姉沼と小川原湖(青森県三沢市)~つくば市とその周辺の風景写真案内(329)

姉沼と小川原湖青森県三沢市

今回も、旅行写真です。青森県三沢空港を飛び立つ飛行機の右側の窓の席を確保して、離陸して、機体が急上昇する間に、うまくすれば、姉沼と小川原湖を撮影することができます。焦点はマニュアルで、無限遠にして、連射モードを使った方がよいかもしれません。

小川原湖(おがわらこ)は、かつては小川原沼(小河原沼、こがわらぬま)という名称でしたが、1958年(昭和33年)1月1日に小川原湖(おがわらこ)に改称されています。隣接する小川原駅は開業時の名称のまま「こがわらえき」です。

写真1が、 姉沼と小川原湖です。手前に見える水面が半分白くなっている沼が姉沼で、奥に見える大きな湖が、小川原湖です。姉沼の右に大きな建物が見えますが、米軍の三沢基地です。姉沼の左に、円形の土地が見えますが、姉沼通信所(三沢市大浦)跡です、

姉沼通信所は、沖縄県の楚辺通信所と共に、象の檻(ぞうのおり)(Elephant Cage) と呼ばれる短波受信用の大きなアンテナが設置されていました。姉沼通信所は2014年10月に、楚辺通信所は2007年6月に、受信アンテナが撤去されています。姉沼通信所を最後に、国内には、象の檻はなくなりました。象の檻の撤去の理由の詳細は不明ですが、一説には、インターネットや衛星通信が多用されるようになって、短波受信の重要性が低くなったためともいわれています。ちなみに、三沢基地には、インターネットの傍受組織があったことも知られています。

写真1のように、姉沼周辺には、米軍基地があるためドローンでの写真撮影はできません。その意味では、旅客機からの写真には撮影しがいがありますが、レンズの歪みだけでなく、地球が丸いことも画像に反映されて、地平線は水平にはなりません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%89%E6%B2%BC

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E5%8E%9F%E6%B9%96

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%A2%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%A1%E3%81%AE%E6%AA%BB

  • 楚辺通信所 wiki

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%9A%E8%BE%BA%E9%80%9A%E4%BF%A1%E6%89%80

 

 

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写真1 姉沼と小川原湖

 

ストックからフローへ(1)

ストックとフローの概念

ストックとフローは、微分方程式の概念です。あるいは、微分方程式を図式化したシステムダイナミクスの概念です。あるいは、循環現象である経済や水資源を考えるときの概念です。例えば、GDPは、フローを1年平均でとらえる指標です。水資源を例にとると、フローは河川に流れている水の量で、ストックは、ダムにたまっている水の量です。河川の水の流れを考えればわかりますが、水の量(流量)は刻々変化します。フローは変動するので、評価が難しく、今までは、ストックに換算して、理解していました。

フローとストックの関係を、自動車工場の生産ラインで考えてみます。工場の生産ラインはストックです。生産ラインを稼働させると自動車(フロー)が生産されます。その間にあるパラメータは、生産ラインの稼働率です。

生産ライン(ストック)x稼働率=月生産台数(フロー)

ここで、生産されるフローは自動車(モノ)です。資本主義では、株式取得した資金は、第1に、生産ラインの建設に使われます。生産ラインが多ければ、生産能力(稼働率100%の時のフローの量)が大きくなりますが、より多くの資金を必要とします。

トヨタでも、日産でも、企業の規模の評価は、生産可能台数(ストック)で行います。これは、稼働率は、毎年変動するので、理解が難しいためです。

生産ラインを作るために株式を発行しますから、株価の変動を除いて平準化すれば、ストックと発行株式の総額は、例えば、対数スケールで考えれば、大まかには比例するはずです。つまり、資本主義は、ストックと相性がよいのです。

ストック・アプローチの限界

購買力に比べて、モノが絶対的に不足している時には、基本的には、モノを作れば売れます。消費者には、好みがあるので、なんでも売れるわけではありませんが、価格と、好みのバランスを考えますので、売れなけば価格を下げれば、よほどのことがなければ売れ残ることはありません。(注1)しかし、モノがいきわたると、買い替え需要がなければ、モノは売れません。この場合には、価格を下げても売れません。

例を示します。図1は、CIPAのデジタルカメラのデータを望月がまとめたものです。2007年から2012年の6年間の生産台数は約1億台で、その10%が国内市場に出荷されています。つまり、6年間で、およそ6000万台のデジカメを、国内で売ったことになります、これは1億2千万人が、2人世帯であるとすれば、およそ全世帯にいきわたったことになります。売り上げが落ちた理由は、「デジカメがスマホに負けたからだ」と言われますが、これは、フローを見ていません。全世帯がカメラを必要とするわけではないので、実需要を3000万台として、耐用年数を10年とすれば、平均しても、年間300万台売れればいい所です。2007年から2012年の6年間に沢山うってしまったので、需要の先食いをしてしまい、実際の販売台数は、平均モデルの300万台より更に落ち込むことになります。しかし、こうした分析はなされず、メーカーは、コンデジスマホとの性能の差別化ができなかったことが、売上げが低迷した原因であると決めつけて、高価格製品路線を突き進んでいます。その活動は、昔の家電を思い出させます。

このように、製品がいきわたると生産しても売れなくなります。国内では、ファッションや、テレビなどの家電、自動車などもこの状態になっています。デジカメの場合には、2003年から2008年までの性能向上が著しかったので、強力な買い替え需要が発生しましたが、機能向上が一巡して、買い替え需要が納まった訳です。今後は、人口減少と、年金生活者の割合が増えますから、買い替え需要は減少していきます。

この例で、言いたい点は、適正なフローを見て、ビジネスをしなければならないということです。適正なフロー以上に生産した場合には、価格を下げても売れ残ってしまいます。デジタルカメラが売れなくなって、カメラメーカーで、撤退するところが増えています。業界の分析は、いつになったら、売り上げが回復するかという予測ばかりで、適正なフローに目がいっていません。

これは、今まで、フローを理解することが難しいので、フローをストックに置き換えて理解することが習慣になってしまったためのバイアスです。製品がいきわたると、フローは大きく変わりません。そのパイの中で、供給するモノやサービスを設計していかないと、企業活動が行き詰まります。いいものを安くを作れば売れるというのは幻想にすぎません。

それでは、ストックの表現をやめて、フローで理解するとは、具体的にどのようなことかを、次回に述べたいと思います。

 

 

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図1 デジタルカメラの出荷台数に対する出荷地域の割合 (望月による)

 

注1:

非常に、重要な問題は、オートクチュールです、ファッションのオートクチュールは、とんでもなく、高価ですが、ファッション以外でも、ネットで、注文を受けて、3Dプリンタなどで、製品を作るのであれば、量産品とあまり変わらない価格で、オートクチュールの製品が可能になります。資源の無駄を省く上でも、作って売れないことはないので、環境に優しい生産体系です。ただし、複雑なオートクチュールは、訓練を受けた専門家以外の普通の人間ではこなせないので、ロボットによる生産になると思われます。こうした変化が起こると、住宅などの、受注生産の製品価格が下がる、一方では、大量生産のラインを持っている工場は、不良資産の処理をしなければならなくなります。この問題は、重要ですが、複雑すぎるので、今回は取り扱いません。

 

  • 日本のカメラ産業の競争力分析  望月宏

http://www.senshu-u.ac.jp/~off1009/PDF/180220-geppo656/smr656-motizuki.pdf

 

梅を撮る(5)

梅の花の形

今回は、梅の花の形を見て、思った感想です。かなり、主観的ですが、写真と共に説明します。

写真1の梅の花は、ちょっと見たところは、良さそうだったのですが、よく見ると、上の花の花弁が曲がっています。

写真2の梅の花は、後方の花がボケてよく見えませんが、今回は、ボケの検討ではないので、その点は無視します。花の形は、典型的な梅のお菓子の包装紙にありそうな形です。しかし、よく見ると、花弁の外側の部分がちょっと縮んで、その結果、小さな影ができています。

写真3の梅の花も、花弁の外側の部分がちょっと縮んでいます。縮はあってもよいと思いますが、縮のある花弁と、縮のない花弁があります。

写真4の梅の花は、花弁の外側の部分は縮んではいませんが、花弁に凹凸があります。

写真5の中央の梅の花は、5枚の写真の中では、一番姿が美しいと思いますが、写真の逆光が強すぎたようです。

というわけで、よく見ると、梅の花の花弁には、変形が多いです。ここまで、気にすることはないという考えもありますが、折角の機会ですから、ベストの花を見つけたいというのもありと思います。

以上の写真は、雄蕊には、問題のないものを選んでいますが、花が古くなると、雄蕊がまず、傷んでくるようです。それから、今のところ、理解できていない問題があります。一般に、花は、根本の方から開花して、枝先に開花が移動します。それに、合わせて、枝先のつぼみも大きくなって、ほぼ、同じサイズの花が開きます。しかし、梅の花には、このルールが当てはまらないように思われます。花のサイズと開花の順番があまりそろっていません。では、どのようなルールになっているのかは、理解できていません。ただ、このルールが理解できないと、良い花を系統的に探すことができないので、難儀しています。

 

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写真1 梅の花

 

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写真2 梅の花

 

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写真3 梅の花

 

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写真4 梅の花

 

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写真5 梅の花

 

梅を撮る(4)

BokehとBlur

ボケ(Bokeh)は、日本語由来の英語です。ただし、写真を撮影すれば、焦点の合わない部分は出てくるので、それを英語では、Blurといいます。なので、Bokeh(a Japanese word of 'blur')と表記されていることもあります。BokehとBlurは光学的にはおなじものです。違いは、Bokehは焦点ずれを表現として積極的に用いるのに対して、Blurは、必要悪のようなイメージだという点です。

よく、m43カメラの対する批判として、フルサイズセンサーのカメラに比べて、ボケの量が少ないという指摘がなされます。この場合には、正確には、Bokehではなく、Blurだと思います。英語には、BokehとBlurの2つの単語があって、使い分けできますが、日本語には、ボケしかないので混乱しています。

整理しておきますと、次になります。

Bokeh:表現の一部として積極的に起こした焦点ずれ

Blur:光学的に発生する焦点ずれ。あるいは、Bokehを除いた意図しない焦点ずれ。

さて、梅を撮る場合には、Bokehは好ましいのですが、意図しないBlurは避けたいです。つまり、ある範囲は、焦点があっていて、その範囲外は、焦点がずれている写真が望ましいわけです。ところで、実際に、梅林の中で、梅を撮影してみると、意図しないBlurだらけで、泣きたくなります。筆者が使っているカメラのセンサーは、今のところは、APS-Cが最大なので、これでも、フルサイズカメラよりは、意図しないBlurの発生確率は低いはずです。それでも、適当に撮影すると半分以上が、意図しないBlurのためにアウトになります。梅の花の向きは、360度x3で、どの向きもありです。花の位置は、枝の配置に従って、3次元空間に点在しています。花、2,3個までなら、なんとか、Blurの制御ができますが、10個ぐらいを超えると、ほぼ、Blurは制御できません。

さしあたりは、F8まで絞って、撮影しています。しかし、F8でも画角が望遠側になると、Blurが多発します。そこで、発想を変えて、Blurの出ないコンデジの方が、撮影しやすいのではないかと考えました。コンデジは、Blurが出にくいですから、Blurの出やすいAPS-Cのカメラより、撮影の自由度が高いのではないかと考えました。以下は、そのテストの結果です。

テストの趣旨は、「大型センサーカメラはBlurが出やすいので、撮影の自由度が制限されている。コンデジならば、Blurの心配が少ないので、より自由な構図がとれるだろう。」という仮説の検証です。このために、あえて、Blurの出やすい近景、中景、遠景を含む構図を選びます。

写真1、2、3は、APS-CのカメラK-5で撮影した画像です。遠景の雲と、中景の梅の木のBlurの違いを見ます。この3枚からは、F22まで絞らないと、中景と遠景に、Blurが出ます。

写真4は、1.7型センサーのコンデジP-330で撮影したものです。この場合には、F8でBlur発生の問題はありません。

コンデジの一番大きなF値は、1.7型センサーのP-330で、F8、1インチセンサーのDSC-RX100で、F11、m43センサーのLX-100で、F16です。これが何を意味しているかというと、1.7型センサーであれば、F8まで絞ると、ほぼパンフォーカスになるので、それ以上の絞りは不要であると、判断したと思われます。つまり、カメラについている絞り値の最大の値は、そのセンサーサイズで、ほぼ、パンフォーカスになる絞り値を表していると思われます。

実は、今回の写真を撮るまで、APS-CのカメラでF22を使ったことはありませんでした。最近のRAW現像ソフトは、回析補正もできます。darktableは、よくわからないのですが、ニコンのCapture NX-Dには、回析補正という選択肢があります。回析補正ができるのであれば、回析による画像劣化のあるF22も使っても大丈夫とは思います。しかし、いつも、絞り優先で、F22で撮影するのが好きだというカメラマンは、まれだと思います。これに対して、コンデジのF8は、しばしば使う絞り値です。

比較の結果を比べれば、流石に、APS-Cのカメラで撮影できないが、コンデジ撮影できるという条件はなさそうです。しかし、F値を気にしないで、意図しないBlurが出にくいというコンデジの長所は、写真1から4のような構図の場合には、あると考えます。

写真1から4は、Blurの比較のために、darktableで読み込んだままで、処理をしていませんので、処理後の画像を、写真5と6に載せておきます。

 

 

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写真1 K5 F2.8 1/6400 ISO200

 

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写真2 K5 F8 1/800sec ISO200

 

 

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写真3 K5 F22 1/125sec ISO200

 

 

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写真4 P330 F8.0 1/125sec IS80

 

 

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写真5 K5 F22 1/125sec ISO200(編集後)

 

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写真6 P330 F8.0 1/125sec IS80 (編集後)

 

OSの更新と組織の更新を図で考える

今回の内容は、最初は、OSの更新と組織の更新を並べて、考えて問題点を抽出するものでした。

途中まで書いた原稿の一部は次のです。最初の3行は、「アマゾンに勝てる企業の条件」と同じです。


ベゾスが、CEOを退いたり、アマゾンが、DX(デジタルトランスフォーメーション)を広げたり、ここのところアマゾンの企業活動が注目されています。AppleGoogleも異業種に参入してきていて、経営コンサルタントは、老舗の企業に、対策を提案して、稼いでいるようです。

こうした場合、提案は、老舗の企業に理解できるように、古いエコシステムに合わせて行われますので、実際には、効果がありません。これは、IT企業が、新バージョンのOSで活動しているのに対して、老舗企業は古いバージョンのOSを引き続き使いたい、OSの切り替えは大変なので、当面は、今のままでいきたいというのに対して、経営コンサルタントは、古いOSでもなんとかなりますよと言っているようなものです。一方のIT企業では、クラウド対応の新しい(今の基準では普通)のOSを使っていますから、OSをバージョンアップしても、データを変換する必要はありませんので、ほとんど、コストをかけずに、次々とOSの更新ができます。一方の老舗の企業が、OSのバージョンアップを避けたいというのは、データのバックアップをマニュアルで作成して、膨大な作業とコストがかかるためです。レガシーのOSを延命して使ってきたツケがきているのです。


この続きを、書き足そうと思ったのですが、前に書いた原稿の変奏曲になりそうなので、考え方を変えて、次の方針に変更しました。

正解は提示しないで、ツールを提示する。

つまり、無理をして、答を出すのではなく、ツールを提示して、使ってもらえばよいのではないかと考えなおしました。

そこで、文章で途中まで書いていたことを、図1に、比較図にしてみました。これは、1例で、要するに、進歩による世代交代の実態のわかりやすいパソコンのOSを基準に、他の項目の世代交代を並べてみれば、問題点や到達レベルが、一目で理解できるだろうといういうアイデアです。(注1)詳細は説明するより、図をみて考えてもらう方が、早いと思います。バリエーションはいろいろできるので、ここでは、文書と教科書の例を作ってみました。これは、ツールですから、記載がおかしいと思えば、どんどん修正してもらってかまいません。要するに、文章にするより、端的に問題点の整理ができればよいわけです。

最近出た、デジタル教科書の専門家の答申も、この図の教科書の列に載せてみれば、内容は2行目で、3行目と4行目には全く踏み込めていないことが、すぐに、わかります。こうした事例では、文章で説明するより、ずっと簡単になります。

注1:

図1の一番左の列は、基準となる技術の世代交代です。世代交代がわかりやすければ、OSにこだわる必要はありません。

 

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図1 OSの更新と組織の更新

 

レインボーブリッジ(東京都)~つくば市とその周辺の風景写真案内(328)

レインボーブリッジ(東京都)

レインボーブリッジは、紹介するまでもない有名な施設です。写真が沢山とられているので、今更という題材です。今回の写真は、ゆりかもめからコンデジで撮ったものです。レインボーブリッジの周辺には、ビルが多いので、良いアングルを探すのは、あまり容易ではありません。ゆりかもめは、移動するので、いろいろなアングルが選べますが、シャッターチャンスを逃さないこと、窓ガラスの反射をできるだけ入れないことがポイントになります。

写真1が、コンデジゆりかもめから撮ったレインボーブリッジです。窓ガラスの反射が残っていますし、細かな部分の写りには、課題もありますが、橋の雰囲気は伝わると思います。これは、旅行の途中で撮影したものです。プロであれば、途中で、ゆりかもめを降りて、足で撮影地点を探して撮影すると思いますが、旅行者は、それができません。風景写真ではなく、いわゆる旅行写真になります。

 

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写真1 レインボーブリッジ

 

絶望の国のエクソダス

将来展望(Strategic Plan)のない絶望

失われた30年からの脱却についても、ライフスタイル(=産業構造+雇用構造)を変える必要があります。そして、これは、社会システム(生活のエコシステム)の交代になりますので、既に申し上げているように、現在のエコシステムの改善では、乗り切ることができません。こうした問題対処には、欧米は、「Situation ReportとStrategic Plan」をつくります。つまり、次の手順を踏みます。

現状分析=>問題点の抽出=>解決策の提案

解決策の提案は、問題抽出後すぐにできるものもありますが、直ぐに、答の出ないものについては、別途、Strategic Planを提出します。Strategic Planは1つのこともありますし、別々のグループから複数だされることもあります。ポイントを押さえておかなければ、いけないことは、以上の手続きは、民主主義の一部になっていることです。民主主義では、問題点を共有して、協力して問題を解決する必要があります。現状認識や問題点に対する理解が人によって異なっていた場合には、民主的な手順での協力が得られませんので、問題が解決できません。

国連などの国際機関は、施策の実行予算をほとんど持たないので、「Situation ReportとStrategic Plan」を作ることが多くなります。これに対して、ある日本人専門家は、国連は、会議ばかりしていて、口が多いわりに、少しも仕事をしないという意見をいっていました。しかし、筆者は、この意見は、間違っていると思います。日本では、往々にして、「口を出す前に、実行して見ろ」という意見が出ることがありますが、これは、システムアプローチの対極にある刹那主義です。刹那主義の先には絶望しかありません。ヴィクトール・E・フランクが「夜と霧」で書いたように、人間は、希望があれば、逆境でも生き延びられます。将来へのStrategic Plan(将来展望)を無視することは自殺行為です。

コロナ対策でも、温室効果ガスの削減でも、少子高齢化でも、(いくらでもあとが続くので省略しますが)、

現状分析=>問題点の抽出=>解決策の提案

がなされていません。そこにあるのは刹那主義です。流行に乗り遅れるなというムードだけです。

失われた30年は、取返しのつかない社会変化を引き起こしました。

絶望の国のエクソダス

希望の国エクソダス」は、1998年から2000年にかけて雑誌『文藝春秋』で連載された村上龍の小説です。これは、フィクションで、現在社会に絶望した約80万人の中学生達が日本を脱出する話です。「絶望の国のエクソダス」は、フィクションではなく、実際に、若者に起こった脱出劇の実話です。話は、大学入学試験です。1980年代の入学試験では、理系の優秀な学生は、医学部にいくか、東京大学か、京都大学の医学部以外の理系の学部を目指していました。このころの東京大学か、京都大学の医学部以外の理系学部の足切り偏差値は、旧帝大の医学部の偏差値よりは、低かったですが、地方大学の医学部よりは高かったです。2020年現在、東京大学か、京都大学の医学部以外の理系学部の足切り偏差値は、地方大学の医学部より低くなっています。つまり、優秀な理系の学生は、医者になる以外の将来展望を描けなくなっています。優秀な理系の学生は、医者という職種にエクソダスしてしまっています。医学が大事でないというつもりはありませんが、経済学のフレームで考えれば、GDPを稼ぎ出すのは、医者ではなく、他の産業です。例えば、医学系であれば、開業医ではなく、新薬を作ったり、手術用ロボットを作ったり、コロナで言えば、ワクチンをつくるような産業です。最近のGDPに占めるシェアの増加率をみれば、IT業界を引っ張っていく人材が、国を豊かにすることに寄与します。しかし、東京大学か、京都大学の医学部以外の理系の学部を優秀な成績で卒業しても、給与は、新卒横並びで、非常に安く、医者には及びません。結局、日本の産業を支えるべき人材は、医学部に流れてしまい、IT業界も、サービス業も、製造業も、世界の競争についていける人材がほとんど枯渇している状況になってしまいました。もちろん、偏差値で測れないものもあります。例外もたくさんあります。しかし、大局的に見れば、受験は、長期的に目標を設けて、自分をレベルアップする手順ですから、人材が、日本の基幹産業から、エクソダスしてしまったと言えます。

将来展望(Strategic Plan)があれば、チャレンジした人材も出たと思いますが、将来展望のない絶望がこの国を蝕んだと言えます。

誰とは言いませんが、コロナや、産業構造が行き詰まっている中で、将来展望(Strategic Plan)を論ずる識者がいても、不思議ではないのですが、不気味な沈黙が日本を覆っています。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%80%E3%82%B9