リベラルアーツが有害である証明(2)

3)リベラルアーツとフィクション

 

リベラルアーツの信奉者は、歴史を生き残った知恵には価値があるといいます。

 

リベラルアーツ知恵には価値がある」という主張は、リベラルアーツは、一見すると役にたたないようにみえるが、実際は、役に立つという手法です。

 

リベラルアーツは、一見すると役にたたないようにみえるが、実際にも、役に立たないのであれば、教科として教える意味がなくなります。

 

広義には、この役に立つには、エンタ―テインメントのストレス発散効果も含まれますが、ストレス発散が、税金をつかった教育のカリキュラムに相応しいとは思われないので、フィクションは除外して、考察を進めます。

 

リベラルアーツは、他の専門分野とことなり、特定のオブジェクト(顕在変数)を対象としていません。これが、「リベラルアーツは、一見すると役に立たない」という意味です。

 

リベラルアーツが対象としている内容は、潜在変数です。

 

直接観測できない潜在変数には、一意性がありません。

 

つまり、リベラルアーツには、フィクションを除外するプロセスを持っていれば、役に立ちますが、フィクションを除外するプロセスを持っていなければ、役に立ちません。

 

リベラルアーツは、エンターテインメントのようなフィクションの教育になっている可能性があります。

 

フィクションの世界には、間違いは存在しません。

 

UFOを見た、雪男を見たという内容がフィクションであると明示されれば、問題になることがありません。

 

エンターテインメントの世界には、魔法や超能力に満ちていますが、そのことは問題にはなりません。

 

しかし、UFOが実在したとなれば、話はフィクションの世界から飛び出します。

 

リベラルアーツがフィクションを除外するプロセスを持っていれば役に立たなくなります。

 

4)フィクションを除外するプロセス

 

魔法の力で空間を移動したり、モノを動かすことができるという主張はフィクションです。

 

アリストテレスの運動論では、ボールは、ボールの後ろの空気がボールを押すことによって前に進みます。

 

これは、科学の仮説ですが、ニュートン力学の出現によって、フィクションであることが判明しています。

 

科学の実体は、仮説ですが、検証プロセスによって、フィクションを除外した仮説である点が重要です。

 

このフィクションを除外する手続きが、実験であり、エビデンスです。

 

最近、エビデンスに基づく法学が出現しています。

 

これに対する反応をみると、法学部の教授や弁護士の中には、エビデンスに基づく法学は、沢山ある法学の手法の一つに過ぎないと評価している人もいます。

 

この発言者には、「フィクションを除外するプロセス」が必要であるという意識がありません。

 

「フィクションを除外するプロセス」がなければ、UFOも、雪男も、実在することになります。

 

リベラルアーツがフィクション許容する教育であれば、リベラルアーツは、科学に対する脅威になります。

 

5)証拠に基づく実践

 

「フィクションを除外するプロセス」の典型は、証拠に基づく実践(Evidence-based practice)です。英語版のウィキペディアには、次のように書かれています。

証拠に基づく実践(Evidence-based practice)とは、職業上の実践は科学的証拠に基づいているべきであるという考えです。一見明らかに望ましいように見えますが、この提案は物議を醸しており、結果は従来の慣行ほど個人に特化していない可能性があると主張する人もいます。1992 年に科学的根拠に基づいた医療が正式に導入されて以来、科学的根拠に基づいた実践が定着しており、関連する医療専門職、教育、経営、法律、公共政策、建築、その他の分野に広がっています。科学研究の問題点を示す研究(複製危機など)を踏まえて、科学研究自体に証拠に基づいた実践を適用しようとする動きもあります。証拠に基づいた科学の実践に関する研究は、メタサイエンスと呼ばれます。

 

なお、「根拠に基づく医療」(evidence-based medicine: EBM)という用語は、1990年にマックマスター大学のゴードン・ガイアット(英語版)によって導入されています。

 

「根拠に基づく」(evidence-based)は、1990年以降のムーブメントです。 

 

「根拠に基づく」手法が可能になった背景には、コンピュータとデータサイエンスの進歩があります。

 

メタサイエンスがあれば、リベラルアーツは不要になります。

 

リベラルアーツは、メタサイエンスと競合しています。

 

メタサイエンス自体は、サイエンスではありませんが、サイエンス実践の結果を反映していますので、リベラルアーツには、勝ち目はありません。

 

6)根拠の問題

 

「根拠に基づく」という場合の根拠とは測定されたデータになります。

 

データに要求される条件は以下です。

 

(P1)観測系に関するデータの添付が必要です。

 

(P2)コンタミネーションを排除する必要があります。

 

(P3)観測系は、十分な精度があり、サンプリングバイアスを排除できている必要があります。

 

リベラルアーツのデータは、以上の条件に満足していないか、条件を考慮していません。

 

典型はオーラルヒストリーです。

 

人間の過去の記憶を遡って、記述する場合に、記憶は、辻褄があうように自動編集されます。

 

現場に野帳を持ちこんで、観察した結果を即座に記述する場合には、記憶が自動編集されることはありません。

 

しかし、時間が経ってからの記憶内容は、自動編集されたコンタミネーションだらけの内容になります。

 

司馬遷史記や聖書は、イベントから、100年以上経って、記憶を元に記録されていますので、コンタミネーションだらけの内容です。

 

歴史学では、他のデータがないという理由で、史記や聖書を使いますが、自然科学では、コンタミネーションだらけの内容は、分析対象外になります。

 

理化学研究所は、2014年に、様々な臓器や組織の細胞に成長する新たな「万能細胞」を作製することにマウスで成功したと発表しました。しかし、この実験には、コンタミネーションがあって、間違いでした。

 

自然科学では、コンタミネーションだらけの史記や聖書は、分析対象外になります。

 

もちろん、中世のヨーロッパでは、キリスト教ミームが、人々の生活を支配していました。

 

キリスト教ミームの研究は、中世の人の行動の分析に欠かせません。

 

この場合のミームはフィクションです。

 

ミームは、潜在変数なので、観測できる行動記録から逆推定することになります。

 

これは、UFOの写真のケースに似ています。

 

UFOの写真は、観測可能な実在(顕在変数)です。

 

ミームの研究では、UFOの実在を検証するのではなく、UFOの写真が、UFOがあるというミームを形成して、UFOハンターのように、人々の行動を変化させる点を問題にします。

 

有名人のなりすまし詐欺では、有名人は実在しませんが、有名人と話をしているというミームが、人の行動を変化させています。

 

中世では、宗教のミームが世界を支配していました。

 

現在では、宗教にかわって、詐欺師がミームを拡散しています。

 

リベラルアーツがフィクション許容する教育を行ない、その結果、詐欺師のミームに支配されやすい人間を養成している可能性があります。

 

国会では、議員に質問して、議員が、「記憶にありません」と返答します。

 

しかし、仮に、記憶の残っていても、その記憶は、コンタミネーションだらけで使いものになりません。

 

時間のたった事実に関する記憶を質問することは、時間の無駄です。

 

記憶をもとにした自白は、コンタミネーションだらけで使いものになりません。

 

記憶をもとにした自白がなければ、有罪にできない法律があれば、それは、科学的に不適切な法律です。

 

リベラルアーツコンタミネーションを許容する教育を行なっているのであれば、リベラルアーツは、自然科学とは相いれません。

リベラルアーツが有害である証明(1)

リベラルアーツが役にたつかを考えます)

 

1)前提条件

 

大学や学校で、教科(専門分野)を議論する時には、次の2つの前提があります。

 

(C1) 教科は(互いに独立していて)独自の価値を持つ

 

(C2)(教科は互いに独立と等価ですが)教科の内容は、互いに干渉することはない。

 

バイドゥ株式会社は、「将来役に立たないと思う教科TOP10」を集計していますが、上記の2条件は、前提とされていると思います。

「将来役に立たないと思う教科TOP10」で、公開されている集計は、10位までで、11位以下は公開資料にはのっていません。

 

意外なことに、トップ10には数学は入っていません。

<< 引用文献

【Simejiランキング】Z世代が選ぶ!!「将来役に立たないと思う教科TOP10」2024/03/13 バイドゥ株式会社

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000809.000006410.html

>>

 

上記の2条件は、自明ではないのですが、学校や大学内の平安のために必要な条件なので、暗黙の了解になっています。

 

プラグマティズム創始者のパースは、「ブリーフの固定化法」の中で、形而上学(哲学)を否定しています。

 

なぜか、「ブリーフの固定化法」は、リベラルアーツの中では、パースが否定した形而上学(哲学)として読まれています。

 

パースは、「ブリーフの固定化法」を執筆する前には、カント哲学に入れ込んでいましたので、直近の否定された哲学はカント哲学です。

 

「ブリーフの固定化法」を読んで、腹を立てたカント哲学者がいても不思議ではないのですが、何故か、そのような話は聞きません。

 

2)データサイエンスとAIの出現

 

データサイエンスとAIが出現する前までは、上記の2条件の矛盾は、あまり表面化することはありませんでした。

 

しかし、AIは、知的職業に置き替わると予測されています。

 

つまり、AIの出現とは、「(C2)教科(専門分野)の内容は、互いに干渉することはない」という条件が崩壊したことを意味しています。

 

これには、リベラルアーツの間違いの訂正が含まれます。

 

データサイエンスが出現するまで、自然科学は文字情報の世界に入ってきませんでした。

 

AIが可能になったことは、自然科学が文字情報の世界に入ってきたこと、データサイエンス(自然科学)と人文科学との垣根がなくなったことを意味します。

 

つまり、同じ文字データは、人文科学でも、データサイエンスでも処理が可能になりました。

 

評価は、「どちらの処理が効率的か」、「どちらの処理の正解率が高いか」という基準で行なわれます。

 

リベラルアーツの信奉者は、歴史を生き残った知恵には価値があるといいますが、その主張は間違いです。反例を簡単に見つけることができます。

 

アリストテレスの運動論は、歴史を生き残った知恵でしたが、ニュートン力学の前に、アウトになりました。

 

ニュートン力学は、相対性理論の前にアウトになりました。

 

判定基準は、第1には、「どちらの処理の正解率が高いか」になります。

 

リベラルアーツは、正解率という判定基準に対して、生き残ることは難しそうです。

 

リベラルアーツは、正解率が高いということを主張できないのです。

ミームの研究(24)人口戦略会議のミーム

(科学のミームの欠如に注意すべきです)

 

1)「人口戦略会議」の人口予測

 

「人口戦略会議」の人口予測が公表されました。

 

あまりに、非科学的なので、コメントを書いておきます。

 

毎日新聞は次のように要約しています。

民間の有識者らで作る「人口戦略会議」は24日、全自治体の4割に当たる744自治体で、人口減少が深刻化し、将来的に消滅の可能性が高い「消滅可能性自治体」に該当するとの試算を公表した。2020~50年の30年間で、子どもを産む中心世代となる20~30代の女性の人口が50%以上減少する推計を根拠とした。日本創成会議が14年に公表した896自治体より減少した。

<< 引用文献

744自治体に消滅の可能性 全国の4割 人口戦略会議が試算 2024/04/24 毎日新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/e4eee359d38bf9c2fda8693f0efc35e3cc1cf7ae

>>

 

原資料は、以下で入手できます。

 

<< 引用文献

【人口戦略会議・公表資料】『地方自治体「持続可能性」分析レポート』2023/04/24

https://www.hit-north.or.jp/information/2024/04/24/2171/

>>

 

今回は、2014年の分析を踏まえつつ、新たな視点として、人口の「自然減対策」(出生率の向上)と「社会減対策」(人口流出の是正)の両面からの分析を行っています。

 

2014年は、「社会減対策」を扱っていなかったようです。

 

2)問題点

 

コホート分析は、1歳の子どもが20歳になる20年後までは、出生可能な女性の数を正確に予測できます。この部分は、因果モデルです。その先はトレンドモデルであって、因果モデルではありません。

 

つまり、「2020~50年の30年間」を一律に扱うことは、統計処理の間違いです。

 

これが気にならない理由は、トレンドと因果モデルの区別ができていないからです。

 

出生率は、所得の関数です。所得が原因で、出生数(結果)が決まります。

 

つまり、所得を無視した人口予測は、因果モデルを無視しているので、科学的に間違いです。

 

地方自治体「持続可能性」分析レポート』は、帰納法と中抜き経済に洗脳されています。

 

ここには、法度制度のミームが働いています。

 

市場経済と因果モデルで考えれば、最大の課題は、生産性をあげて、所得をあげることです。

 

これがデザイン思考の問題解決法です。

 

トレンドは、因果ではないので、運命でも、必然でもありません。

 

北海道のニセコ町のように、時給が5000円になれば、人口移入が起こり「社会減対策」は不要になります。所得が増えれば、出生率も上がります。

 

少子化対策に、外国人労働者をいれるべきと主張する人もいます。

 

しかし、賃金が上がらなければ、外国人労働者は日本にはきません。

 

因果モデルで考えれば、原因は、賃金が安いことであり、市場経済を無視した中抜き経済が幅をきかせていることにあると推測できます。

 

過去のEUの最貧国のアイルランドは、現在は、IT先進国になり、EUで最も豊かな国になりました。

 

アイルランドでは、ふるさと納税のような中抜き経済は行なっていません。

 

日本の地方自治体で、外国人が、全て英語で生活できる環境を整備したところは少ないと思います。

 

年功型雇用で、公務員の英語のトレーニングをするのではなく、ジョブ型雇用で、英語の出来る人を2倍位の賃金で雇う方法が市場経済です。

 

中抜き経済をやめない限り、若年層の賃金は上がらないので、出生率はあがらないはずです。

 

トレンド予測では、人口が減ります。移入と移出はゼロサムです。

 

全ての自治体の人口が増加することはあり得ません。

 

つまり、この問題提示は、不可能問題になっています。

 

因果モデルで考えること、帰納法ではなく、デザイン思考をしないと解決策は見つかりません。

 

人口が減っても、自治体が経済的に維持できれば、消滅することはありません。

 

問題は、自律した経済活動ができてないことにあります。

 

ミームの研究(23)バカの壁からミーム・モデルへ

ミーム・モデルの特徴を説明します)

 

1)バカの壁

 

バカの壁」(2003)は、養老孟司氏のベストセラーです。

 

キャッチコピーで、帯紙は「『話せば分かる』なんて大ウソ!」でした。養老氏は「バカの壁」とは「人が知りたくないことに耳を貸さず情報を遮断すること」であるとインタビューで述べています。

 

後者は、レオン・フェスティンガー氏の認知的不協和(cognitive dissonance)の理論に対応しています。

 

バカの壁」は、人間の相互理解には限界があるという指摘です。

 

バカの壁」の相互理解の限界を示しています。

 

相互理解の限界は、認知的不協和がなくとも生じます。

 

永久機関が不可能であることは、エネルギー保存則が理解できていれば、自明ですが、そうでない場合には、納得することは困難です。



2)ミーム・モデル

 

ミーム・モデルとは人間の認知は、ミームによって支配されるというモデルです。

 

自然崇拝のミームに支配されている人にとって、病気とは、悪い精霊にとりつかれている状態になります。

 

このモデルで、病気という現象は説明可能です。

 

クリテイカルシンキングを行なって、科学的な検証が必要であると考えなければ、病気の原因は、悪い精霊であるという因果モデルに不便を感じることはありません。

 

高度経済成長は、日本人がよく働いた結果生じたという理解も、科学的に検証されていない点では、病気の原因は、悪い精霊であるという因果モデルと変わりません。

 

病気とは、悪い精霊にとりつかれている状態という理解は、リベラルアーツによる理解です。

 

リベラルアーツが役に立つという主張は、検証されていない因果モデルが役に立つという主張であり、病気が悪い精霊によって引き起こされるという因果モデルと同じ水準のモデルです。

 

少なくとも、データサイエンスの基準でみれば、そうなります。

病気が悪い精霊によって引き起こされるという因果モデルも、高度経済成長は、日本人がよく働いた結果生じたという因果モデルも、帰納法を使った推論です。

 

この2つのモデルの共通点は、「悪い精霊」と「よく働いた」といった計測不可能な因子を原因にあてている点にあります。

 

「よく働いた」という因子は計測不可能ですが、「労働時間が長い」は計測可能です。

 

しかし、因果モデルでは、生産性は、時間当たりの生産性と労働時間の積で表わされます。

 

つまり、アブダクションによる推論をすれば、「労働時間が長い」は退けられます。



3)ミーム・モデルで何がわかるか

 

ミーム・モデルは、幾つかの現象を説明できます。

 

政治家が、経済対策を検討しています。

 

経済学のミームで考えれば、税金を徴収して、キャッシュバックをする政策は、最悪の政策であり、検討に値しません。

 

経済学者は、政府の政策には、経済学の合理性を欠いていると指摘します。

 

しかし、その指摘が受け入れられて、政策が修正されたことはありません。

 

なぜ、経済学の合理性を欠いている政策が修正されないのでしょうか。



政治家は、利権のミームで動いています。

 

政治とは、利権の調整、つまり、中抜き経済の調整であると考えています。

 

物理学者は、世界は、物質とエネルギーに満ちていると考えます。

 

利権を中心にものを考える政治家にとって、世界は、利権(中抜き経済)と利権の調整でできています。

 

全ての問題は、利権と利権の調整空間の写像として判断されます。

 

こう考えると、政府の政策は、予測可能になります。

 

利権のミームにとって、問題解決とは、利権の調整を意味することになります。

 

そこには、生産性が入る余地はありません。

 

政治家を説得するには、問題を利権の配分構造の写像に転換して説明する必要があります。

 

ミームの研究(22)なりすまし詐欺広告と法度制度のミーム

(法度制度のミームは、なりすまし詐欺広告対策に影響があります)

 

1)なりすまし詐欺広告

 

産経新聞は次のように伝えています。

実業家の前沢友作氏や堀江貴文氏をはじめとする著名人が、SNSの投資詐欺広告に肖像や名前を無断使用されている問題で、米IT大手メタ(旧フェイスブック)がフェイスブックやインスタグラムなどを通じて今年配信した投資広告のうち、半数以上がなりすましとみられることが4月14日、分かりましt。投資広告の配信元の約65%はアカウント名に日本語が含まれていませんでした。

 

警察庁の集計によると、SNSを使った投資詐欺の令和5年の認知件数は2271件。被害総額は約278億円に上りました。犯人と最初に接触した際に使われたSNSは、男性はフェイスブックが22・1%、女性はインスタグラムが31・5%で最多でした。

<< 引用文献

メタの投資広告、半数以上が著名人なりすましか 1位は森永卓郎氏、2位に堀江貴文氏 2024/04/14  産経新聞 西山 諒

https://www.sankei.com/article/20240414-JOHY7CAZSBH35BLHKJ7UHZJGSY/

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実業家の堀江貴文氏と前澤友作氏が4月10日、なりすまし詐欺広告について、自民党に直談判し、その後取材に応じました。

 

堀江氏は次のように発言しました。

ディープフェイク動画が出てきたり、僕の正規の広告もBANされたり、クレジットカードが止められるなどいろいろな被害が出ている。

 

(Meta社へ)“削除しろ”と1年以上言ってきたが、なめた対応しかしない。

 

“うちもいっぱい広告があるから全部は(対応)できない”“ちょっと我慢してくれ”と言われる。彼らは詐欺だとわかって広告を出しているとしか思えない。

 

 前澤氏は弁護士を通して抗議をしてきたものの、対応が進まないことから、米Meta社を提訴する準備を進めていることを明らかにしました。「GoogleやLINE、Yahoo!は頑張っていると思うが、InstagramとFecebookは本当にひどい。Metaにだけは本当に怒っている」と言います。

<< 引用文献

なりすまし広告めぐり堀江貴文氏「“削除しろ”と言ってもなめた対応しかしない」 前澤友作氏は米Meta社を提訴へ「本当に怒っている」「プラットフォーム規制を」 2024/04/10 Ameba Times

https://times.abema.tv/articles/-/10122046?page=1

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AI人材の育成を目指す「ホリエモンAI学校」を展開するテレワーク・テクノロジーズ(東京都新宿区)4月19日、Metaから広告アカウントなどの凍結を受けたと発表した。同社は詐欺広告と間違えられた可能性を指摘し、Metaの対策を「公式のコンテンツも凍結するずさんなもの」と非難しています。

 

ホリエモンAI学校のmeta広告アカウントが凍結されたのは4月19日。広告アカウントに紐づけていた荒木賢二郎代表の個人アカウントや、広告運用担当者の個人アカウントまで凍結された。

 

その後、Metaが定める手順に沿って再審査を請求したが、「アカウント停止に関する決定の再審査はできません」と画面に表示されただけで凍結状態が続いているそうです。

 

アカウント凍結で仕事にも支障が出ているという同社は、「(Metaによるなりすまし詐欺広告への)対策が動き出している一方で、公式のコンテンツもアカウント凍結するずさんなものであり、また、再審査も受け付けないという状況にある」と苦言を呈しています。

<< 引用文献

なりすまし詐欺広告と“誤認”か 「ホリエモンAI学校」、Metaに広告アカウントを凍結される 運営会社は「ずさん」と苦言 2024/04/19 ITMedia News

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2404/19/news125.html

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2)問題点の整理

 

問題点は、2つに分かれます。

 

第1は、なりすまし詐欺広告の被害にあった利用者被害の問題です。

 

第2は、なりすまし詐欺広告の被害にあった有名人被害の問題です。

 

2-1)利用者被害の問題

 

これは、振込口座の信頼度情報の確認問題で、銀行が解決可能です。

 

この問題に対しては、政府も、銀行も、問題を放棄しています。

 

振込をする場合に、振込先の企業名、口座番号の他に、信頼性コードを付与すればよいだけです。

 

振込先の企業名、口座番号に対して、銀行が過去に取引があり、問題がすくない場合には、AやBといったランク付けをすることができます。

 

銀行が過去に取引がない新興企業の場合には、ランク外になります。

新興企業は、銀行の審査をうけて、手数料を支払うことで、ランクを得ることができます。

 

この場合、利用者は、お金を企業の口座に振り込むのではなく、いったん、銀行の預かり口座に振り込みます。銀行は、内容を確認して問題がなければ、企業の口座に振り込みます。

 

この場合、銀行は、なりすまし詐欺広告のリスクをいったん抱えることになります。そのリスクに見合った手数料を銀行が得ることができます。

 

これは、マスク氏が企業者の一人であった、ペイパルの方式です。

 

もちろん、振込金額(単体あるいは累積)が小さな場合には、こうした手続きは不要かもしれません。

 

2-2)有名人被害の問題

 

これは、なりすまし広告をチェックして、アカウントを停止して、内容を削除する必要があります。

 

完全を期することは困難ですが、さしあたり、トップ200名程度を対象にすれば、さほど難しくはありません。

トップ200名程度に対しては、追加のセキュリティコードを添付することも考えられます。



前澤氏は「GoogleやLINE、Yahoo!は頑張っていると思うが、InstagramとFecebookは本当にひどい。Metaにだけは本当に怒っている」といっていますので、Meta固有の問題かも知れません。



2-3)Metaの対応

 

問題のMetaの対応ですが、これは、日本のMetaに固有の問題である可能性があります。

 

鈴木貴博氏は、「問題の本質は日本的コンプライアンス自体が間違っていること」にあるといい、次の3項目をあげています。

 

(1)日本社会は形式合理性を重視する

(2)日本社会はIntegrity(誠実さ)を大切にしない

(3)日本社会は巨悪を簡単にあきらめる

<< 引用文献

「ナメてんの?」詐欺広告問題でメタ社に批判殺到!日本社会が「巨悪に弱い」残念な理由 2024/04/19 DIAMOND 鈴木貴博

https://diamond.jp/articles/-/342407

>>

 

4月22日の毎日新聞は、派閥の政治資金パーティー裏金事件を受けた自民党政治資金規正法改正案の概要が判明したと説明しています。

 

「収支報告書への悪質な不記載があった場合には不記載額を国庫に納付する規定を盛り込む方向で調整」と書かれていますが、あくまで、脱税ではないという解釈に終始しています。

<< 引用文献

議員罰金刑の要件拡大 自民党政治資金規正法改正案、概要判明 2024/04/22 毎日新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/8e1c3ad037465590a33c7c3978089e919dae3df6

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つまり、「問題の本質は日本的コンプライアンス自体が間違っていること」にあるといえます。

 

鈴木貴博氏の指摘は、法度制度のミームの問題を指摘しています。

 

日本のMetaは日本の法度制度のミームに対応した日本的コンプライアンスにしたがったなりすまし詐欺広告対策を提示しています。

 

これに対して、 前澤氏は弁護士を通して(日本のMetaに、筆者注)抗議をしてきたものの、対応が進まないことから、米Meta社を提訴する準備を進めています。

 

政治資金問題について、日本の自民党に、抗議をしてきたものの、対応が進まない場合には、米国と掛け合う(黒船を利用する)しか、方策がないのかもしれません。

 

これは、南アフリカの人権団体が、アパルトヘイトの解消に使った手法でもあります。

ミームの研究(21)子育て支援金と法度制度のミーム

(法度制度のミームを確認します)

児童手当の拡充などを柱とし、その財源として公的医療保険に上乗せして徴収する子ども子育て支援金を創設する少子化対策法案が、18日の衆院特別委員会で与党の賛成多数で可決されました。

 

(同法案は、19日、衆院本会議で自民・公明両党の賛成多数で可決されました。参院に送られて審議され、今国会で成立する公算が大きいです)

 

被保険者1人あたりの家族分も含めた平均負担額は、中小企業の「協会けんぽ」で700円、大企業の「健保組合」は850円、公務員らの「共済組合」は950円。いずれも所得によって増減し、年収600万円超で月1000円以上となると試算されました。政府は、歳出改革と賃上げにより、所得と比較した負担率は上昇しないとして実質的な追加負担は生じないと説明しています。

<< 引用文献

【速報】子育て支援金 衆院委員会で可決 児童手当拡充など少子化対策法案  2024/04/18 フジテレビ

https://www.fnn.jp/articles/-/687284

>>

 

「政府は、歳出改革と賃上げにより、所得と比較した負担率は上昇しないとして実質的な追加負担は生じないと説明しています」

 

この説明には、具体的な数字がありません。

 

「中小企業の協会けんぽで700円、大企業の健保組合は850円、公務員らの共済組合は950円」という具体的な数字が、解消されるという根拠がありません。

 

つまり、政府の説明は、説明としての要件を満たしていません。

 

太平洋戦争の時に、大本営には、敗戦という言葉はありませんでした。

 

敗戦した場合には、転進したと説明していました。

 

敗戦したときに、敗戦を認めて、敗戦の原因を分析すれば、同じ間違いを繰り返すことはありません。

 

もちろん、敗戦を認めれば、司令官が責任を問われます。

 

アメリカ軍では、真珠湾攻撃のような明らかな敗戦があった場合には、司令官の責任が問われています。

 

少子化は、人口問題の明らかな敗戦に相当します。

 

しかし、政府は敗戦を認めません。

 

政府の高官で、少子化対策の失敗の責任を問われて、左遷された人はいません。

 

問題の原因を分析して、対策を講じないので、問題が解決するはずがありません。

 

これが意味することは、政府の政策決定は、太平洋戦争の時とまったく、同じ法度制度に基づいているということです。

 

法度制度の頂点にいる総理大臣が、少子化対策法案を指示した場合、下々は反論できませんし、合理的な説明を受ける権利を持っていないと考えることは、法度制度のミームが動いていることを意味します。

 

マスコミが、法度制度のミームに感染していなければ、「政府は、歳出改革と賃上げにより、所得と比較した負担率は上昇しないとして実質的な追加負担は生じないと説明しています」と書くのではなく、「政府は、実質的な追加負担は生じない根拠となる数字を提示してない」と書くはずです。

 

政府の高官で、少子化対策の失敗の責任を問われて、左遷された人はいませんが、企業のトップでも、経営の失敗の責任を問われて、左遷された人もいません。

 

企業のトップが、謝罪する場合は、システム障害、点検不正、リコールの場合です。

 

つまり、年功型組織の企業も、法度制度のミームに感染しています。

 

法度制度のミームに感染していている人と組織には、科学的な説明は通用しません。

 

そこには、説得をする余地はありません。

 

国会審議も空回りになります。

 

冷泉彰彦氏は、党議拘束に問題があるといいます。

 

党議拘束は、法度制度のミームです。アメリカには、法度制度のミームがないので、党議拘束は、ありません。

 

<< 引用文献

党議拘束の緩和こそ政治改革の決め手 2024/04/17 Newsweek 冷泉彰彦https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2024/04/post-1350.php

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結局、法度制度のミームが撤退しない限り、全ての問題の解決は見送りになります。

 

問題は、少子化に限定されず、全ての問題解決が凍結されています。

ミームの研究(20)経験主義のミーム

(ミームの最大の課題の経験主義を論じます)

 

1)相関と因果

 

統計学では、相関と因果は区別されます。

 

ただし、因果を検証する決定的な方法はありません。

 

因果を検証する方法の解明は、2000年来の課題でした。

 

物理学の理論のように、1原因と1結果で構成される確定的な現象であり、ノイズの除去が比較的容易な場合には、科学は因果モデルで大きな成功をおさめました。

 

前世紀には物理学の成功を目の当たりにして、多くの学問が、物理学をモデルに学問の再構築を行ないました。

 

物理学は、1原因1結果モデルです。例外的に、複数原因の場合もありますが、原因のパラメータ数は、2、3に止まります。

 

複数原因と1結果の統計モデルを現象に当てはめるためには、膨大な量のデジタルメモリと処理能力を持った計算機資源が必要です。

 

今世紀に入って、人類は、歴史上はじめて、この2つのツールを手に入れました。

 

データサイエンスの誕生です。

 

人類は因果モデルを検証する方法の解明に近づいています。

 

ただし、この因果モデルは、ノイズに伴う推定のバラツキを含んだ確率的なモデルです。

 

統計的因果モデルは、パールによって研究が進められました。

 

統計的因果モデルの研究は、現在進行中です。

 

AIによる推論も、統計的因果モデルを使っています。

 

データサイエンスのモデルを、物理学のような確定的な因果モデルでないと批判する人がいますが、この批判は、物理モデルを基準にした確定論的な世界観(ミーム)に基づいています。

 

AIが人間を超えるという判定も確定論的な世界観(ミーム)に基づいています。

 

データサイエンスは、人間には処理できない膨大な量のデジタルメモリと処理能力を持った計算機資源が、人類が手にした時点で誕生しています。

 

この時点で、人間が、コンピュータに勝てないことは自明です。

 

2)経験主義(1原因と1結果モデル)の構造

 

前世紀には物理学の成功を目の当たりにして、多くの学問が、物理学をモデルに学問の再構築を行ないました。

 

しかし、物理学と同じレベルの成功をおさめた学問はありません。

 

これは、1原因と1結果のモデルがあてはまるような単純な現象がないことを示しています。

 

多くの現象は、複数原因と1結果のモデルで検討されるべきです。

 

とはいえ、前世紀には、膨大な量のデジタルメモリと処理能力を持った計算機資源は手に入りませんでしたので、妥協が必要でした。

 

しかし、今世紀に入って、この妥協は不要になっています。

 

この妥協は、経験主義(体験主義)のミームに基づいています。

 

なお、ここでいう経験主義とは、ヒュームのいう経験主義とは別の用語で、筆者は、本来は、体験主義と呼ぶべきと考えますが、ここでは、普及した経験主義という用語にしたがって説明します。

 

経験主義は、1原因と1結果モデルです。

 

経験主義は、IF THEN構文で書ける構造をもっています。

 

例えば、次のような構造を持っています。

 

P1: IF(薬を飲んだ)THEN(病気が治った)

 

がんは日本の国民病です。書店にいけば、がんの本を多数見かけます。

 

90%の本の内容は、P1のIIF THEN構文で書ける構造の経験主義に基づいています。

 

しかし、これは、科学的な誤りです。

 

考えられるデータには、次の4パターンがあります。

 

P1: IF(薬を飲んだ)THEN(病気が治った)

 

P2: IF(薬を飲まなかった)THEN(病気が治らなかった)

 

P3: IF(薬を飲んだ)THEN(病気が治らなかった)

 

P4: IF(薬を飲まなかった)THEN(病気が治った)

 

1原因と1結果モデルの因果を検討するためには、この4パターンのデータが必要です。(注1)

 

例えば、集めたデータの大半が、P4であれば、薬の効果は疑わしいと言えます。

 

この4パターンのデータをもとに考える検討方法は、エビデンス(根拠)ベース手法の一部です。

 

EBMエビデンスに基づく医学)の導入は、30年前から始まり、今世紀に入って普及しました。

 

医学は、最近になって、P1の経験主義の間違いから抜け出して、科学になりました。

 

EBMの推論は、検証した母集団に対してのみ有効です。

 

全ての推論は、母集団とセットで検討されます。

 

EBMは、統計的因果モデルの一部です。

 

EBMが普及しているように、医学では、統計的因果モデルは既に市民権を得ています。

 

一方、市販の健康本の90%は、EBMの基準でみれば、間違いです。

 

健康本は、ほぼカルト(ほぼカル)ですが、極端なものを除けば、病気の原因にはならないので、放置されています。

 

カルトの放置には、批判もあり、最近のテレビの宣伝では、「あくまでも、利用者の体験に基づく印象です」というコメントが付けられています。

 

しかし、このコメントは、EBMの基準では、効果が認められていませんということを意味しています。

 

テレビの宣伝に、「あくまでも、利用者の体験に基づく印象です」の代わりに、「統計学では、効果が認められていません」と表示すれば、その商品を購入する人はいなくなります。「あくまでも、利用者の体験に基づく印象です」というコメント付きの宣伝を許可するテレビ局には、モラル上の問題があります。

 

もっとも、利用者の体験に基づく印象を除外すれば、新聞記事の大半は、掲載できなくなります。

 

新聞やテレビでは、過去の成功事例が紹介されています。

 

これは、4つのパターンのうち、効果が確認されたP1だけを取り上げる方法です。

 

エビデンス(根拠)ベース手法で考えれば、統計学的に間違った推論になります。




注1:

 

4つのパターンの理解は、エビデンスベースの推論のスタートになります。

 

その理解には、公開教科書の「データ分析のための統計学入門 原著第4版」の「第1章データ分析への誘い(pp.8-41)」を推奨します。

 

著者は、「統計学で関心のある実際のデータを使って学ぶためには必ずしも数学の深い知識が必要というわけではない」こと、「実際のデータは複雑で、統計学も完全ではないが、統計的分析の強みと弱みを理解すれば、様々な世界を学ぶことに役立つ」という視点で、この教科書を書いています。

 

訳者の明治大学特任教授かつ東京大学大学名誉教授の国友直人氏は、本書を「日本で流布している多くの大学初級者向けの教科書よりもむしろ適切である」と感じて、アメリカの著者に許可を取り、日本語版を提供しています。

 

<< 引用文献

データ分析のための統計学入門 原著第4版

著者:David M. Diez, Mine Çetinkaya-Rundel, and Christopher D. Barr

訳者:国友直人・小暮厚之・吉田靖

 

http://www.kunitomo-lab.sakura.ne.jp/2021-3-3Open(S).pdf

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なお、4つパターンでは、力学(物理学)は検証できないことになります。

 

なぜなら、万有引力の働かない世界は観測されていないからです。

 

同様に、デカルトのコギトの推論も間違いになります。

 

万有引力法則は、4つのパターンではなく、重力の強さに基づいて検証されています。

 

一方、デカルトのコギトには、存在の強度パラメータがないので、物理学の方法は使えません。

 

3)エビデンスに基づく学習

 

教育では、予習と復習を推奨しています。

 

しかし、予習と復習が教育効果をあげるというエビデンスはありません。

 

教育の内容が、英単語を暗記するといった記憶の場合、記憶は、教材をみる回数が増えれば強化されます。

 

教育が、暗記である場合、予習と復習には、教育効果があります。

 

しかし、ビッグデータクラウドサービスが有効になった結果、記憶の価値は激減しています。

 

英単語を覚えられれば、その方が生産活動に有利です。

 

しかし、学習に割くことできる時間が100単位であった場合、何に(どの教科)時間を割くべきかは課題です。

 

アメリカのような英語ネーティブな学習者は、英語の学習にかける時間を節約できます。

 

日本人の場合、日本語(国語)と英語を学ぶ必要があります。

 

IT技術を学習する時間を削ってまで、語学を学習すべきでしょうか。

 

一方では、IT技術の最新情報は英語で書かれています。

 

この点で言えば、英語を学習せずに、IT技術を習得することは、困難です。

 

最も効率的な方法は、英語でIT技術を学ぶことですが、この教育方法がとられることは稀です。

 

中村紘子氏は、ショパン国際ピアノコンクールの2人目の日本人の入賞者として著名なピアニストでした。

 

中村紘子氏は、ジュリアード音楽院に進み、ロジーナ・レヴィーン氏に師事しました。

 

中村紘子氏の著書には、ロジーナ・レヴィーン氏から、ピアノのタッチからやり直すように指摘されたと書かれています。

 

ロジーナ・レヴィーン氏は、医師のように、ピアニストの問題点を指摘することができました。

 

ピアニストの経歴では、誰それ氏に師事したと書かれることが多いのですが、師事が、ピアニストの問題点を指摘することにあるのならば、師事した期間による差は小さいので、師事はスキルアップに大変重要なポイントになります。

 

ロジーナ・レヴィーン氏に師事する場合には、予習の効果はなかったと考えられます。

 

筆者は、医師の診察を受けるような師事がもっとも効率的な教育方法ではないかと考えています。

 

それ以外は、AI教師でも十分であると考えています。

 

予習と復習が教育効果をあげるというエビデンスはありません。

 

暗記以外の教育効果の計測が可能な方法に何があるのか、筆者にはよくわかりません。

 

デザイン思考で考えれば、すぐれた作品を作り出す能力の習得が学習の目標です。

 

すぐれた作品を作り出す能力は、作品を作る能力と作品を評価する能力に分かれます。

 

この2つの能力が共に優れている人は稀です。モーツアルトは、作曲をすれば、ほぼ、外れがなく、傑作になりました。一方、ベートーベンは、推敲を繰り返しています。普通の人の能力は、べートーベン未満なので、推して知るべしです。

 

AIが作成した写真や絵画は問題であるという人もいます。

 

カメラで撮影する写真は、連射モードにすれば、シャッターチャンスを逃すことがありません。

 

しかし、1秒間に60枚程度の連射ができるカメラもあります。数百枚の連射の写真の中から、ベストな1枚を抽出することは容易ではありません。

 

似たような写真を比較することは、「ウォーリーをさがせ!」と同じような脳の使用になり、かなりの疲労を伴います。

 

同様に、AIが作成した数百枚の画像の中から、ベストな1枚を抽出することも容易ではありません。

 

経験主義は、4つのパターンを無視しています。

 

人文科学と社会科学と工学の多くの分野は、4つのパターンを無視した経験主義のミームで構成されています。つまり、科学的に間違った内容を教育しています。

 

科学のミームで判断すれば、経験主義に基づくリベラルアーツの内容は間違い(ほぼカル)です。

 

現在の教育は、崩壊寸前で、経験主義のミームで、予習と復習を推奨して、お茶を濁しているように見えます。

 

最後に繰り返しますが、経験主義は、間違い(ほぼカル)ですが、代替手法のデータサイエンスが利用可能になったのは、今世紀に入ってからです。経験主義は、進化の過程で身につけた生存戦略です。データサイエンスが利用可能でなければ、現在でも、ベストな生存戦略であると思います。