農学栄えて、農業滅ぶ~集団思考の事例研究(2)

農学栄えて、農業滅ぶ

集団思考の事例として、科学論文を取り上げます。

20世紀の後半に、物理学が科学としての成功をおさめ、科学哲学は、物理学の方法論を詳細に分析します。戦後、方法論にその影響を受けていない科学はないでしょう。

現在では、物理学の方法論だけで、科学を進めることは困難であるとして、科学哲学も、方法論の多様化にハンドルを切っていますが、その影響は、限定的です。工学や農学などの実学では、戦後に入ってきた物理学を規範とする方法論を、それまでの経験科学とブレンドして使うようになります。そして、そこで、方法論が進歩しなくなります。これも、集団思考ですので、今回は、この問題を取り上げます。

経験科学で古くから、行われてきた手法は、まず、実態がどうなっているか、よく観察して、原因と結果を探す方法です。図1に、その概念を図化しています。

コロナウイルスでいえば、ウイルスに感染するのが、原因で、その結果、発熱し、重いときには死亡してしまいます。実は、ウイルスは肉眼でみえませんので、観察で、原因を確認できません。このためウイルスが、病気の原因であると認識されるようになったのは、100年くらい前にすぎません。

また、生活習慣病の場合には、原因Xは一つではありません。複数の原因の組み合わせがあります。

このような場合には、観察によって調べるという経験科学の方法は破綻します。

しかし、今回、問題にしたいのは、その点ではないので、仮に、ウイルスが、ミカンくらいの大きさで、感染しているのが目で確認できるとします。

そうすると、ミカン型のウイルスに感染した結果、発病したといす症例集や、実際にミカン型ウイルスを感染させた場合と、感染させなかった場合の比較実験を行い、ミカン型ウイルスが病気の原因であったという論文が、採択されます。

問題は、その先です。ウイルスに感染して、発病するという論文がいくら出ても、発病を回避できません。手を洗うことで、リスク軽減はできますが、それだけでは、いつか、感染してしまいます。

コロナウイルスでは、ワクチンの接種が行われています。今回は、時間がないので、ずいぶん少数ではありますがRCT(ランダム化試験)が行われ、ワクチンの有効性が確認されました。

ワクチンは人間の命にかかわるものなので、お金に糸目をつけず、RCTを行います。しかし、実際にそこまで、お金と時間をかけられる場合は少なく、RCTに持ち込める場合は仮説全体の10%未満です。

特に、実験室で実験ができない場合には、RCTはほぼ不可能です。

図1の下には、狼と植生の例をあげています。

狼がいないところでは、鹿が増えて、植生が破壊されます。鹿が増えたこと、植生が破壊されていることは、観測可能なので、調べれば論文が出来上がります。

しかし、この法則(原因:鹿の増加、結果:植生の破壊)には、実用価値はありません。

狼が、いなくなったのが原因であれば、狼を戻せばよいかもしれません。しかし、日本には、狼はいませんので、フィールドで、狼がいる状態を測定できません。

植生の破壊を回復するために有益な知識は、狼の導入効果です。鹿が植生を食べることは、対策には使えません。

ここで、学会に属して、植生の破壊の研究をした場合を考えます。物理学的な帰納が正しい方法論であると、学会員が信じていた場合、「狼をいれたらいいですよ」というと、思い付きで、実証されていないとして、却下されます。なにしろ学会員は、科学的に被害実態と被害の原因をしらべ、それを論文にしている人たちです。科学的でない思いつきは却下すべきと思っています。

こうして対策としては、役にたたない帰納的な被害実態が論文になり、学会員が皆、この帰納法が科学的であると信じるようになり、「集団思考」が形成されます。

ここまでくれば、「農学栄えて、農業滅ぶわけ」です。

ITや情報科学の場合、毎年のように新たなXが出現します。このため経験則には価値はなく、使えそうな仮説、つまり、ビジョンに価値があることになります。例えば、Google Photoの画像識別は対象が何かをよく識別します。しかし、これが、成功するためには、ディープラーニングの理論の進展、Google Photoが収集した学習のための膨大なラベル付き画像、GPUの進歩などが必要です。同じことを5年前に行っていても、成功しなかったと思われます。ですから、ITでは、ビジョンを作って、チャレンジを繰り返すことになります。

工学や農学で、ビジョンに価値があるという意見に賛同が得られるのは、建築学会だけと思われます。経験則を深化させた帰納法こそが科学であると思い込むと、役に立たない、学問になります。

ただし、どの学会も「集団思考」に陥っているわけではありません。アメリカの場合、狼が絶滅したイエローストーン公園に、狼を再導入して、植生の回復に成功しています。この場合も、RCTができたわけではなく、狼を導入するというアイデアを実行しています。実態把握論文より、アイデアを優先したわけです。なお、思いつきやアイデアが論文にならないのは、日本の場合で、アメリカやカナダでは、よい思いつきは、論文として採択されています。

 

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図1 帰納的モデル化



 

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