(論説を書く理由を説明します)
1)屋上屋と経験
「屋上屋を架す (おくじょうおくをかす))」の現代語訳は、「屋根の上にさらに屋根を架ける」で、むだなことの意味です。
筆者は、論説を書いていますが、似たような論説は、WEBにあふれています。
専門家と呼ばれる人が、マスコミに、登場して、論説や本を書いています。
この状況の中で、敢えて論説を追加する意味はあるのでしょうか。
実は、流布している論説には、共通点があります。
それは、日本型のリベラルアーツに基づいている点です。
教養がブームになって、経営は、哲学であると書いている経済新聞もあります。
日本型リベラルアーツは、経験を重視します。
年功型雇用では、経験を積むとポストがあがり、給与があがります。
日本型リベラルアーツは、歴史をへて生き残った経験には価値があると主張します。
しかし、この主張は、科学的には誤りです。
科学は、経験を否定します。
年功型雇用では、経験を積んだ年寄や、高いポストの人の発言は正しいことになります。
専門家と呼ばれる人が、論説を書いている場合、そこには、執筆者の経歴(経験)が詳細にかかれています。
科学は、経験者の発言の正しさを認めません。
科学は、発言(仮説)の正しさは、実験によってのみ、検証できると主張します。
つまり、流布している論説の90%は科学的に間違っています。
筆者が、論説を書く第1の動機は、「科学的に正しい論説をかきたい」ことです。
2)帰納法
日本型リベラルアーツは、過去の経験のデータから、帰納法で仮説を導きます。
文系の教育をうけた人は、帰納法で仮説を導くことが正しい推論であると考えています。
帰納法で仮説を導くことは科学的に間違った手法です。
論理学の初歩には、推論には、帰納法と演繹法があると書かれています。
第3の推論として、パースのアブダクションが紹介されていることもあります。
パースが、アブダクションを発見した経緯は、帰納法の間違いに気付いた点にあります。
その説明をする前に、2種類の帰納法について説明します。
2-1)時系列解析としての帰納法
人間は、進化の過程で、過去の行動パターンを繰り返すように、設計されています。
これは、カーネマンがファスト回路とよんだ思考プロセスで、過去の経験にマッチした事象が繰り返されるという思考プロセスです。
毎日歯磨きをする場合には、歯磨きが適切な行動であるかの判断をしません。
そこでは、ファスト回路が働いています。
経営者は、これまで売れた製品、過去の成功体験にこだわります。
人々は、大谷翔平氏や、藤井聡太氏が、勝ち続けると予想します。
人々は、株価が上昇すれば、今後も上昇すると予想します。
科学的には、根拠がありませんが、過去のパターンが繰り返されると考えると、ファスト回路が使え、エネルギー節約の思考が可能になります。
ちなみに、過去のパターンが繰り返される場合は、パターンマッチングの思考なので、人間がAIに勝てることはあり得ません。
時系列解析で、過去のパターンが繰り返されるためには、前提条件が変化しないことが必要です。
大谷翔平氏であれば、「体調を維持できる」、「強力は競争相手が出現しない」などの条件が変化しないことが必要です。これらの条件は、時系列データからは判断できません。
株価のテクニカル分析には、因果モデルの根拠はありません。(注1)
科学の基本は、因果モデルなので、以下では、多用される時系列解析としての帰納法は、無視することにします。
注1:ブラック–ショールズ方程式が、ほぼ、唯一の例外になります。
2-2)因果モデルとしての帰納法
論理学の教科書で扱っている帰納法は、因果モデルとしての帰納法です。
カーネマン流にいえば、スロー回路になります。
因果モデルを作成する手法として、帰納法のパフォーマンスは低いです。
風が吹けば桶屋が儲かるような複雑な因果関係を含むモデルは、アブダクションか、演繹法でしか作ることができません。
帰納法で、因果モデルの仮説をつくることはできますが、非常に簡単なモデルに限定されます。
原因と結果がともに、複数の因子からなるモデルを作ることは不可能です。
帰納法向けの因果モデルの典型は、回帰モデルです。
重回帰モデルのように、原因や結果をベクトルやマトリックスにして次元を上げることは容易ですが、異質な要素を複数取り込むことは困難です。
教科書で扱っている帰納法は、説明が混乱しています。
パースが、アブダクションを発見した時に、気付いた帰納法の間違いは、この混乱です。
帰納法は、データから、帰納を使って因果モデルの仮説を作成する手法です。
回帰モデルであれば、最少2乗法で、係数を求めて、因果モデルの式をつくることができます。
エクセルで散布図を作成して、近似直線をあてはめる方法です。
しかし、このステップは、因果モデルの作成であって、因果モデルの検証ではありません。
回帰モデルの係数を求めることが、モデル検証ではないのですが、この問題には、混乱の歴史があります。
今世紀に入って、モデル作成とモデル検証を区別する問題は、交差検証法によって整理されました。
交差検証法では、モデル作成とモデル検証は区別されます。
モデル作成で、最も残差の少ないモデルと。モデル検証で、最も残差の少ないモデルは一致しません。
この2つが一致しない原因は、過学習にあります。
過学習が生じる原因は、データに含まれるノイズとモデル作成に使うデータの偏りにあります。
経営者は、これまで売れた製品、過去の成功体験にこだわります。
この場合の「これまで売れた製品が売れる」というモデルは、過去のデータを元に作成されています。(注2)
最近のデータを元に、「これまで売れた製品が売れる」というモデルを検証するとモデルが成り立っていないことがあります。
これは、「これまで売れた製品が売れる」というモデルは、過去のデータに対して、過学習になっていて、最近のデータには、あてはまらないモデルであることを意味しています。
過学習の概念が理解できていれば、最近のデータを使った検証なしに、「これまで売れた製品が売れる」というモデルを、使いまわすことはあり得ません。
一方、経験に価値があるという帰納法の推論を使えば、この問題は回避できません。
まとめれば、教科書に載っている帰納法は、推論によって因果モデルをつくる方法としては価値があります。しかし、モデルの検証法ではないということです。
教科書には、演繹による推論には間違いはないが、帰納による推論は間違えることがあると書かれています。
この表現は、推論と検証を混同しています。帰納と演繹は推論の方法であって、検証の方法ではありません。
推論の方法としては、帰納は余りに、力が弱いので、使うメリットは少ないです。
注2:
ここでは、「これまで売れた製品が売れる」というモデルは、時系列モデルではなく、因果モデルであると仮定しています。
3)科学の方法による推論
科学の方法にしたがい、論説(ブリーフ)をまとめるべきであると最初に主張したのは、パースです。
したがって、筆者が、論説を書く理由は、プラグマティズムで論じたいということです。
プラグマティズムは、哲学の伝統をひいていますが、形而上学ではないので、哲学(イデオロギー)ではありません。
そのための要件は次の3つです。
1:帰納法を使わない
2:ミームのモデルを考える
3:イデオロギーを排除する
科学の推論は、正しさを保証しません。
実験をするまでは、正しいかわかりません。
ですから、筆者は、論説がただしいと主張するつもりはありません。
このように仮説を組み立てることも出来るだろうという例を示します。
筆者の論説の目的は、読者に考えるヒントを与えることです。
ミームのモデルは、科学とは、直接の関係はありませんが、非科学的な推論が行なわれる場合には、ミームが介在していることが多いので、取り上げます。