フュージョンと良い写真をめぐる考察(14)

ボケとフュージョン

ボケについては、WEBでも多く書かれていて、論者が多いと思います。ここでは、論じたいことは次の2点です。

  • 目のフュージョンとボケの間には関係がある

  • ポートレートを除くと、一部にボケを入れながら、その他をボケさせないことは、難しい。

 

目のフュージョンとボケの関係

写真1は、ラベンダーとミツバチです。これはボケてしまった失敗写真ですが、ポイントは目のフュージョンとボケの関係です。

中央のミツバチとラベンダーを注視すると目がボケて見えないところを見ようとすることがわかります。これは、目の焦点は、注視するところに移動する(フュージョン)ため、ボケがないためです。つまり、ピントが合ったところに隣接するボケを見ると、目と脳は、これは、焦点の合わせそこないであると判断して、焦点を合わせなおして、ボケない画像を得ようとします。このため、ボケには、目を引き付ける効果が生じます。しかし、この作用は、ピントの合っているところから離れた大きなボケに対しては働きません。しがって、筆者は、ボケの表現で重要な場所は、ボケはじめの部分であると考えています。(注1)歴史的には、ボケはあるべきではないとする立場のカメラマンもいます。しかし、実際に、写真1のような画像を注視すると自分の目と脳の動きを観察できるので、筆者は、ボケは、写真の表現方法としてはありと考えています。(注2)絵画では、注視させたくないところは、コントラストを弱くするか、暗くすることで、注意がいかないようにします。これは、写真が出てくるまで、画家の表現には、ボケがなかったためです。初期の印象派の画家であるターナーには、大気と光の効果を追求して、事物の形態があいまいになった絵画もありますが、これはボケとは異なります。絵画にボケが応用されるのは、もう少し後の世代になります。いずれにしても、筆者は、ボケは、注視点に順次、焦点を合わせようとする目のフュージョン作用を考えて活用すべきであると考えます。(注3)

 

ボケの制御の難しさ

ボケの議論は、ポートレートが多いです。ポートレートには、次の特徴があります。

  • 撮影するアングルが数パターンに集約され、ライティングされていることが多い。つまり、焦点距離、F値、被写体との距離の組み合わせパターンが決められる。

  • 被写体と背景の間に距離をとりやすく、ボケる部分とボケない部分の区分が容易にできる。

  • 被写体はポースをとってくれ、基本的には、動いていない。

これらの条件は、ポートレート以外では、難しいです。

以下のボケの議論は、ポートレートを除いた場合です。例をあげます。

写真2は、蝶です。この写真の主題は、中央の蝶と花です。ここでは、F5.6まで絞っていますが、蝶の左の羽がボケてしまっています。花だけであれば、マクロレンズをつかって、連射して、深度合成すればよいと思われますが、蝶は止まってくれないので、この手法はつかえません。結局は、絞りが不足であったことになります。

写真3は、花です。この写真の場合には、花はボケずに、背景だけがボケていますので、写真3に比べれば、まともに写ったと言えるかもしれません。しかし、花が、宙に浮いているようで、不自然な写真でもあります。

写真4は、梅の写真です。最近、梅の花が咲いたので、梅の写真をとっています。中央の枝は、ボケていませんが、脇の2本の枝はすこしボケています。ただし、脇の枝のボケは意図して行ったのか、たまたま、うまく絞り切れなかったかは、釈然としません。

偕楽園のHPをみると、梅の写真がのっていますが、多くは、木を数本以上撮影したものです。写真5のような構図では、撮影者の意図をボケに反映させることは難しいのです。偕楽園のHPにある梅を大写しにした画像は、写真4をトリミングした写真5のような構図でボケのない画像になっています。(注4)

写真6は、写真4で、主題に関係ない部分をsoftenフィルターでマスクしたものです。このフィルター処理は、ボケに比べるとつたないので、改善する余地があります。しかし、主題とそれ以外を明確に際立たせる点では、写真4よりも優れています。このように、ボケていない部分や、ボケの少ない部分を撮影した後で、ボケ風に画像処理することはできます。(注5)しかし、逆に、ボケてしまった画像から、画像変換で、ボケていない画像を作ることはできません。この点を考えると、大きくボケると、画像の制御は難しくなります。

注1:

これは、筆者のボケの解釈で、通常の解釈とはことなります。wikiのよれば、次のような説明です。


ボケ表現は写真を見る人に注目させたい部分(主役)を浮き立たせる効果を持つ。たとえば上記の写真では少女のみにピントが合っており背景はぼけているが、この状態では見る人の多くは背景に注目しない。これは心理的な要因によるものであり、これによって写真内に写った余計なものから鑑賞者の目をそらすことができる。


これは、ボケの部分は見えないので、ボケていない部分に注意が集中するという解釈です。

これに、対して筆者の解釈は、目のフュージョン効果のために、ボケが注視されると考えます。つまり、ボケがあると目を引かれるのは、ボケはじめの目にとって理不尽な画像の効果であると考えます。

  • ボケ (写真) wiki

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B1_(%E5%86%99%E7%9C%9F)

注2:

wikiによれば、次のように書かれていますので、英語圏では、ボケは、古から使われた表現ではありません。また、ボケが日本語のまま英語になったのも、そのためと思われます・


英語で"Bokeh"という単語が用いられるようになったのは「遅くとも2000年から」とWikipedia英語版(en:Bokeh)に書かれているので、新しい表現手法として受け止められていると考えられる


注3:

当たり前ですが、ここでは、主題と独立した玉ボケは対象外です。写真7に画像処理による玉ボケのサンプルを添付します。

注4:

梅の撮影については、別に回を起こしたいと考えています。

注5:

深度合成に使うような、焦点をずらしたマルチショット画像があれば、画像合成で、もっと実際に近いボケがつくれると思います。また、このケースでは、望遠レンズをつかって、圧縮効果をねらった方が、良かったかもしれません。ただし、個人的には、換算150-200㎜を超える望遠レンズは、画質が怖いので使わないようにしています。

 

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写真1 ラベンダーとミツバチ 40mm(換算80mm) F2.8

 

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写真2 蝶 40mm(換算80mm) F5.6

 

 

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写真3 花 80mm(換算120㎜) F4.0

 

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写真4 梅 25mm(換算50mm) F1.8

 

 

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写真5 梅(トリミング)

 

 

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写真6 梅(softenでマスク処理)

 

 

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写真7 画像処理による玉ボケのサンプル