カーネマンの「ノイズ」を読む(3)第18章「よい判断はよい人材から」(2)

カーネマンの「種の起源

リスペクト専門家とエビデンス専門家の違いは、専門家の「判断」の正しさを検証するエビデンスがあるか、否かです。

カーネマンは、次のように、言っています。

「この呼び方(リスペクト専門家)に軽蔑や揶揄が含まれていると考えないでほしい。判断の正確さを検証できないような事柄があるということは、専門家に対する批判でも何でもない。多くの分野について、それが、人生の真実である。教授、研究者、経営コンサルタントの多くはリスペクト専門家である。(中略)こうした分野では、あるプロフェッショナルが下した判断は、(エビデンスでは検証できず、)同業者の判断とだけ比較検討することができる」 ()は、筆者の補足です。

この部分を読むと筆者には、ダーウィンが、種の起源を書いた時の配慮が思い出されます。

種の起源は、生物学の世界を大きく変えました。特に、生物とは何かというコンセプトを大きく変えました。

カーネマンは、予防線を張っていますが、「ノイズ」が、専門家のコンセプトを変えてしまうことは予測できます。

第18章では、リスペクト専門家とエビデンス専門家を静的に捉えています。しかし、この視点は、問題を避けるために、意図的に設定されている可能性が高いと考えます。現実には、リスペクト専門家とエビデンス専門家の境界は、ダイナミックに移動しています。

例えば、EBMが、表に出て来て20年くらいしか経っていませんが、医学の世界では、リスペクト専門家から、エビデンス専門家への人口移動が起こっています。

統計学では、ベイズ統計の計算ができるようになって、20年くらいですが、頻度主義のp値をつかった仮説の検証は、「p-ハッキング」と呼ばれ、結論捏造の手法ととらえられるようになりました。(注1) 頻度主義は、確率分布をエビデンスに基づいて決定しないので、問題があると考えられえています。

このように、リスペクトに基づく研究手法は、エビデンスに基づく研究手法に、置き換わっていますので、同じことが、専門家の人口移動を引き起こしています。

注1: この指摘は、英語版のウィキペディアの「Paradigm」によります。日本語版の「Paradigm」、日英版の「Paradigm shift」には、載っていません。

仮説とエビデンス

エビデンスは、仮説を検証し、仮説を変更するためのものです。エビデンス専門家とリスペクト専門家が、同じテーマを論ずれば、前者の圧勝になります。「ノイズ」全体が、エビデンスのある領域では、リスペクト専門家の判断はいかにあてにならないかという事例で埋め尽くされています。リスペクト専門家は、今後も必要とされ、生き残るでしょうが、それは、エビデンス専門家が生息しない領域に限られます。

エビデンスが、仮説とセットであることは、重要です。仮説は、エビデンスによって、変更されるから、有用なのです。事実が、わかっても、変化しない仮説は、おそらく、トートロジーのような役立たずの仮説です。

ウィットゲンシュタインは、世界を事実によって変化する科学と、事実によって変化しない真理である哲学からなると考え、後者の世界の可能性を論理哲学論考で論じました。しかし、結論は、哲学には、何もないというものでした。事実に依存して変化しない真理という世界は、科学とは相入れませんが、そのような真理があるという認知バイアスがあります。

世界の中心は、事実によって変化しない真理であって、その周辺に、事実によって変化する科学が、分布しているというイメージです。

例えば、最近、「科学の学説の全ては仮説である」とか「99・9%は仮説」といった内容の本が売れています。

岩波書店によれば、ポアンカレが、「科学と仮説  La Science et l'hypothèse (1902)」を書いた時は、「科学などすべて仮説にすぎず、信ずるに足りないとの懐疑論が広まるなか」だったそうです。

「ノイズ」の世界は、逆で、世界の中心には、仮説とエビデンスがあって、エビデンス専門家が生息し、周辺に、リスペクト専門家がいるイメージです。

人文科学では、古くから残ってきた古典は、歴史の波を潜り抜けてきた真実を含んでいると考えますが、エビデンスベースで考えれば、エビデンスが追加されても、全く修正されない仮説(命題)や、エビデンスによる検証を受けつけない仮説(命題)は、有益性の低い命題であると考えます。

「ノイズ」の文脈を演繹すれば、自ずと、この結論が導かれるのですが、カーネマンは、そこには、予防線を張っています。

アルゴリズムエビデンス専門家

エビデンス専門家は、エビデンスに基づいて、知的作業を行います。自然科学であれば、その中心は、仮説と検証になりますが、第18章のテーマは、「よい判断」です。

「ノイズ」の副題は「組織はなぜ判断を誤るのか?」です。「よい判断」は、「ノイズ」を通じたテーマでもあります。

英語版のウィキペディアの「Decision-making」には、膨大な最近の研究成果が要約されています。「ノイズ」は、こうした研究を背景に書かれています。なお、日本語版のウィキペディアの「意思決定」には、キーワードの羅列だけで、要約は載っていません。

データサイエンスでは、判断は、「判別関数」の設計問題です。実は、この分野は、過去20年で、劇的に進みました。つまり、「エビデンス専門家」が、アルゴリズムに勝てない部分が、拡がっています。アルゴリズムも後で、出てきますが、ここでは、伏線に止まっています。

第18章は、問題提起をしていると見ることができます。

  • Paradigm shift wiki

https://en.wikipedia.org/wiki/Paradigm_shift

https://en.wikipedia.org/wiki/Paradigm

  • Decision-making wiki

https://en.wikipedia.org/wiki/Decision-making

https://www.iwanami.co.jp/book/b595686.html