「因果推論の科学」をめぐって(55)

注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。

 

(55)トランスポータビリティ

 

1)用語の問題

 

パール先生は、トランスポータビィリティを次のように説明しています。(p.534)

 

トランスポータビィリティとは、「ある環境で行なわれた研究の成果を、それと異なる環境での研究成果に置き換える過程」です。

 

ここには、2種類の空間があります。

 

第1は、「ある環境で行なわれた研究の成果」を同定した「ある環境」である仮説作成空間です。

 

第2は、「それと異なる環境での研究成果に置き換える」場合の「異なる環境」である仮説利用空間です。

 

トランスポータビリティは、コンピュータサイエンスの用語です。

 

パール先生は、ダニエルの話で次のようにいいます。

<ダニエルは派、グループどうしの比較も重要だと理解していた。(中略)たとえば、自分の友人があるダイエットを試して体重を落としたというだけの理由で、同じダイエットを選択したとしたら、あなたは、その友人と様々な属性(年齢、持っている遺伝子、家庭環境、以前に試みたダイエットなど)がすべて同一だと信じていることになる。

>(p/213、筆者要約)

 

この表現は、「対照実験」における「処理群」と「対象群」のグループの属性を比較して補正する必要があるという説明です。

 

しかし、友人のような体質の人に有効であった友人のダイエット法という仮説があり、そのダイエット法が、あなたにも有効であるかというトランスポータビリティの問題ととらえることも可能です。

 

この場合、仮説作成空間は、友人のような体質の人のグループに、仮説利用空間は、あなたのような体質の人のグループになります。

 

このように、トランスポータビリティは、一般的な概念ですが、コンピュータサイエンス以外では、使われていません。

 

2)帰納の問題

 

英語版の心理学ウィキには、次のように書かれえています。

 

帰納の問題(Problem of induction)

https://psychology.fandom.com/wiki/Problem_of_induction

帰納の問題は、経験的真実を決定する際に帰納の位置を決定することに関わる哲学的問題です。帰納の問題は、帰納的推論が機能するかどうかです。つまり、次のいずれかの正当性は何かということです。

 

P1: あるクラスのオブジェクトの特定のインスタンスのいくつかの観察に基づいて、そのクラスのオブジェクトのプロパティについて一般化すること(たとえば、「私たちが見たすべてのカラスは黒いので、すべてのカラスは黒い」)

 

P2:将来起こる一連の出来事が、過去に常に起こったのと同じように起こると前提とすること(例えば、アイザック・ニュートン万有引力の法則で説明される引力、またはアルバート・アインシュタイン一般相対性理論の修正)。

 

フランシス・ベーコンアイザック・ニュートン、その他少なくとも 19 世紀後半までは、帰納的推論が科学的方法の基礎であると考えられていました。実際、帰納的推論は今日でも使用されていますが、演繹的推論や帰納的推論とよりバランスのとれた相互作用をしています。

 

影響力のある科学哲学者であるカール・ポパーは、科学的方法の文脈でこの問題を解決しようとし、部分的には、科学は主として帰納ではなく演繹に依存していると主張し、事実上、モーダス・トレンスを理論の中心に据えた。この説明によれば、理論を評価する際には、理論に一致するデータよりも、理論に反するデータにもっと注意を払うべきである。ポパーはさらに踏み込んで、実験による誤りのテストができない仮説は科学の範囲外であると述べました。

英語版の心理学ウィキには、次のようにも書かれえています。

帰納主義と観察

https://sociology.iresearchnet.com/sociology-of-science/inductivism-and-observation/#google_vignette

科学に関する最も根強い常識的な説明の 1 つは、科学者が観察を体系的に集め、それに基づいて信頼できる一般化に到達すると理解されているというものです。時には、この単純な帰納的経験主義の見解が誤ってフランシス ベーコン (1561-1626) のせいにされ、「ベーコンの帰納主義」と名付けられます。実際には、ベーコンの見解はこれよりかなり複雑でしたが。

帰納主義の中心的な問題を最も影響力のある形で提示したのはデイヴィッド・ヒュームでした。本質的には、その議論は単純です。つまり、特定の現象の例をどれだけ多く見つけても、観察されたパターンが将来も続くと期待する論理的な理由はないということです。言い換えれば、過去の証拠から信頼できる推論を行う正当性はありません。

当然のことながら、帰納的推論を科学的手法の特徴として受け入れることから生じる困難は、20 世紀半ばまでに、より演繹的な傾向を持つ科学モデルに取って代わられました。これらのアプローチでは、科学をデータからの一般化に基づいていると見なすのではなく、理論の相対的な自律性を重視しました。したがって、たとえば仮説演繹モデルのさまざまなバリエーションでは、理論や一般化に実際に到達した根拠についてはほとんど考慮されませんでした。それらの関心は、むしろ、理論から予測仮説を演繹し、それを (実験的) テストにかけることに置かれていました。

 

帰納の問題は、明らかに、トランスポータビリティの問題です。

 

しかし、今までの哲学には、仮説作成空間と仮説利用空間の区別がありません。

 

一般には、演繹法には間違いないが、帰納法には間違いがあると説明されます。

この説明は、ナンセンスであると気付いたのパースでした。しかし、パースの主張であるアブダクションが正しく理解されているとは思えません。

 

「私たちが見たすべてのカラスは黒いので、すべてのカラスは黒い」を仮説作成空間と仮説利用空間の区別してみます。

 

仮説作成空間は、カラスを見た空間です。

 

仮説利用空間は、全てのカラスがいる空間です。

 

仮説作成空間では、「カラスは黒い」は正しいです。

 

仮説利用空間は、「カラスは黒い」が正しいかは不明です。

 

仮説利用空間で、「カラスは黒い」と推論する方法は、帰納法ではなく、演繹法に見えます。

 

おそらく、パースが、帰納法演繹法の説明は説明はナンセンスであると考えてた理由は、このあたりにあると思われます。

 

「19 世紀後半までは、帰納的推論が科学的方法の基礎である」と考えられていました。

 

残念ながら、日本では、現在でも、「帰納的推論が科学的方法の基礎である」と考えている人が多くいます。

 

帰納的推論が科学的方法の基礎」ではなくなりましたので、仮説は、帰納法によらず、もっと、自由に作成してよいことになりました。

 

この点は、非常に重要です。

 

たとえば、人口幻想問題を考えます。2024年時点で、人口が増加している自治体はごく一部です。つまり、帰納的推論では、人口が減少するモデルをつくることができますが、人口が増加しているモデルを作ろうとした場合、使えるデータはごく一部です。

 

今後、人口が増加している自治体がゼロになる可能性もあります。

 

その場合には、帰納的推論では問題解決ができなくなります。

 

あるいは、病気の場合、求めたい答えは、病気にならない方法であり、病気になる方法ではありません。

 

このように、多くの問題では、期待される解決法は、反事実になります。その場合には、帰納法は、無駄です。

 

3)因果推論の方法

 

さて、仮説作成空間と仮説利用空間を区別すると見通しが良くなりますが、問題は依然として起こります。

 

推論の関心は、仮説利用空間で、仮説が成り立たない場合を識別する方法です。

 

例をあげます。

 

Aラーメン店に行けば(原因)、美味しいラーメンが食べられる(結果)という仮説を取りあげます。

この仮説は、たいてい仮説利用空間で成り立ちます。

 

しかし、Aラーメン店に行った日が、お盆で、臨時休業日であった場合、仮説は成り立ちません。

 

しかし、仮説が間違っていたとして放棄する人はいません。

 

一方、Aラーメン店が閉店していた場合には、仮説を放棄することになります。

 

Aラーメン店が閉店になる確率はわかりませんが、そのエリアの飲食店の閉店状況は、人口変化、好みの変化、価格の変化、可処分所得の変化に依存しますので、ベイス更新によって、大まかな閉店確率のイメージを持っています。

 

「因果推論の科学」では、ラーメン店が、臨時休業したり、閉店することは、因果構造の変化に相当します。

 

パール先生の説明では、因果構造の変化の有無の予測は、主観になります。

 

このように考えると、「因果推論の科学」は。仮説と検証のフレームを、改修しているように見えます。