、金融工学はできないことした方が得です。給与が上がるのは、社内政治で、上のポストに行く以外に方法がありませんから、金融工学ができることは、プラスにはなりません。こうして、30年たっても、どの会社のだれも、金融工学を使えない状態が発生します。

パックンは、フリーライダーの次の例をあげています。


残念ながら、ただ乗りは、本当はただではない。結局ほかの人がその分も負担することになる。全員が運賃を払わずに電車に乗ることになったら、運営は成り立たない。鉄道会社は破産し、電車は運行できなくなる。


銀行と証券会社に起こったことは、まさに、フリーライダーです。金融工学の技術は、社内で、誰かが、だたで、開発してくれるだろうと考えたわけです。開発には費用(運賃相当)が、かかります。フリーライダーを止めて、みんなの給与を少し減らして、その余剰金で、金融工学の技術開発をする人の給与を増やして、それなりの処遇をすれば、30年あれば、技術開発できたはずです。費用負担をしないで、誰かが、技術開発をしてくれると考えることは、フリーライダーの発想です。この発想は、出費がないので、居心地はよいのですが、結局、会社をつぶしてしまっています。

このフリーライダーが可能であるという集団思考は、繰り返される社内不正にも該当します。「バレなければ、楽をしてかまわない」、「検査不良があっても、事故につながらなければ、楽をしてかまわない」というセンスは、コスト意識のないフリーライダーの発想です。

日本は、経済的も、技術的にも、途上国になって、しまいましたが、その根底には、フリーライダーが可能であるという集団思考があったと思われます。

そうでなければ、フリーライダーを是認するメンバーシップ型の雇用が、続いてきたことが説明できません。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/fdb76e8fdb5b9b4975866ca977a5766a666f2880

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/sonota/1344324.htm

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/06/post-96609.php

  • コロナワクチン効果の「ただ乗り問題」にご用心 ニューズウィーク 2021/06/29 パックン

https://www.newsweekjapan.jp/pakkun/2021/06/post-64.php

 

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