人口減少と産業構造(10)

イノベーションのジレンマ再考

今までの成功体験に囚われて、新しい製品やサービスの開発ができずに、企業の経営が傾くことを、イノベーションのジレンマと言います。

しかし、イノベーションのジレンマの議論は、少し、乱暴な気もします。疑問点は、3つあります。

1)イノベーションのジレンマが、後付け仮説(アドホックな仮説)になっていないかという疑問です。

これは、ある企業Aは、イノベーションのジレンマで、経営が傾き、別の企業 Bは、イノベーションのジレンマにならずに、経営が傾かなかったとします。ある企業 Cを取り上げて、Cは、A、Bどちらのタイプか予測できるのでしょうか。

2)イノベーションのジレンマは、認知科学的な問題ではないかという疑問です。

これは端的にいえば、イノベーションのジレンマに陥る危険性があるとわかっていても、認知バイアスへの理解がなければ、回避できないのではないかという疑問です。この立場に立てば、イノベーションのジレンマは、ジレンマではなく、認知バイアスの問題になります。

過去の成功体験が、イノベーションを阻害するというのが、イノベーションのジレンマです。過去の体験をもとに、次の行動を決定する過程は、ヒューリスティックです。つまり、次に何をすべきかを過去のデータベースの中の類似事例を探して決定します。これは、認知科学では、ファスト回路になります。これに対して、イノベーションには、過去のデータはありませんので、ファスト回路は使えません。イノベーションとは、スロー回路を使うことに他なりません。

これは、ジレンマというよりは、思考回路の違いです。ファスト回路とスロー回路は、脳の別々の場所の組み合わせが、担当しています。頭の使い方が違います。スロー回路は、ファスト回路の10倍くらいの時間がかかります。このため、「早く結論を出す。失敗のリスクを回避する」といった条件が設定されると、ファスト回路しか使われなくなります。また、ヒューリスティックであれば、複数の人間の情報が共有されますが、スロー回路は、ヒューリスティックでないため、情報共有には、時間と労力の膨大なコストがかかります。このため、多数決原理を採用すると、ヒューリスティックな方法で得られる意思決定が採用されます。

3)イノベーションの3段階モデルとの整合性も疑問です。デジタル・スキル教育のカリキュラムは、イノベーションを起こすために必要なカリキュラムでもあります。このカリキュラムは、「(1)問題の所在と解決方法を分析できる能力、(2)問題解決を実装する技術的能力(プログラミングなど)、(3)解決方法を組織や、社会に実装する能力」の3ステップに分解します。イノベーションのジレンマと一括りにするよりも、遥かに実用的です。

科学技術の研究者は、(2)の技術開発だけを専門の課題と考えがちで、技術ができても、実際に、製品やサービスに応用されるまでには、デスバレーがあって時間がかかる、何が、実用化されるかは、時間が立たないと判断できないと考えがちです。

しかし、実際に、イノベーションを起こす企業は、(1)と(3)もクリアーする必要があります。 この場合の(1)も(3)も、ヒューリスティックは使えませんので、スロー回路が使えないと、スタートラインに立てません。

3ステップは、企業のイノベーションだけでなく、ヒューリスティックで解決できない全ての問題に応用可能です。特に、応用科学では、不可欠なアプローチと思われますが、狭い専門分野を越えてしまいますので、実際に使われている例は少ないようです。

判定方法

イノベーションのジレンマを解決する方法は、ケースバイケースになります。しかし、2)または、3)は、イノベーションに必要な、条件を示しています。これは、十分条件ではないので、イノベーションを保証はできませんが、少なくとも、確実にイノベーションを起こせない場合を分離できます。

その判定条件は、バックキャストの有無です。バックキャストがなければ、イノベーションは起きないでしょう。

バックキャストとイノベーションのジレンマ

イノベーションのジレンマは、米国の企業分析から、生まれています。米国の企業で、バックキャストをしていないことは、考えられません。少なくとも、バックキャストをしない経営者が、クビにならないことは考えられません。

この点を考えると、クリスチャンセンのイノベーションのジレンマは、バックキャストのないケースは、想定していないでしょう。

フォーキャストでは、イノベーションが起らないことはいうまでもありません。

フォーキャストをしている場合に、経営が行き詰まったとしても、それを、イノベーションのジレンマであるというのは、拡大解釈が行きすぎています。

 

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