1)ポストザイム真理教時代
トッド氏は「エリート主義.VS.ポピュリズム」、あるいは、「ポストデモクラシー」の議論は、欧米の社会学者の中では、既に、平凡な仮説になっていると言います。
ポストデモクラシー仮説では、「エリート主義.VS.ポピュリズム」は、エリート主義が崩壊して、ポピュリズムの時代になっていると考えます。
「ザイム真理教」は、「エリート主義」崩壊仮説の一つですから、2025年には、故森永卓郎氏の予言通り、「ザイム真理教」(エリート主義)が、終わり、ポピュリズムを主張する参政党が票を伸ばしたことになります。
この場合の「ポピュリズム」は、「純粋な民衆」と「腐敗したエリート」という2つの均質で対立するグループに社会を分ける世界観をさし、ばら撒き政治を指さないことに注意してください。
ポピュリズムでは、「腐敗したエリート」の代表が財務省になり、財務省解体のデモがおきています。
このデモに対して、財務省は、ディープステートではないと反論する人もいます。
しかし、ディープステートは、問題の一部であり、中心課題は、「エリート主義.VS.ポピュリズム」、あるいは、「ポストデモクラシー」にあります。
トッド氏のポストデモクラシー仮説にしたがえれば、日本も、ポストザイム真理教時代に入りつつあると考えられます。
ここでは、日本でも、ポストデモクラシーという用語を使いますが、この用語の使用法は不正確です。
脇田晴子氏と水林章氏が主張するように、日本には、江戸時代あるいは、それ以前の中世にルーツを持つ法度体制が残存しています。
明治憲法は、法度体制に基づいていました。
脇田晴子氏と水林章氏は、法度体制が、特攻の原因であると考えています。
昭和の時代であれは、法度体制が、過労死(パワハラ)の原因であると言えるかもしれません。
トッド氏の家族制度と宗教の分析は、法度体制は、直系家族型文化の家族制度に対応していると思われます。ただし、トッド氏にかぎらず、日本の宗教の分析は、困難を極めます。
日本宗教は、キリスト教のような一神教ではないので、宗教に決まった表現形式がありません。
パール流にいえば、考察するためには、第1に、表現形式の決定、第2に、表現形式に基づいたデータ収集、第3に、データに基づく推論というステップが必要になります。日本の宗教では、表現形式が定まらないので、データの欠損が大きく、推論ができません。
逆にいえば、天皇制(神道)の優位性は、他の宗教にくらべて、まだ、表現形式の標準化が進んでいる点にあるのかも知れません。
さて、話を戻します。
明治憲法は、法度体制に基づいていました。
明治憲法の官僚組織は、法度体制でできていました。
敗戦になり、日本がGHQに支配されて、明治憲法の法度体制の官僚組織は、解体されます。
このときに、唯一解体されずに残った省庁が、財務省(旧大蔵省)です。
したがって、ザイム真理教(財務省のエリ―ト主義)のルーツは、民主主義ではなく、法度体制(封建制度)に基づいています。
トッド氏は、「西洋の敗北」のなかで、WASPのエリート主義(パワーエリート)は、冷戦構造のなかで、メリトクラシー(エンジニア優先主義)を生み出し、自ら解体したといいます。
日本では、朝鮮戦争に見るように、冷戦は、民主主義の危機ではなく、大きなビジネスチャンスでした。したがって、日本には、メリトクラシーはなく、パワーエリートに対応する法度体制が維持され、法度体制は、1995年の日経連の「新時代の日本的経営」に引き継がれています。
「新時代の日本的経営」は、法度体制の身分制度の焼き直しにすぎません。
経営学者は、冷戦構造も、メリトクラシー(エンジニア優先主義)も、無視しています。これらの交絡因子は、日本企業と競合する海外企業の活動に影響を与えています。こう考えると、こうした交絡因子を無視した「新時代の日本的経営」は、ファクトに基づく科学的な根拠(相関係数の世界)すらなく、法度体制の焼きなおしであったと判断できます。
冷戦は、民主主義の危機であるという判断からは、天安門事件のあとの対応には、配慮が必要になります。
冷戦は、ビジネスチャンスであるという判断からは、天安門事件のあとの対応には、ビッグビジネスチャンスになります。
ファクトをみれば、日本の経営者が、後者の世界観をもっていたといえます。
2)パラグラフの論理と数的言語の問題
パラグラフの論理を数的言語で図式化すれば、次にになります。
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データ(i) x 推論(j) = 推論結果(jij)
問い(目的値)Z
評価関数 Y = Z ー 推論結果(i,j)
この条件で、評価関数Yを最小にする(i,j)の組み合わせを探索する。
>
コンピュータサイエンスでは。問いは、この形式で表現します。
幾つかのリマーク(留意点)があります。
RM1:データ取得より、データ表現が先になります。
RM2:データのサンプリングバイアスを避けるためには。前向き研究が必要になります。
RM3:問い(目的値)Zは、時間積分の取り方で、複数の値が設定できます。
たとえば、経済学は、経済的に合理的な人間活動を前提としますが、この時の評価を短期の値にとるか、より中期の値をとるかで、経済的に合理的な人間活動はことなります。
技術開発に時間がかかる場合には、評価を短期の値にとれば、その技術開発は排除されます。
要するに、経済的に合理的な人間活動だけでは、何も決まらないということです。
しかし、経済学者は、しばしば、この問題を無視します。
RM4:確率現象の場合には、3種類の対応の方法があります。
第1は、トゥールミンロジックを使う方法です。
第2は、クリスピの様相論を使う方法です。
この2つは、直接確率を使うことを回避しています。
1980年代にベイズ統計の実践的な計算方法としてMCMCが再発見されるまで、ベイス統計学の計算は困難でした。上記の2つの方法は、その時代に開発されました。
というわけで、お薦めは次になります。
第3は、ペイジアンネットワークを用いる方法です。
RM5:因果推論の科学が使える場合には、パラグラフの論理をつかう理由はありません。
因果推論の科学は、パラグラフの論理の発展形になっています。
3)無謬主義
法度体制が、温存するための必要条件は、無謬主義です。
無謬主義を維持するためには、データがあってはなりません。
データがあれば。間違いがわかってしまいます。
こうして、日本中から、データが追放されています。
データがなければ、パラグラフの論理は使えません。
そこで、段落の論理が幅を利かせます。
こうした法度体制(エリート主義、ザイム真理教)は、安泰になります。
データに元つかない段落の論理には、問いがないので、何一つ問題を解決することができません。
段落の論理には、問題解決の設計図が含まれていないので、当然と言えます。
法度体制は、無謬主義を維持するために、都合が悪くなる可能性あるデータを抹殺します。
インパール作戦など、太平洋戦争の兵士の死者の多くは、病死または餓死でした。
この原因を、ロジスティックの欠如で説明することもできます。
あるいは、この原因を無謬主義による都合の悪いデータの削除で説明することもできます。
実際には、太平洋戦争の時には、ロジスティックのデータはありませんでした。
パール流にいえば、ロジスティックのデータの表現がなかったと言えます。
現在、日本国内に在留期間を過ぎて滞在している技能実習生(いわゆる「オーバーステイ」状態)の正確な人数は公的に明示された統計が少ないです。
この原因も実謬主義である可能性があります。
太平洋戦争の時の日本軍の戦闘の戦果は、兵士の自主的な報告に基づいていました。
その結果、実謬主義によって、日本軍の戦果は過大に報告されました。
太平洋戦争の時のアメリカ軍の戦闘の戦果は、兵士の自主的な報告だけでなく、航空写真等で、クロスチェックをかけていました。
ベトナム戦争の時のアメリカ軍の戦闘の戦果は、兵士の自主的な報告だけで、航空写真等で、クロスチェックをかけていませんでした。
当時の国務長官は、太平洋戦争のロジスティクス問題をORを使って成果をあげたマクナマラ氏でした。
ベトナム戦争の戦果を合計するとベトナム人の人口の2倍のベトナム兵士が死亡したことになったと言われています。その結果、ベストアンドブライテストのマクナマラ氏の能力を発揮することはできず、敗戦になりました。
状況は太平洋戦争の時と変わっていません。
問題は、山のようにありそうです。
しかし、官僚は、無謬主義で、法度体制を維持することに熱心で、データの抹殺を繰り返しています。
赤城ファイル問題は、氷山の一角にすぎません。
データがなければ、日本経済は、第2の敗戦になるでしょう。
アメリカでは、トランプ大統領が、雇用統計のデータが捏造されたと主張しています。
ベトナム戦争は、1955年から1975年まで続きました。
トッド氏は、ロールズが1971年に出版した「正義論」は、WASP支配に対する弔意であるといいます。
アメリカでは、1970年頃には、データに基づく議論が、困難になっていました。
トランプ大統領の主張の正しさは、わかりません。
しかし、データの信頼性が失われれば、アメリカ経済も敗戦になる可能性があります。