未来について語ること(1)~集団思考の事例研究(11)

オリンピックが、無観客開催になったことについて、ドイツの新聞は、無策が招いた結果であると、批判しています。


無観客は、開催国自体のコロナ危機管理が完全に失敗した結果だ。

(中略)

布製マスクの常時着用以外にもできることがあったはず。例えば日本でも入手可能なパンデミック対策のためのツールが一貫して使用されていれば、結果は違ったかもしれない。自己検診、クイックテスト、FFPマスク、または連絡先追跡アプリ、そして何よりも予防接種がもっと早く行われていればよかった。

繁華街の夜は、レストランやバーが満員だ。カラオケ、大人数での食事、仕事終わりのビールなど、何でもありで、週末には満員の地下鉄で友人と野球観戦に行くのも問題なし。許可された5,000人ではなく、15,000人近くの観客がいるという事実、それは問題ではない。とにかく誰もチェックしない。


この批判が、妥当か、否かは、一旦、括弧で括っておいて、このような批判または、提案が、日本のマスコミでは、全く出てこなかったことには、問題があると思われます。つまり、コロナ報道のレベルの問題で、こうしたら良くなるという未来に向けた提案はありませんでした。

報道は、次の2種類に限定されていました。

  • 過去に、感染者数が何人発生したという事実を伝えるもの

  • 現在の政策の問題点を批判するもの

つまり、ここには、未来について語ること、問題解決方法を提案する部分が欠如しています。感染拡大モデルは、感染を予測します。感染拡大モデルには、西浦モデル、Googleモデルなどいくつかのモデルが発表されています。これらのモデルの予測精度を比較検討することは可能ですが、そのような記事は、出ませんでした。もしも、感染拡大という未来に関心があるのならば、第1に、こうした比較をしていたはずです。それ以前に、Google以外のモデルは、予測結果を定期的に公開していません。ですから、比較の前に、比較可能な、モデルの推定結果を公開するサイトを作るべきでした。公開は、Git HUBでも構いませんので、難しいことではありません。カゲルでは、コロナの予測コンペも行われていましたから、アイデアを目にした人も多いはずです。 もちろん、WWFなどの環境NPOの提案が、環境政策に大きな影響を与える欧米と異なり、政府は、民間の提案など聞く耳を持たない日本のことですから、代替政策の提案を行うモチベーションが低くなることは理解できます。しかし、コロナ対策であれば、Go To事業の影響などは、事前に予測して、予測が当たれば、その後は、政策を変える力があったと思われます。コロナウイルスの感染拡大は、官主導の政策決定を変えるチャンスでもあったのですが、それに、気付き、政治を変えることができませんでした。

第2に、未来について語ることがなかった点は、コロナウイルス対策に限定されません。例えば、少子化問題では、最近、N新聞は、人口が減った都道府県の中で人口増となった市町村のリストをあげて、トップに北海道占冠村(7.9%)をあげています。この村は、スキーリゾートで外国人の移住者が多いそうです。しかし、この記事には、次の問題があります。人口増加には、出生率と移住の2種類があり、移住は、明確な移民政策をとらない限り部分的な解消に留まります。自然科学(特に物理学)と異なり、社会科学では成功事例を集めて、帰納的に結論を出す方法には、バイアスが大きく、妥当な結論を導き出せません。人口減少対策には、シナリオを作って、対策を検討するシナリオ分析を行う必要があります。未来について語ることは、シナリオ分析をして、望ましい未来を誘導することに他なりません。N新聞に限りませんが、新聞の記事は、過去の成功体験に満ちています。しかし、過去の成功体験は、社会経済が大きく変化しているため、未来には、ほとんど役に立ちません。例えば、コロナ前の成功体験をもとに、営業した飲食店は、コロナ下では、ほぼアウトになるでしょう。しかし、新聞の記事で、未来について語っているものは、ほぼ、ゼロです。上記の人口増加になった村の記事も、一見すると未来を語っているように見えますが、実は、最近の過去について語っているだけです。

コロナウイルスは次の事実を明らかにしました。

政府は、シナリオ分析の結果を持っていません。コロナ対策の迷走は、今までのあった政府のシナリオ不在という疑念が、確実であることを示しました。

日本のアカデミズムは、コロナ対策やポストコロナに対するシナリオを提示できませんでした。これは、大学ランキングが下がった以前の問題です。日本の学会で、シナリオ発信できた学会は、ほぼゼロです。これは、学問の有用性や、国民のための科学という視点で見れば、致命的な欠陥です。(注1)

どうして、こうなるかは、よくわかりませんが、考えられる可能性には、未来について語ることはタブーである、価値がない、客観的でなく科学ではないと言った集団思考が働いている可能性があります。

 

注1:

予算獲得や、予算がついた政策支持のための提灯持ち研究は多数あります。富岳で、観客ありのオリンピック開催をしても問題のないというシミュレーションもありました。しかし、そこには、シナリオはありません。官庁は、政策執行や予算獲得に都合よいデータを集めることに熱心ですが、シナリオを検討しません。客観性を担保しません。例えば、年金の将来予測は、中位値を使っていません。そのことは、問題を先送りして、解決を困難にします。この点は、後で、検討します。

 

https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/spnoriko/2021/07/post-6.php

 

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