アベノミクスの総括(2)

3)メンタルモデルの補足

 

メンタルモデルでは、コミュニケーションの基本となる重要な概念ですが、日本では、まったく、理解されていません。

 

山本謙三氏の分析を例に説明します。

 

3-1)イデオロギーの時代

 

経済学は最初、イデオロギーでした。

 

マルクス経済学者の美濃部寅吉氏は、レーニンの影響をうけたフランツ・ファノンの橋の哲学に影響をされて、反対者が1人でもいれば、橋の公共工事をしないという弱者救済の論理を打ち出します。これは、多数決原理の否定であり、客観的なブリーフの固定化法を放棄することになりますが、政治的には、支持者が多く、美濃部氏は、東京都知事に当選します。

 

多数決原理の選挙で選ばれた都知事が、多数決原理によるブリーフの固定化法を否定するので、橋の哲学は、自己矛盾ですが、選挙に選ばれれば、弱者救済を錦の御旗にして、実態は、多数決原理を無視して利権を自由にコントロールできるシステムがここに出来上がります。

 

美濃部氏の橋の哲学(弱者救済の論理)は、田中角栄氏によって、国政に移植されます。

 

弱者救済の論理は、建前の目的であって、本音の論理は、利権の確保にあります。

 

田中角栄氏の時代には、政治とは利権の衝突であるというメンタルモデルが、出来あがります。ここでは、経済学は、政治(学)のしもべに過ぎません。

 

3-2)近代経済学の時代

 

サムエルソン氏は、経済学に数学(微分方程式)を持ち込みました。

 

しかし、コンピュータ、特に、パソコンが普及するまでは、計算科学によって、微分方程式の数値解を求めることは困難でした。

 

そこで、経済学の教科書では、グラフを使った定性的な説明が行なわれます。

 

サムエルソン氏は、グラフを使った定性的な説明を、経済学の教科書に持ち込みました。

 

2024年現在でも、グラフを使った定性的な説明による経済学の教科書が主流になっています。

 

しかし、経済学以外の微分方程式を使った分野では、グラフを使った定性的な説明は行なわれません。例えば、物理学と金融工学の教科書は、微分方程式の数値解が求められることを前提に書かれています。

 

グラフを使った定性的な説明には決定的な弱点があります。

 

微分方程式の数値解を使った説明では、微分方程式のモデルが、リアルワールドのモデルとして、どこまで有効であり、近似解としては、どこに問題があるかが検討されます。

 

グラフを使った定性的な説明では、この点は理解できません。

 

経済学の教科書に出て来る理論(モデル)は、リアルワールドに、ほどほどにしか適合しないのですが、このほどほどのレベルが理解できません。

 

1990年のソ連の崩壊ころまでは、日本の経済学は、イデオロギーマルクス経済学と、微分方程式の解法をグラフで説明する近代経済学に分かれていました。

 

グラフの説明では、議論は定性にとどまり、明確な数値を出すことができません。

 

このため、経済学は、政治学のしもべでも、止むを得ないという認識(メンタルモデル)が広がりました。

 

3-3)計算科学とデータサイエンスの時代

 

経済学が、目的達成のために明確な数字を吐き出すことができれば、政治学は、経済学のしもべになります。

 

1990年代に入って、計算科学を使った経済学が実用化します。

 

1990年代には、地球温暖化問題が国際政治の表舞台に登場します。

 

これが可能になった背景には、計算科学による温暖化のシミュレーションが可能になったことが原因にあります。

 

とはいえ、1990年頃には、シミュレーションに使える良いデータはありませんでした。

 

地球温暖化問題に膨大な公共投資が行われ、データの問題が改善していきます。

 

パソコンとインターネットの普及がデータ問題の解決を促進するとともに、計算科学が普及します。

 

データが増え、インターネット経由でのデータ入手と分析が個人でも可能になりました。

 

統計学が劇的に進化して、データサイエンスが生まれ、その先に、因果推論の科学が起こっています。

 

これらの科学の発展は、頻繁なメンタルモデルのバージョンアップを起こしています。

 

1980年代のAIは、If-Thenルールに基づいていましたが、現在のAIでは、確率を使ったベイジアンネットワークが基礎です。

 

現在のAIの世界で、If-Thenルールを持ち出しても、誰も相手にしてくれません。

 

これは、AIの世界では、メンタルモデルの共有ができ、議論が可能になっていること、メンタルモデルがバージョンアップしていることを示しています。



3-4)経済学のメンタルモデルの整理

 

経済学の世界を筆者なりに整理すれば、経済学には、次のメンタルモデルがあります。

 

M1)経済学は、イデオロギーである、経済学は、政治学のしもべであるというメンタルモデルです。

 

M2)経済学は、微分方程式を定性的に扱うというメンタルモデルです。政治学は、幾つかの場合では、経済学の分析結果にしたがうべきであるが、経済学が数値評価のできない多くの分野では、経済学は、政治学のしもべであるというメンタルモデルです。

 

M3)計算経済学のメンタルモデルです。経済学が費用対便益分析で、政策評価ができる場合には、経済学(経済モデル)は、政治学より優先すると考えます。

 

地球温暖化の計算科学の計算結果は、国際政治の外交取引の影響を受けません。つまり、地球温暖化の計算科学は、政治学より優先しています。

 

同様に、経済学(経済モデル)は、政治学より優先すると考えます。

 

計算科学のメンタルモデルは、反事実を扱います。

 

これは、経済政策は、実施する前から、政策評価が可能であることを意味しています。

 

計算経済学のメンタルモデルのルーツは、マクナマラ氏とデミング氏にあります。

 

M4)データサイエンスのメンタルモデルです。

 

評価関数が設定できれば、その先の問題は、データサイエンスの数学の問題に置き換えることができます。政治学の出番は、評価関数の設定になります。

 

M5)因果推論のメンタルモデル

 

因果推論の科学のメンタルモデルでは、前向き研究によって、検証されます。まったく新しい反事実のメンタルモデルは、実施する前から、政策評価が可能ではありません。

 

一方、既に作成した因果推論モデルを、トランスポータビィリティによって、移設して使う場合には、実施する前から、政策評価が可能です。

 

3-5)メンタルモデルの生態学

 

メンタルモデルの基本は、バージョンアップに伴うパラダイムの入れ替えです。

 

70年前、経済学の主流はイデオロギーでした。しかし、イデオロギー形而上学、哲学)は、実現可能性について何も言いません。イデオロギーの経済学では、経済学は、配分の経済学(中抜き経済学)になります。シュンペーターは、技術革新による経済成長をとりあげましたが、その時代には、コンピュータがなく、経済モデルがなかったので、経済のモデルに経済成長を組みこむことはできませんでした。つまり、経済学は、政治学のしもべでした。

 

2024年現在、株式市場のトレードは理論にもとづく、ボットが行なっています。

 

政治判断で、株式投資をする証券会社があっても、その会社は、直ぐにつぶれて、なくなっているはずです。

 

株式市場という生息域では、イデオロギーのメンタルモデル(M1)は、データサイエンスのメンタルモデル(M4)に置き換わっています。

 

筆者は、2024年現在の日本の政治テーマの中には、株式市場のトレードと同じように、理論にもとづく、ボットが行なった方が効率的なものが多いと考えます。

 

日本株式会社は、科学的な理論に基づく、ボットによる政策実行を行なわないため、経営が傾いていると推定できます。

 

データがない場合には、データサイエンスのメンタルモデルは使えませんので、他のメンタルモデルが利用されます。

 

最適なメンタルモデルが、生息域ごとに決まっていれば、テーマ(生息域)を設定すれば、メンタルモデルの選択と共有ができ、議論が可能になります。



コミュニケーションと議論ができるためには、テーマごとに、メンタルモデルの共有ができている必要があります。

 

3-6)メンタルモデルの共有ができない事例

 

山本謙三氏は、次のようにいいます。

現在の日銀の主張を一貫した論理の中で理解することは、ほぼ不可能である。

<< 引用文献

「異次元緩和は机上の空論だった」それでも日銀が"失敗"を認めない本当の理由 2021/08/30 President 山本謙三

https://president.jp/articles/-/49291

>>

 

この場合のテーマは、日銀の金融政策(異次元緩和)です。

 

山本謙三氏は、恐らく、「M2)経済学は、微分方程式を定性的に扱うというメンタルモデル」を使っています。このモデルは、計算科学ではないので、実証分析として、過去のデータの分析をします。この時代の経済学の研究手法では、交絡因子の補正は行ないません。この時代の経済学の研究手法では、交絡因子の影響が特に強いデータは異常値(アノマリー)として、解析対象から排除しますが、交絡因子を補正するツールを持っていません。

 

山本謙三氏の指摘を、日銀は無視しています。

 

筆者は、2021年の日銀のメンタルモデルは、「M1)経済学はイデオロギーで、経済学は、政治学のしもべであるというメンタルモデル」であると考えます。

 

アベノミクスは、政治主導(経済学は、政治学のしもべであるというメンタルモデル)で出来ています。

 

安倍晋三氏は2012年末、アベノミクスなる経済政策を提唱したとき、「輪転機をぐるぐる回して、日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう」と発言しています。

 

2022年5月9日に、安倍晋三氏は、大分市の会合で「(政府の)1000兆円の借金の半分は日銀に(国債を)買ってもらっている。日銀は政府の子会社なので60年で(返済の)満期が来たら、返さないで借り換えて構わない。心配する必要はない」と語りました。(時事通信2022年5月10日)

 

この2つ(M1,M2)のメンタルモデルは、階層が異なります。この2つのメンタルモデルの間ではメンタルモデルの共有ができません。バカの壁があります。

 

山本謙三氏がどれだけ、「M2」のメンタルモデルで正論をいっても、日銀の「M1」のメンタルモデルの間には、バカの壁があり、意思疎通ができません。

 

ガリレオ裁判の時には、地動説と天動説の間では、メンタルモデルの共有ができませんでした。教会は、宗教の権威の方法のメンタルモデルが、ブリーフの固定化法の根拠として十分であると考えていました。ガリレオは科学としての天文学は、実験と観察データを根拠とした科学の方法のメンタルモデルを根拠とする必要があると考えていました。2者の間では、メンタルモデルの共有が成り立ちませんので、相互理解が不可能なバカの壁がありました。

 

山本謙三氏は、「日銀の主張を一貫した論理の中で理解することは、ほぼ不可能」といいます。しかし、一方では、リフレ派と呼ばれる経済学者は、アベノミクスを支持しています。

 

経済学が、イデオロギーではなく、科学であるならば、メンタルモデルの共有ができているはずです。科学では、データが不足して、どの仮説が正しいかの判断が保留されるケースがあります。しかし、実験や調査でデータが追加されれば、かならず、どの仮説が正しいかの判断ができるという信念がなければ、科学は成立しません。

 

ここでは、データは前向き研究で収集する必要があります。

 

経済データには、前向き研究で収集されたデータが少ないことが、問題の所在を明らかにしています。

 

アメリカのFRBの場合には、「FRBは何をすべきか。FRBの金融政策は、経済学のどのような手法で評価されるべきか」というメンタルモデルの共有ができています。

 

10月4日のお酒を片手に、「政治とカネ」「政権交代」「新総理の資質」などのテーマで激論を交わす討論バラエティー番組ABEMA「酔うまで生テレビ」で、早大政経学部出身の橋下氏は、「日本の経済学部出身のやつが、(中略)海外の経済学部出身のドクターやら何やらと議論とか絶対できないもん。今の日本の学部」とも打ち明けています。

<< 引用文献

橋下徹氏 日本の大学に“いらない”と思う学部ぶっちゃけ「海外と議論とか絶対できない」 自身の出身は…  2024/10/05 スポニチ

https://news.yahoo.co.jp/articles/abb8df96929c33451fa0cc4ec321cf4b57e66afd

>>

 

この番組は、「お酒を片手」がコンセプトなので、あまり、真剣な議論ではありませんが、欧米の大学教育の目的は、専門の内容についてコミュニケーションのできるメンタルモデルの共有にあります。

 

海外の経済学部出身であれば、議論をする前提のメンタルモデルが理解できているはずです。

 

それが出来なければ、卒業できないはずです。

 

3-7)リスキリングの問題点

 

政府は、リスキリングすれば、産業構造がかわるという主張をしていますが、メンタルモデルで考えれば、リスキリングには効果がないことがわかります。

 

産業構造が変わるためには、そのためのメンタルモデルの共有が不可欠です。

 

産業構造が変わる場合、タクシーはライドシェアになり、自動運転になります。

 

その変化は、ライドシェア向けのマーケット、自動運転向けのマーケットといった異なるメンタルモデルが共有される生息域のサイズによります。

 

自動運転向けの生息域が拡大して、自動運転で収入が得られるのが当然であるというメンタルモデルが形成されなければ、人は、自動運転の技術をリスキリングしても、食べていけないと考えます。

 

米国の都市部ではライドシェアのドライバーの間でテスラ車には同社の高度な運転支援システム「フルセルフドライビングFSD」の利用が急速に広がっています。

 

FSDは完全自動運転ではなく、ドライバーの監視が必要なレベルで、ウェイモやクルーズのソフトウエアは完全自動運転よりは、下のレベルですが、利用が拡大しています。

 

マスク氏は、テスラの顧客が所有する車で、利用されていない時間帯にロボタクシーサービスを提供するという構想を持っています。

<< 引用文献

アングル:テスラ運転支援技術、規制すり抜けライドシェアで急拡大 安全懸念も 2024/10/05 ロイター Akash Sriram, Abhirup Roy

https://jp.reuters.com/economy/industry/XUUD2MKHVZICVFCRABPRMP4MTY-2024-10-04/

>>

 

日本には、アメリカのようなメンタルモデルはありません。

 

政府は、「M1)経済学はイデオロギーで、経済学は、政治学のしもべであるというメンタルモデル」で、政策を行っています。政府が、「M2)」の経済成長を優先して、労働生産性の向上をめざす経済合理性に基づいた政策をしていれば、2024年現在では、ライドシェアは、オープンになり、自動運転も部分的に実用化されているはずです。なぜなら、ライドシェアと自動運転は、労働生産性をあげて、経済成長を促し、賃金をあげる政策になるからです。

 

つまり、政府は、ライドシェアについては、「M1」のメンタルモデルで、政府は経済成長よりも、既得利権の維持を優先しているというメッセージを発しています。

 

こうした場合、日本国内には、リスキリングをしても所得を上げられる労働市場はありません。つまり、合理的な選択は、国内には、高度人材の市場がないので、リスキリングをしなか、リスキリングして、海外の労働市場で収入を得ることになります。

 

技術革新が実現するはずであるというメンタルモデルの共有ができなければ、変化はおきません。