14)基本法則で考える
14-1)力と摩擦
物体(剛体)の移動は、ニュートンの運動方程式で記述できます。
実際の運動をモデル化する場合には、摩擦や空気抵抗の項を加える必要があります。
摩擦や空気抵抗は、工夫することで、小さくすることが可能です。
一方、重力項を工夫して小さくすることはできません。
経済学の基本法則は市場均衡です。
重力とはことなり、市場原理の法則(市場均衡)を無視した中抜き経済を実現することが可能であるため、経済学は、難しくなります。
たとえば、古典的なマルクス主義は、市場原理を否定します。
「必要に応じた配分」をすべきであると主張します。
しかし、「必要に応じた配分」の値を計算するアルゴリズムとデータは存在しません。
結局、「必要に応じた配分」(オブジェクト)には、実現値(インスタンス)がなく、言葉になっていませんでした。
力学法則とは異なり、経済学の市場原理の法則は簡単に破ることができます。
しかし、市場原理の法則を破って中抜き経済を実現すると、経済成功が著しく阻害されます。
その結果、経済成長を求めれば、市場原理への回帰が起きます。
これはイデオロギーの問題ではなく、微分方程式の解の問題であり、逃れることができません。
市場原理が成り立っている場合には、微分方程式の最適化を求めればよいので、微係数がゼロの点が解になります。
市場原理が成り立っていない場合には、このテクニックが使えません。
つまり、微分方程式を立てることはできますが、解が求まりません。
微分方程式のモデルをリアルワールドに写して考えれば、リアリワールドで何が起こるか予測が出来なくなります。
計算科学のメンタルモデルで考えれば、世の中には、2種類の世界があります。
第1の世界は、地球温暖化を予測するGCMのような数値モデルで、リアルワールドが近似できる世界です。
第2の世界は、数値モデルで、リアルワールドが近似できない世界です。
第2の世界は、予測不可能で、制御不可能になります。
14-2)経済成長の条件
金融緩和では、商品とサービスの市場を前提としています。
しかし、メンタルモデルに、労働市場を組み込むと経済成長の条件は全く異なります。
自動車やカメラといった商品の価格は、世界で均一になっています。
農産物の価格のうち、保存の効く穀物の価格は、世界で均一になっています。
ブロッコリーなどの野菜は、保存性があまり高くはありません。
それでも、最近は、日本国内で、アメリカ産のブロッコリーを見かけます。
基本的には、世界で均一になる商品は拡大します。
労働市場についても、労働市場がある場合、世界で、同一労働は同一賃金に収斂する傾向が見られます。
筆者は、AIが人間の労働を代替する社会では、世界で、同一労働は同一賃金に収斂する傾向が強化すると考えています。
一人あたりGDPは、AIが生産するモノとサービスが無視できるのであれば、ほぼ個人の所得に比例します。
高給取りの人が多い国の一人あたりGDPは高くなります。
労働市場が機能していれば、高給取りの人は、高度人材になります。
高度人材が大勢いる国の一人あたりGDPは高くなります。
高度人材を増やす方法は、2つしかありません。
第1は、高度人材の教育充実です。
第2は、高度人材の移民の促進です。
高度人材とは、エンジニアです。
学習すべき内容は、理論科学、計算科学、データサイエンスです。これからは、AIの科学、因果推論の科学が付け加わると思われます。
シンガポールは、アジアでは、もっとも一人あたりGDPの高い国ですが、上記の2つの条件を達成しています。
これから、経済成長に必要な条件は、高度なエンジニア教育と高度人材の移民であることがわかります。
金融緩和で、賃金があがることはありません。
金融緩和で、経済成長することはありません。
経済学者は、技術の言葉を持っていないので、技術を無視したメンタルモデルで考えています。しかし、それは、重要な原因を無視することになります。
1959年に、スノーは、「二つの文化と科学革命」で、エンジニア教育が、経済成長の源泉であると主張しました。
1959年には、計算科学も、データサイエンスもありませんでした。
エマニュエル・トッド氏は、国の経済成長は、エンジニアの数に依存すると考えています。
中国は、エンジニアの数が桁違いに多いので、トッド氏は、当面は、中国の技術優位が続くと考えています。
14-3)1980年代の世界
日本がバブル経済になる前の安定経済成長期の話です。
中国は、社会主義市場経済の実験を始めていましたが、エンジニア教育ができておらず、人材がいませんでした。
タイ、マレーシア、インドネシアも、エンジニア教育ができておらず、人材がいませんでした。
これらの国では、エンジニア教育以前の基礎教育にも問題を抱えていました。
東南アジアで日本に次いで工業化に成功した国は、台湾、香港、シンガポール、韓国だけでした。韓国を除けば、これらの国は中国系で、華僑が活躍していました。
総じて、1980年代には、東南アジアの国は、人材の点では、日本に見劣りしていました。
1990年代に、東南アジアの国は、教育投資を拡大します。
台湾、香港、シンガポール、韓国と中国には、科学技術系の大学が新設されます。新設の科学技術大学では、大学教員の国際市場に組み込まれて行きます。
このころ、日本では、沖縄国際大学と会津大学が新設されていますが、香港、シンガポールの科学施術大学のように成功をおさめることはできませんでした。
1990年代以降、計算科学とデータサイエンスが急速に進歩します。
日本の大学は、こうした新しい科学に取り残されました。
2000年以降、日本企業は、人口減少による労働力の不足と、国内市場の縮小に対応するために、工場の海外移転を進めています。
これは、東南アジアの途上国に、工場を移転できるレベルの人材がそろってきたことを意味します。
工場を移転した当初は、途上国の労働者の賃金は、日本の労働者の賃金より、低いものでした。これは、それまで、所得を得る機会が、農業に大きく依存していたため、農業者より、高い賃金を提示すれば、労働者の確保ができたためです。
しかし、この格差は中期的には、縮小していきます。同じ労働をすれば、同じ賃金に収束します。市場原理が機能すれば、こうなります。
日本でも、1980年代には、工場を誘致をした自治体が多くありました。工場を誘致すれば、それまでの農業者から、工場労働者になるので、賃金が上がります。
2000年以降、東南アジアの発展途上国では、同じことが起きています。
2024年現在でも、1980年代と同様に工場誘致をしたがる自治体があります。
しかし、工場誘致で得られる賃金は、開発途上国の労働者と同じレベルの賃金になります。
工場誘致による所得増加は、小さなレベルに留まります。
所得をあげるためには、高度人材のエンジニアの数を増やすことが必要です。
高度人材の育成には時間がかかります。
人材の視点でみれば、次の10年の日本経済の成長は緩やかな減速になります。
経済の停滞は、教育の失敗に原因があります。