計算論的思考と人文・社会科学(6)~帰納法と演繹法をめぐる考察(15)

計算論的思考と人文・社会科学(6)

認知メガネとVR(1)

認知メガネ

人間が、モノを見るときには、認知のメガネをかけています。素朴な機能論は、目が、光の信号を収集すると考え、目の前に、リンゴがあれば、赤い反射光の集合から、リンゴを認知すると考えます。これは、デジタルカメラのセンサーによってえられた画像データをニューラルネットのAIが分析して、リンゴであると判別するようなものです。しかし、このアイデアは、素朴すぎます。

例えば、ケーキ屋さんでケーキを見たときに、多くの人は、どの程度、美味しそうかしらと値踏みをするでしょう。有能なパティシェであれば、ケーキを見た時点で、材料や製造工程を推測し、自分が作るケーキとどこが違うかを評価するでしょう。観光パンフレットを作っている人であれば、このケーキは、写真にとって、ガイドブックに載せるのに値するか、類似のケーキと差別化できるセールスポイントがあるかを判断するでしょう。奥さんがケーキ好きな旦那が、ケーキを見た場合には、このケーキは奥さんの好みにあうか、買って帰ったら喜ばれるかを値踏みするでしょう。食物アレルギーのある人であれば、ケーキの中で、アレルギーにならないものがあるかを探すでしょう。このように、ケーキを見るということは、ケーキを見る人とケーキの関わり合いを示す認知のメガネを通じて、ケーキを認識していることになります。

どのような認知メガネをかけるかは観察者が主体的に決めるもので、演繹的に決まります。(注1)認知メガネをかけて、ケーキを見ることは、観察であって、介入では、ありませんが、ケーキを購入して、食べれば介入になります。単純な観察によって得られる情報と、介入に伴う観察によって得られる情報の量と質がけた違いに異なることは、ケーキを食べてみればわかります。見た目が美味しそうなケーキが、食べて美味しいとは限らないのです。(注2)

しかし、観光パンフレットに掲載する情報は、ひたすら見た目が美味しそうなケーキになりますので、ケーキのデジタル画像から、美味しくなさそうな情報を削除して、美味しそうな情報を強調します。この操作をするためには、何が美味しそうに見えるかという世界観が必要です。

観光パンフレットに使う写真は、風景がきれいで、見た人に行ってみたいと思わせなければなりません。つまり、良い風景写真を撮影することは、そのエリアで一番きれいなシーンを発掘することです。対象エリアにいって、どこに立って、どのアングルで撮影すれば、ベストショットになるかを、まず、頭の中でシミュレーションします。そして、シミュレーション結果のベストショットと思われる地点に実際にいって、シミュレーションが正しかったかを確認して、撮影します。この場合、シミュレーションが失敗する最大の原因は、電線です。シミュレーションが失敗した場合には、セカンド・ベストで同じことを繰り返します。場合によっては、光線の異なる別の時間帯に撮影をし直します。撮影後、撮影した画像が、イメージしたものと異なれば、頭の中のイメージに合うように編集します。(注3)

観光パンフレットの写真に限らず、写真をとるということは、対象の中で、自分が見たいもの(主題)が何かを明確に提示することです。こうした主題のない写真は、見る人に理解されません。夏の風景を見るときに、薄いアンバー系のサングラスをかけると、実際の風景よりきれいな風景に見えます。フイルムカメラ時代には、レンズの前につけるフィルターを工夫して、きれいな風景を撮影しました。まさに、色メガネです。デジタルになって、ハードウェアのフィルターの代わりに、より自由度の高いデジタル編集を使っている訳です。

人間が、認知メガネでモノを見ているという仮説は、素朴な帰納法仮説よりは、実用的な価値が高いです。つまり、プラグマティズムの基準で見れば、より真実に近いことになります。しかしながら、各個人が、まったく別々の認知メガネをかけていれば、相互理解は難しくなります。これは、お互いに、ほどほど理解できているという現実にはあいません。そうすると、可能性のある仮説は、各個人の認知メガネには、グループがあるという仮説です。サングラスで例えれば、アンバーが好きなひとと、グリーンが好きな人と、イエローが好きな人がいる。さらに、サングラスも、濃い濃度が好きな人と、薄い濃度が好きな人がいるといったイメージです。この場合、当然ですが、類似のサングラスをかけている人の間では、意思疎通が容易ですが、異なったタイプのサングラスをかけている人とは、世界が異なって見えますので、意思疎通は困難になります。

どうして、このような面倒なことを考えるかというと、第1に、4Gになって、炎上などのSNSの問題は、色メガネの問題と思われるからです。第2に、アマゾンなどのレコメンドシステムの背後にある認知モデルは、ほぼこの色メガネモデルだからです。これには、危険な面もありますが、例えば、教育システムに、レコメンドシステムのような色メガネモデルが導入できれば、教育効果が劇的に上がるはずです。一方では、これは一つ間違えば、洗脳につながります。レコメンドシステムは、自己の意思より、他人(AIも含む)の推薦に従う点で、洗脳システムであるという理解も不可能ではありません。(注4)

次回は、VRについて考えます。

注1:

この点で、帰納法は客観的であるという仮説は幻想にすぎません。

注2:

これは、今回のテーマではないので、深入りしませんが、ケーキの例で、介入のない観察が如何に、間違いを引き起こしやすいかが、感覚的に理解できます。しかし、自然科学、人文科学、社会科学の多くの分野では、依然として介入のない観察研究が主流になっています。

注3:

主題に基づく、写真の編集の例を示しておきます。「主題のない写真は理解されない。」ことが実感できると思います。なお、この写真は、走行中の自動車の中から撮影したので、アングルについては、まったく考慮がなされていません。(以下の写真参照のこと)

注4:

そもそも自由意志が存在するという証拠は少ないです。自由意志は存在しても、限定的でしょう。進化の過程で、人類は集団を作ることで生き残ってきました。このため個人の意思より、集団の意志決定を優先するDNAが組み込まれているはずです。集団の意志決定を優先しすぎると全体主義になります。ネットワーク時代になって、個人や小集団で実現できる事業のエリアが飛躍的に拡大し、逆に、国家のような大集団で実現できる事業のエリアは縮小しています。今後の進化の過程で集団の意志決定を優先するDNAは弱まるでしょう。こうした生物学的なDNAが変化する前に、社会組織システム(ある種の文化のDNA)が変化するはずで、現在は、その過程の途上にあると言えます。エマニュル・トッドの分析が有効である理由は、集団の意志決定問題を適切に取り扱っているためです。

 

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写真1 編集前の写真

 

 

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写真2 主題に基づく編集後の写真