「因果推論の科学」をめぐって(23)

注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。

 

(23)マックス・ヴェーバーの間違い

 

1)ウィキペディア

 

マックス・ヴェーバー」と「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(プロ倫)のウィキペディアの記述を例にして、考えます。

 

スタート時点で、問題があります。

 

英語版のウィキペディアでは、マックス・ヴェーバーの方法論と仮説の検証が扱われています。

 

日本では、プロ倫は訓子主義の対象になっていますが、英語版では、検証して、必要があれば、改善すべき仮説として取り扱われています。

 

英語版のウィキペディアには、次のような交絡因子の例があります。「信仰の教義ではなく、カトリックプロテスタントのグループの作り方の違い」、「反ポーランド差別」、「収入」、「貯蓄」、「識字能力」。

 

英語版のウィキペディアの検証や批判の例の一部をあげます。

2015年の研究で、ダヴィデ・カントーニは1300年から1900年の期間のドイツの都市についてウェーバープロテスタント仮説を検証し、プロテスタントが経済成長に影響を与えていないことを発見した。

 

フランスの歴史家 フェルナン・ブローデルは 、ウェーバーの理論が根拠と真実性に欠けているとし、次のように激しく批判した。

 

    すべての歴史家はこの希薄な理論に反対してきましたが、この理論を完全に取り除くことはできませんでした。 しかし、それは明らかに誤りです。 北方諸国は、地中海の古い資本主義の中心地によって長い間、そして輝かしく占領されていた場所を引き継ぎました。 彼らはテクノロジーにおいても経営においても何も発明しませんでした。 ロンドンがその後アムステルダムをコピーするように、そしてニューヨークがいつかロンドンをコピーするように、アムステルダムヴェネチアをコピーしました。 

 

つまり、ブローデルは 「雁行型経済発展論」のようなモデルで説明できると考えています。

 

ケーススタディは、仮説を作成する方法としては有効ですが、検証法ではありません。

 

プロ倫は、「近代資本主義は富の宗教的追求から生まれた」という仮説を提示しています。

 

プロ倫は、この仮説を検証した論文であるかについては疑問があります。少なくとも、ヴェーバーはRCTをしていませんので、交絡因子がある可能生は排除できません。また、交絡因子の方が、「富の宗教的追求」より、感度が高い可能性があります。

 

英語版のウィキペディアは、次のようにいいます。

 

この本は、ウェーバーが合理化の概念に初めて触れた本でもあります。近代資本主義は富の宗教的追求から生まれたという彼の考えは、富という合理的な存在手段への変化を意味していました。つまり、ある時点で、資本主義の「精神」を形成するカルヴァン主義の理論は、その背後にある根本的な宗教運動に依存しなくなり、合理的な資本主義だけが残ったのです。つまり、本質的には、ウェーバーの「資本主義の精神」は、事実上、より広義には合理化の精神なのです。

 

こうした解釈は、自然なものですが、訓詁主義では、できません。

 

日本語版のウィキペディアの記述の一部を引用します。

 

ヴェーバーは、西欧近代の文明を他の文明から区別する根本的な原理は「合理性」であるとし、その発展の系譜を「現世の呪術からの解放(die Entzauberung der Welt)」と捉え、それを比較宗教社会学の手法で明らかにしようとした。(マックス・ウェーバー、『宗教社会学論選』中の「宗教社会学論集 序言」「世界宗教の経済倫理 序論」など)

 

プロ倫の中で、ヴェーバーは、西洋近代の資本主義を発展させた原動力は、主としてカルヴィニズムにおける宗教倫理から産み出された世俗内禁欲と生活合理化であるとした。この論文は、大きな反響と論争を引き起こすことになったが、特に当時のマルクス主義における、「宗教は上部構造であって、下部構造である経済に規定される」という唯物論への反証としての意義があった。

 

大塚・山之内によるイギリス病の問題

大塚久雄によると、プロテスタンティズムの職業倫理(天職観念)を喪失した結果、イギリス病(人間が怠惰になり労働しない)が生まれたとしている。職業倫理を喪失した資本主義は、営利追求の精神のみが人々の間に外圧的に存在することになり、健全ではないとして、その復興を呼びかけている(ちなみに大塚は無教会主義のクリスチャンである)。

 

この大塚の論に対し、その弟子である山之内靖は、ヴェーバーが考えたのは禁欲的プロテスタンティズムと資本主義に内在する非人間的側面への批判であるとしている。



羽入・折原による資料引用をめぐる論争

羽入辰郎は『マックス・ヴェーバーの犯罪――『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』において、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』での記述の資料引用の恣意性や手抜きを指摘し、「『プロ倫』はでっち上げであり、ヴェーバーは詐欺師である」と激しく批判した。この著書によって羽入は山本七平賞を受賞した。

 

ヴェーバー研究者の折原浩はこれに対して、羽入の『マックス・ヴェーバーの犯罪』における指摘自体に多くの錯誤があるなどの問題点を指摘し、「学術書ならぬキワモノ本」と強い批判を加え、『ヴェーバー学のすすめ』をはじめとする複数の反論書を出版した。

 

英語版と日本語版のあまりの違いに言葉がありません。

 

日本語版では、方法論、交絡条件、検証は出てきません。

 

羽入辰郎氏は、「資料引用の恣意性や手抜きを指摘」していますが、これには、プロ倫が、「仮説を検証している」という前提が必要です。

 

帰納法では、集めたデータから仮説を追求することもできます。

 

しかし、帰納法では、先に仮説をたてて、それに合うデータを収集することもできます。

 

問題は、この2種類の帰納法は区別できないことです。

 

しかし、帰納法には、仮説の検証帰納はありませんので、この点は問題には、なりません。

 

プロ倫が出版された時代は、「現在は否定されている優生学が正当な学問とされ、ゴルトン、ピアソン、ターマンなどによる活発な研究が行なわれていました」(p.457)

 

これは、優生学の法則の証明で使えそうなデータを収集して分析するアプローチです。

 

ヴェーバーは、西欧近代の文明を他の文明から区別する」には、ヨーロッパ人種の優位性を証明したい優位学的な発想が見られます。

 

つまり、ヴェーバーは、仮説に合うデータを探してきた可能性が高いです。

 

1923年にノーベル物理学賞を受賞したミリカンは、最終的な電荷の値には影響しないものの、ミリカンが170あまりのデータから58例のデータを選択したことで統計誤差が小さくなるようにしています。これは、現在はデータの捏造で、アウトです。

 

プロ倫が出版された1905年頃には、仮説検証に対する意識は、あまり深くありませんでした。それでも、帰納法は、仮説検証にはならないことが自覚されていて、ゴルトン、ピアソン、ターマンらは、仮説を検証するために統計手法の開発を進めていました。

 

パール先生は、自分の発言は、本来はあってはならいないホイッグ史観であるとことわっています。

 

「羽入・折原による資料引用をめぐる論争」は、明らかにホイッグ史観です。さらに、帰納法で仮説が検証できるという間違いが含まれています。

 

帰納法が検証手法であるという誤解は、訓詁主義(訓詁学)に基づいています。

 

2)言葉とミームの問題

 

社会学者は、社会の意識(集団の意識)が、人間生活を支配すると言いたいと思われます。

 

経済状態のレベル(下部構造)で、全ての意識が決まってしまうのであれば、社会学が出る幕はありません。

 

つまり、マルクスの下部構造が上部構造を支配するのであれば、上部構造であるマルクスの理論が出る幕はありません。これは、自由意思の問題(p.549)です。



集団の意識が、個人の行動を支配すると言い変えれば、これは、生物学では、ドーキンスミームの問題になります。

 

脇田晴子氏の天皇制の文化、水林章氏の法度制度は、ミームが人間の行動を支配して、特攻をおこしたと説明します。

 

特攻(法度制度)は、上部構造が下部構造に介入している例にみえます。

 

<特に当時のマルクス主義における、「宗教は上部構造であって、下部構造である経済に規定される」という唯物論への反証としての意義があった>という記載は、筆者には、単に、言葉の不足の問題にみえます。

 

「上部構造は下部構造である経済に規定される」という唯物史観に、筆者は賛成しませんが、筆者は、GISのように、データにレイヤーがあると考える事には、賛成です。

 

そして、物理学の法則はかなり正しいと考えています。

 

例えば、ガソリン自動車は、タンクのいれたガソリンのエネルギー以下の距離しか進みません。

 

生物もエネルギーがなければ、生きていけません。

 

人間の行動は、食を通じたエネルギー取得に制約されています。

 

GISのレイヤーでいえば、食のエネルギーのある場所にしか、生物はいません。

 

このエネルギーレイヤを下部構造と呼べば、生物の製造は、エネルギーレイヤ(下部構造)なしには、成り立ちません。

一方、法度制度が問題にする特攻では、ミームが、生存を支配しています。

 

しかし、これは、<「宗教は上部構造であって、下部構造である経済に規定される」という唯物論への反証>ではありません。

 

特攻をする時間をtとして、その前の時間をt-1とします。仮に、t-1まで、エネルギーレイヤ(下部構造)の影響があっても、tでは、エネルギーレイヤ(下部構造)の影響から自由になります。数時間食事をしなくとも、活動ができます。

 

空間の要素を考えます。GISのグリッド上に、ツキノワグマがいると考えます。ツキノワグマは餌のエネルギーの支配をうけています。ツキノワグマの数は、グリッドの餌の量に左右されます。ツキノワグマの数が増えすぎると、餌が不足します。ツキノワグマは、飢え死にしたくないので、生息域を拡大して、リスクの高い人家の近くのグリッドに侵入します。

 

このように、オブジェクトに、時間と空間の属性がついていれば、「上部構造は、下部構造である経済に規定される」といわないはずです。

 

「上部構造は、下部構造である経済に規定される」という意味不明な発言は、数学ができない(数学の言葉が使えない)ので、出てくる間違いです。

 

ドーキンスミームは、遺伝子の発展形です。

 

ミームは、遺伝子の影響を受けますが、支配されている訳ではありません。

 

人間は、遺伝病の治療も試みます。

 

ツキノワグマは、意識によって、生息域を移動しています。



人間は、食料によって、数を制限されます。

 

人間は、農業によって、食料生産を拡大してきました。

 

パール先生は、言葉がないと考えられないといいます。

 

法律で、AIの活動に制限を加える人がいます。

 

この活動は、必ず失敗します。それは、AIの活動は、AIの言葉(数学)でしか、記述できないからです。

 

AIの活動を、数学の用語を使わないでかけば、「上部構造は、下部構造である経済に規定される」と同じような意味不明の文章ができます。

 

「クマの活動(上部構造)は、クマの食料(下部構造)に規定される」としても、食料の分布だけで、クマの出没を予測することはできません。クマの行動は、他のクマや人間の影響を受けます。