教程の循環論理~経験科学の終わり

1)出発点

 

この本のテーマは、最初に書いた次の点にあります。

 

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DXは、データサイエンスの応用ですから、データサイエンスの論理(パラダイム)で考えるべきです。

 

しかし、日本の現状をみると、経験科学の論者が多いために、DXは経験科学の論理で、語られています。



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この現状認識は間違っていないと思いますが、循環論理の問題があることを補足で指摘しておきます。

 

2)仮説(知識)の定式化

 

問題を、整理します。

 

マイクロソフトの4つの科学パラダイムは、次から構成されています。

 

(1)経験科学

(2)理論科学

(3)計算科学

(4)データサイエンス

 

ここでは、(1)は従来の科学史では、自然科学とは見なされません。

(2)(3)(4)に共通する自然科学は、エビデンスに基づき仮説が検証され、更新されるという手続きにあります。

 

(1)経験科学には、検証手続きがありません。検証手続きとは、間違った仮説を廃棄して、新しいより効果的な仮説に入れ替える手続きを指します。

 

「仮説で構成される知識には、間違いがあり、それは、検証され、更新されるべきである」という信念です。

 

仮説は、一般には、「If A then B」(*1) の形式で表現されますが、この表現には問題があります。

 

仮説は、もっとも単純な形式でも次と考えるべきです。

 

「 If (A1 and A2) then B 」(*2)



ここで、A2は、暗黙の前提条件です。

 

A2を無視すると(*2)は次の形になります。

 

「 If A1 then B 」(*3)

 

(*1)と(*3)は同じ形をしています。

 

しかし、隠れたA2の効果はは大きいです。

 

データから、(*1)または(*3)の仮説を作成したと仮定します。

 

ある時点で、この仮説が有効でなくなることがあります。

 

その場合、(*3)式は、(*2)式の省略形ですから、A2が変化したと考えれば、仮説が成り立たなくなった理由を説明できます。

 

仮説が、(*2)の形をしていると考えれば、全ての知識には有効期限や適用可能範囲があると言えます。

以上は、説明上、仮説として取り扱いましたが、知識一般で成り立つツールです。

 

150年前であれば、「通信したければ、手紙を書く」というのが有効な知識でした。

 

このルールは、電報、電話、Eメール、LINEといった形で、科学技術の世代が変わっていき、「有効な知識」の内容が変化していきます。

 

細かくみれば、4Gと5Gの間だけでも変化があります。

 

情報科学では、知識の半減期は7年と言われています。最近のAIでは、知識の半減期は1年という人もいます。

 

まとめれば、(2)(3)(4)に共通する科学的世界観は以下です。

 

「知識(仮説)は、常に、科学技術の進歩やエビデンス(A2)の変化によって書き換えられるものであり、知識(仮説)を覚えることには価値はない」

 

3)何を教えるか(教程)

 

人材育成で、「何を教えるか(教程)」は、極めて重要です。

 

特に初等教育中等教育の場合には、タイムラグは10年以上ありますので、10年後に求められるような人材を育てる教程を組む必要があります。

 

簡単にいえば、教程は、未来の人材に対応している必要があります。

 

現在は、科学技術の時代ですから、国力や国の経済力は、科学技術の高度人材が左右すると言えます。

 

そこでは、上記のような科学的世界観に基づいた教育が求められ、それに対応した教程が組まれる必要があります。

 

IT人材が不足してから、教科に情報を追加するといった対応では、10年のタイムラグを考えると、教程の戦略上の失敗になってしまいます。

 

教科をつくったが教える人材がいないという現実は、教程が戦略的に組まれていなかった事実をしめしています。

 

一方、海外では、スイスの国際バカロレアには、次の教程があります。(ウィキペディア

 

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Primary Years Programmeの略。3歳から12歳までを対象とした教程。探究する人としての基礎教育、そのために必要な知力、体力、精神力のバランスが取れた人間になることを目指す教程。

 

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探究する人と言うのは、簡単に言えば、仮説を作って検証していくことですから、科学技術人材の育成を目指していることになります。

 

ここでいう科学とはデータサイエンスも含みますので、検証のない経験科学から、検証可能な科学のできる人材の育成と転換を目指していることがわかります。

 

一方、文部科学省の「新しい学習指導要領等が目指す姿」は次になっています。

 

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学習指導要領等の構造化の在り方

 

    次期学習指導要領等については、資質・能力の三つの柱全体を捉え、教育課程を通じてそれらをいかに育成していくかという観点から、構造的な見直しを行うことが必要である。これはすなわち、教育課程について、「何を知っているか」という知識の内容を体系的に示した計画に留(とど)まらず、「それを使ってどのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか」までを視野に入れたものとして議論するということである。

 

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ここでは、「何を知っているか」に価値がある、「何を知っているか」は変化しない(知識に半減期はない)というモデルが採用されていることがわかります。

 

これは、科学的世界観とは、あいいれません。

 

つまり、科学技術人材の教程としては、問題があることになります。



4)出発点に戻る

 

繰り返しますが、この本のテーマは、最初に書いた次の点にあります。

 

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DXは、データサイエンスの応用ですから、データサイエンスの論理(パラダイム)で考えるべきです。

 

しかし、日本の現状をみると、経験科学の論者が多いために、DXは経験科学の論理で、語られています。



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「DXは経験科学の論理で、語られています」と書いたのですが、同じことは、教程についても言えます。



「学習指導要領等」を作成している専門家は経験科学の専門家です。

 

その結果、「学習指導要領等」は、データサイエンスの論理で作られていません。

 

どのように「学習指導要領等」を改訂しても、それが、データサイエンスの論理ではなく、経験科学の論理で作られる限り、科学技術人材の教程ができることは、期待できません。

 

これが、本章の頭で述べた循環論理の問題です。

 

ここには、議論して理解しあうことの出来ないリテラシーのギャップがあります。

 

引用文献

 

新しい学習指導要領等が目指す姿 文部科学省 平成27年11月

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1364316.htm