陸平貝塚公園(1)(美浦村)
陸平(おかだいら)貝塚公園は、陸平貝塚を中心に整備された公園です。
wikiの説明を引用します。
1879年(明治12年)当時、東京大学生でエドワード・S・モースに学んだ佐々木忠次郎、飯島魁によって日本人で初めて発掘調査が行われた遺跡であり「日本考古学の原点」と称され、考古学史の観点からも重要な遺跡である。そののち、1970年代に住宅団地開発計画がもちあがり、遺跡は破壊の危機に直面するが、開発計画自体が中止された。また、1980年代にもリゾート開発が計画され、今回は、当初から「開発と遺跡保存は並列」という理念のもとで完全保存が検討された。しかし、この計画もバブル景気の崩壊の影響を受けて頓挫した。1990年代には、住民ボランティア団体を中心に、陸平貝塚を告知する活動を始め、1998年に国の史跡に指定された。現在でも貝塚を含め周辺は、手を加えられておらず、大切に保存されている。
貝塚の展示は、難しいです。大森貝塚では、大森貝塚遺跡庭園の中に、浅井戸のような「貝塚展示ブース」が設けられています。
陸平貝塚では、陸平貝塚公園内にある美浦村文化財センター内に、断面標本が展示されています。
写真1が、案内板です。案内板は、駐車場に設置されていますが、より鮮明なものが、HPにありましたので、ここでは、HPの図を引用しています。美浦村文化財センターは、文化財センターと表示されています。
写真2は、復元竪穴住居です。
写真3に、復元竪穴住居の建築の経過が説明されています。
復元竪穴住居は、地元のボランティアが、昔の工法で、1年かけて建築したと書かれています。
写真4は、陸平貝塚公園の広場です。1879年に発掘された貝塚Aは、写真の左側にある四阿の裏側に位置します。
広場には、復元竪穴住居、四阿、トイレがあります。
写真のように、貝塚の展示は、芝生広場になりやすく、難しいです。
そこで、今回は、陸平貝塚公園を、複数回を使って、丁寧にみていきます。
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陸平貝塚公園のご紹介
https://www.vill.miho.lg.jp/page/page000466.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E5%B9%B3%E8%B2%9D%E5%A1%9A
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品川歴史館の常設展示
https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/jigyo/06/historyhp/midokoro/otona/otona.html
https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/jigyo/06/historyhp/pdf/pub/pamphlet/oomorikaiduka.pdf
https://parkful.net/2016/01/omorishellmounds-garden/
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