君たちはどう生きるか(10)

12)科学と青い鳥

 

12-1)青い鳥症候群

 

1907年にモーリス・メーテルリンク氏が発表した「青い鳥」は、幸せの象徴である青い鳥を探す児童劇です。1911年にメーテルリンク氏は、ノーベル文学賞を受賞しています。

 

青い鳥は幸せの象徴であるオブジェクトです。これは、インスタンスを探す物語です。

 

人間が推論をするときに、長すぎるインスタンスのリストを使うことはできません。

 

インスタンスカプセル化して、カプセルにオブジェクトの名前を付けます。

 

そして、オブジェクトを操作することで、推論をします。

 

オブジェクトのカプセルの中には、インスタンスが含まれているはずなのですが、カプセルは透明ではないので、人間は、インスタンスを忘れやすいという心理的なバイアスを持っています。

 

児童劇「青い鳥」は、この認知バイアスを前提として成り立っています。

 

読者が、児童劇「青い鳥」の出だしで、ここには、青い鳥のインスタンスはないから、青い鳥は、認知バイアスであると気付けば、興味は半減してしまいます。そのように、気付く人が少ないことが、児童劇「青い鳥」が成立する心理的なメカニズムです。

 

政治家は、キーワード(オブジェクト)を振りかざします。

 

日本の政治家のキーワードには、インスタンスがないことが一般的です。

 

アメリカのメディアは、政治家のキーワードに対して、インスタンスの明示と、そのインスタンスが問題解決になる理由の提示を求めますが、日本のマスコミ(メディア)は、そのような根拠を求めません。その結果、中身が空の政策オブジェクトのカプセルが蔓延しています。

 

これが、可能になる原因の1つは、青い鳥と同じように、人間はインスタンスを忘れやすいという認知バイアスにあります。

 

もう一つの原因は、ベーコン流の帰納法が蔓延していて、反事実の推論が出来ないので、インスタンスをつくれる人材がいないことです。

 

詐欺は、飾り付けたオブジェクトを使っています。詐欺のオブジェクトには、まともなインスタンスはありません。

 

詐欺に騙される場合、中身(インスタンス)のない政策を提案する政治家に投票する場合、児童劇「青い鳥」に感動する場合には、共通の認知バイアスが働いています。

 

児童劇「青い鳥」に感動することは、情緒を豊かにするかも知れませんが、中身(インスタンス)のない政策を提案する政治家に投票したり、詐欺に騙されたりする認知バイアスを増幅している可能性もあります。



12-2)形而上学の問題点

 

哲学のような形而上学には、オブジェクトはありますが、インスタンスはありません。

 

インスタンスのないオブジェクトでは、メンタルモデルの共有ができないので、コミュニケーションが成立しません。

 

インスタンスの共有がなければ、Aさんのメンタルモデルの青い鳥とBさんのメンタルモデルの青い鳥が、同じものを指していると考える根拠はありません。

 

物理学者のアラン・ソーカル氏とジャン・ブリクモン氏の著書<「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用>は、この点に関連して、ポストモダンの哲学者と大陸哲学に連なる学者を批判しています。

 

筆者は、<「知」の欺瞞>が正しいか否かは、チューリングテストの問題であるというコンピュータサイエンスの立場をとりますので、この論争には触れません。

 

<「知」の欺瞞>の表現は、非常に攻撃的ですが、ソカル氏とブリクモン氏は、ヒュームなどのイギリスの経験論の哲学とその発展形であるプラグマティズムを否定している訳ではありません。

 

イギリスの経験論の哲学の立場をとるエマニュエル・トッド氏は、大陸哲学を、言葉遊びに過ぎないと否定します。筆者は、トッド氏の発言は、「大陸哲学は、インスタンスを無視している」という主張であると理解しています。

 

大陸哲学は、青い鳥症候群であるという判断です。

 

イギリス経験論の哲学は、観察された値(インスタンス)から独立した概念(オブジェクト)はないと考えます。

 

インスタンスが変われば、それに合わせて、オブジェクトは更新されると考えます。

 

これは、数学やコンピュータサイエンスの変数(オブジェクト)の常識に一致しています。

 

これは、形而上学の否定になります。パース氏は、形而上学の否定を明確に打ち出して、プラグマティズムの基礎をつくりました。このため、プラグマティズムは、哲学の伝統にしたがってはいるが、形而上学の哲学ではないと分類されます。

 

オブジェクトの名前に意味があるという立場では、普遍論争になりますが、コンピュータサイエンスでは、オブジェクトの名前は意味のない識別子にすぎないので、ここには、普遍論争はありません。

 

橘玲氏は、「日本ではヨーロッパ哲学やフランス現代思想ポストモダン)については数えきれないほどの本がでているが、リバタリアニズムは無視されるか、アメリカに特有の奇妙な信念(トランプ支持者の陰謀論)として切り捨てられている」(テクノ・リバタリアン,p.26-261)と言います。

 

筆者は、「ヨーロッパ哲学とフランス現代思想」に対比する言葉は、「リバタリアニズム」ではなく、「イギリス経験論とプラグマティズム」であると考えます。

 

このように解釈すれば、橘玲氏は、「日本には、ヨーロッパ哲学やフランス現代思想ポストモダン)はあるが、イギリス経験論とプラグマティズムはない」という事実を表わしていることになります。

 

古典や経験に価値があるというメンタルモデルは、価値のある普遍なものがあるというアプリオリな前提になります。このメンタルモデルは、インスタンスが変われば、それに合わせて、オブジェクトは更新されるという考えとは相いれません。

 

インスタンスが変われば、それに合わせて、オブジェクトは更新されるという考えは、カルマンフィルターやベイズ更新になります。

 

ある大学でコンピュータのモデルを説明しているスライドは、モデルは、実世界ではないと書かれていました。この講師は、観測から独立した実世界がアプリオリにあると考えていますので、形而上学を認めています。イギリスの経験論では、観測値から独立して存在する世界はないと考えます。イギリスの経験論は、世界を見るためには、レンズが必要で、どのデータもレンズの特性を反映していて、レンズの特性から、独立した世界の記述はできないというメンタルモデルであるとも言えます。

 

これは、コンピュータによる画像処理の前提そのものです。

 

パール氏の「因果推論の科学」(2018)は、因果推論の科学の初めての啓蒙書です。

 

パール氏の主張は、ヒュームの経験論の延長にあります。

 

「因果推論の科学」の中には、形而上学の否定があります。

論理があっても、表現がなければ、それは形而上学にすぎない。

>(p.411)

 

ここで、表現とは、コード化して、コンピュータに実装できることを指しています。

 

20世紀の物理学では、ドイツとその周辺国が先端的な役割を果たしました。

 

物理学では、法則の発見が重要であって、データは、科学の中心にはありませんでした。

 

中心極限定理のように、データを集めれば、いつか真実に到達できると考えました。

 

現在のコンピュータサイエンスの前提では、推論は、データの制約に従うと考えます。

 

データを集めれば、いつか真実に到達できるという前提は使えないと考えます。

 

法則は、データとセットで扱うべきものと考えます。

 

データを取り換えることができる場合は、トランスポータビリティがある場合だけです。

 

コンピュータサイエンスの中心は、英語の母国語圏です。

 

コンピュータ・サイエンスに英語が使えることが有利なことは間違いありません。

 

しかし、コンピュータ・サイエンスで使う英語は、決して高い難易度のものではありません。

 

英語では、伝統的に同じ単語の繰り返しを嫌うので、同じ内容を単語を入れ替えて表現することがあります。

 

コンピュータ・サイエンスでは、このような単語の使用法は排除されています。

 

表現は、できるだけ、そのままコード化できるように努めるルールになっています。

 

筆者は、形而上学を認める大陸哲学は、コンピュータ・サイエンスと相性が悪いと考えます。

 

12-3)問題の事例

 

読売新聞によると「宮城県教育委員会は9月下旬にも、定期試験などの答案をAI(人工知能)が自動で採点するシステムを県立高全70校に導入する」そうです。

 

テスト採点にAI導入へ…宮城の県立高全70校、「時間外」になりがちの業務で時間を半減と試算  2024/08/31 読売新聞

https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20240831-OYT1T50002/

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このシステムは、紙の答案をスキャンして、デジタル化します。デジタルデータをAIが読み取って、選択肢問題は、AIは〇か×をつけます。筆記式は、教員がパソコン上で採点します。採点結果を答案用に、追加印刷します。

 

これは、まったく意味不明なシステムです。選択肢問題であれば、問題をMoodle上にのせれば、生徒がスマホで、回答できます。Moodleは、自動採点して、結果を生徒にメール配信します。筆記式は、教員が教師用のMoodle上で採点できます。

 

Moodleを使う場合には、処理は全てデジタルデータでできるので、紙の読み取りエラーや、文字の判別エラーは起こりません。

 

Moodleは、10年くらい前から開発されているシステムです。

 

つまり、Moodleに比べて、テストの採点にAIをつかうことには、デメリットはあっても、メリットはありません。

 

教育委員会は、AI詐欺にあっているようにみえます。

 

ジョブ型雇用であれば、教育委員会の委員をDXのできる人間に入れ替えるべきだという話になります。

 

Moodleを使う場合の問題点は、Wifiの容量だけです。電話回線を使う場合には、この問題はありませんが、費用が生徒の負担になります。ネットワーク接続のパソコンを使う場合には、この問題はありません。

 

この現象は、教育委員会が、AIという単語のインスタンスを理解していないためであると思われます。あるいは、採点という単語のインスタンスを理解していないためであると思います。

 

形而上学は、インスタンスを無視します。しかし、DXは、データ(インスタンス)が全てです。

 

採点という単語に含まれるインスタンスは、問題と解答のデジタルデータであり、紙は含まれません。これは、本という単語に含まれるインスタンス文字コードであって、紙ではないことと同じです。

 

筆者には、日本中が青い鳥症候群にかかっているように見えます。

 

科学の基本的なメンタルモデルが理解できていないと、DXは不可能に思われます。