上高津貝塚(2)(土浦市)
美浦村にある陸平貝塚を見たので、比較のために、上高津貝塚を再度チェックしてみました。
上高津貝塚は、既に、以下で、紹介しています。
2021/04/15
2020/05/16
上高津貝塚は、1900年に島田増次郎が行った調査が最初です。
陸平貝塚の調査の1879年に遅れること21年です。
上高津貝塚の遺跡は長径190メートル、短径120メートルほどの範囲に馬蹄形に広がり、A・B・C・D・E地点と名付けられた5か所の地点貝塚が存在しています。
どちらも、内海であった霞ヶ浦から、貝を採取したと考えられています。
写真1は、1995年(平成7年)10月17日に開館した考古資料館です。
陸平貝塚の美浦村文化財センター(別称 陸平研究所)は、2004年にオープンですので、9年、上高津貝塚が早いです。
写真2は、貝層断面展示施設です。これは、陸平貝塚や、大森貝塚に比べると本格的な施設です。
ただし、貝塚を柱状に削っているのは、展示のためです。
写真3は、掘立柱建物(復元)です。
写真4は、竪穴住居(復元)で3棟あります。
このほかに、「縄文時代の森(復元)」があります。正直、「縄文時代の森」という特殊な森があるとは思われないのですが、これも、復元されています。
こうして並べてみると、遺跡の展示は、自治体の財政力を反映していることがわかります。
遺跡の価値が、自治体の財政力で、決まるわけではないので、釈然としない気もします。
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