理系の経済学(16)日本独自の責任論の課題

(日本の責任論の間違いを指摘します)



1)確率と責任

 

起こった結果が、予想された結果と異なった場合に、責任が生じます。

 

予想された結果が明示されていない場合もあります。

 

風邪で病院にいって、死亡することは、まず、あり得ません。

 

一方、ベンチャービジネスが成功する確率は、10%以下です。

 

高尾山登山で、死亡することは稀です。

 

ヒマラヤ登山で、死亡する確率は、高尾山より高いです。

 

責任は、期待値(実現値と予測値の差)に関して生じる概念であることがわかります。

 

未来は予測不可能なので、失敗したら、すべて責任がある訳ではありませんが、回避可能なリスクを放置すれば、責任が生じます。

 

1サンプルでは、確率計算ができないので、間違いを複数回繰り返した場合に、責任が明確になります。

 

モニタリングされたエビデンスデータがなければ、責任は論じられません。

 

モニタリングを回避すれば、責任が問われることはありません。

 

期待値を問題にしないと、責任の議論はできません。

 

パーティ券問題では、政治資金をデジタル記載していません。

 

その目的は、エビデンスを回避して、責任をとらないためです。

 

政治資金を何に使ったかが問題ではありません。

 

責任回避行動をとったことが問題なのです。

 

北欧では、政治資金は、デジタル口座データを使って、全て明らかになっています。

 

この事実から、帰納法(前例主義)で、日本も、北欧の政治資金管理を真似すべきであると主張します。

 

しかし、この推論は、因果モデルではありません。

 

北欧で、政治資金にデジタル口座データを使っている原因は、北欧では、科学の方法が理解されていて、期待値が理解され、責任が検証できる環境が実現しているからです。

 

科学の方法の理解が原因であって、デジタル口座データが結果です。

 

日本では、統計学が理解できる裁判官は、少数派です。

 

日本の責任は、科学ではなく、法度制度のミームの中で理解されています。

 

北欧の世界標準の責任と日本の責任は、別物です。

 

科学倫理の教科書の著者は、原発事故のような事故について、「リスクはゼロにならない。ゼロリスクを主張すると、大きな災害をまねく」といいます。

 

福島原発事故の前には、ゼロリスクが主張され、リスク評価がなされませんでした。

 

現在もその状況はまったく、変わっていません。

 

このことから、日本では、リスク評価に基づく責任が存在しないことがわかります。

 

原発の再稼働は、広い意味の利害関係者を含む委員会で検討され、リスク評価の数字は公開されていません。

 

2)世界標準の責任

 

責任は、期待値に対して生じます。

 

映画オッペンハイマーでは、原爆の開発が取り扱われました。

 

原爆が開発されなければ、広島と長崎で、あれだけ、多くの死者が出なかったと思われます。

 

一方では、原爆が開発されても、太平洋戦争で使われなければ、原爆の被害が生じません。つまり、長崎と広島の死者の原因の100%が、原爆の開発にあるとは言えません。AND論理で言えば、どれか1つが欠ければ、死者は出ないことになります。逆に、条件が直列の場合には、寄与率の計算はできないので、100%の責任があるという主張も可能です。

 

いずれにしても、原爆の責任とは、原爆を使用した場合と使用しなかった場合の差(with-wuthout)を問題にします。

 

この因果律の問題は、ヒュームが、反事実的と指摘したように、統計的にしか処理できません。

 

原爆の責任が誰にあるかはわかりませんが、常識的に考えれば、政権の幹部や、原爆開発チームの幹部にあると思われます。

 

こうした幹部が責任をとるという意味は、原爆の死者に対して責任をとることを意味します。

 

戦争の場合には、グレーゾーンが大きくなりますが、仮に、戦争ではなく、飛行機の墜落のような事故が起これば、死亡者に対して、補償金が支払われます。

 

損害が、幹部の経営判断の間違いによって引き起こされた場合、幹部が補償金を負担する責任を負います。

 

大阪万博で、突貫工事を命令して、事故が起きた場合に、責任をとるつもりの幹部はいるのでしょうか。

 

政治家や日本企業の幹部は、辞任することが責任をとることであると主張しますが、これは、日本的責任であって、国際標準の責任ではありません。

 

アメリカの企業の幹部は高級とりですが、不適切な経営判断をした場合には、経済的な負担を求められます。このため、適切な経営判断ができる自信のない人は、幹部にはなりません。

 

太平洋戦争の真珠湾攻撃の後では、米軍の幹部は、国際標準の責任を問われました。真珠湾で、米兵が死亡したからです。

 

ミッドウェーでは、日本軍の幹部は責任を問われませんでした。

 

太平戦争が終わって、日本軍の責任を問われたのは、東京裁判だけです。

 

東京裁判は、連合軍が中心に進められました。

 

その目的は、日本の再軍備化を防止することにあったと思われます。

 

西ドイツでは、アウシュビッツなどの絶滅収容所の責任が追及されました。

 

これは、連合軍ではなく、西ドイツ政府が行っています。

 

特攻は、絶滅収容所に似ています。

 

特攻機に乗れば、絶滅収容所行きの列車に乗ったのと同じ片道切符でした。

 

誰かが、特攻機に乗ることを命令しています。

 

形式的(建前)には、自己志願かもしれませんが、これは、建前です。

 

自己志願を拒否すれば、陰湿なイジメがあったと思われます。

 

実質的(本音)には、誰かが、特攻機に乗ることを命令しています。

 

西ドイツと同じように責任を考えれば、特攻の責任者探しが行われれいていたはずです。

 

日本では、特攻の責任は問われませんでした。

 

政治家は、靖国神社に参拝して、軍隊のO B会は、旧軍の幹部を厚遇しました。

 

山本五十六は、軍神になりました。

 

イギリスでは、セシルローズの銅像が、引き倒されましたが、そのようなことは起きませんでした。

 

日本では、新憲法の人権ではなく、明治憲法下の法度制度のミームが生き続けています。

 

政治家と企業幹部は、任期満了前に辞任すれば、責任をとったと主張します。

 

しかし、誰に原爆の責任があるかは別にして、仮にオッペンハイマー氏やトルーマン大統領のような幹部が、任期前に辞任すれば、日本人は、幹部は原爆の責任をとったとして、納得するのでしょうか。

 

ジム・ロジャーズ氏は、多くを語りませんが、日本が、真珠湾攻撃の責任を追及していないことは理解できないと言います。

 

外国から見れば、日本は、太平洋戦争の責任をとっていない、再発防止の対策を行なっていないように見えています。日本の終戦は終っていません。

 

ジム・ロジャーズ氏は、アベノミクスは、失敗であったと断じています。

 

英語版のウィキペディアを見ると、アベノミクスの評価がなされていない(失敗の責任追及と再発防止がなされていない)と指摘しています。

 

ウィキペディアの指摘は、アベノミクスには、評価できる部分と評価できない部分があるはずで、後者を放置すべきではないという意味です。

 

ゆとり教育は失敗でしたが、責任はとられていません。

 

裁判官は、明治憲法の法度制度のミームで責任を論じています。そこには、科学的な期待値はなく、世界標準の責任は追及されていません。日本で議論される責任は、期待値とは関係のない日本の責任です。

 

パーティ券問題の国会答弁は、日本の責任の議論に終始しています。これは、明治憲法の法度制度が正しいという主張です。

 

政治資金規正法は、明治憲法の責任でできています。新憲法の国際標準の責任を無視しています。

 

憲法の国際標準の責任を論ずることは、期待値を論ずることになります。

 

この期待値は、ジョブ型雇用の能力評価に繋がっています。

 

統計学の出来ない人は、期待値の計算ができないので、国際標準の責任を論ずることができません。文系の推論は、数学的に間違っています。



国際標準の責任のない日本社会では、太平洋戦争のように、戦争が再発するリスクが取り除かれていません。

 

シビリアンコントロールで、戦争が回避できるというエビデンスはありません。

レンズを巡る旅;レンズの性能は物理特性で決まる

 

レンズの性能は、第1に物理特性で決まります。

 

レンズを通過する光は、光学の物理に従って移動します。

 

したがって、レンズの性能は、第1に物理特性で決まります。

 

これは、科学的な真実ですが、レンズレビューでは、物理特性ではなく、価格が高いレンズが性能がよいことになっています。

 

カメラとレンズメーカー、業界の利害関係者にとって、価格が安いレンズの性能が、価格の高いレンズの性能を上回る下剋上は望ましくないので、希望的な主張としては、理解できますが、科学的な真実ではありません。

 

同様に、クロップセンサーのカメラより、フルサイズセンサーのカメラの方が良く写るという主張も、下剋上はないという主張です。

 

センサーのピッチがせまいクロップセンサーのダイナミックレンジは、フルサイズセンサーのダイナミックレンジより狭くなります。

 

このため、ダイナミックレンジの大きなシーン(晴天野外など)では、フルサイズセンサーが有利になります。

 

しかし、ダイナミックレンジの狭い場合(曇天や普通の室内)では、差は出ません。

 

Fujifilmのカメラには、ISOを変えたマルチショット画像を合成して、ダイナミックレンジを拡大する機能が標準で付いています。

 

被写体が動いている場合には使えませんが、静止している被写体であれば、効果があります。

 

もっとも大きな問題発言は、クロップセンサーはボケないというものです。

 

この発言が出て来る原因には、クロップセンサーのメーカーの責任もあると感じます。

 

レンズの物理特性は、画角とF値で決まります。

 

クロップセンサーになると、フルセンサー画像の一部がクロップされます。

 

物理法則はこれだけです。

 

フィルム時代の標準レンズは、50mmF1.8か、50mmF1.4でした。

 

ボケの量は、一般には、50mmF1.8で十分です。

 

これより、被写界深度が浅くなると、AFが難しくなります。

 

50mmF1.8を使い込めば、ボケの量と被写界深度の関係を頭にたたき込めます。

 

そのあとで、より広角、より望遠のレンズを使う場合には、50mmF1.8のズレを考えながら、撮影すればよいことになります。

 

カメラのレンズの物理法則の基準は、50mmF1.8です。

 

ところが、カメラメーカーは、換算画角でレンズを説明しています。

 

換算画角は、物理法則を無視しているので、ボケ量の混乱が起こります。

 

写真は、TTArtisan 35mm f/1.4で撮影しています。35mmF1.4でも、ボケが得られます。

 

 

 

写真1 TTArtisan 35mm f/1.4

 

理系の経済学(15)問題の裏返し

(問題を裏返して解く方法を説明します)

 

1)30年の見方

 

日本のGDPがドイツに抜かれ、世界順位は4位に転落しました。日本だけがほぼゼロ成長であり、他国は普通に成長しているので、日本の順位が一方的に下がっています。

 

これは、日本だけが、労働生産性が上がらなかったことを意味します。

 

諸外国にはなく、日本にだけある特殊な条件は、法度制度と年功型雇用です。(注1)

これは、労働市場がないことを意味します。

 

更に、系列取引によって、中間財の市場も不完全です。

 

安政策やインフレ政策は、中期的には、生産性の向上とは関係がありません。

 

日本では、経済合理性が働きませんので、日本が、経済成長しないことが予測できます。

 

つまり、日本が過去30年間経済成長しなかった原因探しをする「失われた30年」という問題設定は不適切です。

 

政府と経済界は、日本が経済成長しない現状を維持することを望んでいて、有権者も経済成長をさせない政治家を選んでいます。

 

政府の政策は、過疎問題や弱者対策を建前に掲げて、経済合理性を無視した利権誘導を繰り返しています。

 

人権宣言を読めばわかりますが、人権とは、能力を発揮する機会を確保することで、実現不可能な弱者救済の建前を振り回すことは人権ではありません。

 

新卒一括採用で、大学と企業の選択で、生涯賃金が決まる法度制度の年功型雇用は、能力を発揮する機会を与えない人権無視です。

 

南米には、貧困対策と称して、現金をばら撒いて、財政破綻を繰り返して、まったく経済成長できない国がありますが、最近の日本政府は、赤字国債を財源に、現金や補助金をバラまいています。

 

赤字国債は、将来の世代が支払いますが、ジム・ロジャーズ氏は、将来の世代が働いても、利益が、赤字国債の返済に当てられば、経済成長はあり得ないといいます。

 

企業の経済活動には、投資がリターンを得るまでに、3年程度のタイムラグ(時定数)があります。

 

教育のタイムラグはさらに大きく、10年から20年あります。

 

マスコミは、法度制度のミームを毎日拡散しています。

 

教養があれば、まともな経営ができるという間違った法度制度のミームをまき散らしています。

 

教養があっても、経営で将来何が起こるかは予測できません。

 

将来何が起こるかが予測できなくとも、対策はあります。

 

ギャンブルで、将来何が出るかは、予測できません。

 

しかし、優秀なギャンブラーは、勝つ確率を最大化する方法を選択します。

 

経営において必要な知識は、技術開発の知識と統計学です。

 

日本の経営者は、統計学が理解できないので、不適正な経営をしています。

 

科学的な根拠のない過去の成功例をコピーしています。

 

日本の大学の定員の7割は文系です。文系と理系という制度は、日本にしかありません。

 

数学、特に、統計学を習得していなければ、エンジニアのスキル習得は不可能です。

 

ベトナムは、日本と同じ漢字文化圏でした。

 

現在のベトナムは、漢字を廃してローマ字に切り替えています。

 

ベトナムの義務教育では、漢字は教えませんし、古典の教育も行ないません。その時間は、数学などに使われていると推測されます。

 

源氏物語が読めなくても、スマホのソフトウェアは開発できます。

 

スマホのソフトウェアを開発するためには、数学ができないと先に進めません。

 

教養が重要であるという主張は、こうしたエビデンスを無視しています。

 

このまますすめば、ベトナム人の方が、日本人よりスキルが高くなります。

 

加谷珪一氏は、日本のGDPについて、次のように発言しています。(筆者要約)

 

このままの状態を放置すれば、近くインドに抜かれる可能性が高く、中長期的にはブラジルやインドネシアなどに追い付かれることもあり得るだろう。これは異常事態であり、日本経済は危機的状況にあるとの認識が必要だ。

 

過去30年におけるドイツの平均成長率(実質)は約1.2%。これに対して日本の成長率は約0.7%しかない。同じ期間でドイツの経済規模は2.3倍に拡大したが、ドルを基準にすると日本はなんとマイナスになっている。

 

最大の問題は、ここまで状況が深刻化しているにもかかわらず経済界にまったく危機感がないことである。多くの国民が生活苦を訴えるなか、GDPの順位低下について日本商工会議所小林健会頭は、「購買力平価で考える必要がある」「一喜一憂する必要はない」など、にわかには信じ難い発言を行っている。

<< 引用文献

日本のGDP「4位転落」は危機的状況...最大の問題は、「一喜一憂する必要なし」という認識の甘さだ 2024/03/15 Newsweek 加谷珪一

https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2024/03/post-271.php

>>

 

日経連は、自民党の利権システムを高く評価しています。

 

利権システムの一部になった年功型雇用システムでは、経営幹部は、自分の所得や、企業の短期的な利益にしか関心がなくなります。

 

法度制度をバックにした利権システムのミームは、日本経済に深く浸透しています。

 

日経連や日本商工会議所は、本音では、日本の経済成長や人材育成には関心がありません。

 

つまり、日本は過去30年間、予定通り経済成長しなかったことになります。

 

法度制度をバックした利権システムのミームが生き残っていれば、日本は次の10年間も、予定通り経済成長しなくなります。

 

タイムラグを考えれば、次の10年間も、日本経済は経済成長しないことがほぼ確定しています。

 

それがわかれば、資金が日本企業から逃避するので、バブルの時の山一証券のような企業が続出するはずです。

 

Una Galani氏は、マイナス金利解除の影響を次のように考察しています。(筆者要約)

 

国際決済銀行(BIS)の四半期報告書では、年間の利益が利払い費を下回る企業をゾンビ企業と定義している。日本には昨年11月末時点でそうした企業が25万1000社あり、全企業の6社に1社ほどを占めている。



中小企業はグローバルな銀行や投資家の注目を集めないかもしれないが、日本の労働人口の約60%を雇用している。

 

マイナス金利解除の影響は、中小企業を直撃して、日本の労働人口に大きな影響を与える可能性がある。

<< 引用文献



コラム:マイナス金利解除、日本の暗部「ゾンビ企業」に打撃か 2024/03/09  ロイター Una Galani

https://jp.reuters.com/opinion/forex-forum/FLSN2LQIYVOADO6BLK265JW7DA-2024-03-05/

>>

 

簡単にいえば、中小企業では、年功型雇用が完全に崩壊して、労働者を集められなくなります。DXが進められれば、賃金があげられますが、中小企業は、それができないので、倒産が増えます。

 

大企業が経済合理性に基づいた経営をしていれば問題は少ないですが、政策株で天下りしたり、下請け企業に価格転嫁をしています。

 

つまり、中小企業がなくなると、大企業は動きがとれません。

 

経済合理性からすれば、水平分業が望ましいのですが、安定した品質の中間財を確実に提供してくれる水平分業先の確保には、数年単位の時間がかかります。

 

バスやトラックの運転手不足、薬の不足は、日本経済崩壊の予兆に見えます。

 

いうまでもありませんが、市場原理以外の解決策はありません。

 

現在のように市場に介入を繰り返すと経済は、ますます悪化します。

 

注1:

 

文系と理系の区別もあります。

 

2)問題の再定義

 

日本は過去30年間、予定通り経済成長しなかったと考えると、問題は、「1990年まで、なぜ、日本経済は成長できたのか」になります。

 

おそらく、経済学の視点でみれば、この設問が、一般的な疑問です。

 

今回は、ここまでです。

 

「1990年まで、なぜ、日本経済は成長できたのか」は、次回に考えます。

レンズを巡る旅;マクロレンズ(2)

マクロレンズの差は小さいという例を示します。

 

EF-MマウントのEF-M28mmF3.5を取り上げます。

 

写真1と写真2は、EF-M28mmF3.5です。

 

写真3は、前にも形成したEF50mmF2.5です。

 

2本のレンズの間には、20年近い開発時期の差がありますが、大きな差はわかりません。

 

MTF曲線のような物理特性は、20年で改善されていますが、普通にうつる範囲では、差がはっきりはしません。

 

実は、実写で、差がわかるかという点については、レンズレビューではわかりません。

 

レンズレビューでは、最悪の条件で比べて、差を論じます。

 

この方法では、高価なレンズの方が性能がよいという結論になります。

 

しかし、安価なレンズと高価なレンズの差が出る場面はかなり限られます。

 

簡単に言えば、レンズの価格の差は、打率の差だと考えると分かり易いと思います。

 

安いレンズでもよい写真は撮れます。ただし、打率が下がります。

 

打率が低くとも、持ち出しの頻度が高ければ良い写真が十分に撮れます。

 

それから、AFの方が、MFよりも、簡単に沢山の写真が撮れます。

ただし、白い花、明るいF値、焦点のターゲットが中央にない場合には、AFで、撮影可能な回数が減ります。

 

雪柳のどこに焦点を合わせるかは、むずかしく、ここでは、タッチシャッターを使っています。

 

 

写真1 EF-M28mmF3.5

 

写真2 EF-M28mmF3.5

 

 

写真3 EF-50mmF2.5

 

福岡堰の菜の花~つくば市とその周辺の風景写真案内(1248)

小貝川の土手には、菜の花が咲いています。

 

駐車場の利便性から、福岡堰に菜の花を探しにいきました。

 

例年ですと、桜並木のあたりで、菜の花がみれるのですが、2024年は、福岡堰の下流には、菜の花はなく、上流だけでした。

 

写真1 福岡堰の公園のカンヒサクラ

 

写真2 菜の花(下流向き)

 

写真3 菜の花(上流向き)

 

理系の経済学(11)デザイン思考と責任(第2版)

(責任の評価には、デザイン思考が不可欠です)

 

1)責任とは何か

 

政治の意思決定過程は、目に見えません。

 

教育を含む政治過程では、結果が判明するまで、数十年かかることもあります。

 

そうなると、因果モデルは複雑になり、失敗の判定や、原因(失敗を作った意思決定)がどこにあったのかは、見えなくなります。

 

ここでは、責任とは、誰かをスケープゴートにすることではありません。責任とは、問題の所在を明らかにして、失敗を繰り返さないためのプロセスの一部です。

 

このような複雑な組織マネジメントは、ある程度単純化したモデルを使わないと脳の容量を超えて考えることができません。

 

因果がネットワークになっている場合には、影響力の大きな要素に因果モデルを集中して、それ以外の要素は、観測データでは説明できないノイズとして分析を対象外にする必要があります。

 

因果モデルの原因は、1つではありませんが、データの精度と量に限界があるため、余りに数多くの原因を考えると、過学習になって、正しい結論が得られません。

 

こうしたエビデンスと因果モデルの世界観は、データサイエンスの基本です。

 

データサイエンスでみれば、エビデンスと因果モデルの世界観に基づかない人文科学の推論のエラー率は、100%と推定されます。

 

経済学を含む社会科学のエラー率もかなり高いと思われます。

 

理系の経済学は、エビデンスと因果モデルの世界観に基づく必要があります。

 

以下では、考えやすいエビデンスと因果モデルの世界観として、サッカーチームを考えます。

 

2)サッカーチームのモデル

 

有力なサッカーチームが連敗して、監督がクビになることがあります。

 

大統領と首相は、任期の途中で、クビになることはありません。制度上のリコールが設けられている場合もありますが、実施のハードルは高く、リコール投票がなされることはまれです。

 

サッカーチームの分析をすれば、大統領と首相が、クビになるべき条件がわかります。クビに出来るわけではありませんが、条件がわかれば、検討する価値があります。

 

サッカーチームの監督がクビになった直接の原因は、連敗ですが、連敗だけでは、クビにはなりません。

 

弱小の連敗を続けているチームもあります。

 

サッカーではありませんが、よく名前が知られている弱小チームには、東京大学の野球部があります。東京大学の野球部は連敗しても、監督がクビになることはありません。

 

サッカーチームの監督がクビになった根本的な原因は、チームが期待された戦績をあげられなかったことにあります。

 

つまり、背景には、個々の選手の能力、選手、監督などのチームメンバーに払う給与に見合った能力発揮ができなかった結果、連敗が起こったという因果モデルがあります。

 

その因果モデルのなかで、監督の寄与分が大きかったと判断されれば、監督がクビになります。

 

過去には、サッカーチームの主要メンバーが飛行機事故で亡くなったこともあります。

 

その後の戦績は、悪化したと思われますが、監督はクビにはならなかったでしょう。

 

以上の検討からわかることは、「責任には、デザイン思考に伴う期待値が必要である」ということです。

 

ジョブ型雇用における監督の給与は、「デザイン思考に伴う期待値」に対して支払われます。

 

「デザイン思考に伴う期待値」が監督の能力評価の初期値です。

 

この監督の能力評価の値は、対戦を繰り返す毎に更新されます。

 

この更新値が、給与を査定した時の「デザイン思考に伴う期待値の初期値」を大きく逸脱した場合には、責任が生じます。

 

以上のように考えると、「デザイン思考のない年功型雇用には、責任が存在しない」ことになります。

 

意思決定(ブリーフの固定化)は、個人ではなく、集団で行なう場合もあります。

 

その場合には、意思決定プロセスは複雑になりますが、「デザイン思考に伴う期待値」モデルの基本は変わらないと考えます。

 

3)中央銀行の責任

 

ロイターによると、イングランド銀行(BOE、英中央銀行)は、インフレの高騰を予測し損ねたとして議会から批判され、経済予測方法の見直しを迫られています。

BOEはノーベル経済学賞を受賞したバーナンキ元米連邦準備理事会(FRB)議長に予測方法の見直しの指揮を依頼し、4月に同氏の報告書が発表される見通しです。

 

BOEの予測モデルは本質的に、足元の基調から近未来を推定するか、もしくは過去のデータに基づいて失業と賃金上昇率など、経済理論上の関係に肉付けするかの、いずれかの手法を採ります。

 

これに国際エネルギー価格や為替レートなど、一連の「前提条件」を組み込んで予測を導き出すため、条件が変われば予測結果も変わります。

 

BOEが用いている(1)金融市場の予想通りに金利が動く(2)政府の税制・財政支出政策は変更されない―という前提条件が見直しの対象になると一部専門家は予想しています。

 

一方、FRBは2012年以来、当時のバーナンキ議長による透明性強化の取り組みの一環として、連邦公開市場委員会(FOMC)メンバー各々が金利、成長率、インフレ率の見通しを出し、それを匿名でドットチャートの形で公表しています。

<< 引用文献

焦点:バーナンキ氏の「評決」待つ英中銀、インフレ予想失敗で批判の矢面に 2024/03/16 ロイター David Milliken

https://jp.reuters.com/economy/federal-reserve-board/M3TF6VKFOJKYJINAI3RMC4SW2Y-2024-03-15/

>>

 

BOEFRBの経済予測と比べれば、日銀の経済予測には責任がありません。

 

社人研の人口予測も常に過大ですが、責任の問題はありません。

 

人口予測の精度は、経済予測より、精度の高い予測が可能なので、信頼区間を表示することも可能ですが。そのようには、なっていません。



4)デザイン思考と年功型雇用

 

成果主義で、成果の評価に、社員が上司と相談して、1年間の達成目標を設定しています。

 

大学では、研究者は、毎年1本以上のレビュー付き論文の執筆が達成目標になっています。

 

これらは、デザイン思考ではなく、ここには、評価と責任の回避があります。

 

ジョブ型雇用では、雇用する前に、「デザイン思考に伴う期待値」が議論され、それによって給与が査定されています。

 

サッカーチームの監督であれば、勝率がいくら以上、大きな大会で、ベストいくつ以内といった数字です。この数字は公開されていませんが、契約時に話し合われているはずです。

 

総理大臣は、首相になったあとで、政策を検討します。

 

これは、デザイン思考でなく、ここには、責任は存在しません。

 

総理大臣のポストは、年功型雇用ではありませんが、与党の人事ルールは、年功型雇用(法度制度)を準用しているため、デザイン思考がなく、責任は存在しません。

 

自動車メーカーで不正があり、新社長が就任した場合を、デザイン思考で考えれば、新社長は、不正を回避するデザイン思考が出来る人になっているはずです。

 

しかし、年功型雇用の新社長は、不正を回避するデザインについては、何も語りません。

 

これは、ジョブ型雇用ではあり得ません。

不正を回避優先すれば、短期的には、売り上げが減少するかもしれません。

 

これは、選択(優先順位)の問題です。

 

ジョブ型雇用では、不正を回避するデザイン思考の出来る新社長が1、2年で、成果をあげれば、その時点で、売り上げ中心のデザイン思考に優れた新社長に交替します。

 

人間でいえば、重病になれば、ともかく、入院して治療に専念します。

 

お金を稼ぐのは、治療が終ってから考えることです。

 

問題発生後の最初の新社長に求められる資質は、組織の治療ができることです。

 

手術をすれば、血がでます。麻酔が切れてくれば、痛みもあります。

 

年功型雇用は、痛みを避けて、病気の治療を放棄しています。

 

世界の経済と学問(知の世界)は、データサイエンスによって、情報化社会にレジームシフトしています。

 

ジョブ型雇用で、デザイン思考をしている責任のあるのある社会では、情報化社会にレジームシフトが進んでいます。

 

法度精度の年功型雇用を維持して、責任を問わない日本社会では、情報化社会へのレジームシフトは停止しています。

 

世界の中で、日本社会だけが、時計が止まっているような世界です。

 

ジム・ロジャーズ氏は、「捨てられる日本」(2023)の中で、アベノミクスは、事前に予想された通り失敗であったと評価しています。

 

野口悠紀雄氏は、アベノミクスは、帰納法で、結果を分析すれば失敗であったと評価しています。

 

この2つの評価は似ていますが、野口悠紀雄氏の方法では、仮に第2アベノミクスが出てきた場合でも、結果が出るまでは、評価ができません。

 

ジム・ロジャーズ氏は、アベノミクスは、計画段階で、事前に評価が可能であり、その方法を使って、結果をみれば、予想された通り失敗であったと評価しています。

 

つまり、ジム・ロジャーズ氏の方法は、デザイン思考になっています。

 

英語版のウィキペディアアベノミクス」では、特に、「アベノミクスの評価がなされていない」と書かれています。

 

これは、日本では、政策責任が存在しないことを指しています。

 

太平洋戦争の意思決定では、「失敗の本質;日本軍の組織論的研究」が良く知られています。

 

デザイン思考をするジム・ロジャーズ氏は、太平洋戦争の開戦、つまり、真珠湾攻撃の意思決定の責任分析がなされていないことを問題にしています。

 

2国間双方に経済的損失を与える開戦は、経済学でみれば、政策が経済合理性を逸脱したプロセスになります。そこで、どうして、経済合理性から逸脱する政策決定がなされたのか、その責任は、どこにあるのかが、課題になります。

 

経済問題を抱えていなければ、戦争を行なうメリットは少ないです。戦争を行なえば、経済は破壊されます。

 

ウクライナと同じように、仮に、台湾戦争が起こるとしたら、政策が経済合理性を逸脱したプロセスになった場合です。

 

中国の経済が毛沢東時代に逆戻りしない限り、中国が戦争をしかけることはあり得ません。

 

台湾戦争は、台湾、中国、日本にとって経済的にマイナスですが、ウクライナの場合と同じように、アメリカの軍事産業にとってはプラスになります。

 

まとめます。

 

デザイン思考のない年功型雇用には、責任がありません。

 

真珠湾攻撃の意思決定の責任分析はなされていません。

 

責任のない日本社会では、太平洋戦争のように、戦争が再発するリスクが取り除かれていません。

 

シビリアンコントロールで、戦争が回避できるというエビデンスはありません。

 

レンズを巡る旅;マクロレンズ(1)

50mmF1.8は、レンズの性能評価の基準になるレンズであるといいました。

 

そこで、忘れてしまいそうなので、マクロレンズも、基準になるレンズに付け加えておきます。

 

マクロレンズは、観察研究の記録を残すために使われます。

 

ボケの美しさや、極端は解像度は求められません。

 

実用上、必要十分な性能を目指しています。

 

マクロ撮影では、被写界深度が浅いので、一般には、絞って撮影されます。

 

マクロレンズには、極端に明るいレンズはありません。

 

マクロレンズでは、被写体とのワーキングディスタンスが重要です。

 

切手のように、ギリギリまで、近寄れる被写体と、昆虫のように近寄ることが出来ない被写体があります。

 

このため、目的に応じて、画角とワーキングディスタンスの異なるマクロレンズが必要になります。

 

画角とワーキングディスタンスの違いを除けば、メーカーや型番によるレンズ性能の差は少ないです。

 

写真1は、CANONのEF-50mmF2.5macroで撮影しています。このレンズは、最大倍率が、2分の1倍なので、ハーフマクロとよばれます。

 

EF-50mmF1.8に比べると、ボケが綺麗です。

 

 

写真1 EF 50mmF2.5macro