霞ヶ浦湖畔公園(大須賀津湖畔農村公園)(1)(美浦村)
霞ヶ浦湖畔公園は、大須賀津農村公園(Google Map)、大須賀津湖畔農村公園(美浦村の案内図)とも呼ばれています。
霞ヶ浦湖畔公園という名称は、一般には、使われていませんが、この公園を作った時の美浦村長の市川紀行氏が、霞ヶ浦湖畔公園と呼んでいますので、ここでは、これを正式名称と考えます。この名称が使われないのは、既に紹介している霞ヶ浦総合公園と紛らわしいためと思われます。
2021/04/10
2021/02/14
2020/05/28
美浦村の施設では、光と風の丘公園を既に紹介しています。
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2021/06/28
2021/06/27
2021/06/26
「美浦村観光スポットVRツアーマップ」に、紹介されている観光スポットは、次の3か所です。
これから、光と風の丘公園を別格とすれば、霞ヶ浦湖畔公園は、美浦村の代表的な観光スポットです。
農村公園が、本格的に、建設されたのは、バブルの頃からです。
霞ヶ浦湖畔公園も、1996年に、建設されています。
このブログで紹介した、鶴の舞橋(つるのまいはし)は、日本一の木造三連太鼓橋といわれ、1994年に建設されています。
鶴の舞橋は、バブルの強烈なにおいがします。お金をかけて、目立つ建造物を作りたいという意図が透けて見えます。それは、グレートギャツビーにも似た、バブルのころの社会の反映でもあります。
1994年に建設された竜神大吊橋も、同じような傾向の建築物です。
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このタイプの建築物は、今後、維持管理費が問題になる可能性が大です。
実は、筆者は、霞ヶ浦湖畔公園も、維持管理費を捻出するのが、難しいバブリーな建築ではないかと思っていました。
しかし、現地を訪れて、それは、大きな間違いであることがわかりました。
霞ヶ浦湖畔公園は、圃場整備の竣工を、記念して造られています。
写真1と写真2に、文字が読みやすいように、圃場整備の記念碑を2つに分けて示します。
この記念碑は、1998年に建てられています。
写真5に示す、霞ヶ浦湖畔公園の趣意書は、1996年に建てられた「湖畔の午後」の像の足元にあります。
つまり、霞ヶ浦湖畔公園は圃場整備の一環としてデザインされ、圃場整備が、全て終わる前に、先行して竣工しています。霞ヶ浦湖畔公園と圃場整備はセットで切り離せません。
写真3が、公園の展望台です。展望台は、山に土をもって、その上に建てることで経費を節減しています。
写真4は、「湖畔の午後」の像です。この公園には、展望台と「湖畔の午後」の像しかありません。
写真5の趣意書を見ると、「湖畔の午後」の像の作者は、美浦村出身で、そのことがここに、像を設置した由縁であることがわかります。
ですから、霞ヶ浦湖畔公園は、極めて、質素で、バブルとは無縁です。
写真6は、圃場整備でできた大規模圃場(水田)と筑波山です。
展望台からの風景は、次回に、書きます。
https://www.vr-ibaraki.jp/sightseeing-spots/ibaraki-miho-360vr-tour.html
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