「因果推論の科学」をめぐって(30)

注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。

 

(30)科学の問題

 

1)科学とは何か

 

パール先生のテーマは、因果推論の科学の普及です。

 

しかし、その前提には、科学が普及していることがあります。

 

実は、日本では科学が普及していないのですが、そのことが理解されていません。

 

ある人は、「科学の99%は仮説である」といいます。

 

この表現は、「科学の99%は間違っているかもしれない」(科学には、間違いがある)というイメージを強調しています。

 

しかし、この発言は、間違いです。

 

科学は、正しいか、間違っているかについては、何も言いません。

 

義務教育から始まって、科学の公式を暗記させるカリキュラムが行なわれていますが、このカリキュラムは、科学とは関係がありません。

 

「科学の99%は間違っているかもしれない」(科学には、間違いがある)というイメージは形而上学です。観測された事実とは独立した真理(正解)があるという主張です。

 

科学は、形而上学を否定していますので、間違っているという基準があるという思い込みは否定されています。

 

過去には、こうした形而上学の燃えカスが残っていました。例えば、誤差という表現は、観測不可能は、真の値を基準にしていますので、現在では、正確を期する場合には、使うべきでない用語になっています。代表値に平均値を使う方法は、データに異常値が含まれている場合には、ロバストネスがないので、間違った方法です。中央値と平均値の差が大きい場合には、異常値を疑うべきです。

 

こうした科学の基本理解のないテキストが蔓延しています。

 

アメリカの生物学の教科書をみれば、最初に科学的方法論の説明があります。

 

ところが、日本の生物学の教科書には、科学的方法論の説明がありません。

 

これは、文部科学省が科学とは、確かな真実を暗記する教科であると考えていることを示しています。

 

科学とは、科学的な方法論というプロトコルを示す言葉です。

 

パール先生は、因果推論の科学を因果推論のレンズで、対象をみることであるといいます。

 

この科学のレンズで、対象をみることが科学のプロトコルになります。

 

2)例題

 

例をあげてみます。

 

2-1)トヨタの不正認証問題

 

文芸春秋のインタビューに、豊田章男会長は次のように答えています。

認証制度は絶対に守らなければいけない制度です。ただ、例えば、今回トヨタがやっていた試験では、クルマの後ろから重い台車をぶつけるテストがありましたが、基準より700キロ重い台車をぶつけたんです。それでそのデータを使った。これはアメリカの基準を意識したものでした。だけど日本の制度は「1100キロでやりなさい」となっているから、1800キロでやるのは法令違反。(中略)

 

 その試験で守るべき保安基準とか、品質管理のやり方を決めているのが認証制度です。厳しい条件で試験を行っても、日本の法規に沿っていなければ法令違反と認定されます。このルールは見直しませんか、ということを今、われわれの口から言ってはいけないことはわかっています。言ってはいけませんが、でも本音を言えば、いずれかの時点では見直す議論が出ても良いと思っています

 

「言ってはいけませんが、でも本音を言えば……」トヨタ自動車豊田章男会長が認証不正問題の渦中に独占告白! 2024/07/09 文芸春秋

https://bunshun.jp/articles/-/71889

 

7月18日に、長野県茅野市の聖光寺で開かれた交通安全祈願の催しの後、トヨタ自動車豊田章男会長は報道陣に「(自動車業界が)日本から出ていけば大変になる。ただ今の日本は頑張ろうという気になれない」「ジャパンラブの私が日本脱出を考えているのは本当に危ない」と述べました。

 

この発言には一部で、パニッシングが起きています。

 

科学は、単純化と一般化をします。

 

文芸春秋のインタビューの豊田章男会長発言を単純化・一般化すれば、次になります。

 

Q1:

科学の方法(自動車の安全性を優する方法)に対して、権威の方法(認証制度、利権の方法)を優先することで、安全性がないがしろになっていませんか。

 

プラグマティズムでは、利権の方法を科学の方法に優先することは間違いに分類されています。(注1)

 

この質問は、日本の政治制度には、権威の方法は、科学の方法に対して優先する間違いを回避するシステムが備わっていますかという質問です。

 

政治学の根幹に関わる疑問です。

 

Q1は分解して、検証可能な質問に再構築する必要があります。

 

たとえば、ブリーフの固定化に、科学の方法を用いている場合と、ブリーフの固定化法に、権威の方法を用いている場合を、識別する手順を構築する必要があります。

 

Q1の質問に対しては、色々な意見がでますが、最終的な整理は、利害関係のない第3者が行なう必要があります。

同様に、Q1に答えるには、第3者機関が存在することが必要です。

 

つまり、Q1を評価する第3者機関がないことは、政治制度に基本的な欠陥があるのではないかという疑問に到達します。

 

これに答えることは、政治学の社会的な使命であると思われます。

 

なぜなら、この疑問に答えられない場合には、政治学は科学ではなく、利権誘導のシステムになってしまうからです。

 

恐ろしいことに、豊田章男会長の発言に対して、科学的なアプローチができる識者がいません。

 

2-2)円安

 

経団連の十倉雅和会長(住友化学会長)は2024年4月23日、経済のファンダメンタルズ(基礎的諸条件)を踏まえれば、現在の円安は行き過ぎだとの考えを示しました。

<< 引用文献

経団連十倉会長、今の円安は行き過ぎ-介入は政府・日銀が適切に判断 2024/04/23 Bloomberg 稲島剛史

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-04-23/SCDAAKT0G1KW00

>>



この問題は、Q2「適正な円ドルレートとは何か。適正な円ドルレートを算出することができるか(算出方法はあるか)」という質問に、一般化されます。

 

科学とは、科学の方法を用いることです。

 

重力定数は、9.8ですが、重力定数を決めるときに、科学者が行なう議論は、定数の算出法です。仮に、誰かが、自分は、9.7が好きだと発言すれば、その人は科学を理解していない人として相手にされません。

 

科学の方法を使えば、円安政策を行なう前に、Q2が検討されます。

 

経団連は、介入によって、円ドルレートが変化すると仮定していますが。この仮定には、根拠がありません。日本は人口が減少していますので、人口減少を打ち消すだけの生産性の向上がなければ、中期的には、円安になります。

 

加谷珪一氏は次のように言います。(筆者の要約)

 

円安が進むと輸入物価が上昇し、国民生活が苦しくなることは当初から想定されていた。政府は当初、円安になって輸入物価が上昇しても、輸出産業の業績が拡大し、賃上げが進むことで一連のマイナスを相殺できると考えていた。だが急激な円安が進み始めてから2年以上が経過しても、円安効果は認められない。

 

(データをみれば、)日本の製造業は競争力低下によって、輸出を拡大できない状態が15年以上も続いている。円安によって日本経済に大きな恩恵が及ぶ可能性が低いことは容易に推測できた。

 

メディアや一部の論者は、データではなく願望や感情に基づいて議論を進め、円安になれば日本経済は力強く成長すると主張した。日本では冷静にデータを分析することが忌避され、楽観や願望に基づいて情緒的に戦略立案されるケースが多い。その結果、同じ失敗が繰り返される。

<< 引用文献

「円安で日本の輸出企業は業績を伸ばす」は本当なのか…? 数字が示す「残酷な真実」 2024/07/24 現代ビジネス 加谷珪一

https://gendai.media/articles/-/134289?imp=0

>>

 

加谷氏は、「メディアや一部の論者は、データではなく願望や感情に基づいて議論を進める」といいます。

 

これは、科学的な推論ができないこと、科学のリテラシーがないことを意味しています。

 

アメリカの中学校の生物学の教科書を理解していれば、「願望や感情に基づいて議論を進める」ことはありません。

 

これは、文系教育(形而上学)の成果です。

 

経団連や政府には、科学を理解している人がいません。

 

3)プロセスの課題

 

科学の実体は、科学的な推論の方法にあります。

 

科学の方法を無視して、権威の方法を降り回せば、かならずツケを払うことになります。

 

パーティ券問題では、政治資金規正法の改正が、違法行為を防止する効果があるかという議論がなされます。

 

しかし、この議論は形而上学であって、科学の方法ではありません。

 

政治資金規正法の改正が、違法行為を防止する効果があるかどうかは、データによります。

 

実際のデータが得られるまで、政治資金規正法の改正が、違法行為を防止する効果があるかはわかりません。

 

データなしに議論ができると考える時点で、政治資金規正法の改正は、形而上学になっています。

 

科学のプロセスを無視している検討は、無駄で、無意味です。

 

科学の方法は、データハンドリングのプロセスを論じます。

 

政治資金規正法が、データに基づかないのであれば、その時点で、科学の方法を無視していることになるので、アウトです。

 

形而上学になれば、加谷氏が指摘しているように「同じ失敗が繰り返され」ます。

 

パール先生は、タバコと肺がんの章で次のようにいっています。

 

「科学の新発見にる文化の動揺は、その発見にあわせて文化の方を再調整しない限り収束しない」(p.286)

 

注1:

 

パースは、「ブリーフの固定化の方法」で、「科学の方法」以外の「固執の方法、権威の方法、形而上学」を指定しています。

 

「ブリーフの固定化の方法」とは、自然科学の方法を、社会科学に拡張する場合の公式集のようなものです。

 

数学公式は、式の形を記憶しても、価値がありません。公式に、値を代入して、実際に使ってみてはじめて価値が出ます。

 

「ブリーフの固定化の方法」も、同様に、実際のブリーフの固定化の場面に使ってはじめて価値がでます。

 

「ブリーフの固定化の方法」の文言を記憶してている識者は、多数いますが、実際に、「ブリーフの固定化の方法」を使っている識者はほとんどいません。

 

これは、日本の文系の理解が、文言の引用位の訓詁学になっているためです。

 

日本以外には、科学を無視した文系も、訓詁学もありません。