今、日本で起こっていること(5)

(日本のブードゥー経済学について説明します)



9)ソフトウェアの一般化

 

夢のソフトウェアが生産性が高いということは、高い一般性を持っていると考えます。そこで、ソフトウェア開発における一般化とは何かを考えます。

 

9-1)横の一般化

 

横とは、分野の違いを指します。

 

Aという分野用に作ったソフトウェアは、Bという分野でも使えれば、一般化ができ、開発コストが下がります。

 

一般に、Aという分野用に作ったソフトウェアが、そのままBという分野でも使えることはなく、モジュールを共通部分と分野依存部分に分解する必要があります。あるいは、オブジェクト指向であれば、継承を使うことになります。

 

ソフトウェアの開発には、これ以上深入りしませんが、横の一般化で重要なことは、横の一般化は分野の破壊を前提とすることです。

 

日本では、分野ごとの専門家が独立して存在するという人文的文化が主流です。例えば、生態学では、特定種の専門家がいます。歴史学では、ルネッサンスのイタリアのようにある地域のある時代の専門家がいます。

 

歴史学の現状は分りませんが、現代の生態学は、エネルギー収支を微分方程式でとき、生物多様性クラウドであつめたビッグデータで分析し、環境政策を自然資本の経済学で解析しています。つまり、生態学では、旧来の分野は破壊されています。

 

現代の生態学はDXのかたまりと解釈できます。

 

日本のように、特定種の専門家の意見を入れて、レッドデータブックを中心に種ごとの縦割り生態学推進している国はなくなりつつあります。

 

日本では、産業界のDXの遅れが指摘されていましが、科学的文化に基づかず、人文的文化と経験科学に基づく学問分野のDXの遅れは、より深刻になっています。

 

2020年6月の科学技術基本法に「人文科学のみに係る科学技術」が追加されたことは、DXを否定になりますので、問題点を端的に示しています。

 

9-2)縦の一般化

 

ソフトウェアは、時間をかけて開発されます。その特徴は、次になります。

 

(1)バージョンアップ

 

機能を追加し、処理効率を上げます。セキュリィティ対策を向上します。

 

(2)システム化ツール

 

ソフトウェアを効率的に開発するソフトウェアを開発します。

 

この機能の一部は、ソフトウェア言語の進歩によってもたらされています。

 

オブジェクト指向関数プログラミングが、2本の柱になっています。

 

ソフトウェアによって作られるエディタ、デバッガも進歩を支えています。

 

これはソフトウェアに自己増殖性があることを意味します。

 

ゲームソフトの開発企業が、ゲームソフト開発のためのプラットフォームを同時に作っていれば、自己増殖性の点で、デジタル企業と言えるでしょう。

 

複数のA,B,Cのゲームで使われる共通モジュールを開発して利用する手法が横の一般化です。ゲームソフト開発のためのプラットフォームを開発するのは縦の一般化です。交換下れば、縦の一般化は、横の一般化が極度に進んだ状態であると見ることもできます。




9-3)高さの一般化

 

ソフトウェアは人間のグループが作ります。

1人の生産性も重要ですが、グループの生産性も重要です。

グループの生産性を上げるためには、クラウドツールの活用が欠かせません。

 

この文章は、Googleドキュメントで書いていますが、Googleドキュメントのようなクラウドに対応したツールを使えば、生産性を劇的に上げることができます。

 

紙の雑誌の印刷では、編集者がゲラ刷りに赤を入れたものを、著者に郵送して、修正点をチェックしていました。それには、数日かかりました。

 

グラウド上のエディタを使えば、こうした編集は瞬時に終わります。

 

紙の雑誌を、WEBに切り替えれば、印刷費が要らなくなるだけではなく、速報性が上がります。

 

ウキペディアであれば、選挙の次の日には、選挙結果が書き込まれています。

 

紙の百科事典では、数年を要していました。

 

紙の雑誌が廃刊になっていますが、速報性、双方向性に利便性がなく、コストが嵩みますから、廃刊になるのは当然と思われます。

 

一方では、電子教科書には、速報性、双方向性がなく、電子化のメリットが全くない不思議な状態になっています。

 

ソフトウェア作成における高さの定義はありませんので、ここでは、第3の一般化と呼んでもかまいません。

 

9-4)まとめ

 

他にも、見落とした一般化の切り口があるかもしれません。

 

いずれにしても、ソフトウェアは、開発の方法、開発後の利用、システムとしての自己増殖性によって、高い生産性を実現できます。

 

10)高度人材の給与

 

10-1)給与の評価

 

高度人材の給与は、生産性に比例します。

 

つまり、生産性を計測することなしに、給与はきまりません。

 

1990年頃、発展途上国ラオスに初めテレビ局が設置されて、テレビスターが誕生します。ラオス社会主義国です。テレビスターの給与が、首相の給与より高くなって、そのころは引き下げられたそうです。当時この話をきいて、発展途上国だからやむを得ないといった人がいます。

 

しかし、現在の日本も、給与がポストで決まる同じような状態にあります。

 

一方、野球やサッカーチームで一番上のポストは監督です。しかし、監督より給与の高い選手はいくらでもいます。それは、スター選手がいれば、観客動員数が違うからです。スター選手になると年俸が非常に高くなります。そこで、スカウトマンが全国を走り回って有望な新人の発掘をしています。新人はスターになるかもしれませんが、その場合の給与には、割安感があります。

 

ポストで給与が決まることに違和感を感じない人は、人文的文化の持ち主です。



科学的文化の人は、生産性を反映しない給与には違和感がるはずです。

 

よく講演会の講師の略歴に、政府の専門員会の委員の経験者であると書かれていることがあります。

 

生産性(出来高)で考えれば、日本経済は過去30年伸びていませんので、政府の専門員会のうち生産性の向上に寄与した委員会と生産性の向上の失敗した委員会を比べれば後者の方が多いはずです。

 

野球の監督の経歴で、優勝チームの監督には、価値がありますが、どん尻チームの監督の経歴には価値がありません。

 

同様に考えれば、成果を上がられなかったの専門員会の委員の経歴は書かないで欲しいというが普通です。そうならないので、成果(エビデンス)を問わない人文的文化に洗脳されているからです。

 

10-2)生産性の差

 

ソフトウェアエンジニアの生産性調査では、1980年代に、IBMが行った調査レポートが広くしられています。その調査では、優秀なプログラマーと初心者のような成績の悪いプログラマーの生産性の差は26倍ありました。

 

これから、生産性に比例して考えれば、10倍程度の給与差はあって当然と思われます。

 

この調査は、全てのプログラマーが解ける課題を対象にしています。

 

数学の難問のように、誰でも解けるわけではない課題に対しては、課題を解けるプログラマーと課題を解けないプログラマーの生産性の比は無限大になってしまいます。

 

ともかく、課題を解けるプログラマーがいないと、先に進めないのです。

 

2023年1月27日のDianmondに、野口悠紀雄氏が、Levels.fyiのアップル、グーグル、メタ、マイクロソフトのソフトウェアのエンジニアの給与のついて記事を書いています。

 

表1は、この4社をBigtechとして、それ以外のアメリカのサンフランシスコ、英国、日本のソフトウェアエンジニアの給与を1ドル130円として万円単位で整理しています。

 

—-------------------

 

表1 2023年1月のソフトウェアエンジニアの給与

 

区分

最高

エントリー

Bigtech

15639

2197

San Francisco Bay Area

3900

2379

UK

1733

718

JPN

1043

645

—-----------------------



表1から、日本が圧倒的に安いことがわかります。

 

Bigtechの給与は、最高レベルのソフトウェアエンジニアでは、サンフランシスコエリア平均より高いですが、エントリーではさがありません。

 

アメリカのエントリーレベルの給与は、英国と日本の3倍くらいありますが、生活費が非常に高いので、可処分所得の差は、給与の差に比べれば小さいと思われます。

 

筆者は、高度人材の獲得に必要な条件は以下と考えます。

 

(1)高度人材に高い給与を提示できる利益率の高いデジタル社会型企業であること。

(2)高度人材に求めるジョブ(難しいが解ければ、競合企業に対して優位に立てる課題)を設定できること

 

この課題をクリアできる日本企業は少ないと思います。

 

給与がLevels.fyi、Glassdoor、Blindなどのサイトに掲載されていようになったのは、最近です。このデータは企業の公式データではないので、精度には問題があります。しかし、従業員はこれらのサイトに殺到し、同僚や他社で働く同様の職種の人たちと自分の報酬を比較して、条件が悪い場合には、転職を考えるか、給与の値上げ交渉をするようです。

 

10-3)アートの課題

 

ソフトウェアエンジニアの仕事は極度に演繹的です。

 

筆者は、コンピュータが出て来る前にあった職業で、ソフトウェアエンジニアにもっとも近い職種は、作曲家だと思います。

 

つまり、帰納的に考えるのではなく、演繹的に、プログラムをコーディングする作業は、音楽理論に基づいて作曲する作業に共通しています。

 

そこには、STEAM教育を行うべき理由があります。

 

作曲家の生産性を調査した研究はないと思いますが、日本作曲家の芥川也寸志は、モーツアルトの最後の3つの交響曲について、自分が楽譜を書き写す速度より、モーツアルトが作曲する速度の方が速いといっています。




 引用文献

 

GAFA大量人員削減でも高度人材は「年収2億円超」、熾烈な獲得競争に日本は勝てるのか2023/01/27 Dianmond  野口悠紀雄

 

levels.fyi

https://www.levels.fyi/t/software-engineer/locations/japan

 

Levels.fyi、Glassdoor…給与サイトに利用者殺到。公開データで会社と交渉、報酬30%アップする技術者も 2022/07/30 LIFE INSIDER

https://www.businessinsider.jp/post-254707

 

今、日本で起こっていること(0)

順番が入れ替わっていますが、「今、日本で起こっていること」の冒頭の部分をつくりました。

 

概要



変わらない日本といわれて30年が立ちました。日本経済は依然として足踏みして、先進国からずり落ちています。日本の社会は、この状態からの出口を探しているように見えて、その実、30年間なにもせずに来たように見えます。ここには、大きな認知バイアスがあるように見えます。認知バイアスを外して、「今、日本で起こっていること」を見えば、何が見えるかを、ここでは考えます。

 

(日本のブードゥー経済学について説明します)

 

1)不思議の国日本

 

1-1)最近の状況

 

2023年1月に、アメリカでは、ビッグテックで大量の解雇が起こりました。労働市場は火の車です。過去20年間、アメリカの労働市場では、解雇と再雇用が繰り返され、そのプロセスで労働生産性の低い(給与の安い)企業は淘汰され、生産性が上がり、給与が上がっていきました。

 

一方、日本では、アメリカを対岸の火事と言わんばかりに見ていて、何も起こらず、生産性が下がり続けていますが、それを、気に掛ける人はいません。防衛費やこども予算のために増税が議論されています。生産性の低い部門を温存して、そこに補助金をつぎ込めば経済は回らなくなり、税収が減ります。その上で増税すれば、日本は、ますます生産性が落ちて貧しくなっていきます。

 

生産性があがれば、1人当たりGDPや、給与は確実に増えます。

 

アメリカなどの外国と比べて日本の生産性が下がれば、輸出競争力はなくなります。外国は解雇と再雇用とリスキリングで継続的に、生産性を上げていきます。輸出競争力を円安や非正規による平均賃金の引き下げで対応しても、それは、一時しのぎにしかなりません。

 

その結果、2022年の貿易収支が、約20兆円という巨額の赤字になりました。

 

日銀は、10年たっても、インフレ目標の話をしていて、生産性の改善には、まったく触れません。

 

アメリカに見られるように、DXを導入することで、劇的な生産性の向上が可能です。

 

しかし、そのためには、生産性の低いジョブをソフトウェアに置き換えることが必要です。

 

レイオフなしで、リスキリングして、給与を上げることはできません。なぜなら、レイオフなしで、既存の仕事を残せば、生産性が上がらないからです。

 

このレイオフは、例外なしに、全ての業種に及びます。

 

自分だけ、レイオフのリスクの対処外になることはありえません。

 

しかし、日本では、誰もがDXを対岸の火事のように見ています。

 

どうして、ここまで、不合理なことがまかり通るのでしょうか。

 

1-2)スノーの予言

 

今から60年以上前の1959年に、英国で、C.P.スノーが、「二つの文化と科学革命」という講演を行いました。

 

スノーは、「英国には、人文的文化と科学的文化がある。二つの文化の間には、解消できないギャップがある。英国は、科学的教育(エンジニア教育)を充実して、科学的文化の国にならなければ、将来、経済が破綻する」と予言しました。そして、エンジニア教育を充実させました。

 

エンジニア教育とは、簡単にいえば、生産性の向上に寄与する科学技術のことです。

 

そのころの英国教育では、人文科学の古典教育が一番価値があると思われていました。

 

これに対してスノーは、生産性の向上に寄与できない人文科学の教育を継続すれば、英国は貧しくなるといったわけです。

 

数学的には、自明の命題です。

 

人文的文化と科学的文化の違いは何でしょうか。

 

詳細は、以下の章で検討しますが、一番の違いは、エビデンスに基づく仮説の検証の有無と、そのための検証可能な仮説の提示にあると考えます。

 

検証可能な仮説とは、いいかえれば、数字付の仮説です。

 

日本は、スノーの予言の「科学的教育(エンジニア教育)を充実して、科学的文化の国にならなければ、将来、経済破綻する」を実証しているように見えます。

 

現在の日本では、科学的文化の数字で考えれば、ありえないような「不合理なことがまかり通」っています。

 

筆者は、その理由は、多くの人が、「今、日本で起こっていること」を人文的文化で、理解しているためであると考えます。

 

日本は、スノーが指摘した「科学的教育(エンジニア教育)を充実」しないで来た結果、科学的文化で、現実を見ることが出来なくなっていると考えます。

 

そこで、本書では、科学的文化から見て、「今、日本で起こっていること」を記述してみたいと思います。

 

1-3)人文的文化の問題点

 

最初に、人文的文化の問題点を述べておきます。

 

人文的文化では、データから仮説(物語)を作成します。

 

これらの仮説は、エビデンスで検証されないか、検証可能な形式をしていません。

 

人文的文化では、しばしば仮説の正しさを、歴史を経て生き残ってきたことに求め、原典主義をとります。

 

しかし、科学的文化は人文的文化の検証法を否定します。

 

立春(節分)には、豆をまいて、鬼を追い払います。

 

これは、「病気の原因は鬼である」という仮説です。

 

この仮説は、1000年以上の時を経て生き残ってきました。

 

しかし、現在は、豆をまけば病気にならないと考える人はいません。

 

これは、「病気の原因は鬼である」という仮説が間違っているからです。

 

科学的文化では、仮説の検証が行われますが、人文的文化では、仮説の検証は行われないので、誤りが生き続けます。「病気の原因は鬼である」という仮説は、1000年も生き続けました。

 

こうした仮説が、日本人の心情に訴えることは、妖怪をテーマにした漫画やアニメの多さを見れば理解できます。だからといって、「病気の原因は鬼である」という仮説を、真にうけて、医者の代わりに祈祷師に見てもらう人はいないでしょう。

 

雑誌の記事のタイトルには「○○できない本当の理由」といった記事も多くあります。

 

これらの記事は、仮説を提示しているだけです。

 

人間には、正しい仮説を選んで作り出す能力はありません。

 

間違っていても仮説を作り出すことは、ウェルカムです。

 

問題は、その先に検証がないことです。

 

1-4)科学的文化の特徴

 

理論科学の典型と考えられている物理学では、公式(定説、または仮説)は微分方程式で記載されます。

 

これは、大まかに言えば、時間微分(時間変化)を問題にする視点です。

 

自動車を運転するときに、メーターに表示されるのは速度です。

 

一方、エンジンやブレーキの能力を決めるのは、速度の時間変化である加速度です。

 

自動車の設計では、速度よりも、加速度の方が重要です。

 

アメリカのFRBはインフレに対応して、金利を変化させます。

 

この時に考慮すべき第1の点は、物価上昇率に対する金利の上昇率です。

 

あるいは物価の2階微分物価上昇率の変化)に対する金利の上昇率です。

 

これは、アクセルとブレーキの能力のバランスをとる考え方です。

 

これから、FRB微分方程式を理解していることがわかります。

 

日銀は、微分方程式を理解しているのでしょうか。

 

ここに2つの仮説があります。

 

(1)日銀は、微分方程式を理解している。

 

(2)日銀は、微分方程式を理解していない。

 

次にエビデンスを見ます。

 

日銀は、金融緩和(金利変化)と物価上昇率に因果関係があるといいます。

 

これを微分方程式で考えれば、金利変化と物価上昇率を見ることになります。

 

金利は10年前に下げられました。そのときには、インフレ率に変化はありませんでした。

 

日銀は、低金利を続ければ、物価上昇するといっています。

 

日銀の説明には、低金利金利変化率の混乱があるか、金利変化率を無視しています。

 

FRBは金利変化率を問題にしているはずです。

 

エビデンスに基づけば、(1)が成立する可能性は低く、(2)が正しいように見えます。

 

これは、常識に反します。

 

しかし、スノーが、「二つの文化と科学革命」で指摘した二つの文化のギャップを認めれば、説明ができます。

 

日銀は人文的文化に基づいて意思決定をしていると仮定します。その場合、日銀は、微分方程式で考えるより、過去の類似パターンの引用に基づいて意思決定をしていることになります。



本書では、二つの文化のギャップがあるとして、そのギャップが現在の日本に与えている影響を考えます。

 

今、日本で起こっていること(4)

(日本のブードゥー経済学について説明します)

 

8)魔法のソフトウェアとAIの得意分野

 

8-1)魔法のソフトウェア

 

デジタル企業の中心は、ソフトウェアです。

 

日本にも、ソフトウェアを作るITベンダーはあります。しかし、ITベンダーとGAFAのビッグテックの生産性は、大きく異なります。

 

NTTデータでは、人材流出が止まらず、NTTデータGAFA予備校と言われています。これは、表面的には給与の差ですが、ジョブの内容を考えれば、GAFAは、NTTデータよりはるかに利益率の高いソフトウェアのジョブを提示できていることを意味します。

 

高い給与を払えば高度人材が集まるという理解は、人文的文化にとどまります。

 

ソフトウェアには、非常に高い利益率を叩き出す魔法のソフトウェアとそれ以外の並のソフトウェアがあるという事実を認識すべきです。

 

日本には、ITベンダー以外に、ゲームのソフトウェアを作る企業もあります。ゲームのソフトウェアは、材料費がほぼゼロなので、工業製品に比べて高い利益率をあげています。

 

ゲームのソフトウェアは魔法のソフトウェアでしょうか。

 

筆者は、そうではないと考えます。

 

どのようなソフトウェアが、魔法のソフトウェアであるかという問題は、ソフトウェアを作りながら、生産性の高いデジタル社会の企業(デジタル企業)になれるか、生産性が並の工業社会の企業になるかの分岐点になると考えます。

 

デジタル社会のデジタル企業は、工業社会のモノづくり企業とは生産性の桁が違います。日本が先進国であり続けるためには、日本にもデジタル企業を作りださなければなりません。

 

モノづくり企業をいくら作っても、生産性が低いので、先進国からの没落を止められません。

 

マクロソフトの「第4のパラダイム」に基づけば、それは、データサイエンスを活用して利益を上げる企業になります。ただし、「第4のパラダイム」は、科学パラダイムを論じた本であり、企業経営を論じた本ではありません。

 

その他にも、この問題を論じた記述があるかもしれませんが、筆者は、その事例を知らないので、以下は、筆者の独自の見解です。

 

似たような見解が、既に、公開されている可能性はゼロではありませんが、今の時点では、調べきれていません。



8-2)パターンマッチングと分類

 

考察に入る前に、データサイエンスの特徴を簡単に整理しておきます。

 

データサイエンスや、AIは、人文的文化では、「AIがいつ人間を超えるか」、「人間の労働はAIにとって代わられるか」、「新製品は、AIを使っているか」といった1かゼロかのバイナリーバイアスの世界で論じられます。

 

科学的文化では、計算科学のコンピュータ処理が人間の能力を超えたように、データサイエンスが既に、人間の能力を超えている部分、互角な部分、人間の方が優れている部分をわけて考えます。この3区分もアバウトですが、とりあえず、バイナリーバイアスを回避できます。

 

2023年に時点で、データサイエンスや、AIが大きく人間を凌駕している分野は、パターンマッチングと分類です。

 

(1)パターンマッチング

 

大学入学共通テストでは、マークシートが使われます。これは、鉛筆で塗りつぶしたパターンを読み取り機で判定するもっとも原始的なパターンマッチングです。

 

郵便番号の文字の読み取りは、もう少し複雑なパターンマッチングです。

 

現在では、数字のパターンマッチングの公開ライブラリがありますので、数字のマッチングのソフトウェアは、プログラムが出来るれば高校生でも簡単に作れます。

 

官僚が大好きな前例主義も、現状と前例のパターンマッチングです。

 

大学入試問題を解く、AIソフトのコアはパターンマッチングです。過去の設問と解答のデータベースを作成して、そこから、機械学習でパターンマッチングを学習します。

 

画像認識のパーンマッチングでは、写真に何が写っているのか、95%以上の正答率で判別できるようになりました。これは、人間の能力を超えています。

 

つまり、AIは、パターンマッチングが人間より得意です。

 

次に、試験問題は何を判定しているのでしょうか。

 

単語カード(フラッシュカード)のような暗記は、表の単語と裏の単語のペアを記憶します。人間は、努力してペアを記憶しますが、コンピュータは、表の単語と裏の単語のペアをデータに並べて、メモリーに転送するだけです。記憶するための努力は不要です。

 

試験問題では、表の単語の問に対して、裏の単語を答として書き込みます。

 

つまり、表の単語をにマッチするペアを探して、裏の単語を書き込みます。

 

思考問題が中心と考えられる数学についても、和田秀樹氏が数学は暗記であるという受験指導をして有名になりました。

 

ここで「暗記」というのは、解答のパターンを暗記して、問題を見て、最も近いパターンに当てはめて計算するという意味です。

 

つまり、現在の大学入学試験は、思考能力を見ているのではなく、パターンマッチングの能力を見ている可能性が高いといえます。

 

読者は、「このままでよい、そのどこに問題があるのか」と考えられるかも知れません。

 

問題は、パラーンマッチング能力において、人間は、AIに勝てないという点にあります。

 

入学試験は、AIと競争したら、負けてしまう学生を合格として選抜していることになります。

 

採点方法にパターンマチングを使っている試験の場合には、教科にかかわらず、この問題を抱えています。

 

日本のAO入試は、大学入学共通テストより難易度が低い場合が多く、現状では、優秀な学生を選抜する上でAO入試は、大学入学共通テストの代わりにはなりません。

 

つまり、今のところ、この問題の解決の目途は立っていません。

 

(2)分類

 

パターンマッチングとセットになっている問題が分類問題です。

 

ある写真を見て、その動物が、チンパンジーであると判別するのは、パターンマッチングです。

 

同じ写真を見て、その動物が、チンパンジーかゴリラかを判定すれば、分類になります。

 

(3)学習と正答率

 

パターンマッチングも分類も、学習データを準備して、機械学習をした上で、成績(正答率)を計測します。

 

機械学習には、色々な手法(アルゴリズム)がありますが、成績を見て(エビデンスに基づいて)、ベストなアルゴリズムを選抜します。

 

有罪か無罪かは典型的な分類問題です。

 

カーネマンは、「ノイズ」の中で、同じデータに基づいて、有罪になるか、無罪になるかは、裁判官によるバラツキが多いという問題を指摘しています。こうした分類の間違いを直すには、恐ろしく単純なアルゴリズムでも、人間よりはましな判断ができるといっています。

 

データサイエンスでは、データを多次元空間に展開して、分離機(分離アルゴリズム)をつくる手法が一般的です。これは、多次元データの処理になるので、生身の人間の能力を超えています。

 

カーネマンの「ノイズ」には、裁判官が裁判で、どのようなアルゴリズムを使って、判決を出すのか書かれていませんが、多次元データの処理でないことは確かです。

 

次元の低いデータ処理アルゴリズムの典型に決定木(デシジョンツリー)があります。

これは、迷路から出口を探すように、2分岐のところで、右か左かの判断を複数回繰り返して、最終的な判断をだすアルゴリズムです。

 

データサイエンスでは、決定木のアルゴリズムは推奨されません。

 

それは、このアルゴリズムは、ノイズに対して、脆弱で、ノイズ次第で、分類の結果が直ぐに覆ることが知られているためです。

 

仮に、裁判官が決定木アルゴリズムを使っていると考えれば、カーネマンが、「ノイズ」の中で指摘したように、裁判官によるバラツキが多いのは当然になります。

 

データサイエンスでは、決定木のアルゴリズムの欠点を補正する方法も提案されています。

 

それは、ランダムフォーレストと呼ばれる手法で、ノイズと思われる部分のデータを変化させて、決定木を100回くらい繰り返して、分類結果のバラツキを見る手法です。

 

裁判官で言えば、100人くらいの裁判官が同じ案件を取り扱って、判決のバラツキを見なさいということになります。

 

100人の裁判官が協力してくれるとは、思えませんが、ソフトウエアであれば、100回でも、1000回でも簡単に繰り返せます。

 

データサイエンスによる分類は完全でありませんが、正答率の値は求まっています。

 

また、この正答率の値は、アルゴリズムとデータの改善によって、常に改善がはかられています。

 

実際の裁判官の判決にもエラーはありますが、正答率が公開され、その改善が進んでいる訳ではありません。

 

裁判が、パターンマッチングや分類問題であれば、人間は複雑なデータを扱えないので、原理的に、AIを使う方がベターであると思われます。

 

これは、アルファー碁と人間の対決のように、ダミーデータを使えば、検討が可能です。

 

2023年には、アメリカで、初めてロボット弁護士が働いています。しかし、このロボットは、「弁護士の文書のコピー&ペースト作業を代替しているだけです」。

 

大前研一氏は、次のようなAIツールの利用例を紹介しています。



<==

 

 すでにカナダでは弁護士業務のかなりの部分をAIが代替している。その訴訟のケースをアプリに入力すると、過去の判例に基づいて「裁判に勝てる確率」「妥当な請求額」「争点と法廷で議論すべき順序」などをAIが教えてくれるのだ。書籍やネット上の判例集を紐解いて調べる必要はないのである。今後はAIを駆使できる弁護士しか生き残っていくことはできない。

 

==>




科学的文化から見れば、法律を作ることは、人間にしかできない重要な役割ですが、裁判の内のパターンマッチングや分類の作業は、原理的に、人間より、AIに向いているように思われます。

 

もちろん、これは、仮説ですから、別の仮説や、仮説検証が進むべきと考えます。

 

引用文献

 

世界初「ロボット弁護士」が来月、法廷で人間を弁護する 2023/01/27 Newsweek 佐藤太郎

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/01/ai-69.php



岸田政権が注力する「リスキリングで資格取得」の時代錯誤 本来学ぶべきスキルとは 2022/10/29 週刊ポスト 大前研一

https://www.moneypost.jp/960065

マウント消失の恐怖

キヤノンが、RFマウントで、ASP-Cサイズのレンズとカメラを出したことは知っていました。

 

これは、EF-Mマウントがなくなることを意味します。

 

過去に消滅したマウントには、ニコンニコン1のCマウントがあります。

 

筆者は、Cマウントのカメラを使っていた時期もあります。

 

ニコン1は、カメラの性能は良かったですし、レンズも悪くありませんでしたが、如何せん、レンズの種類が少なすぎました。また、インターフェースが独自で、使いにくかったです。

 

その頃は、メインには、ニコンAPS-Cの一眼カメラを使っていました。

 

そのため、キヤノンも、APS-Cの一眼を使うことはないと考え、キャノンは、小型のEF-Mマウントのカメラ(EOS M)を使い始めました。

 

EF-Mマウントのレンズも種類は多くはありませんが、Cマウントとは違って、マクロ、広角、望遠と一通りは揃っています。性能が尖ったレンズはEF-M32㎜F1.4だけで、レンズは小型で安価な代わりに、暗いです。

 

レンズが暗いことは、ISOを上げれば対応できるので、設計思想としては理解できます。

 

問題は、レンズに手振れ防止がついていない場合で、F値の明るいレンズでも、手ブレで失敗することがあります。

 

さて、EF-Mマウントのレンズは、1年に1種類くらいの速度で、少しずつ追加されましたので、順次購入して、全て持っています。新旧の標準ズーム、望遠ズーム、広角ズーム、便利ズーム、換算50mm単焦点、パンケーキ、マクロと9種類です。

 

EF-Mマウントのレンズは、色収差はデジタル補正が基本で、非球面レンズは使いますが、FDレンズは使わないので、安価で小型になります。

 

EF-M18-150㎜のように、RFSマウント用が発売されたものもありますが一部です。

 

EF-M18-150㎜は、55千円でしたが、EF-M18-150㎜は62千円で、若干高くなっています。

 

EF-M18-150㎜は、完売して、2023年には、中古しか入手できなくなりました。

 

中古でも、45千円もします。

 

フイルムカメラの時代には、同じマウントのカメラとレンズが継続して販売されていました。新製品の開発が止まっても、旧型の新品がメーカーから入手できました。

 

2023年1月末に、キヤノンショップで販売しているEF-Mマウントのカメラは、EOS Kiss M2・ダブルズームキットだけです。

 

他の機種がないだけでなく、Kiss M2のカメラ本体、シングルレンズキットは、完売で発売していません。

 

ところで、昨日、Kiss Mのシャッターが落ちなくなりました。

 

今まで、経験したデジタルカメラの不良は、初期不良を除けば、電動ズームレンズの故障が3回だったので、カメラは壊れないと思っていました。

 

様子を見て、修理にだす予定です。

 

Kiss Mより古い、EF-Mマウントのカメラとしては、EOS M3(2015年3月発売)が手元にありますが、センサーはともかく、自動焦点が、位相差でないので、動いているものは撮影できません。



「BCNランキング」の2022年1月1日から12月11日の日次集計データのミラーレス一眼の実売台数ランキングから、キヤノンの部分を抽出すると以下のの通りです。

 

1位 キヤノン EOS Kiss M2 ダブルズームキット ホワイト

3位 キヤノン EOS Kiss M2 ダブルズームキット ブラック

6位 キヤノン EOS RP・RF24-105 IS STM レンズキット

8位 キヤノン EOS R10・RF-S18-150 IS STM レンズキット

 

Kiss M2が、これだけ売れているのだから、EF-Mマウントが廃止になっても、直ぐに、問題が起こるとは考えていませんでした。

 

しかし、2023年1月現在で、EFーMマウントのボディとレンズは売り切れの状態にあります。

 

2022年2月には、EOS Kiss M3が2022年の第4四半期に登場するという噂もありましたが、

現在、キヤノンは、EF-Mマウントの売り切りビジネスをしているので、売り切れ次第、今後は、RFマウントのカメラを買えと言うことです。

 

RFマウントのカメラのEF-Mのレンズが着きません。これは、EF-Mの方が、フランジバックが2㎜短いためです。ということは、EF-Mのレンズは、EF-Mマウントのカメラでしか使えません。

 

Kiss M2の新品の最安値は、2022年7月頃で、2023年には1万円くらいくなっています。

 

シングルズームが+1万円、ダブルズームが+2万円します。

 

結局、アマゾンで、シングルズームを見つけて注文しました。

 

マウントが廃止された場合、カメラが壊れると持っているレンズは全て使えなくなります。

 

今までは、カメラが壊れることを想定していませんでしたが、一旦壊れると、お手上げになることがわかりました。

 

カメラのシャッター寿命に達したのかも知れません。ただし、複数のカメラを使いまわしているので、シャッター寿命は今まで気にしたことはありません。



引用文献

 

BCNランキングの集計で2022年に最も売れたミラーレスカメラは「EOS Kiss M2」2023/01/04

https://digicame-info.com/2023/01/2022eos-kiss-m2.html

今、日本で起こっていること(3)

(日本のブードゥー経済学について説明します)

 

5)レジームシフトの現実

 

5-1)レジームの区分

 

ジームシフトは生態学の概念で、生物が棲息する環境が一括して変化してしまう非可逆的な変化を指します。

 

ここでは、次のレジームを想定しています。

 

(1)農業社会

 

(2)工業社会

 

(3)デジタル社会

 

農業社会では、体力のあることが経済的に有利でした。このため、男女間の生産性の違いを解消することは難しかったと思われます。

 

農業社会で使われる機械は、犂や鍬で、動力には、牛や馬を使っていました。

 

工業社会では、自動車やその派生形であるトラクターが使われます。現在は、100馬力以上の力のある自動車は、普通に走っていますが、農業社会では、100頭の馬を所有して、1人で使いこなしている人はいませんでした。

 

つまり、農業社会と工業社会の間には、大きな生産性の差があります。

 

デジタル社会の定義は、多様で、統一的な見解はないと思います。

 

しかし、経済の問題としてレジームシフトを考えるのであれば、筆者は、生産性に注目して、分類すべきだと考えます。

 

例えば、自動車はEVに移行する可能性があります。EVは、工業社会の製品化、ソフトウェアが搭載されているので、デジタル社会の製品か判断が分かれます。

 

このような場合には、生産性をキーに分類すべきと考えます。

 

EVを動力の違いで見れば、内燃機関の自動車も、EVも、工業社会の製品に見えます。

 

一方、EVが自動運転を可能にすれば、これは、労働生産性を大きく改善しますので、デジタル社会の製品と考えることができます。

 

テスラの自動車1台当たりの利益はトヨタの約7倍あります。税引き前粗利益率は17%で、業界他社平均のほぼ2倍あります。

 

これは、テスラをデジタル社会の企業(デジタル企業)と見なせることを示しています。

 

GAFAMなどのビッグテックは、工業社会の企業では考えられないような、高い利益率を出しています。

 

高い利益率を生み出す源泉はソフトウェアまたは、ソフトウェアと組み合わされたハードウェアです。

 

高度なソフトウェアを作ることができるのは、高度人材だけです。

 

デジタル企業は、高い給与を払って高度人材を抱えています。

 

最近日本では、高度人材の獲得が話題になっています。

 

高度人材の検討は次回にまわします。

 

5-2)レジームシフトの効果

 

1960年代に日本は高度経済成長を達成しました。

 

潜在成長率の考えでいえば、要因は次の3つです。

 

(1)資本整備

 

戦争で、破壊された設備を整備する場合には、確実な経済効果が見込まれます。

 

(2)労働力

 

高度成長期は、人口ボーナス期でした。

 

(3)生産性

 

高度成長期には、東京を中心とした大都市圏に、地方から人口移動がありました。

これは、農業から、工業への人口シフトでした。

 

農業の生産性は低く、工業の生産性は高かったので、その差の分だけ生産性が上がりました。



この労働移動は、農業社会から工業社会へレジーム移動の主要な部分でした。

 

労働移動は、田中内閣の均衡ある国土開発計画で、減速し、高度成長が終わります。

労働移動によって農業者は高齢化し、地方の集落には消滅したところもあります。

 

こうした場合に、人文的文化の人は、過疎問題があるといいます。

 

しかし、農村から都市への人口移動がなければ、生産性はあがらず、日本は先進国にはなれませんでした。

 

つまり、過疎問題という独立した問題は存在しないのです。

 

「農村から都市への人口移動の適切な速度はあるか」、「格差は不可避なので、それを補填する政策があるか」など複数の切り口で問題を整理する必要があります。

 

科学的文化では、こうした複雑な問題は、適切な評価関数を設定して、評価関数が、最大または、最少になる手段を検索する数学問題に置き換えられます。

 

人間の頭で扱えるパラメータの数は7つ程度で、各パラメータのレンジも5から8段階(3ビット)程度です。これより複雑な問題は、数式に置き換えて分析しないと、解くことができません。



6)脱落している日本

 

日本の社会は30年間、「変わらない日本」であると言われてきました。

 

これは、賃金や1人当たりGDPが変化しなかったことを意味しています。

 

しかし、時間微分(変化率)に注目すれば、違った世界になります。

 

微分方程式で考えれば、重要な変量は、時間微分または、2階の時間微分です。

 

力学の場合には、距離の時間微分は速度になり、速度の時間微分は加速度になります。

 

同様に考えれば、1人当たりGDPの時間微分や2階の時間微分を考えれば、将来の変化量が予測できます。

 

アメリカの場合には、年率3.7%でした。

 

先進国(OECD平均)この値を計算するのは面倒なので検索をかけたところ、見つかりませんでした。つまり、時間微分を気にしている人は、ほとんどいないことになります。

 

また、OECDの中の日本の1人当たりGDPのランキングを問題にしている記事を多く見かけました。1人当たりGDPは順序変量ではなく、四則計算のできる普通の変量です。順位の値より、1人当たりGDPの金額の方がはるかに情報量が多いので、順位で論ずるべきではありません。

 

こうして見ると、日本の1人当たりGDPを論じている人の多くは微分方程式の科学的文化が理解できない人文的文化であることがわかります。

 

さて、前書きは、ここまでにして、本題は、座標系の取り方です。

 

日本が先進国であるか否かは、OECD平均をゼロ点にとって、そこからの距離を計測すべきです。

 

OECDの1人当たりGDPの増加率の数字は見つかりませんでした。この計算は面倒なので、ここでは、パスして、アメリカの3.7%を例に説明します。

 

3.7%が、OECD平均の1人当たりGDPの増加率だったと仮定します。座標系のゼロ点をここにとれば、日本は、毎年マイナス3.7%の速度で、先進国から脱落していることになります。

 

緊急の課題は、脱落をとめることです。

 

変わらない日本と言っている人は、人文的文化で、微分が分らないのです。科学的文化であれば、日本という飛行機は急速に失速していて、もうすぐ、限界速度をきって、きりもみ状態になると見えるはずです。

 

7)経済成長への出口戦略

 

7-1)平均値の問題

 

アメリカの景気が落ち込んで、ビッグテックはレイオフをしています。レイオフは化学企業のダウにも及んでいます。

 

新聞は、アメリカはレイオフして大変のように記事をかきます。

 

如何にも、アメリカは悲惨で、日本はよいと言わんばかりです。

 

しかし、レイオフすれば、生産性は落ち込みません。

 

農村から都市へ人口移動があったときに、過疎問題があるといった人文的文化の研究者がいました。その人は、過疎問題は止めるべきだと思っていたのでしょう。

 

現在、日本では、レイオフを原則禁止しているので、レイオフ問題は表面化しません。

 

本来であれば、アメリカの企業と同じようにレイオフしたい経営者は日本にも多くいるはずです。

 

過去30年間、アメリカは、解雇と雇用を繰り返し、そのダイナミズムの中で生産性をあげてきました。

 

日本が、レイオフをしないことは生産性がさがり、給与が下がることを意味します。リスキリングしても、就職口がないことを意味します。



つまり、問題が多いのは、新聞には記事が載らないレイオフできない日本の方です。

 

なぜなら、生産性が低下し続けるのを、放置せざるを得ないのですから。

 

この状態を放置して、政府は賃金を上げるといっていますので、人文的文化の発想でしょう。

 

イギリスでは、1979年5月から 1990年11月まで、サッチャーが首相になり、民営化を進めます。人文的文化では、サッチャーの政策は、サッチャリズムと呼ばれる独自の主義であると評価されます。科学的文化では、平均生産性を上げるために、生産性の低い部門を廃止して、生産性の高い部門に切りかえることを意味します。これは、サッチャーの独創ではなく、単純な平均値の計算問題です。

 

日本でも、道路公団などの民営化が行われますが、体系的に生産性がモニタリングされてはいません。

 

民主党政権では、行政仕分けと言って無駄な事業は中止させるという魔女狩り裁判が行われました。大切なことは生産性のモニタリングでした。生産性の低い事業は、基本的に中止すばきです。しかし、生産性の低い事業でも、必要な事業はあります。そうした場合には、追加投資をする代わりに、人べらしをして生産性を上げなければなりません。生産性の値をどう使うかは、為政者の判断ですが、判断基準の値は必須で、これがなければ、説明責任は果たせません。民主党の政治家は、人文的文化で、科学的文化の生産性の数字が理解できなかったのです。

 

現在の政府は予算をばら撒きますが、予算の生産性への寄与はモニタリングしていません。

 

予算をばら撒いた結果、生産性の低い部門が経済から退出したという話は聞きませんので、恐らく、生産性への寄与はゼロに近いでしょう。

 

政府は、補助金を増やして、財源がなければ、増税する計画です。

 

野党は、増税せずに、補助金だけを増やせと言います。

 

あるいは、経済成長があれば問題はないはずだといいますが、経済成長をする方法は提示されません。

 

どちらも、同じ、人文的文化の間違いです。

 

これは、数学の問題です。生産性を上げるために、出来るだけ速く、労働者を生産性の低い部門から、生産性の高い部門に、移動させる以外に方法はありません。

 

過疎問題と同じような解雇問題は発生しますが、そのダメージは、日本社会の将来の所得、年金、医療が崩壊して、犯罪が多発する時に起こるダメージに比べれば、はるかに小さなものです。

 

裁判官は解雇は違法という判決を出します。しかし、解雇しないことが、日本の社会を破壊してしまうのであれば、合法か違法か以前に、必要であれば、法律を変えて、日本の将来を良い方向に導く倫理的な責任があります。倫理的な責任は、法律を変える原動力なので、合法性より優先するべきです。

 

7-2)デジタル社会の課題

 

デジタル社会の企業の生産性は、工業社会の企業の10倍近くあります。オーダーが違います。その差は、有効なソフトウェアの開発にあります。その内容については、次回に考えます。

 

高度成長期は、農業から、工業に、労働者が、人口移動することで、生産性があがりました。

 

同様に、デジタル社会では、工業から、デジタル企業に、労働者が人口移動することで、生産性が劇的に上がります。

 

GAFAMのエンジニアの給与が高いことは、このことを示しています。

 

問題は、日本には、デジタル企業が見当たらないことです。

 

人文科学のドキュメンタリズムは、雨ごいにその典型をみることができます。

 

雨が欲しい=>雨を作る組織を作ればよい

 

という発想が人文的文化のドキュメンタリズムです。

 

そこには、実現のための要素(変数、人、材料)と方法(アルゴリルム、加工法)がありません。

 

エンジニアは、材料を加工してモノをつくります。

 

ベンチャー育成の予算を増やしても、それは、ドキュメンタリズムでしかありません。

 

本当に優秀な人は、日本で補助金をもらいません。アメリカにいって、ベンチャーに参画するはずです。

 

日本には、ベンチャーのエコシステムがありませんので、お金で解決できる問題ではありません。

 

正しい方法は、わかりませんが、間違いはわかります。

 

1990年代に、数学を駆使した金融工学が立ち上がりました。その流れは現在のデータサイエンスに繋がっています。

 

スノーが言うように、「人文的文化と科学的文化の間にギャップがある。科学的文化をマスターしなければ生き残れない」と考えていたら、日本の銀行や証券会社にも、欧米並みの高給取りのデータサイエンティストが多数活躍していたはずです。そうならなかったのは、日本の銀行や証券会社には、人文的文化で、科学的文化の問題も扱えるというおごりがあったとしか思えません。

 

レンズの価格(9)

8)問題の整理

 

安価なレンズが使えるかという検討を進めてきました。

 

ポイントを再度整理します。

 

「デジタル補正では、色収差と湾曲収差は補正できます。

 

これから、EDレンズがなくても、色収差には、問題がないことが分かります。

 

ただし、ボケの表現は異なります。

 

丸ボケのマルの大きさは、レンズの焦点距離F値できまります。

 

この大きさは、EDレンズとは関係しません。ただし、丸ボケの柔らかさには、EDレンズが効きます。

 

しかし、丸ボケの柔らかさは、デジタル補正で、調整が出来ます。

 

つまり、ボケ部分の柔らかさは、RAW画像の後処理で調整できると考えれば、非球面レンズを使った解像度が高いレンズであれば、安価なレンズでも、表現に問題がないだろう」

 

以上が、検討した仮説です。

 

darktableのRAW現像は、ベースカーブを使わず、フィルミックRGBのS字曲線を使います。

 

その目的は中間トーンの保存です。

 

中間トーンの再現が写真の出来栄えを大きく左右すると考えるのが、シーン参照ワークフローです。

 

さて、レンズに関する以上の考察では、中間トーンの問題が落ちています。

 

安価なレンズと高価なレンズで、中間トーンの表現に差があるのでしょうか。

 

これは、もちろん、一般論で議論できる内容ではありません。

 

絞り開放から、解像度の高い安価なレンズの代表として、キヤノンのEF40mmF2.8を入手しました。

 

カメラ店のレンズレビュー等では、フルサイズ以外のレンズはボケが足りないいう記載がよくありますが、ボケの量は、センサーのサイズとは関係がありません。レンズの換算画角ではなく、レンズに記載されたままの画角とF値が同じであれば、センサーサイズに関係なくボケの大きさは同じになります。

これは、センサーサイズが小さくなるとトリミングされるだけなので自明です。

 

換算画角で、換算したボケの量は意味のない数字です。

 

レンズが広角になると、望遠に比べて、レンズの枚数が減るので、明るいレンズを設計しやすくなります。ただし、光束の大きさが問題なので、大きく広角にしても明るいレンズを作ることはできません。パンケーキレンズは20から40㎜が多いので、この当たりが、一番簡単に明るいレンズを作れる画角と思われます。

 

広角にして、F値を下げると被写界深度が浅くなるので、焦点合わせが難しくなります。

例えば、シグマの16㎜f1.4は、F1.4では、ピント合わせが難しいです。

 

花を撮影する場合に、雄蕊の先端にピントをあわせると、雄蕊の付け根のピントは合わなくなります。

 

被写界深度が浅くなり、ボケやすくなると、ピントずれの写真を乱発することになります。

 

単焦点レンズでも、F1.8からF2が多いのは、F1.4のレンズで被写界深度を稼ぐために、F1.8まで絞るのであれば、レンズの大きさとレンズの価格から考えて、F1.8のレンズの方が使いやすくなるからです。

 

さて、問題は、 EF40mmF2.8の画質の評価です。

 

ここでは、ボケの質は除外して、レンズの画質を考える必要があります。

 

これは、全く、慣れない作業で、頭の切り替えが必要です。

 

1週間ほど、EF40mmF2.8を使っていますが、ボケの質を除けば、中間トーンも十分に表現されていて、画質はよいと考えるようになりました。

 

写真1は、EF40mmF2.8をF4.5で撮影しています。非常にくっきりしています。明るい部分から暗い部分への中間トーンも十分出ています。

 

写真2は、パナライカの25mmF1.4で、F6.3で撮影しています。高級レンズに分類されます。F6.3でも、あまり解像度は高くありません。

 

柔らかく、とても綺麗にボケていますが、今回は、その部分は除外して評価します。

 

そうすると、写真2が、写真1より良いとは言えません。

 

写真1の高い解像度は、主題の花の存在感を非常に高めます。

 

写真3は、写真1の花の回りに、darktableでlens deblurをかけています。

 

写真2のボケは後で調整できませんが、写真3の方法であれば、ボケの場所と質を調整して選ぶことができます。

 

これは、単純な編集ですが、考えていることは理解できると思います。

 

デジタル画像処理の技術が向上すれば、ともかく解像度のよいRAW写真を準備して、ボケは後処理した方が自由度が上がるはずだと考えます。

 

写真1 EF40㎜F2.8(F4.5で撮影)

 

写真2 LEICA DG SUMMILUX 25mm / F1.4(F6.3で撮影)




 

 

写真3 EF40㎜F2.8(F4.5で撮影、lens deblur使用)



今、日本で起こっていること(2)

(日本のブードゥー経済学について説明します)

 

3)日本経済の生産性

 

図1に、日本とアメリカの1人当たりGDPの推移を示します。

 

数字の出典は以下です。



一人当たりの名目GDP(USドル)の推移(1980~2022年) (アメリカ, 日本) 世界経済のネタ帳

https://ecodb.net/exec/trans_country.php?type=WEO&d=NGDPDPC&c1=US&c2=JP



当年の為替レートにより、USドルに換算しています。

 

新しいデータは、はIMFによる2022年10月時点の推計値を使っています。

 

1995年には、日本の1人当たりGDPアメリカを越えていますが、その後は、増加していません。

 

アメリカの1人当たりGDPは、ほぼ一貫して増加しています。

 

図1には、1980年から、2022年までのアメリカの1人当たりGDPのトレンド線を入れてあります

 

トレンド線が軸と交差している読みやすいところをとれば、次になります。

 

1980年10000ドル

 

2017年60000ドル

 

37年間に、5000ドル増えていますので、年増加は以下になります。

 

(60000-10000)/(2017-1980)=1351ドル/年

 

図2は、一人あたり名目GDPの推移(前年比)です。

 

数字は、図1の当概年の1人当たりGDPを前年の値で割っています。

 

この値が1.0を超えていれば、GDPが拡大したことになり、1.0を切っていればGDPが縮小したことになります。細かな変動は、景気の影響を受けますが、中期的な変動は、潜在成長率(主に生産性)の変化を反映しています。

 

図1で、日本の1人当たりGDPの増加が止まったように見える1995年から2002年の間の前年比の値の平均値を求めると次になります。

 

アメリカ  1.036654729

 

日本  0.998181059

 

1995年から2022年の27間の間に、アメリカは年率3.7%の1人当たりGDP(主に生産性)向上を達成したのに対して、日本は、ほぼゼロです。生産性において、変わらない日本が確認されます。



図1 一人あたり名目GDPの推移





 

図2 一人あたり名目GDPの推移(前年比) 



4)解決のシナリオ

 

図1と図2は、似ていますが、大きく異なる点は、図2では時間変化を問題にしている点です。

 

経済現象は時間変化します。時間変化する変数(変量)は、時間微分をもった微分方程式で記載されます。これは、理論科学の科学的文化です。「生産性が時間と共に変化する」と文章で書くことと、「変数の時間微分」のある微分方程式を書くこととは、理論科学では等価です。文章で書くと、記述は耐えがたく長く複雑になるので、基本は、数式を使います。

 

出版社は、数式を使わないといったタイトルの本を売りたがりますが、これは、人文的文化で科学的文化を理解しようとする無駄です。科学者が数式を使う理由は、数式はとても便利で、記述が簡単になるからです。数式を使えば、楽ができるからです。

 

図2には、数式は出てきませんが、微分方程式と共通の微分で生産性を見るという視点に立っています。

 

2022年の1人あたりGDPは、アメリカが、75,179.59ドルで、日本が、34,357.86ドルです。

アメリカの1人当たりGDPは、日本の2.19倍です。労働分配率が同じであると仮定すれば、これは、同じ利益を出すのにアメリカは日本の半分の人数でこなしていることを意味します。アメリカの生産性は、日本の2.19倍あることになります。

 

もちろん、労働分配率は違います。燃料等の調達価格も違います。景気変動もあります。しかし、これらをならした潜在成長率でみれば、1人当たりGDPは、概ね生産性と比例すると思われます。

 

図2の日本の1人当たりGDPの変化率の推移は、ほぼ1(年増加率ゼロ%)です。

 

これをアメリカと同じ3.7%にできれば、アメリカとの差が大きくならないで済みます。

 

しかし、アメリカに追いつくことはできません。

 

登山で例えれば、日本とアメリカは、同じ先進国山を登山しています。

 

アメリカは、75,179.59ドルの高さにいて、日本の34,357.86ドルの高さより、先を進んでいます。

 

過去27年間、アメリカは毎年3.7%の速度で、山を登っていきましたが、日本は、登山を放棄して、茶屋で休んでいます。

 

これから、日本が毎年3.7%の速度で山を登り始めれば、27年後には、2022年のアメリカと同じ75000ドルの高さに到達できるかも知れません。

 

しかし、日本が、75000ドルの高さに到達した時には、アメリカは更に、上を登っています。

 

さて、1人当たりGDPは、所得の差ですが、この値は同時に生産性を反映しています。1人当たりGDPが生産性を反映していると考えると、見える世界が変わってきます。

 

1人当たりGDPが生産性を反映しているとすれば、登山で言えば、1人当たりGDPは登山家のいるの現在標高を示しているだけでなく、登山家の登山能力を表わしています。

 

これは、一寸考えると、どこかで間違った気もしますが、資本と労働力の経済成長への寄与が少なく、経済成長が生産性でほぼ決まるという前提であれば、間違いではありません。

 

1995年から27年間にアメリカは、生産性をあげて、2022年には、先進国山の日本のはるか上を登っています。

 

これは、直ぐに追いつける差ではありません。

 

仮に、次の27年間をかけて、日本が、アメリカの登山チームに追いついたと仮定します。

 

これは、日本の少子化、高齢化を考えればかなりあまい前提です。

 

その場合には、概算で考えれば、日本は、アメリカの年率3.7%の2倍の年率7.4%の生産性の向上をはからなければなりません。

 

これは、トンデモない値ですが、実現できなければ、日本企業は、労働者に先進国として食べていけるだけの賃金をはらった上で、価格競争力のある製品を輸出することができません。

 

ですから、トンデモない目標ですが、旗を降ろす訳には行きません。

 

山登りでいえば、日本登山家は、アメリカ登山家の2倍の速度で27年間頑張れば、アメリカ登山家に追いつくという目標です。

 

売り上げ利益と労働分配率は同じと仮定して、日本の1人当たりGDP(賃金の近似値)をアメリカと同じ水準にするには、労働者の半分をレイオフして、新産業に移動させる必要があります。これは、新産業の利益は当面は考慮しないという乱暴な計算です。しかし、新産業の利益が直ぐに上がるわけはないので、オーダーとしては、間違っていないと思います。

 

アメリカの1人当たりGDPの増加比は、年率3.7%です。売り上げが拡大する部門であれば、労働者の数を維持しても、この比率を実現できますが、売り上げが上がらない分門であれば、毎年3.7%ずつ労働者を減らすことになります。

 

以上のように、考えると、3.7%と同じ数字にはなりませんが、生産性向上と賃金の上昇には、毎年の適性な労働者移動が必要なことがわかります。その適正な水準は微分方程式を解くことで求まります。

 

日本がアメリカに、追いつくためには、レイオフによる労働者移動とリスキリングによって、新産業への労働移動を起こさなければなりません。

 

仮に、実現不可能に見える年7.4%の1人あたりGDPの増加率(これは、近似的には、生産性の向上)を実現しても、アメリカに追いつくには27年かかります。

 

産業構造のレジームシフト(デジタル社会への移行)の速度を考えれば、27年では遅すぎる可能性が高いです。

 

経団連は、年功型の残しつつ、ジョブ型雇用に、移行するといっています。

 

岸田文雄首相は2023年1月27日の参院代表質問で、重視する構造的な賃上げの実現に向け「民間だけに任せることなく、政府として政策を総動員して環境整備に取り組む」と強調しました。

 

しかし、変化の速度と達成の時期の話はありません。

 

以上、考察からすれば、日本が後進国になって、年金と医療が破綻する状況を回避できる変化速度のオーダーは、賃金に対して利益を生まない労働者を即刻解雇して、労働者数を半分にするツイッター社レベルの産業構造の変化になると思われます。

 

ここでの数字は試算値なので、条件を変えれば数字は変化します。

 

しかし、変化速度のオーダーは、間違っていないと思います。

 

科学的文化で、微分方程式がわかって入れば、政策によって生じる社会変化速度と目的に到達するまでの時間が分かります。

 

これは、山登りで、歩行速度とルート長さ、ルートの勾配が分れば、標高の上昇速度が分ることと同じです。

 

現在の日本では、変化速度の話は全く出てきません。

 

政府も、経団連も、経済学者の多くも、過去の事例を引用する人文的文化の世界に生きていて、微分方程式の科学的文化が理解できていないと思います。

 

日銀は、10年経っても、金融緩和1本打法です。

 

登山家に例えば、筋トレが、生産性向上、資本が登山装備の購入にあたります。

金融緩和は、登山装備の購入費の利子免除にすぎません。

 

1964年の東京オリンピックのマラソンの優勝者のエチオピアアベベは、マラソンを始めたときには、靴を買うお金がなく、裸足で走っていました。アベベが靴を履けば速く走れます。同様に、登山家が草鞋(わらじ)をはいているレベルであれば、登山靴などの登山装備の購入には、登山速度を上げる効果があります。

 

1964年頃の日本経済は、そんな状態でしたので、設備投資の資金は重要でした。

 

今世紀の日本企業は、基本的な設備は既に持っています。登山家は靴を履いています。経済成長すれば、インフレになるかもしれませんが、インフレになれば、経済成長するという因果関係はありません。科学的根拠のない政策が実施できる人の頭の中には、人文的文化が充満していて、科学的文化がはいる余地はありません。スノーが指摘したように、ここには、ギャップがあり、話しても理解されることはありません。

 

生産性の変化をモニターして、改善を図っていないことは、何よりも、政策担当者が、微分方程式を理解していないことを示しています。

 

日本経済は、とんでもない道案内に誘導されて、先進国山の登山の途中で道にまよって、全く上に登れない状態になっています。

 

このまま科学的文化に基づく、定量的な政策が出来なければ、日本という登山家は生還できないと思います。

 

微分量である生産性の変化を無視し、エビデンスに基づかないブードゥー経済学は日本経済を破壊しています。

 

筆者は、経済学は素人です。正確にみれば、ここでの述べた経済学の内容には、間違いもあると思いますが、微分方程式は理解しています。以上の考察で、微分方程式で理解できる部分には、間違いはないはずです。

 

スノーが、「二つの文化と科学革命」で述べたように、教育が人文的文化を尊重して、国民が科学的文化が理解できなくなると、経済が立ち行かなくなるという予言を日本は、実証しているように見えます。

 

次回は、レジームシフトとジョブ型雇用のポイントの生産性評価について考えます。