「因果推論の科学」をめぐって(31)

注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。

 

(31)形而上学と科学

 

1)イデオロギーと科学

 

パースが、プラグマティズムを提唱したとき、科学のモデルは、物理学と生物学(進化論)でした。

 

プラグマティズムとは、科学の方法を、自然現象以外の社会現象に拡大する試みです。

 

物理学は、主に実験室のデータを使っていました。

 

社会現象には、パラメータを制御する実験の手法は使えませんので、パースは、プラグマティズムを生物学をモデルに考えました。

 

プラグマティズムは、科学の方法なので、その手法は進歩します。

 

RCTが出てくれば、採用します。

 

因果推論の科学が成立すれば、プラグマティズムは、因果推論の科学の手法も採用します。

 

パースは、プラグマティズムを提唱しました。

 

パースは、プラグマティズムのスタート地点を記述しましたが、プラグマティズムは、その後も改良されて、最新のプラグマティズムが出来ています。

 

もちろん、最新のプラグマティズムは混乱を避けるために、プラグマティズムと呼ばずに、別の名称で呼ばれることもあります。

 

その場合には、名称が異なっていても、パースのプラグマティズムのバージョンアップ版であることに注意すべきです。

 

パースの時代のプラグマティズムを、現代でも、そのまま使うことは、間違いであり、パースの希望した方法ではありません。

 

ニュートンは、プリンキピアを書きましたが、そこには、数式はでてきません。

 

オイラーは、力学を数式で書きました。

 

その後、オイラーの数式は、ベクトルやテンソル表示にバージョンアップされています。

 

力学を学習するために、プリンキピアを読めば混乱します。

 

現在の力学を標準的なテキストで学習したあとで、プリンピキアを読めば、力学の発展の経路が確認できます。

 

ウィキペディアの日本語版の「プラグマティズム」と、英語版の「プラグマティズム」を比べれば、英語版の「プラグマティズム」は、科学の方法に従って、バージョンアップしたプラグマティズムが記述されています。日本語版は、次のように書かれています。

 

パースに始まり、ジェイムズによって広まったプラグマティズムは、シカゴ大学で学派をなし、一つの運動として多方面に多大な影響を与えたが、1930年代にカルナップら論理実証主義者が次々とアメリカ合衆国に亡命し、ウィーン学団を結成して影響力を持ち始めると、急速に衰退していった。

 

つまり、プラグマティズムは、絶滅した思想に分類されています。

 

これは、プラグマティズムが、科学の方法であると理解できていないことを示しています。

 

プラグマティズムは、哲学の伝統をひいていますが、形而上学ではないので、哲学とは、直接競合しません。

 

これは、日本の文系固有の理解です。

 

日本の文系の理解は、形而上学で、推論のアルゴリズムは、データとは独立していると考えます。簡単に言えば、宗教に近い理解です。それは、法度制度や年功型雇用といった文化に支えられています。推論は、権威の方法と形而上学によっていて、科学的な推論は否定されています。

 

イデオロギーと科学」を区別するには、進歩があるか否かを点検すれば分かります。進化の有無を点検するとみることも可能です。

 

マルクス経済を論ずる時に、資本論を読んでいる人は、科学が理解できていません。

 

マルクスのあとで、バージョンアップしたマルクス経済学があるはずです。

 

問題にすべきは、バージョンアップしたマルクス経済学であって資本論ではありません。

 

もしも、、バージョンアップしたマルクス経済学がみつからない場合には、マルクス経済学は、形而上学であり、リアル世界の問題を解決できないことになります。

 

経営は哲学(イデオロギー形而上学)であると考えている経営者と有識者がいます。

 

科学では、問題を一般化して考えます。

 

経営は哲学であると考えると、観測値に基づくDXのような生産性の漸近的な改善を無視しますので、DXは進みません。DXを一般化すれば、DXは、観測に基づいて、生産性を改善するプロセスです。最近では、IT機器をつかうと有効な場合が含まれていますが、それは必須ではありません。

 

生産性を向上するには、生産のフローを見直すか、効率の悪いモジュールを効率のよいモジュールに取り替えます。後者のモジュール交換に必要な条件は、ジョブ雇用ですから、年功型雇用では、生産性を向上させるDXはできません。

 

資本論を読むべきであると主張するような原典主義は、科学的な間違いです。

 

キリスト教では、聖書を読むことが推奨されますが、これは、宗教が科学の方法ではなく、権威の方法をつかっているためです。

 

科学を方法を使って問題解決をする場合には、原典ではなく、「最新の知識でバージョンアップされた教科書」を読むことが推奨されます。

 

イデオロギーと科学」を区別するには、「最新の知識でバージョンアップされた教科書」の有無で調べられます。



「日本語で書かれた最新の知識でバージョンアップされた教科書」は、皆無に近いです。

 

「日本語で書かれた最新の知識でバージョンアップされた教科書」が、外国語に翻訳されて使われている例は非常に少ないです。

 

教科書の執筆では、草稿や、古いバージョンの教科書に対するコメントを反映した改善がなされ、こうしたノウハウを反映して教科書がつくられます。

 

教科書の執筆者は3名程度ですが、挿絵を書いたり、文章をチェックしたり、レイアウトを調整するなど、膨大な作業が必要になります。ジョブ型雇用のない日本の大学では、教科書を作ることができません。

 

これは、労力の制約ですが、原典ではなく、「最新の知識でバージョンアップされた教科書」が必要であると考えている専門家が少ない問題もあると思います。

 

原典主義を主張する人は、自分が科学の方法を否定していると認識すべきです。

 

2)例題

 

加谷珪一氏の円安の指摘は以下でした。(筆者要約)

メディアや一部の論者は、データではなく願望や感情に基づいて議論を進め、円安になれば日本経済は力強く成長すると主張した。日本では冷静にデータを分析することが忌避され、楽観や願望に基づいて情緒的に戦略立案されるケースが多い。その結果、同じ失敗が繰り返される。

<< 引用文献

「円安で日本の輸出企業は業績を伸ばす」は本当なのか…? 数字が示す「残酷な真実」 2024/07/24 現代ビジネス 加谷珪一

https://gendai.media/articles/-/134289?imp=0

>>

 

野口悠紀雄氏のNISAの指摘は以下です。(筆者要約)

 

⾦融資産所得優遇の本当の理由は税軽減求める圧⼒と⼈気取りです。⾼いリターンが期待できる投資先が日本にないため、「貯蓄から投資」が資金の海外流出を拡大して(日本企業からの資金流出によって)⽇本経済を弱る「悪循環」が起きています。

 

「貯蓄から投資」という政策は全く間違ったものです。

 

政府の政策は、技術⾰新と高度人材により、国内での経済活動を活性化し、国内投資の収益率を⾼めることです。

 

これは、新NISAのような⾦融資産所得の税負担軽減では実現できません。

<< 引用文献

新NISAの買い付け額前年の「4.2倍」、資金の海外流出もたらし日本経済を弱体化!? 2024/07/25 東洋経済 野口悠紀雄

https://diamond.jp/articles/-/347494

>>

 

この2つの指摘は、政策選択が科学の方法によっている場合には、意味がありますが、政策選択(ブリーフの固定化)が、権威の方法や形而上学の方法に従っている場合には、無効です。

 

科学の方法は、仮説を立てて、検証します。

 

ここで、帰納法に縛られずに、仮説をつくる点が重要です。

 

2つの仮説が考えられます。

 

第1の仮説は、「日本の政策選択は、科学の方法によっている」です。

 

第2の仮説は、「日本の政策選択は、権威の方法と形而上学によっている」です。

 

仮説の検証は、前向き研究に寄るべきです。

 

しかし、この2つの仮説のうち、どちらが、あてはまる確率が高いかという判定であれば、相関でも検討できます。

 

データからは、第2の仮説が支持されます。

 

第2の仮説が正しい場合には、加谷珪一氏と野口悠紀雄氏の政府の政策に問題があるという指摘には、意味がありません。

 

政策選択の方法を科学の方法に切り替えなければ、政策の比較検討は無意味です。

 

第2の仮説が正しければ、アベノミクスが失敗することは、予測可能であった(ほぼ、確実であった)と言えます。

 

「政策選択」を「経営選択」に置き換えることができます。

 

野口悠紀雄氏は、「⾼いリターンが期待できる投資先が日本にない」といいます。

 

日本企業の経営選択が、第2の仮説の「権威の方法と形而上学」によっていれば、科学の方法で経営選択をしている企業に勝てることはありません。



加谷珪一氏は、「(データをみれば、)日本の製造業は競争力低下によって、輸出を拡大できない状態が15年以上も続いている」といいます。

 

加谷珪一氏は、その原因を説明していませんが、日本企業の経営選択が、第2の仮説の「権威の方法と形而上学」によっていれば、「競争力低下によって、輸出を拡大できない状態が15年以上も続いている」ことが説明できます。

 

第1の仮説は、「日本の経営選択(政策選択)は、科学の方法によっている」が成り立つためには、科学のリテラシーは必要です。

 

ウィペディアの「プラグマティズム」にみるように、日本の文系だけが、科学の方法を無視しています。日本の文系の高等教育は、世界でもまれな、科学の方法を欠いた高等教育になっています。

 

日本の高等教育の定員の7割は、科学の方法を無視した権威の方法と形而上学になっています。

 

1990年の大学進学者数は、49万人でした。2022年の大学進学者数は、54万人です。増員の中心は、コストのかからない文系の学科です。さらに、18歳人口が半減していますので、難易度の高い数学のような教科をとる学生の比率が下がります。

 

文系という日本独自のカリキュラムは、数学はできなくとも、高い収入を得られるというメッセ―ジになっています。高等教育には、数学や科学の方法は不必要であるというメッセージです。しかし、パースが指摘したように、科学の方法以外のブリーフの固定化方法は、「固執の方法」、「権威の方法」、「形而上学」の3つしかありません。文系の教育とは、「固執の方法」(前例主義)か、「権威の方法」か「形而上学」になっているはずです。

 

次の疑問があります。

 

<どうして、第1の仮説の「科学の方法」ではなく、第2の仮説の「権威の方法と形而上学」で、経営選択がなされているか>

 

この疑問に対する答えは、世界に類をみない科学の方法を無視した文系の高等教育の効果があったと考えれば理解できます。

 

3)何が、起こるか

 

パール先生は、タバコと肺がんの章で次のようにいっています。

 

「科学の新発見にる文化の動揺は、その発見にあわせて文化の方を再調整しない限り収束しない」(p.286)

 

野口悠紀雄氏は、<⾼いリターンが期待できる投資先が日本にないため、「貯蓄から投資」が資金の海外流出を拡大している>といいます。

 

第2の仮説である権威の方法と形而上学で経営選択をしている企業から、第1の仮説である科学の方法で経営選択している企業への資金流出は、「文化の再調整」のプロセスです。

 

今後、このような「文化の再調整」のプロセスが拡大すると思われます。

 

文系の学問の卒業証書の価値がなくなります。

 

文系の学問の高等教育はなくなります。

 

このように書くと、法学部や弁護士がいなくなるはずがないと思われるかも知れません。

 

筆者は、法学部や弁護士がなくなるといっていません。

 

なくなるのは、文系の法学部と弁護士です。

 

なくなるのは、科学の方法を使わずに、権威の方法と形而上学を使っている法学部と弁護士です。

 

パール先生は、因果推論を使った強いAIは実現可能であると考えています。

 

強いAIは「科学の方法」を使います。そのときに、人間の弁護士が、「固執の方法」、「権威の方法」、「形而上学」を使えば、人間の弁護士には勝ち目がありません。

 

法学部が、科学の方法を使うのであれば、法学部では、強いAIをつかった判決システムの開発研究をするはずです。現在の生成AIは、マッチングですので、因果推論ができません。因果推論ができる強いAIが出て来る時代になれば、法学部では、強いAIをつかった判決システムの開発研究をするはずです。これは、パール先生の「文化の再調整」のプロセスです。

 

「文化の再調整」のプロセスに適応できない組織はなくなるでしょう。

 

これは、日本経済の過去30年のプロセスでもあります。