フュージョンと良い写真をめぐる考察(11)

認知のミッシングリンクと写真・現代芸術

前回、現代美術の説明を、中途半端に行ったあとで、段々不安になってきたことを今回書きます。

  • ワークフローの復習

最初にワークフローを復習しておきます。

図1は、人間の目の認識をデジカメ風に描いたものです。処理は、左から右に流れますが、煩雑になるので、矢印は入れていません。

人間の視角は50度なので、50度より広い画角を見た場合には、人間の目は対象を複数の画像としてRAWデータをえます。それを、光の強さに反応するベースカーブに変換したあとで、脳内で合成して、合成RAWデータを作ります。これが見えづらい場合には、トーンカーブをかけて、見やすいJpeg(RGB)データを得ます。

図2は、表示参照ワークフローの説明です。点線の左がカメラの中で、右が現像ソフトの中です。図1に合わせてRAWを図にしていますが、広角レンズで撮影する場合には、1ショットで3つのRAWデータ=合成RAWデータが得られます。表示参照ワークフローでは、合成RAWファイルに対して、BASEカーブをかけたあと、トーンカーブで微調整して、Jpegファイルを得ます。図1の人間の目では、3つのRAWデータがありますが、このRAWデータは写している範囲が違うだけでなく、露光が違います。このためBASEカーブで変換したあとで、合成RAWを作る場合に調整(フュージョン)がかかります。図2は、その過程を無視しているので問題であるというのが現在のdarktable開発チームの考えです。

図3は、シーン参照ワークフローの説明です。

図4は、認知のミッシングリンクの説明です。

図1から、図3は、図4でいえば、合成RAWからディスプレイ上のJpegを作る作業です。図4は、その前後があって、まともに扱われていない認知のミッシングリンクになっていることを表しています。

例えば、カメラのベースカーブは、基準化されていません。レコードを例にとると、物理的な制約から、レコードのカッティングは1kHzを基準として低域を少なく、逆に高域を多くした上で行われるため、再生時には逆のEQカーブ特性を持ったイコライザーをかけなければなりません。規格の標準化は1954年に米RIAA (Recording  Industry Association of America=アメリカレコード協会)が主導して行っています。これ以外にも、SPレコード時代には、レコードの回転数も統一されておらず、毎分78回転が多かったとはいえ、80回転などほかの規格もありました。デジタルカメラの場合には、ベースカーブの特性の他に、RGBのフィルター特性もRAWの値に効いてくるのですが、基準化されていないようです。ベーカーブのデータは非公開ですが、カメラのRAWのJpeg画像を比較すれば、変換関数を作ることができます。おそらく、darktableはこの方法で、ベースカーブを作っているとおもわれ、ベースカーブモジュールのプリセットのカーブにはCanon風という名称がつけられています。

darltable3.4になって、カラーキャリブレーションモデルが追加され、色調整が劇的に改善されました。とはいえ、普及型のディスプレイは、広い色空間に対応していません。また、OSも、HDRは色空間に対応していないものが多いです。したがって、手元のディスプレイで、RAW現像で、どんなに編集に手をかけても、受けてのPCやスマホJpegが同じように見えている保証はありません。しかし、この分野は、基準化と基準化に対応した機材の価格低下が毎年進んでいるので、写真をJpegではなく、RAWで保存しておけば、将来に再編集すれば、その画像が使えると思われます。

これが、プリンタになると、更に、色空間もダイナミックレンジも狭くなるので、ディスプレイで見たように印刷することは不可能です。恐ろしいのは、この分野は、ディスプレイに比べると、進歩が遅いことです。将来、インクジェットに変わる方式とか、3次元的にインクを吹き付けるインクジェット方式とかのブレークスルーが出くるのを待ちたいと思います。

最後が人間の目の問題です。緑内障白内障になると、見え方が変わってしまいますが、そこまで、極端な変質でなくとも、人間の目の性能には、個人差のばらつきがあります。また、写真は脳で見るので、脳の学習によっても、見え方はことなります。どこまでを対象とするかは不明ですが、補聴器を付けるようなイメージまたは、RIAA カーブに個人差による補正項を加えるようなイメージかもしれませんが、基準化が効果を発揮できる部分があります。

以上のような認知のミッシングリンクが埋まってくれば、写真に限らず、芸術のイメージが、変わるはずです。

  • 現代芸術

前回、書いたように、近代芸術が何かについては、ある程度の見解の一致が見られますが、現在、芸術についは、見解が割れているようです。筆者は、写真を紙に印刷して、額に入れてみることにあまり価値を感じません。その理由は、物理的なダイナミックレンジがディスプレイより低いので、表現できる幅が狭いからです。例えれば、カラー写真を全てモノクロで見ているようなイメージです。同様に、現在の美術館の必要性にも、疑問をもっています。昔の絵画で、制作者が美術館や広い部屋で見ることを想定して制作したものは、美術館で見る価値があります。これは、過去にカキツバタ屏風の例をあげてあります。(注1)しかし、現在では、最大の展示場所は、写真でも、美術でもWEBの上ですから、WEBで見られることを前提に作品が制作されています。クラシック音楽では、このリアルとバーチャルの逆転ビジネスを成功させたのが、1960年代からのカラヤンと言われています。コンサートホールでは、S席の一部以外では、楽器の音が混ざり合って、細部は聞き取れません。しかし、LPレコードで聞くと、最上のS席以上に、楽器の細部が聞き分けられるのです。これは、バーチャルであるか否かの問題ではなく、認知のミッシングリンクを埋める問題解決の例です。美術館が、WEBより展示場所として優れているとすれば、それは、視角の広がりで空間を感じやすい点です。しかし、この問題もVRゴーグルで解決されつつあります。

現代美術の例を探したところ、隣の牛久市で、WEBで現代美術展を開催していることがわかりました。(注2)そのページを開いて考えてしまいました。展示ぺージには、絵の素材は、どのような紙で、どのような絵の具をつかったかが書かれています。これは、写真で言えば、芝生の上の白いビーナス像をみて、芝生(植物製)、ビーナス像(大理石製)と書くようなものです。写真では、フレームに入った全てが作品であって、素材にはこだわりません。建築や彫像の場合には、それを作る人も写真を見るかもしれないので、参考までに記載することはありますが、基本は、素材はどうでもいいことです。

それから、絵画は正面から撮影した写真で、絵画全体が入っています。筆者も昔は絵を描いていたことがあるので、このセンスはわかりますが、カメラマンは、決してこうした写真は撮影しないと思います。カメラマンが、依頼主の指示にしたがって、保存記録用の写真を撮る場合を除けば、カメラマンが美術館に行ったときには、美術館に行って作品を見るという体験をどのように写真に変換するかに注意がいくと思います。その点では、カメラマンの視点は、美術館に行くという認知のミッシングリンクをどのように埋めるかに関心があります。一方、現在美術展には、こうした認知のミッシングリンクを埋めるという視点はありませんでした。WEBの展示会は画集を見ているのと変わりませんでした。

 

注1:

風景写真の遠近法の研究(2) 2020/10/04

computer-philosopher.hatenablog.com

 

注2:

現代美術展と書かれていますがやたらに具象が多いと感じました。

  • うしく現代美術展2020特別企画 WEB公開 令和2年11月16日(月)~令和3年3月31日(水)

http://www.city.ushiku.lg.jp/page/page009864.html

https://en.wikipedia.org/wiki/RIAA_equalization

 

 

f:id:computer_philosopher:20210214165856j:plain

図1 人間の目

 

f:id:computer_philosopher:20210214165920j:plain

図2 表示参照ワークフロー

 

 

f:id:computer_philosopher:20210214165938j:plain

図3 シーン参照ワークフロー

 

 

f:id:computer_philosopher:20210214170008j:plain

図4 デジタル写真の基準化と認知のミッシングリンク