リベラルアーツは、有害である

(科学の方法について述べます)

 

1)リベラルアーツの効能

 

リベラルアーツが有益であるという意見が巷にあふれています。

 

書店に行けば、哲学や教養の本が平棚に置かれています。

 

数学の本やプログラミングの本は、専門書のコーナーに行けばありますが、入り口近くの一等地を占めている書籍は、数式やプログラムコードがのっていない縦書きの本です。

 

リベラルアーツが有益であるという意見の人の中には、古典を読めば、大切なことはすべてそこに書かれているといいます。

 

筆者には、その発言は、技術革新は世の中に存在しないと言っているように聞こえます。

 

ある文学部の教員は、「文学は役に立たない。文学部の効能は、文学部の教員を食べさせることである」といいます。

 

リベラルアーツが役にたつというエビデンスはあるのでしょうか。

 

Aという命題(ここでは、「リベラルアーツが役にたつ」)が提示された時に、Aの反例を考える思考法は、クリティカルシンキングと呼ばれます。

 

クリティカルシンキングキングでは、「リベラルアーツが役に立たない」という反例を探します。

 

2)プラグマティズムと先人の知恵

 

リベラルアーツは、先人の知恵を指します。

 

先人が、「リベラルアーツが役に立たない」と言っていれば、「リベラルアーツが役にたつ」という命題は自己矛盾をかかえていることになります。

 

ここで、パースの「ブリーフの固定化法」を引用します。

 

パースは、「ブリーフの固定化法」には、固執の方法(前例主義)、権威の方法、形而上学はだめで、科学の方法を用いるべきであると主張します。(注1)

 

「ブリーフの固定化法」で、プラグマティズムを提唱する前に、パースは、カント哲学にはまっていました。

 

しかし、パースは、「ブリーフの固定化法」で、形而上学はだめであると言っていますので、カントの哲学(リベラルアーツ)は、使い物になりませんといっている訳です。

 

「ブリーフの固定化法」は、ブリーフを固定化する競技場に、形而上学者が出てきたら、レッドカードを渡して、退場してもらいましょうという主張です。

 

「ブリーフの固定化法」では、大臣のような権威者が、科学の方法ではなく、権威の方法や、前例主義で発言をすれば、レッドカードを渡して、退場してもらうべきであると考えます。



これから、プラグマティズムは、「リベラルアーツは役に立たない」と言っていることになります。



ガリレオ裁判では、ガリレオは、実験に基づく、科学の方法を主張しましたが、教会の権威の方法の前に屈しています。

 

教会のリベラルアーツに、科学の方法が負けてしまったわけです。

 

パースは、「ブリーフの固定化法」で、権威の方法が、科学の方法に優先することがあってはならないと主張します。

 

2月15日に内閣府が発表した2023年10から12月期の国内総生産GDP)は、前期比0.1%減で、昨年7から9月期(前期比0.8%減、年率3.3%減)に続く2四半期マイナス成長でした。

 

2月22日の東京株式市場で日経平均株価が史上最高値を更新したことを受け、岸田文雄首相や閣僚から日本経済にとって明るい動きと評価する声が相次ぎました。

 

こうした局面では、岸田文雄首相や閣僚の日本経済が回復基調にあるという発言と、GDPのマイナス成長はあいいれません。

 

こうした場合、どちらが、正しいのかという設問を設定して議論することは可能です。

 

しかし、この設問は、不適切です。

 

意味のある対応は、レッドカードを出すことであって、議論することではありません。

 

「ブリーフの固定化法」にしたがえば、発言が相容れない原因は、科学の方法ではなく、権威の方法を使っているためです。

 

リベラルアーツが幅をきかせれば、議論しても無駄なことになります。

 

ここには、ガリレオ裁判と同じ構図があります。

 

意味のある対応は、リベラルアーツに、レッドカードを出すことであって、議論することではありません。

 

3)2つの文化と科学革命

 

1959年のスノーの「2つの文化と科学革命」の主旨は、人文的文化(リベラルアーツ)と科学的文化の間には、ギャップがあり相互理解ができないという主張です。スノーは、国の経済発展には、科学的文化の教育であるエンジニア教育をしなければならないと主張しました。

 

スノーは「2つの文化と科学革命」で、人文的文化(リベラルアーツ)の人とは、科学の議論はできないというものです。

 

つまり、パースと同じように、リベラルアーツには、レッドカードを出しましょうという主張です。

 

日本の大学の定員の7割は、文系です。

 

社会科学は、人文科学と自然科学に分けられます。

 

微分方程式を解く経済学は、自然科学です。

 

微分方程式が、コンピュータで解けるようになったのは、1990年以降です。

 

それ以前の経済学は、ほとんどが、人文科学です。

 

筆者は、数理経済学以外の経済学は、人文科学であると考えています。

 

人文的文化(リベラルアーツ)の経済学者とは、微分方程式の話は通じませんので、やはり、レッドカードを出す以外の対応はできないと考えます。



人文的文化(リベラルアーツ)は役に立たないのですが、スノーの「2つの文化と科学革命」で主張したように、人文的文化(リベラルアーツ)の人に、そのことを理解してもらうことは不可能です。なぜなら、理解するためには、科学的文化のリテラシーが必要だからです。今の例で言えば、微分方程式が理解できていない人には、説明できません。

微分方程式より、さらにハードルが高いリテラシーは、統計学とデータサイエンスです。

 

科学のリテラシーがない人は、「リベラルアーツが有益である」といいますが、それは、私は、「自然科学が理解できません」の言い換えにすぎません。



注1:

 

「ブリーフの固定化法」は、形而上学を否定しています。これから、応用数学はよいが、形而上学の抽象数学(現代数学)は使えないことになります。デルターイプシロン論法は不要になります。実際に物理学者は、デルターイプシロン論法を無視しています。

ノーベル平和賞のジレンマ

(2024年のノーベル平和賞を予測します)

 

1)ナワリヌイ氏の死

 

ナワリヌイ氏が、2月16日、刑務所で不審な死を遂げました。47歳でした。

 

2)ノーベル平和賞の手続き

 

ノルウェー日本国大使館による、以下の手続きがあります。

 

前年の 9 月末:

 

各国に、来年度のノーベル平和賞候補者推薦要項が届く(候補者推薦の資格を持つのは、各国閣僚、国会議員、大学教授、過去のノーベル平和賞受賞者、過去・現在のノーベル委員会委員等)

 

2 月 1 日 :

 

推薦締め切り。

 

2 月~9 月中旬:

 

選考実施(まずノーベル委員会が候補者を、5から20 人の「ショートリスト」に絞り込む。続いて、委員会の事務局長のもと、常任アドバイザー、あるいは候補者に関する知識故に招かれる専門家からなるアドバイザー・グループによって、ショートリストの候補者(団体)に関する報告書が作成される(アドバイザーは選考には関与しない)。決定に際してはノーベル委員会全員の意見一致を目指すが、期限までに全会一致とならない場合は、多数決の結果に基づいて決定される。候補者名及び選考過程は、決定の日から 50 年間非公開。)

 

10 月中旬:

 

ノルウェー・ノーベル研究所にて受賞者を発表する。



12 月 10 日 :

オスロ市庁舎にてノーベル平和賞授与式を行なう。



3)生存者の前提

 

ノーベル賞には、死去した人には授与しないとの規定があります。

 

1973年までは、受賞者の候補に挙げられた時点で本人が生存していれば、故人に対して授賞が行われることもありました。例としては、1931年の文学賞を受賞したエリク・アクセル・カールフェルト氏、1961年の平和賞を受賞したダグ・ハマーショルド氏が授賞決定発表時に故人でした。

 

国連事務総長のダグ・ハマーショルド氏は、1961年9月17日夜、コンゴ動乱の停戦調停に赴く途上で、搭乗機のダグラス DC-6Bが北ローデシア(現在のザンビア)のンドラで墜落して事故死しています。

 

1974年以降は、授賞決定発表の時点で本人が生存していることが授賞の条件とされている。2011年には、医学生理学賞に選ばれたラルフ・スタインマンが授賞決定発表の3日前に死去していたことがのちに判明し、問題となりました。ただし、授賞決定発表のあとに本人が死去した場合には、その授賞が取り消されることはない。スタインマンの場合はこの規定に準ずる扱いを受けることになり、特別に故人でありながらも正式な受賞者として認定されることが決まっています。

 

 4)ナワリヌイ氏の場合

 

2月1日締め切りのノーベル平和賞の推薦リストに載る人あるいは、団体の数は例年100を超えています。

 

2024年のノーベル平和賞の推薦リストには、ナワリヌイ氏の名前があると思われます。

 

ナワリヌイ氏は、1973年までの規定では、受賞資格がありますが、1974年以降の規定では、受賞資格がありません。

 

しかし、1974年以降の規定は、刑務所等に拘束されている人に対して、中立ではありません。

 

1974年以降の規定は、刑務所等に拘束されている人が暗殺されるリスクを高める効果があります。

 

つまり、1974年以降の規定は、平和賞を受賞させないために、暗殺されるリスクを生み出している可能性があります。

 

この点を考えると、ノーベル委員会は、ナワリヌイ氏に対しても、1974年以降の規定を適用すべきか、否かの再考を促すと考えられます。

 

民主党の遺産

民主党政権はどこで躓いたかを考えます)

 

1)議員立法の課題

 

選挙によって、多数派政党が入れ替わらない限り、政治資金規正法が、まともに、改正されることは困難です。

 

しかし、選挙によって、多数派政党が入れ替わっても、多数派政党が、悪法の改正プロセスをもっていなければ、悪法の改正はできません。

 

ここで、三権分立をおさらいすれば、国会(立法)は、法律(事業計画)をつくります。

 

行政は、法律(事業計画)を実施します。法律と行政に、問題がないかを司法がチェックします。

 

つまり、国会議員の仕事は、法律と予算を作ることです。

予算の細目は、行政が作りますが、大くくりについては、国会の権限になります。



ウクライナ支援の原案は、バイデン大統領が作成していますが、議会の承認が必要です。

 

国庫から支出を伴う案件は、財産権を制限して課税した税収を使うので、議会の承認が必要です。

 

これは、欧州議会でも、同じです。

 

日本の法律は、憲法の人権に抵触している可能性があります。

 

民主党政権が、借りに、アメリカの議会流の政治をしたと仮定します。

 

その場合には、予算の執行を伴う法案を作成します。



法案に従って、ジョブディスクリプションを作成します。

 

このジョブディスクリプションに従って、ジョブ型雇用で、公務員を雇って、ジョブを実行します。

 

このプロセスには、大きな障害はありません。

 

しかし、実態は違いました。

 

民主党政権は、予算書をつくることができず、行政仕分けという魔女狩りに突入しました。

 

国会議員は、予算書を作ることができません。

 

それどころか、国会議員は、法律を作ることができません。

 

国会は立法府であり、法律を作ることが仕事です。

 

有権者は、法律を作る、あるいは、実態に合わない法律を改正するために、国会議員を選んでいるはずです。

 

その国会議員が、法律を作る能力がないのですから、これはブラックジョークです。

 

国会には、議員立法はほとんどありません。

 

法案は、官僚が作り、国会議員はそれを承認するだけです。

 

国会議員が法律を作れませんので、国会討議には、法律の文面が出てきません。

 

国会議員が法律を作るのであれば、国会討議は、どのような法律を作るべきかという議論になるはずです。

 

これは、民主主義国の国会の基本です。

 

日本の国会では、三権分立が機能していません。

 

2)内閣法制局

 

国会議員が、議員立法を提案すると、内閣法制局が、その法案は、既存の法律とかち合うので、ダメだといいます。

 

内閣法制局は、明治時代から続く法律を詳しく知っていて、法律の継続性が大切であると主張します。

 

この主張が正しいとすれば、議員立法はできなくなります。

 

内閣法制局には、権威があります。

 

また、専門知識では、内閣法制局にかない議員はいませんので、議員立法はできなくなります。

 

しかし、最近、筆者は、「明治時代から続く法律を詳しく知っていて、法律の継続性が大切」という主張は、人権侵害であると考えています。

 

第1の理由は、新憲法です。

 

男女雇用機会均等法」という法律があります。1972年に施行された「勤労婦人福祉法」が1986年に題名を含めて改正されたものです。

 

戦後新憲法が出来た時に、国民主権になりましたので、明治憲法下の人権無視の法律の継続性を取り除いて、全ての法律について、人権の問題がないように改正する必要がありました。

 

この改正が済んでいれば、「勤労婦人福祉法」も、「男女雇用機会均等法」も不要だったはずです。



第2の理由は、AIとビッグデータです。

 

内閣法制局の専門家の知識は、国会議員の知識を上回ることはありません。

 

しかし、人間の脳のメモリーの制約から、内閣法制局の専門家の知識が、AIに勝てることはありません。

 

つまり、内閣法制局のあるべき仕事は、国会議員の議員立法を支援するChatGPTのようなソフト(法案作成支援AI)を提供することになります。

 

それでは、法案作成AIを作ることは可能でしょうか。

 

データサイエンティストには、それが不可能なことは自明です。

これは、AIの問題ではありません。

 

法律の問題です。現状では、ある法律は、明治憲法の人権無視になっています。別の法律は、人権に基づいています。

 

判例を学習データに、生成AIをつくっても、もとの判例ダブルスタンダードであれば、AIがまともな回答をだすことはできません。

 

これは、恐ろしい状況です。

 

現行の全ての法律を見直して、人権(新憲法)に矛盾がないように整理して、書き直さなければ、DXができないことを意味しています。

 

日本は、先進国の中で、突出して、DXが遅れています。

 

その原因の一つに、矛盾した法体系が、考えられるということです。

 

このままで行くと、日本は、IT後進国に墜落していきます。

 

10年もすれば、法律をダイナミックに書き換える能力の高い発展途上国(例えば、ベトナム、マレーシア、インドネシア)が、日本よりIT大国になって、一人あたりGDPでうわまわる可能性もあります。



悪法もまた法なり

(法律改正のプロセスを考えます)



1)悪法

 

「悪法もまた法なり」は、プラトンの著書「ソクラテスの弁明」にあるソクラテスの発言と伝えられる言葉で、世に存在する法律は、それが例え悪い法律であっても法律は法律であるため、それが廃止されない限りは守らなければならないということを意味します。

 

これは、実定法主義です。

 

慣習法では、すべての法の根拠が、法文にあるわけではなく、慣習に基づく解釈の余地があります。

 

ソクラテスの弁明」の「悪法もまた法なり」には、問題があることがわかりますか。

 

それは、「ソクラテスの弁明」には、悪法を改正するプロセスが提案されていないことです。

 

実定法主義をとる限り、悪法を改正するプロセスは出てきません。

 

これが、実定法主義をとったドイツが、ナチスの台頭を止められなかった理由です。

 

悪法を改正するプロセスには、自然法主義の人権が実定法に優先し、人権に基づいて法律を改正できることが必要な条件になります。

 

政治資金規正法では、パーティ券のキャッシュバックは合法です。グレーゾーンがありますが、国税庁は、合法扱いです。

 

これは、法のもとの平等に反しますので、悪法です。

 

そこで、課題は、人権(新憲法)に基づいて、悪法を改正するプロセスがあるかという点になります。

 

現状では、国会の多数は、自民党公明党です。

 

つまり、選挙によって、多数派政党が入れ替わらない限り、政治資金規正法が、まともに、改正される可能性はほぼゼロです。

 

それでは、選挙によって、多数派政党が入れ替わらない限り、政治資金規正法が、まともに、改正されないのでしょうか。

 

2)三権分立の課題

 

大阪万博の会場建設費が、当初の約2倍となる2350億円まで膨らんでいます。そんな中、若手建築家が設計する2億円のデザイナーズトイレが、40カ所の公衆トイレのうち8カ所に設置される計画です。

 

「2億円トイレ」を巡って、吉村知事は、「大規模なトイレは便器数も50から60基ある。平米単価にすると、実は、一般の公共施設のトイレと(1基あたりの)値段は大きく変わらないというのが事実です」、斎藤健経済産業相は、「一般的な公衆トイレの建設費用と比べて、取り立てて高額であるとは言えない」、自見英子万博相は「規模から考えれば必ずしも高額とは言えない」と言っています。

 

ここには、問題のすり替えがあります。問題は、2億円が高いか安いかではありません。

 

問題は、大阪万博の会場建設費を審査する独立機関がないことです。

 

三権分立は、計画(立法)、執行(行政)、監視(司法)の独立性を確保しないと、利権が排除できなくなり、民主主義が崩壊することを主張しています。

 

監視のメインは、司法ですが、法律で細部まで規定することは不可能ですから、裁判所以外に、独立した審査機関が必要になります。

 

独立した審査機関に、法的な権限がなくとも、倫理に基づく権限はあります。

 

審査結果の情報を公開して、その結果が、選挙に反映されれば、法的な拘束力がなくとも、監視機能は果たせます。

 

場合によっては、不買運動が起こることもあります。

 

問題の全てを法律で書いて処理できると考えることは、実定法の幻影にすぎません。

 

会計検査は予算を執行した後でしか機能しません。

 

先進国では、予算の計画段階で、計画書を独立した審査機関が審査します。

 

この審査には、法的な権限がなく、審査結果を提示するだけのこともあります。

 

機密性のあるテーマについては、非公開になります。

 

政治家(立法)は、審査結果を反映することも、無視することもできます。

 

しかし、結果が公文書として保存され、50年後に公開されれば、無茶をした政治家の名誉はなくなります。

 

大阪万博の会場建設費には、そこまで機密性はないので、50年後に名誉を失うリスクを考えれば、政治家は、審査結果を公開すると思われます。

 

吉村知事、斎藤健経済産業相自見英子万博相は、自らが判断を述べていますので、これでは、行政が司法を兼ねていて、日本は、三権分立ではないことを認めていることになります。

 

計画書を独立した審査機関が審査していませんので、大阪万博の会場建設費が膨れ上がるのは当然ですし、利権が排除できていないことになります。

 

吉村知事、斎藤健経済産業相自見英子万博相は、「大阪万博の会場建設費は膨れ上がりますよ、利権は排除できていませんよ」と発言していることになります。

 

選挙の定数も、裁判所は、選挙が終わった後で、有効か無効かの判断をします。

 

これも、会計検査院と同じ、事後の判定です。

 

三権分立で考えれば、選挙の定数は、計画段階で、審査されるべきものです。

 

会計検査が万能でないのと同じように、事後判定の裁判所の判決では、選挙の定数是正は間にあいません。

 

独立機関を作って、アドバイスをすべきです。これは、人権に関する問題であり、個別の法律(実定法)には関係しませんので、メンバーには、外国人の専門家を入れることもできます。

 

あるいは、次のステップも可能です。

 

専門家が定数是正案を公開します。

 

議員の候補者は、その定数是正案に、賛成か反対かを明示します。

 

有権者は、その項目を候補者選びに反映すれば、有権者は、定数を変えることができます。

 

裁判所に問題を丸投げしても、問題解決はできません。

 

3)議論のポイント

 

パーティ券問題の議論のポイントは、日本には、悪法の改正プロセスがあるのかという点につきます。

 

政治資金規正法は氷山の一角にすぎません。

 

日本には、政治資金規正法と同じような人権無視の利権優先の悪法が沢山あり、それらを改正しないと、経済と社会が破壊されてしまいます。

 

現在のところ、悪法の改正プロセスは閉ざされているように見えます。

 

選挙によって、多数派政党が入れ替わっても、多数派政党が、悪法の改正プロセスをもっていなければ、悪法の改正はできません。

 

自民党の支持率が下がっても、野党の支持率が上がらない原因は、野党は悪法の改正プロセスをもっていないと見なされているからです。

 

この問題を次回に考えます。

憲法と人権の話

憲法を守っていない、人権を無視した法律があります)

 

1)パーティ券問題の出所

 

パーティ券問題は、違法ではないという扱いになっています。

 

これは、個別法に対して違法でないことをいっているだけで、個別法が新憲法の人権を守っていることを保証するものではありません。

 

国会は、法律を作ることができますが、その法律が憲法にあっていない場合には、法律は無効になります。

 

常識で考えれば、憲法にあってない無謀な法律をつくることはないと考えられます。

 

しかし、利権を優先する政治を行なえば、この常識はあてになりません。

 

さらに、新憲法が出来ても、新憲法に合うように、改訂されなかった法律が残存しています。

 

したがって、常識を疑い、人権が守られるように、法律改正を求めていく必要があります。

 

2)財産権の問題

 

パーティ券の脱税問題は、財産権に関わる問題です。

 

人権は財産権を保証しますが、例外として、課税があります。

 

課税は例外なので、課税の公平性と税金の使用には効率性と透明性が求まられます。

 

これは、人権の一部です。

 

「課税の公平性と税金の使用には効率性と透明性」を確保するためには、法律に基づき、税の徴収と使用が義務づけられています。

 

また、法律が、合憲(人権を守っている)である必要があります。

パーティ券問題は、公職選挙法が、政治家の利権に都合の良いように、人権(財産権、課税の公平性)を無視して制定された疑惑があることを示しています。

 

財産権の問題は、社会保険料の改訂が、法律に基づかない点にもあります。

 

社会保険料の改訂は、課税と同じように、財産権の侵害になりますので、国会の審議が必要な法律改訂なしに、変更できることは、人権の侵害になると思われます。

 

2024年2月19日に東京都内で開かれた「日ウクライナ経済復興推進会議」で、岸田文雄首相はウクライナへの官民をあげた長期的な支援を表明しました。

 

海外援助支出については、今まで、国会の審議を経ないで変更が認められています。

 

典型は、開発途上国へのローンの返済免除です。これは、ローンとして予算計上しておいて、返済が困難である場合には、返済免除(無償扱い)にする方法です。



返済免除にする必要性は理解できますが、これは、財産権の侵害にあたるので、国会承認が必要です。

 

外交問題の手続きは、複雑です。条約の場合、第1ステップで、外務大臣が合意文書にサインします。これを持ち帰って、第2ステップで国会で了承されて、はじめて、条約が成立します。

 

同様に考えれば、ウクライナへの官民をあげた長期的な支援にも、2つのステップがあってしかるべきです。

 

パーティ券問題のルーツには、政治家が、現行法において合法であれば、憲法の人権に違反しても問題がないと考えている点があります。

 

この点を理解すれば、ジェンダーと非正規雇用の賃金格差問題が解消しない理由が理解できます。

 

国会は、法律を作り改正するところです。

 

選挙で、国会議員を選ぶ目的は、まともな法律を作り、法律を改正するためです。

 

人権を無視して、利権を温存するための法律を作る議員を選出していれば、人権問題は解決しません。

 

3)過疎問題と弱者救済

 

「人権を無視して、利権を温存する」ためのキーワードが、「過疎問題」であり、「弱者救済」になっています。

 

「過疎問題」と「弱者救済」は、聞こえは良いですが、財産権を侵害することを正当化する理論であり、人権無視で、市場経済を破壊しています。

 

これは、成長と分配でいえば、成長より分配を優先するという社会主義ですので、市場経済と経済成長を破壊しています。

 

社会主義経済では、労働市場がないので、努力してリスキリングしても、所得が増えません。自分は弱者であると表明して分配を受ける方が、合理的な所得増加法になります。

 

誰を弱者に選定して、配分先に選ぶかは、政治家の一存で決まりますので、そこには、膨大な利権が発生します。

 

財産権の侵害である「過疎問題」と「弱者救済」をやめれば、利権のサイズは小さくなり、市場経済が復活します。

 

「弱者救済」の実態は、特定の企業や地域への補助金のキャッシバックです。人権の対象である個人救済にはなっていません。

 

「弱者救済」は、貧困対策に名を借りた貧困ビジネスにすぎません。

 

なお、選挙で、国会議員を選ぶ目的は、まともな法律を作り、法律を改正するためのはずですが、実際には、議員立法は、少ないです。

 

これは、国会が三権分立として機能していないことを意味します。

 

本来、国会の論戦は、どのような法律を作るべきかであるはずです。

 

実際には、非難ばかりになっていて、問題解決は行方不明になっています。

三権分立の話

三権分立の欠陥について述べます)

 

1)パーティ券の脱税問題

 

パーティ券のキャッシュバックは、政治資金ではないと考えられます。

 

これについては、国税庁の捜査を期待する人もいるようですが、国税庁が、捜査をする可能性は低いと考えます。

 

その根拠は、国税庁の人事は、政治家が握っている(政治主導)からです。

 

裁判官の人事は、法務省が持っていて、法務省の人事は、政治家が握って(政治主導)います。

 

したがって、政治家は、法律を無視できると考えています。

 

つまり、三権分立は、まったく機能していません。

 

2)人権の問題

 

官僚が、人事を縦に、左遷すると脅かされて、上司から、意にそわない仕事を押しつけられます。

 

これは、犯罪に加担させられるリスクを伴います。

年功型組織は、法度制度を前提としているため、上司の命令は絶対で、上司の命令に問題があった場合の対処については、明確な基準がありません。

 

パ―ティ権問題で、秘書が逮捕されます。

 

これは、連座制の問題ではありません。

 

ジョブ型雇用で、ジョブディスクリプションがあれば、秘書は裏金操作をすることはありません。

 

ジョブディスクリプションに、裏金操作が書かれている可能性は少ないからです。



万が一、ジョブディスクリプションに、裏金操作が書かれていた場合には、政治家の犯罪になります。

 

このとき、秘書が裏金操作をした場合には、犯罪になると思います。

 

これは、そそのかされて犯罪を犯したとしても犯罪の責任が生じるためです。

 

政治家が秘書に与えたジョブディスクリプションを考えれば、政治家が無罪になるパターンはありえません。

 

ジョブ型雇用が蔓延している社会では、失業しても、再就職の機会は少ないです、

 

その結果、秘書は、失業、または、犯罪の選択を迫られます。

 

3)近代社会のルール

 

近代社会では、何を発言したかではなく、何をしたかが問われます。

 

問題になるのは、エビデンスであって、解釈ではありません。

 

国会では、政治家は、解釈の説明を繰り返しています。

 

マスコミもそれを取り上げています。

 

交通事故では、自動車を歩行者に意図的にぶつける人は稀です。

 

ほとんどの場合、意図しないにもかかわらず、歩行者とぶつかったケースです。

 

もちろん、自動車が歩行者に接触すれば、意図にかかわらず責任が生じます。

 

マスコミは説明責任といいますが、説明責任は存在しません。

 

意図にかかわらず責任が生じるからです。

 

政治家は、建前を振りかざして、時間稼ぎをして、人事権の権威をつかって、今回も、以前と同じように、逃げきれると考えていると思われます。

 

これでは、人治国家であって、法治国家とはいえません。

 

人事権というハードルをクリアするためには、ジョブ型雇用の採用がさけれないステップであると考えます。

特攻の問題の研究(1)問題の設定

(特攻問題を定義します)

 

1)特攻と特攻問題

 

特攻は、太平洋戦争で行なわれた作戦です。

 

これは、人権無視の作戦であり、「特攻を繰り返さないためにはどうしたらよいか」という視点で、特攻を直接の対象とする研究とより一般的な文化に関する研究がなされてきました。

 

これらの研究は、特攻の人権問題に焦点を当てています。

 

特攻問題とは、特攻の経済問題を指します。

 

「特攻の経済問題」と書くと、特攻には市場がありませんので、違和感があるので、ここでは、特攻問題と書いています。



「特攻の経済問題」とは、特攻作戦の経済的合理性を意味します。

 

特攻作戦は、多くの人命が失われたにもかかわらず、戦略的な成果をあげられませんでした。

 

太平洋戦争の初期には、特攻作戦の数は少なかったですが、敗戦が進んで行くと、特攻作戦が拡大していきます。

 

つまり、特攻作戦の拡大の背景には、経済的に合成性のある作戦で、戦略的な成果をあげるという科学的な作戦の視点が欠けていたことになります。

 

科学的な作戦の視点で、特攻作戦をみれば、太平洋戦争では、経済的に合成性のない作戦が次々に採択され、特攻問題はその一部になります。

 

経済的に合成性のない作戦という氷山の中で、特攻作戦は水面に顔を出していますが、水面下にある部分の方が大きいと考えられます。

 

この水面下には、インパール作戦のように、ロジスティックを無視した作戦によって、兵士が餓死したり、病死した例も含まれます。

 

インパール作戦も、生存して帰還できる可能性のほとんどない作戦を強要した点では、人権無視になっています。

 

インパール作戦は、科学的な作戦の視点があれば、経済合理性がないので、行なわれなかったはずです。

 

ここで大切な視点は、インパール作戦がどのように起こったかという帰納法による研究ではありません。

 

帰納法では、問題の再発を防ぐ方法は見つかりません。

 

インパール作戦が起こった原因は、科学的な作戦の視点がなかったことです。

 

これは、インパール作戦の分析ではなく、アメリカの作戦の分析でわかります。

 

アメリカの作戦選択は、科学の方法に基づきます。これは、プラグマティズムの伝統です。

 

太平洋戦争では、アメリカの作戦では、インパール作戦のようなロジスティックを無視した作戦は、行なわれませんでした。

 

アメリカの作戦には、特攻作戦はありませんでした。一般に、アメリカの作戦に、特攻作戦がなかった理由は、人権が尊重されていたからであると説明されます。

 

しかし、それ以前に、アメリカでは、特攻作戦は、経済合理性の点で、検討対象外であったと思われます。

 

この経済合理性の中には、人材の活用も含まれます。

 

経済を発展させるためには、有能な人材を選んで、教育して、能力を発揮してもらう必要があります。

 

ベストセラーになった「失敗の研究」は、個々の作戦を帰納法で分析して、敗因を考察しています。

 

しかし、太平洋戦争全体の作戦を特攻問題の視点でみれば、個々の作戦の分析に入る前に、作戦選択が、科学の方法に基づいているかの視点で、結果の予測が可能です。

 

この方法では、短期的な個別の作戦の勝敗は予測できませんが、中期的な戦争の勝敗を予測できます。

 

日清戦争は、1894年7月25日から1895年4月17日まで、10か月にわたり日本と清国の間で行われた戦争です。



日露戦争は、1904年2月6日から 1905年9月5日までの18か月にわたり、日本とロシアとの間で戦われた戦争です。

 

太平洋戦争は、1941年12月8日から1945年8月15日までの45か月にわたり行われた戦争です。

 

この10か月、18か月、45か月の違いは、作戦選択が、科学の方法に基づいているかの視点で、結果の予測をする場合に効いてきます。

 

太平洋戦争の45か月の間には、特攻作戦の拡大に見られるように、経済合理性を無視した作戦が拡大しましたが、日清戦争の10か月、日露戦争の18か月の間には、経済合理性を無視した作戦は拡大していません。



2)ブリーフの固定化法と特攻問題

 

「作戦」と「仕事」、「事業」、「政策」等に置き換えれば、特攻問題は、現在、ここにある問題になります。

 

「作戦」、「仕事」、「事業」、「政策」等の選択問題は、パースが、ブリーフの固定化として一般化した問題であり、アメリカでは、科学の方法を使うことが原則になっています。

 

失われた30年といった長期問題を分析するには、個々の政策を分析する必要はなく、政策選択の意思決定が、科学の方法に基づくかで決まります。

 

政策選択の意思決定が、科学の方法に基づかない場合、経済的合理性のない政策が増大します。

 

税金は、ブラックホールに飲み込まれていき、増税が繰り返されます。

 

事業選択の意思決定が、科学の方法に基づかない場合、経済的合理性のない事業が増大します。

 

事業選択の意思決定が、科学の方法に基づかなければ、設備投資やDXの進展はできません。

 

東証は、PER(株価収益率)とROE自己資本利益率)を掛け合わせた PBR値の改善を求めています。

 

企業の利益率は下がり、賃金は上がらなくなります。

 

アメリカの人類学者のデヴィッド・グレーバー氏は2018年に「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論( Bullshit Jobs:A Theory)」を出版して、無意味な仕事(Bullshit Jobs)の存在と、その社会的有害性を分析しました。

 

この和訳のタイトルには問題があります。"Bullshit Jobs"のBullshitは、の直訳は「牛糞」ですが、慣用句で比喩的な意味は少なく、「馬鹿馬鹿しい」「無意味な」「誇大で嘘な」意味で、一般的によく使われるの俗語です。

 

 グレーバー氏は、無意味な仕事を取り上げました。

 

グレーバー氏は、アメリカには、無意味な仕事があるといいますが、経済成長は続いています。

 

人類学者の グレーバー氏の「無意味」は、経済合理性とは一致しません。

 

特攻問題の事業選択の意思決定が、科学の方法に基づかない場合、経済的合理性のない仕事(無意味な仕事)が増大する問題と、グレーバー氏の無意味な仕事問題は、完全には重なりません。

 

そもそも、アメリカの事業選択の意思決定は、科学の方法に基づいていますので、日本とは異なります。

 

3)大学にある特攻問題

 

東大における農学部の比率は、大学全体の7から8%で、付加価値でみて国全体のわずか0.9%の農業の人材育成のために使われています。

 

この状態を、「経済合理性を欠いている。東大農学部は、教育のためではなく、教員のためにある」と批判している専門家がいます。

 

この批判は正論ですが、産業(ここでは、農業)の付加価値のシェアの変化に連動して、大学の定員が変化しなかったというより一般的な問題の一部に過ぎません。

 

人口が減少する場合、税収が減少するので、社会基盤投資を縮小しないと、財政が破綻します。この点で考えれば、大学の土木学科の定員のシェアも減少すべきです。

 

日本の文学部は、翻訳を主なビジネスにしてきました。

 

現在、古典の翻訳は完了しています。

 

新しい英文の翻訳では、コストと迅速性では、自動翻訳に勝てる翻訳者はいません。

 

政府は、英語教育に力を入れていますが、自然科学分野のように、事実上の公用語が英語になってしまい、英語で生活せざるを得ない人を除けば、英語教育の経済合理性には、疑問がつきます。

 

小谷野敦氏は、「文学部という不幸」(2010)の中で、「文学部は文学部の教員のためにあるとしかいいようがない」と発言しています。

 

「大学は、幕末の幕府のようなもので、ペリー来航から15年で幕府が瓦解したことを考えると、おそらく5年から10年で、弱小私立や地方国立大あたりから、大学は倒産するだろう」(筆者要約)といっています。



特攻問題の事業選択の意思決定が、科学の方法に基づかない場合、経済的合理性のない仕事(無意味な仕事)が増大します。

 

仕事の方法の教育は、経済的合理性のない仕事を再生産しますので、特に大きな影響があります。

 

小谷野敦氏は、2020年(10年後)に、大学は倒産すると予測していますが、現実には、定員割れをしているだけで、補助金によって倒産していません。

 

定員で見れば、大学教育は、産業構造の変化と技術進歩(情報社会へのレジームシフト)に対応できておらず、ギャップは毎年大きくなっています。

 

これは、年功型雇用によって、大学教員の労働市場がないため、経済的合理性のない仕事(無意味な仕事)が増大していることを意味しています。

 

ここには、科学の方法に基づかない場合、意思決定をする特攻問題があります。

 

政府は、大学の定員問題についても、他の政策課題と同様に、専門家会議に問題解決を依頼しています。

 

専門家会議のブリーフの固定化法は、権威の方法によっていて、科学の方法を無視しているので、提言に従っても、問題解決はできません。

 

筆者は、戦術の専門家ではありませんので、太平洋戦争の個々の対戦の是非を論じる能力はありません。それでも、科学の方法を無視していれば、中期的には、戦争に負けると予測可能です。

 

同様に、筆者は、専門家会議のメンバーのように、個々の政策の是非を論じる能力はありませんが、中期的には、今の大学の定員問題の対応では、経済戦争に負けると予測できます。

 

日本では物価・賃金の好循環は起きません。

 

これは、自明です。

 

インフレによって労働者の配分が増えることはありません。

 

1980年代も、インフレによって労働者の配分は減っていました。

 

しかし、1980年代には、海外と比べて、労働生産性が高く、輸出競争力があったため、配分の原資が増えました。

 

現在の日本の労働生産性は、先進国の中では最低レベルなので、輸出競争力がありません。

 

労働生産性は、付加価値で評価します。同じ製品を作っても、同等の輸入製品が、国産の半額であり、販売価格を半分に落とさなければならなくなれば、付加価値は減ってしまいます。

 

DXを取り入れられず、技術進歩に取り残されて、同じ生産方法を続ければ、付加価値が変わらないのではなく、下がってしまいます。

 

これは仮説なので、間違っているかも知れませんが、エビデンスのない議論は不毛です。

 

科学の方法を無視していれば、議論や科学的な検討が成立しなくなります。

 

反論は不可能です。

 

これが、特攻問題の特徴です。

韓国は人治主義(権威の方法)なので、政権が交替すると前の大統領が有罪になります。

 

日本は人治主義(権威の方法)ではないといいたいところですが、ほぼ、自民党から政権交代が起こっていませんので、前の政権の幹部が有罪にならないと解釈することもできます。

 

民主党が政権をとった時に、前の政権の幹部を有罪にするという強い意志があれば、変化が起こったと考えることもできます。

 

民主党が政権をとった時に、官僚は、民主党政権は短命で、自民党復権すると考えて対応した可能性も高いです。

 

少なくとも、民主党は、官僚をうまく、コントロールできませんでした。