アベノミクスの総括(12)

13)バカの壁とメンタルモデル

 

13-1)数値とバカの壁

 

以前の筆者のIMDの世界競争力ランキングの説明を再度掲載します。

 

豊かさの基準とされる国民一人当たりの国内総生産GDP)は、IMFのデータでは、2021年は27位です。

 

スイスのビジネススクール国際経営開発研究所(IMD)の世界競争力ランキング2024では、日本は38位です。

 

スイスの国際経営開発研究所(IMD)の世界デジタル競争力ランキング2023では、日本は32位です。

 

世界競争力ランキング、世界デジタル競争力ランキングと国民一人当たりの国内総生産GDP)の順位は、ほぼ対応しています。

 

これは、世界競争力ランキングと世界デジタル競争力ランキングが生産性を示す指標だからです。

 

金融緩和では、世界競争力ランキングと世界デジタル競争力ランキングは上がりません。

 

パール教授は、「因果推論の科学」で、言葉がなければ、考えられないといいます。

 

推論をするためには、言葉が必須の条件であるといいます。

 

「競争力」と「デジタル競争力」という単語があります。

 

IMDは、「競争力」と「デジタル競争力」の単語に対して、数値を割り振って、ランキングをつけています。

 

この数値化の客観性については、唯一の正しい方法論はなく、試行錯誤と統計的な特性を考慮して採点しています。例えば、採点をした後で、順位をチェックして、明らかにおかしな逆転が生じていないかを点検します。

 

「競争力」と「デジタル競争力」という単語をつくるだけでは、「言葉がなければ、考えられない」というレベルに留まります。「競争力」と「デジタル競争力」を点数化することで、初めて、「競争力」と「デジタル競争力」を推論の対象にすることができます。

 

「競争力」と「デジタル競争力」という単語をつくるだけでは、形而上学になってしまいます。

 

プラグマティズムは、実験科学以外を、科学にするための公準です。

 

形而上学になってしまえば、メンタルモデルの共有ができず、コミュニケーションと議論は成り立ちません。

 

数値化されない「競争力」と「デジタル競争力」は、「言葉がない」状態と言えます。

 

これは、「競争力」と「デジタル競争力」は変数(オブジェクト、問い)であり、変数には値(インスタンス、答え)をあてはめることに対応します。

 

コンピュータ科学で、変数を使ったプログラムをつくっても、変数に値を代入しなければ、プログラムは、形而上学になって、リアルワールドとは関係がなく、何の役に立ちません。

 

パール教授は、「因果推論の科学」で、言葉がなければ、考えられないといいます。

 

この場合の言葉とは、数式の中の変数名と値を指しています。

 

数式に変数名を設定する場合には、値があることが前提ですので、パール教授は、あえて、値が必要とは言っていませんが、変数に値があることは、暗黙の了解です。

 

変数名に値が入れられない場合には、「言葉がない」ので考えられないバカの壁が存在します。

 

メンタルモデルの共有があれば、バカの壁を回避することができます。

 

そのためには、値(インスタンス)のある言葉が必要になります。

 

13-2)テクノリバタリアン

 

橘玲氏は、「テクノリバタリアン」(p.37)に、次のように書いています。

 

原理主義者が頑ななまでに己の信ずる価値にこだわる一方で、功利主義者には、生命の重さを計量するような冷徹さがつきまとう。治療の優先順位を決めるトリアージでは、子どもや若者が優先され、高齢者や持病がある患者が後回しになるのは当然とされる。(注13)

 こうした冷たさを拒否するには、なんらかの「原理」から善悪を判断するほかない。

 

注13:新型コロナの感染が広がり病院の機能が限界に達したとき、これは、現実の問題になった。オランダやスウェーデンは厳格なトリアージを実施し、高齢者に対しては「感染しても治療は受けられない」と通達した。一方、すべての患者を受け入れようとしたイタリアやスペインの病院では医療崩壊を起こし、多数の死者を出すことになった。

 

トリアージとは、災害発生時などに多数の傷病者が発生した場合に、傷病の緊急度や重症度に応じて治療優先度を決めることです。

 

ここでの変数名は、「治療優先度」であり、通常は、1から4の整数が割り当てられます。

 

「治療優先度」という言葉(変数名)に、1から4の値をわりふることで、「治療優先度」という言葉が意味を持ちます。

 

「治療優先度」と同じように、「予算の配分優先度」を考えることができます。

 

「治療優先度」は、生命の重さを計量しています。

 

同様に、生命の重さを計量して、「予算の配分優先度」を設定することができます。

 

「予算の配分優先度」にしたがって、予算配分が行われていれば、経済価値の高い若年層に重点的な予算配分が行われ、高齢者は後回しになり、少子化の進展は少なくなったはずです。

 

ハーバード大学のジョン・グラハム教授は、<限られた予算で最大限の人命を救い、最大限の環境保護を達成する健全な科学がなければ、「統計的殺人 Statistical murder」に従事していることになる>と述べています。

 

日本政府が、「予算の配分優先度」を計算しなかった結果、「統計的殺人」が生じた(少子化をひき起こした)と考えることができます。

 

橘玲氏は、「功利主義者には、生命の重さを計量するような冷徹さがつきまとう」と言いますが、これは、原理主義の発想です。

 

トリアージでは、救急治療に限定した「生命の重さ」に「治療優先度」という変数名を割り当て、その値を計算しています。救急治療の局面では、「生命の重さ」が数値化されています。

 

トリアージの「治療優先度」は、救急治療の局面で、「生命の重さ」に言葉を与えるプロセスです。

 

このプロセスがなければ、「生命の重さ」には、言葉としての機能がありません。

 

プラグマティズム公準で見れば、原理主義は、形而上学で、功利主義は科学の方法になります。

 

形而上学は、リアルワールドとは独立しています(リアルワールドに合わせてチューニングされていない)ので、形而上学をつかってリアルワールドに介入するとトラブルを引き起こします。

 

「新型コロナの感染で、イタリアやスペインの病院では医療崩壊を起こし、多数の死者が出た」理由は、ここにあります。

 

アングロサクソン系の哲学は経験主義(可謬主義、科学の方法)です。言葉による推論は、リアルワールドの操作を思考実験するためのツールです。オブジェクトとインスタンスの関係が問題になります。

 

ラテン系の哲学は、形而上学(無謬主義)です。これは、宗教の権威の方法が強いためと思われます。形而上学は、科学の方法とは対立します。

 

橘玲氏は、「テクノリバタリアン」(p.260)に、次のように書いています。

日本では、ヨーロッパ哲学やフランス現代思想ポストモダン)については数えきれないほどの本が出ているが、リバタリアニズムは無視されるか、アメリカに特有の奇妙な信念(トランプ支持者の陰謀論)として切り捨てられている。

 

プラグマティズムは、実験科学以外を、科学にするための公準です。

 

橘玲氏は、「リバタリアニズムの無視」が問題であると主張しますが、筆者には、日本には、プラグマティズム(科学の方法)に対するメンタルモデルの共有の欠如があるように見えます。

 

13-3)金融政策のバカの壁

 

植野大作氏は、金利と為替の変動について次のように述べています。

日銀総裁は首相が主催する経済財政諮問会議のメンバーであり、金利や為替や株価が不安定化すると、衆議院参議院の委員会、あるいは国会閉会中審査や官邸でのランチなどに呼ばれて金融政策との因果関係や今後の対応について説明を求められるので、政府や国会の意向が日銀の政策判断に全く影響しないとは言い切れない。

 

このうち、金利や為替の変動については、日本経済にプラス・マイナス両方の影響が及ぶので永田町でも霞が関でも産業界でも、低金利派と利上げ派、円高派と円安派の論客が分かれており、日銀が現在進めている金融緩和の修正に対する姿勢にも温度差がある。

<< 引用文献

コラム:日米選挙「秋の陣」、ドル円相場はどう動く=植野大作氏 2024/10/16 ロイター

https://jp.reuters.com/opinion/forex-forum/7K47BFQEORO7NEJ3MDUPWKZBDM-2024-10-15/

>>

 

永田町・霞が関・産業界の論客と経済財政諮問会議のメンバー(以下、論客とメンバーを合わせて、メンバーと略します)は、どのようなメンタルモデルで、金利や為替の変動を議論しているのでしょうか。

 

植野大作氏は、「円高派と円安派の論客が分かれ」ていると言いますので、ここには、メンバーには、メンタルモデルの共有はありません。科学の方法が使われていないことがわかります。科学の方法が使われている場合には、前向き調査研究が行われ、データが得られた時点で、円高派と円安派の白黒がつきます。対立する仮説の白黒がつかないことは、科学の方法が用いられていないことを示しています。筆者は、形而上学の議論が行われていると推定しています。

 

唐鎌大輔氏 は、「デフレ」という単語についてメンタルモデルの共有ができていないといいます。

 石破茂首相は自民党総裁選後の会見で「デフレからの完全脱却は首相就任後3年間で達成する」と述べたが、この発言に違和感を覚えた向きが多かったようだ。総選挙を控える状況で石破新政権への評価を下すのは尚早である。ただ、デフレ脱却を声高に叫ばれると、「それは違う」と感じるのが世論の大半だということも理解できる。

 

というのも、国民が望むのは「デフレ脱却」ではなく恐らく「インフレ脱却」の方が近いからだ。政界全体で物価高対策が争点化し、実質賃金のプラス転化とその定着が希求される状況を踏まえれば、今の日本経済の足かせとなっているのは「上がる物価(インフレ)」であって「上がらない物価(デフレ)」ではない。

 

では、「上がる物価(インフレ)」が問題視される現状を踏まえ政府がデフレ脱却宣言に踏み切れば良いのだろうか。それも簡単ではない。脱却宣言を受けた世論は恐らく「生活は苦しいままだ」と政権への反意を強める可能性がある。だからこそ岸田政権もデフレ脱却宣言への期待が一時期浮上しながらも、遂にそこへ至ることは無かった。デフレは、そこからの脱却を目標化することも、そこからの脱却を宣言することも世論が違和感を覚えるという難しい状況にある。

 

なぜ、このような状況になっているのか。ひとえに「デフレの定義」が曖昧なまま放置されているからだろう。何となく景気が冴えない状況を総称してデフレという言葉に集約しているため、あらゆる経済主体にとって使い勝手の良い言葉になりがちなのである。しかし、「デフレの定義」は経済主体にとって異なるように感じる。

<< 引用文献

コラム:曖昧すぎるデフレの定義、国民が望むは「インフレ脱却」=唐鎌大輔氏 2024/10/16 ロイター

https://jp.reuters.com/opinion/forex-forum/MHG5L7AUUFOFHA5HPLDKUODSFM-2024-10-15/

>>

 

メンタルモデルの共有を確認して、議論を進めるというプロセスが確立している科学の方法では、このようなことは起きません。ここには、科学の方法とコミュニケーションの無視があります。

 

たとえば、力や、重力の定義があいまいで、用語を再定義しないと物理学者が議論ができない状況はあり得ません。

 

世界競争力ランキング、世界デジタル競争力ランキングと国民一人当たりの国内総生産GDP)の順位は、ほぼ対応しています。

 

これは、教育の水準が、国民一人当たりの国内総生産GDP)や経済成長の原因になるという事実を示しています。

 

金融緩和で、世界競争力ランキング、世界デジタル競争力ランキングが変化するとは思えません。

 

金融政策が、経済成長を議論するのであれば、競争力や技術力を検討に含める必要があります。

 

金融政策が、経済成長を議論するのであれば、技術教育を検討に含める必要があります。

 

この検討で、競争力、技術力、技術教育という言葉(オブジェクト、変数名)が機能するためには、対応する値(インスタンス)が必要です。

 

これがないと、議論は形而上学になり、空回りします。

 

プラグマティズムの科学の方法の公準は、形而上学を拒否します。

 

値のない言葉(変数名)は、言葉になっていないので、議論の対象になりません。

 

岸田前首相は、リスキリング(技術教育)が重要であると主張して、予算措置をしました。

 

リスキリングが、形而上学ではない場合、リスキリングという単語には、値(インスタンス、リスキリング値)が対応します。

 

リスキリングの予算措置に効果があれば、リスキリング値が、予算措置の前後で変化するはずです。

 

実際には、リスキリングに、値は付与されていないので、リスキリングの議論は、空回り(形而上学)になります。予算措置の効果は計測されていません。

 

日本では、競争力、技術力、技術教育という言葉は、値を持ちません。形而上学になっています。

 

こうした値を議論する場合には、PISAUMDの外部評価を使っています。

 

しかし、PISAUMDでは、個人のDX教育の効果の数値化ができません。

 

日本人の個人のDX能力に関する数値データはありません。

 

アングロサクソン系の哲学は経験主義(可謬主義、科学の方法)です。言葉による推論は、リアルワールドの操作を思考実験するためのツールです。オブジェクトとインスタンスの関係が問題になります。

 

したがって、個人のDX能力に関する数値データを持っています。

 

DX教育が期待された成果をあげているか、否かが評価されています。

 

こうしたデータがあるので、ジョブ型雇用で、賃金差がついても、その評価を受け入れるメンタルモデルが共有されます。

 

入学試験では、能力は点数化されます。以前、私立の医学部で、女性の受験生と男性の受験生の足切り点に差をつけているという不正が見つかりました。

 

こうした不正は、点数化してあるために、発覚します。

 

点数化する入学試験の問題は、暗記とパターンマッチングが多いので、生成AIも高いスコアを出すことができます。試験問題には改善の余地があります。だからといって、点数化をやめれば、入学試験の不正はみつからず、入学試験は利権の交渉の場になってしまいます。

 

トリアージの「治療優先度」の数値化をやめれば、「治療優先度」は、金銭で売買されるようになります。もちろん、これでは、統計的殺人になりますので、大病院では、謝金を受け取らないルールになっています。

 

政策の効果が計測されていないことが、利権の政治を実現しています。

 

金融政策には、技術を無視するバカの壁があります。

 

その原因は、点数化された値をもつ技術、技術教育といった言葉が存在しないことにあります。

 

言葉がないので、考えられない状態にあります。

 

圧倒的に優位な技術のある企業であれば、資金調達は、難しくありません。

 

金融緩和の有無は、技術のある企業の経営には、ほとんど影響しません。

 

一方、金融緩和は、資金調達が難しいゾンビ企業を助けます。

 

つまり、技術の視点(メンタルモデル)で考えれば、金融緩和は、ゾンビ企業を延命させ、労働生産性(賃金)の向上を阻止するはずです。

 

アベノミクスの金融緩和がなければ、ゾンビ企業は、ベンチャー企業に置きかわり、労働生産性があがり、賃金が上がっていたことになります。

 

議論は、どのメンタルモデルを使って検討されているかを考えると、バカの壁を見つけることができます。