10)メンタルモデルと反事実
10ー1)バカの壁と反事実
野口悠紀雄氏は、有権者は、経済合理性のない利権優先の政策をする政治家に投票すべきでないと考えています。利権のある政治家に投票することで、利益を得られる利害関係者もいますが、その数は、少数であり、利害関係者でない人が経済合理性のある政治家を選択することは可能であると考えています。ただし、野党も含めて経済合理性のある政策提案をする政治家は、少数である点に問題があります。
しかし、経済合理性のある政策提案をする政治家が少ない理由は、有権者が経済合理性のある政策を希望していないからであるとも言えます。政治家にとっては、選挙で勝つことが最優先事項なので、経済合理性のある政策を掲げて、当選するようになれば、政治家は変わると思います。
以上のような推論は、現状の延長にはありませんので、ベーコン流の帰納法では推論できません。
経済合理性のない利権の政治をする政治家が多いという事実があります。
経済合理性のある政策をする政治家が多いという想定は、反事実になります。
将来、経済合理性のある政策をする政治家が多いという想定は、厳密には、反事実ではありませんので、ここでは、弱い反事実と呼ぶことにします。この反語は、弱い事実になります。
以下、コンテクストで、将来の話題であることが明白な場合には、簡単に、弱い事実を「事実」、弱い反事実を「反事実」と簡略します。
ベーコン流の帰納法は、将来の事実を推論し、反事実は推論できないと言えます。
野口悠紀雄氏は、低金利政策を正常な金利政策に戻し、補助金中心の政策を産業構造のレジームシフト中心の政策にすべきであると考えています。
これは、反事実で、演繹推論ができるメンタルモデルがなければ、理解できません。つまり、ここには、バカの壁があり、メンタルモデルの共有を図らないと先に進みません。
10-2)市場原理のメンタルモデル
筆者は、エンジニアなので、経済学は、微分方程式のメンタルモデルで理解しています。
ここで、ある企業のAの数理モデルを作る場合を想定します。
企業が、生み出した付加価値のうち、どれぐらいが従業員の給与などとして支払われているかを労働分配率といいます。
あるコンサルタントは、経済産業省の「企業活動基本調査」や、中小企業庁の「中小企業白書」の事業規模別の数値を目安に決めるといいます。
これは、中抜き経済の論理です。
労働市場がある場合には、賃金が安いと他の企業への人材流出が起こり、企業活動ができなくなるので、賃金を上げます。
中抜き経済をプログラム化するには、労働分配率は外生変数で、計算条件の入力になります。
市場経済をプログラム化するには、労働分配率は内生変数で、繰り返し計算によって求めます。
繰り返し計算とは、初期値に仮の値において、計算を繰り返して、初期値を補正する方法です。
近代経済学の基本は、市場原理ですが、恐ろしいことに、この繰り返し計算が、普及した(「ゼロ世代の経済学」)のは、コンピュータが個人で使えるようになった今世紀に入ってからです。
第4のパラダイム分類の計算科学の出現は、前世紀ですが、経済学に本格的に計算科学が導入されたのは、今世紀に入ってからです。計算科学の圧倒的な成功は、理論科学(数式の変形)ではとけなかった問題の大半を繰り返し計算で解くことに成功した点にあります。
市場原理とは、計算科学では、需要曲線と供給曲線の2本の方程式を連立して解くことになります。曲線の曲がりを無視すれば、2つの式からなる連立方程式の解法により、賃金(労働分配率)が求まるイメージ(メンタルモデル)になります。
しかし、市場原理を、連立方程式の解法でイメージしている人は少ないのではないでしょうか。
つまり、皆はわかったようなふりをしている市場原理には、実際には、複数の異なったバージョンのメンタルモデルがあります。
このメンタルモデルのバージョンが違うと、コミュニケーションが成立しません。
「ー1世代の経済学」や「ー2世代の経済学」では、異なった市場原理のメンタルモデルが使われています。
「ー1世代の経済学」や「ー2世代の経済学」では、計算科学の繰り返し計算ができなかったため、市場原理の正確なイメージが描けず、市場原理と中抜き経済のメンタルモデルが混乱しています。
「ー2世代の経済学」のマルクスは、資本家は労働者を搾取していると考えていました。これは、中抜き経済のメンタルモデルです。
資本主義で、寡占市場が形成されると市場経済が崩壊して、中抜き経済だけになります。マルクスは、この状態を「資本家は労働者を搾取している」といいました。しかし、寡占市場が、正常な市場ではないので、市場原理では、排除すべき場合です。
寡占市場は、市場原理が機能しない中抜き経済になります。
中世の封建主義経済も、中抜き経済です。
株式市場で、資金調達するシステムが、資本主義です。資本主義は、市場経済を前提にしています。
労働市場があれば、「資本家が労働者を搾取しよう」とすれば、労働者は逃げ出します。
2022年以降、日本から高度人材が海外に流出しています。これは、「日本企業が高度人材を搾取しよう」とした結果、高度人材が逃げ出した例です。
つまり、マルクスが、「資本家は労働者を搾取している」といった経済システムは、労働市場のある資本主義ではなく、労働市場がない封建主義(あるいは寡占市場)の中抜き経済です。
「資本家が労働者を搾取している」のが「強欲資本主義」と考えられています。しかし、「資本家が労働者を搾取している」のは「強欲封建主義」であって、資本主義ではありません。
筆者は、このように分類する人を見たことはありませんが、計算科学のメンタルモデルでは、この分類になります。マルクスの時代には、コンピュータがありませんでしたので、マルクスが混乱するのは無理もありません。
計算科学の視点でみれば、連立方程式をつかって、資本論を書きなおせば、数十分の一の厚さになるはずですが、それが出来ないのは、数学のできる研究者がいないか、資本論に数学的な間違いがあるかのどちらかと思われます。それ以前に、資本論には、イデオロギーしか含まれていない(形而上学)の場合には、実装不可能なので、検討対象外になります。
「ー1世代の経済学」では、経済統計データの整備が進みました。数字で議論ができるようになりました。しかし、計算は手計算なので、繰り返し計算ができません。その結果、グラフを使った図式解法が広まりました。
計算科学で、市場原理を使って解く場合、労働分配率も賃金も、内生変数です。内生変数は、直接の操作は出来ません。内生変数を問題にする場合には、評価関数に内生変数を設定して、外生変数を変化させて、内生変数が目的とする範囲におさまるように調整します。
これが、筆者の市場原理のメンタルモデルです。
繰り返し計算が難しい図式解法では、内生変数と外生変数の区別が曖昧になります。
室内の温度が、評価関数(内生変数)であれば、エアコンの出力を調整します。
因果モデルで書けば次になります。
エアコンの出力(設定温度、原因)=>室内温度(結果)<=外気温(交絡因子)
この計算科学のメンタルモデルでみれば、春闘は、内生変数を直接変更するので、正気の沙汰ではありません。マルクスと同じように、日本が、封建主義の中抜き経済であるというメンタルモデルであれば、なぜ、春闘をするかは理解できます。しかし、そこには、市場原理はありません。
春闘は、エアコンの設定温度ではなく、中抜き経済によって、室内の温度計のメモリを強制的に変える方法です。そこには、市場原理がありませんので、賃金の変動が、下請けに伝播するメカニズムはありません。春闘は、市場原理を破壊するので、経済が制御不可能になります。簡単に言えば、エアコンの自動調整機能をこわす行為になります。
マルクスは、「資本家が労働者を搾取している」のは「強欲封建主義(寡占市場)」といいました。マルクスが、市場原理をどこまで理解していたかは不明ですが、連立方程式をイメージしていたとは思われません。ともかく、マルクスが、市場原理を否定していて、市場原理は間違いであると考えた人が、社会主義革命を起こしました。市場原理を否定すれば、市場に代わって、生産量と価格を市場にかわって、誰かが決める必要があります。計算科学で言えば、市場にかわって、生産量と価格を決定するプログラムを書く必要があります。しかし、そのようなプログラムを実装できるアルゴリズムは存在しませんでした。(注1)その結果、社会主義経済は、制御不能になります。大躍進と文化大革命の飢餓による数千万人の死者を生じた経験から、経済が制御不能になるリスクが理解され、中国では、鄧小平氏が、市場原理の導入に踏み切ります。
市場原理を使うことで、資源配分と生産の効率性が確保できると考えられています。
これは、政治的には、リバタリアンの思想になります。
市場原理では、労働市場を通じて、労働者の能力は最大限に発揮されます。その結果を放置すれば、貧富の差の問題がおきます。
しかし、市場原理を使わないと生産の効率化が進まないので、貧富格差以前に、再配分するもとの付加価値がなくなります。これは、文化大革命直後の中国をイメージすれば分かります。
そこで、貧富の差の問題は、所得移転で手当することにして、その他は、市場原理を優先することがリバタリアンの思想になります。
リバタリアンの思想は形而上学(イデオロギー)ではありません。経済データを使って、経済モデルを使えば、モデル検証可能な科学になっています。
橘玲氏は、「テクノ・リバタリアン」(p.260)「日本では、リバタリアニズムは無視されている」といいます。
これは、日本には、市場原理のメンタルモデルが存在しないことを意味します。
野口悠紀雄氏は、有権者が、経済合理性のない利権優先の政策をする政治家に投票すべきでないと考えています。経済の合理性のある政策とは、市場原理を優先する政策になります。
つまり、野口悠紀雄氏は、有権者は、市場原理のメンタルモデルを持っていて、それにしたがって判断することを期待しています。
経済学のメンタルモデルの中心には、市場原理があります。橘玲氏は、市場原理をリバタリアンの政治思想の一部であると考えていますが、市場原理を想定しない数理経済学者はいません。市場原理を前提としないと、プログラムが書けないのです。
功利主義と市場原理を前提としないと近代経済学は成立しません。したがって、経済学のメンタルモデルには、市場原理が含まれます。一方、1990年頃まで、国立大学の経済学の経済学者の半数をしめたマルクス経済学者は市場原理のメンタルモデルをもっていませんでした。
「日本では、リバタリアニズムは無視されている」ことを考えると、有権者の中で、市場原理のメンタルモデルを持っている人は少数派です。
つまり、有権者のメンタルモデルに変化がなければ、有権者が利権の政治をする政治家に投票しない(投票行動を変える)可能性は低いと考えられます。
市場原理のメンタルモデルをもっていれば、利権の政治をする政治家に投票しない場合のメリットが理解できますが、市場原理のメンタルモデルをもっていなければ、利権の政治をする政治家に投票しない場合のメリットは理解できませんので、変化は起きません。
注1:
これはブリーフの固定化法でも共通する課題です。
10-3)行動の理解
アベノミクスの金融緩和の結果、2012年第4四半期から2014年第1四半期までGDPが年率3.2%のペースで上昇しました。
森永卓郎氏は、この現象を教科書通りであると評価しています。リチャード・カッツ氏は、この現象は、平均への回帰(カーネマン氏の用語では、少数の法則)であるとして、金融緩和の効果はなかったとしています。
2014年4月、安倍元首相(日銀は、黒田総裁の時)は消費税を5%から8%に引き上げ、成長に水を差しました。
この政策は、経済学者のメンタルモデルでは、理解不可能でした。森永卓郎氏は黒田総裁は、政治学が専門であるが、英国留学で、経済学も学んでいるので、消費税の増税は、理解できない行動であるといいます。しかし、黒田総裁が、政治学のメンタルモデルと経済学のメンタルモデルを持っていて、政治学のメンタルモデルを優先したと考えれば、黒田総裁の行動は理解できます。
なお、消費税率は、日銀の管轄外なので、森永卓郎氏の説明は不正確ですが、主旨は間違っていないと思います。
<< 引用文献
わけがわからなかった…森永卓郎が困惑。「アベノミクス」の成果を台無しにした「消費税増税」決定の裏側 2024/08/12 Goldonline 森永卓郎
https://gentosha-go.com/articles/-/62156
今こそ冷静に考えたい「アベノミクス」失敗の理由 2022/09/21 東洋経済 リチャード・カッツ
https://toyokeizai.net/articles/-/620385
>>
さて、歴史を振り返れば、毛沢東氏が中国の実権を把握してから亡くなるまでの間は、政治学のメンタルモデルが経済学のメンタルモデルを優先していました。経済学のメンタルモデルが、政治学のメンタルモデルを優先するようになったのは、鄧小平氏の時代からです。歴史は繰り返す訳ではありませんが、政治学のメンタルモデルが経済学のメンタルモデルを優先する場合には、経済問題に大きなリスクが生じます。
カッツ氏は、<安倍元首相は、前任者たちと同様、減税によって企業が投資を増やし、賃金を上げるという「トリクルダウン」理論を提唱した。2000年から2020年にかけて、日本の数千社の大企業の年間利益はほぼ倍増したが、全労働者への報酬は合わせて0.4%減、設備投資は5.3%減となった>といいます。
つまり、「トリクルダウン」は、起きませんでした。
この計算は、円表示ですので、ドル換算でみれば、「日本の数千社の大企業の年間利益は変化せず、全労働者への報酬は合わせて半減」になります。これが円安の効果です。
大企業の年間利益が変化しなかった原因は、産業構造のレジームシフトが起らなかったため、生産性の劇的な向上がなかったからです。
さて、ある人の行動は、その人がどんなメンタルモデルで活動しているかをみれば、ある程度まで、推測できます。
橘玲氏は、「日本では、リバタリアニズムは無視されている」といい、日本には、市場原理のメンタルモデルが存在しないことがわかりました。
つまり、頭の中心に市場原理のメンタルモデルがある経済学者は想像できないかも知れませんが、日本では、黒田総裁のように、政治学のメンタルモデルを経済学のメンタルモデルに優先する人が多い可能性があります。
世の中は、経済合理性ではなく、利権とコネで動いているというメンタルモデルです。世界には、利権とコネの政治のメンタルモデルで動いている国や地域もあります。
利権とコネの政治のメンタルモデルで動いている国や地域は、発展途上国です。これは、利権とコネの政治のメンタルモデルで動けば、経済合理性が無視されるので、経済成長ができないためです。
したがって、ある国や地域の官僚と経営者が、利権とコネの政治のメンタルモデルで動くという意思決定をした場合には、それは、経済成長を放棄したことになります。アベノミクスの円安効果で、国際基準のドル換算賃金が半減したことは、その典型です。ここまで賃金が下がると、出生率の問題より、飢餓の問題が優先します。実質賃金が半減しても、政権交代がおこらない国は、想像できません。逆に言えば、日本の政権は、いつ交代しても不思議ではありません。これは、反事実の推論なので、ベーコン流の帰納法に囚われている人には、想像できない世界になります。
ただし、この意思決定が、市場経済のメンタルモデルがないという原因でなされる場合には、意思決定をしている本人には、経済成長(企業成長)を放棄しているという自覚はないと思われます。
2022年以降、日本から高度人材が海外に流出しています。2024年現在では、日本に居ながら、海外企業の仕事をリモートワークでも出来ます。こうした数字は統計には出ないので、実際に、日本企業から逃げだした日本人労働者はかなりの数になると思われます。高度なプログラミングのできる人材の割合は、2%以下です。特に高度な人材の割合は、パレート分布で考えれば、0.4%になります。0.4%の超高度人材が日本から流出した場合、日本がデジタル経済の移行できる可能性は、ほぼゼロです。
野口悠紀雄氏は、日本は15歳時のPISAの数学の成績が良いので、日本には、まだ、技術革新の余地があると言います。しかし、これは、平均値で、かつ、初歩的な数学のレベルです。ITの高度人材の能力分布は、平均値では論じられません。筆者は、バークシャー・ハサウェイは、故チャーリー・マンガー氏の因果推論モデルでビジネスが出来たと考えています。情報産業では、今まで、誰も解くことの出来なかった難問を解くことができれば、それでビジネスが可能になります。
なお、平均値以外の推論が実用になったのは、マルコフ連鎖モンテカルロ法が普及してからで、ほぼ今世紀にはいってからです。
10-4)メンタルモデルの共有の課題
以上の考察では、市場原理のメンタルモデルが共有できていないことが、世の中は、経済合理性ではなく、利権とコネで動いているというメンタルモデルが優先する原因でした。
筆者には、日本の社会は、メンタルモデルの共有、言い換えるとコミュニケーションを拒否しているように見えます。
国際機関の交渉では、最初にメンタルモデルの共有に時間をかけます。これな、メンタルモデルというシステムを理解していないと、本題ではないフレームワークの議論に、時間を割いているように見えます。
日本の政治家は、外交では相手にされていません。これは、日本の政治家が、メンタルモデルの共有に向けた議論ができないためです。外国に比べれば、圧倒的に同質性の高い国内の問題ですら、メンタルモデルの共有が出来ていないのですから、外交で相手にされないことは当然と言えます。
日本国民は、メンタルモデルの共有ができない、つまり、コミュニケーションが成り立たないことが普通であると思っています。しかし、コミュニケーションが成り立たなければ、民主主義は成り立ちません。科学も成立しません。
新薬を開発したとします。新薬の効果に関する実験データを元に、専門家が議論します。このときに、メンタルモデルの共有ができず、大臣の一声で、新薬の認可が決まることはありません。新薬の審査過程は公開され、誰もが、審査結果を読んで、メンタルモデルの共有ができて、審査結果に納得できなければ、新薬は、恐ろしくて誰も飲めません。
金融緩和(円安)といった経済政策では、政府は、メンタルモデルの共有を無視しています。政策の効果は、経済モデルで予測できます。経済モデルは、産業構造の変化を想定していませんので、デジタル企業へのレジームシフトが大規模に起る場合には、予測精度が低下します。デジタル企業へのレジームシフトが大規模に起っていない場合には、計算科学のモデルで、天気予報レベル精度の予測が可能です。つまり、経済政策Aと経済政策Bは、モデルの予測結果を用いた比較評価が可能です。
経済の専門家は、日銀が大規模金融緩和を始めた時点で、経済政策の評価をしませんでした。経済政策の評価は、政策が実施されなければ、わからないというスタンスでした。しかし、このスタンスは間違いです。アベノミクスの10年の結果、ドル換算の賃金は、半額になりました。これは、家計から起業への所得移転が生じたからです。
10年経って、政策の間違いがわかっても、時間を元に戻すことはできません。
したがって、政策評価は、政策を開始する時点で行なう必要があります。
ベーコン流の帰納法のメンタルモデルでは、政策を開始する時点で、政策評価は出来ないと考えます。これは、ベーコン流の帰納法が、反事実を想定できないためです。
政策を開始する時点で、政策評価をする方法には、次のステップがあります。
第1に、メンタルモデルを共有して、コミュニケーションが可能な状態が実現できていない場合には、政策を実施する資格がありませんので、NOというべきです。
メンタルモデルの共有が出来ている場合には、第2に、チューリングテストをすれば、政策の妥当性と合理性が評価できます。質問に対する答えで、計画の理解度を評価できます。
第3に、これは、政策がスタートして、半年程度かかりますが、前向き研究で、政策効果の計測をするモニタリング計画が必要です。
後向き研究で、観察データを分析しても、因果推論の検証は出来ません。政策には、前向き研究で、介入の効果を計測するモニタリング計画が含まれている必要があります。
このように、メンタルモデルと因果推論の科学を使えば、政策の効果は、政策が完了する前に行なうことができます。
10-5)今後のリスク
財務省が2024年9月2日に発表した2024年4から6月期の法人企業統計は、金融・保険業を除く全産業の経常利益が前年同期比13.2%増の35兆7680億円で、四半期ベースとして比較可能な1954年以降で過去最大となっています。しかし、これはドル換算の数字でないので、みかけに過ぎません。
企業の経営者の間には、社会政治力学が働きます。転職のない年功型雇用では、経済合理性よりも、社内政治が優先することも多いです。円安による所得移転で、過去最大の経常利益が出れば、技術開発グループは、社内政治で、劣勢になります。つまり、技術開発は、実質中断しているはずです。このつけが、2年くらいすると出てきます。最大の課題は、唯一の輸出競争力のある自動車産業ですが、2年で中国のEVメーカーに追いつくことは不可能と思われます。
1980年代末のバブル経済では、技術開発より、財テクを優先して、競争力がなくなった企業が多くありました。現在は、円安が財テクの代わりになっています。
10-6)補足
以下、推論の結果だけを箇条書きして置きます。
メンタルモデルの共有ができないと、ジョブ型雇用が出来ません。
メンタルモデルの共有ができないと、大規模ソフトウェアの開発ができません。
メンタルモデルの共有ができないと、初心者だらけになって、中度と高度のスキルのある人材が育ちません。
メンタルモデルの共有ができないと、非効率はOJTから抜け出せません。