1)理論が更新されない理由
日本には、「30歳を過ぎると頭が硬くなり、新しい理論を受け付けなくなる」という問題があるが、アメリカとインドには、この問題がない、その理由を考えてみます。
この問題は、理論の世代と人間の世代のマッチング問題と、理論の世代交代が進まない問題に分解できます。
ただし、この2つは独立していませんので、分離して論ずることが困難です。できる範囲で、分けて考えます。
2)理論の世代交代が進まない問題
仮説の検証ができない場合には、理論の世代交代が進みません。
仮説の検証ができないと古い理論が間違っているという視点が生まれませんので、理論の改訂が起きません。
理論(仮説)が、リアルワールドのデータを反映していない場合と、検証不可能な仮説の場合には、理論の世代交代が進みません。
リアルワールドのデータを反映していない場合の典型は、来世の幸福を約束する宗教です。この場合には、理論の世代交代が進まないので、オリジナルの理論が、千年以上継続しています。
ポパーは、科学の基準として、検証可能性を提案しました。これは、理論の世代交代が進まない検証不可能な仮説は科学ではないという主張です。
筆者は、ポパーの視点は正しいと思いますが、ポパーが、バイナリーバイアスにとられているように感じます。
ベイズ統計学が使える現代では、ベイズ更新が出来れば、理論の世代交代が進んでいると考えます。ポパーのように無理をして、白黒をつける必要がありません。(注1)
ポパーは、検証不可能なマルクス主義と進化論は科学ではないと主張しました。
筆者は、進化論の理論の世代交代のプロセスを理解していませんが、進化論には、理論の世代交代があるので、検証可能な科学であると考えます。
一方、マルクス主義には、理論の世代交代がないので、検証可能な科学ではないと考えます。
もっとも、筆者のマルクス主義の理解は、進化論の理解以上に貧弱なので、見落としがある可能性も高いです。
例えば、欧米のマルクス主義には、理論の世代交代があるのかも知れません。
ただし、日本では、依然として、オリジナルな資料(経典?)である「資本論」を引用する人が多いので、日本のマルクス主義には、理論の世代交代がないと考えられます。
これは、生物学者が、進化論の議論をする場合には、データが全てで、「種の起源」を引用することがない事実と対比すれば、確認できます。
科学は、文献ではなく、データに依存します。
この点を無視すれば、理論の世代交代は、進みません。
この節の最後に、注意をしておきます。
理論の世代交代の動機は、新しいデータによって、古い理論は、限界に達するという疑惑があります。これは、クリティカル・シンキングと呼ばれます。クリティカル・シンキングは、可謬主義になります。
理論の世代交代を認めない無謬主義は科学ではなく、カルトになります。
注1:
橘玲氏は、「テクノリバタリアン」(p.4)で、日常的に「自然にベイズの数式(公式?、筆者注)を呼び出し、それに数字を当てはめて計算し、どのよう判断行動するかをきめるひと」を、「世界を数学的に把握する者たち」、あるいは、「テクノリバタリアン」と呼んでいます。
ベイズ更新は、理論の世代交代を進める可謬主義であり、科学の基本になります。
科学を否定する無謬主義からみれば、「テクノリバタリアン」は、異端にみえるかもしれません。
しかし、可謬主義の科学の視点でみれば、科学(データ)を否定する無謬主義が、間違いになります。
エビデンスに基づく政策は、データに基づく政策になるので、無謬主義の追放になります。
1945年の敗戦では、天皇は象徴になり、天皇制に基づく政策を行っていた官僚は、公職追放になりました。
同様に考えれば、エビデンスに基づく政策を行うためには、無謬主義に基づく政策を行っている官僚の公職追放が必要な可能性があります。
3)理論の世代と人間の世代のマッチング問題
ケインズの「30歳を過ぎると頭が硬くなり、新しい理論を受け付けなくなる」は、理論の世代と人間の世代のマッチング問題になります。
この問題を、クーンは「科学革命の構造」でパラダイム問題として論じていますが、同じ問題です。
人間の世代が、クリティカル・シンキングの可謬主義であれば、パラダイム問題は生じません。
しかし、クーンが「科学革命の構造」で問題にしたように、少々のクリティカル・シンキングでは、パラダイム問題の解決は困難です。
マイクロソフト研究所は、2009年に「第4パラダイム:データ集約型の科学的発見」で、グレイの次の科学の4段階(パラダイム)を提唱しました。
1st:経験科学
2nd:理論科学
3rd:計算科学(数値モデル)
4th:データサイエンス
経験科学には、仮説と検証がないので、科学といえませんが、リアルワールドでは使われているので、リストに入っています。
ポパーとクーンは、理論科学を研究対象にしました。
つまり、「科学革命の構造」のパラダイムと「第4パラダイム:データ集約型の科学的発見」のパラダイムは、別のものです。
「科学革命の構造」のパラダイムの用語を基準にすれば、「第4パラダイム:データ集約型の科学的発見」のパラダイムは、メタパラダイムになります。
ケインズとクーンは「30歳を過ぎると頭が硬くなり、新しい理論を受け付けなくなる」という「理論の世代と人間の世代のマッチング問題」を取り上げました。
しかし、「第4パラダイム」は、「30歳を過ぎると頭が硬くなり、新しいメタ理論を受け付けなくなる」という問題の存在を明らかにしました。
その典型が、エビデンスに基づく医療や政策であり、ベイズ更新になります。
これは、クーンの「科学革命の構造」の時代から考えれば、ほとんど不可能と思われるような「理論の世代と人間の世代のアンマッチング問題」です。
しかし、アメリカとインドは、この問題をクリアしています。
どうして、奇跡が起こったのでしょうか。
4)反事実の壁
進化の実験はできませんので、ポパーは、進化論は、後だしジャンケンの説明になっているといっています。
これは、現在でも、金融業界で、蔓延している説明です。
検証可能性には、事実と反事実を比較出来ることが、必要です。
理論科学のフレームワークでは、事実と反事実を比較出来る唯一の方法が、室内実験でした。
フィッシャーは、農場で、室外実験を担当します。フィッシャーは、室外では、交絡因子の制御ができないという問題に立ち向かいます。
with-withoutの比較をするためには、交絡因子を制御して、制御変数以外の条件を揃えたいのですが、実験室をでると、それは不可能になります。
そうなると、仮説は検証可能ではなく、仮説は科学でなくなります。
「第4パラダイム」の特徴は、理論科学に、計算科学とデータサイエンスの2つのメタパラダイムを追加した点にあります。
計算科学とデータサイエンスの一部の因果推論の科学では、反事実を扱うことができます。
この2つは、コンピュータの性能向上によって、初めて可能になった手法です。
つまり、「第4パラダイム」は、反事実を扱えない学問は、科学ではないので、消滅するだろうと予言していると解釈することも可能です。
これは、エビデンスに基づくXXというムーブメントに対応しています。
さて、ここまで来れば、アメリカとインドは、メタパラダイム問題をクリアした理由が、推測できます。
アメリカとインドの教育は、計算科学とデータサイエンスを取り入れています。
この2つの科学の特徴は、仮説が、コンピュータが処理するデータに基づいて検証されることです。
例えば、ベイズ更新では、データを入れるたびに、モデルは修正されます。
毎日データを追加すれば、毎日、モデルは更新されます。
モデルは、時間と空間に合わせてチューニングされます。
モデル(仮説)は、毎日変化します。モデルが使えなくなったら、モデル構造を変更します。
ここには、メタパラダイムがありますが、パラダイム問題はありません。
この状況は、ソフトウェアを考えれば、わかります。
ソフトウエアは、1年に、数回バージョンアップします。
古いバージョンのソフトウェアは、メンテナンスされなくなります。
小谷野敦氏は、「文学研究という不幸」(p.146)で、国文学は、<「古事記」の注釈に至っては、宣長の「古事記伝」を誰も超えられないとまで言われている>といいます。
これは、<「古事記」の注釈>が、メンテナンスの対象外になったことを意味します。
これは、<「古事記」の注釈>には、利用価値がなく、バージョンアップする動機がないためです。
<「古事記」の注釈>は科学ではないと思いますが、モデル(仮説)は、毎日変化する状況では、メンテナンス可能な理論は制限されます。
メンテナンスできない理論は、古いソフトウェアと同じ運命をたどると思われます。