注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。
(50)メンタルモデルで整理する(後編)
7)演繹法の力
英語版のウィキペディア「メンタルモデル」は次のように書いています。
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メンタルモデルによる推論
人は、すべての可能性を考慮した結論が妥当であると推測します。メンタルモデルを使用した推論の手順は、無効な推論を反駁するために反例に依存します。結論が前提のすべてのモデルに適用されることを保証することで、妥当性を確立します。
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メンタルモデルによる推論は、演繹法です。推論は、「結論が前提のすべてのモデルに適用されることを保証することで、妥当性を確立」することが重要です。この妥当性の確立には、2つの方法があります。
第1は、複数の演繹法の仮説を比較して、矛盾する推論から反例を見つける方法です。
第2は、事例データベースを使って、事例に合わない推論を排除する方法です。
メンタルモデルとは、机の前に座ったまま考えることを意味します。
フィールドに行かないで、ひたすら考える方法は、哲学の伝統です。アリスとテレスは、事例をもとに、帰納法の推論もしていますが、その推論は、とても貧弱です。アリストテレスような哲学者の帰納法の推論が貧弱になる理由は、帰納法のもとになるデータが少ないためです。
帰納法の元になるデータが一番多いのは、ビッグデータで、帰納法というパターンを見つけるアルゴリズムでは、人間は、AIに勝てなくなっています。
メンタルモデルによる推論を演繹法を断言しない理由は、事例による反例が含まれるためです。事例の煮よう反例の部分は、帰納法になります。帰納法と演繹法を区分するメリットはほとんどありません。パースが。アブダクションを提示した理由が、ここにあります。
とはいえ、推論の中心は演繹法になります。
演繹法は、例えば、次のように間違って理解されることが多いです。
演繹法に間違いはない。
演繹法には、仮説の検証能力はない。
日本語のウィキペディア「演繹」は次のように書いています。
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演繹
帰納に於ける前提と結論の導出関係が「蓋然的」に正しいとされるのみであるのに対し、演繹の導出関係は、その前提を認めるなら、「絶対的」「必然的」に正しい。したがって理論上は、前提が間違っていたり適切でない前提が用いられたりした場合には、誤った結論が導き出されることになる。
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英語版のウィキペディア「演繹」は次のように書いています。
<
演繹
Deductive reasoning
演繹的推論は、有効な推論を導き出すプロセスです。推論が有効であるのは、その結論が前提から論理的に導かれている場合、つまり前提が真で結論が偽であるということはあり得ない場合です。
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英語版では、演繹は、「前提が真」であるかを点検する推論になります。
日本語版では、<「絶対的」「必然的」に正しい>に関心があります。
日本語版が間違っているわけではありませんが、執筆者の関心が、英語版とは大きく異なります。
日本では、演繹法が使われることはほとんどありません。前例主義のように、帰納法は科学的で、思いつきに過ぎない演繹法は間違いであるといった科学的に間違ったメンタルモデルが形成されています。
推論の中心は、演繹法なので、日本人の多くは、推論の思考能力がないことがわかります。
伝統的な推論が中心の学問は哲学ですが、日本には、演繹法を使う哲学の講座はほとんどなく、帰納法の哲学史を専門にする講座が並んでいます。
8)ミニチューリングテスト
パール先生は、機械(コンピュータ)に教えることができれば、理解出来ていると判断しています。
<
チューリングは「どういう種類の問いに答えられるか」を基準に認知システムを分類することを提案しています。
>(p.51)
パール先生は、最終的に、「機械(コンピュータ)に教えることができたか」の判定は、ミニチューリングテストで行います。
しかし、その前に、プログラムとして、コード化できなければ、AIが作れません。
つまり、ミニチューリングテストのまえに、コード化が可能であるかという「コード化テスト」が行なわれています。
コードには、変数名を使います。この変数名は、値に対応します。
変数名をオブジェクト、値をインスタンスと考えることもできます。
いずれにしても、値が明示できなければ、計算かのうなコードになりません。
たとえば、NEKOという「猫」を表わす変数名を考えます。
この変数名の値は、難題です。
画像認識問題であれば、デジタル化した猫の写真のデータをNEKOと変数(配列)に、代入すればよいです。
集合で書けば次になります。
NEKO={X|画像1,画像2,....}
音声情報であれば、猫の鳴き声のデータを並べればよいことになります。
NEKO={X|鳴き声1,鳴き声2,....}
同様に、考えると文字の場合は次になります。
NEKO={X|うちのタマ、となりのミケ、むかいのクロ、...}
しかし、このデータで、コンピュータが猫に関する問題を処理できるとは思えません。
視覚情報や音声情報以外でも、演算可能な猫の値を作ることができるのでしょうか。
猫の文字情報は、コード化テストを通らないと思われます。
これは、筆者の「うちのタマ」のイメ―ジと、読者の「うちのタマ」のイメ―ジが、一致せず、メンタルモデルの共有ができていないためです。
9)中央教育審議会答申
中央教育審議会答申(平成 28 年 12 月)には、加速度的に変化し、複雑で将来を予測することが困難になることが予想されるこれからの社会に生きる子どもたちに求められる力が、次のように例示されています。
<
解き方があらかじめ定まった問題を効率的に解いたり、定められた手続を効率的にこ
なしたりすることにとどまらず、直面する様々な変化を柔軟に受け止め、感性を豊かに働
かせながら、どのような未来を創っていくのか、どのように社会や人生をよりよいものに
していくのかを考え、主体的に学び続けて自ら能力を引き出し、自分なりに試行錯誤した
り、多様な他者と協働したりして、新たな価値を生み出していくために必要な力を身に付
け、子供たち一人一人が、予測できない変化に受け身で対処するのではなく、主体的に向
き合って関わり合い、その過程を通して、自らの可能性を発揮し、よりよい社会と幸福な
人生の創り手となっていけるようにすることが重要である。
中央教育審議会答申(平成 28 年 12 月)より
>
<< 引用文献
主体的・対話的で深い学び」が求められる背景
>>
これは、科学的に間違った文章です。
コード化テストを通りません。
「どういう種類の問いに答えられるか」を基準に判断しても、意味のない文章です。
イーロンマスクテストという方法もあります。
<
文章を書いちゃダメ。箇条書きにしないと。3行でいいから。
<
<< 引用文献
「1分以上同じことを話すと眠たくなる」「送る文章は3~5行まで」元Twitter社長が明かす「イーロン・マスクのやってはいけない」2024/08/08 文春オンライン 笹本 裕
https://bunshun.jp/articles/-/72484
>>
昔は、ビル・ゲイツ・テストもありました。
エレベーターに、ビル・ゲイツと乗り合わせてた時に、エレベーターが上昇する30秒の間に分かるように説明できなければ、ダメという基準です。
イーロン・マスク・テストや、ビル・ゲイツ・テストに通ることが、「これからの社会に生きる子どもたちに求められる力」だと思われます。
「これからの社会に生きる子どもたちに求められる力」は、を変数名Xとします。
ここに、100個の教材があったとします。
100個の教材を、Xに含まれるものと、Xに含まれないものに識別しないとXに値を代入できません。
しかし、筆者には、「これからの社会に生きる子どもたちに求められる力」に対応していない教材は存在しないと思います。
また、現時点で、「これからの社会に生きる子どもたちに求められる力」は、不明です。現時点で得られる値は、「これからの社会に生きる子どもたちに求められる力」の予測値にすぎません。予測値をつかう場合には、予測方法を明示する必要があります。
中央教育審議会は、トレンド予測が正しい予測であると考えているように見えますが。トレンド予測には、科学的な根拠はありません。
レジームシフトが起こる場合には、トレンド予測は、外れてしまいます。
例えば、パール先生が研究している因果モデルを理解する強いAIが実現する場合には、トレンドは外れます。
この文章には、共有できる概念がないので、メンタルモデルが共有できません。
中央教育審議会は、文系の人文科学・社会科学ができても、科学としての人文科学・社会科学ができません。
英語版のウィキペディア「教育」は次のように書いています。
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教育
Education
本質的に、教育は文化的価値観や規範を植え付けることで子供たちを社会に溶け込ませ、生産的な社会の一員になるために必要なスキルを子供たちに身につけさせる。そうすることで、教育は経済成長を刺激し、地域的および地球規模の問題に対する意識を高める。組織化された機関は教育において重要な役割を果たしている。
>
教育の目的は、「文化的価値観や規範」、「生産的な社会の一員になるために必要なスキル」で要約可能です。
英語版のウィキペディア「教育政策」は次のように書いています。
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教育政策
Education policy
9つの重要な側面
包括的な教員政策には、教員の採用と定着、教員教育(初期および継続)、教員配置、キャリア構造・キャリアパス、教員雇用と労働条件、教員報酬と報酬、教員基準、教員の説明責任、学校運営の9つの側面が極めて重要であると考えられています
>
教員不足が問題ではありません。
中央教育審議は、9つの重要な側面について検討していませんので、教育政策として必要な条件を満足していない答申が問題の原因にあります。
科学(英語圏)の人文科学・社会科学では、課題は、「大課題ー中課題ー小課題」のヒエラルキーにわけて整理されます。仮説の検証を通して、解決済みの課題と未解決の課題に整理されます。簡単にいえば、人文科学は、科学なので、エラーリカバリ―の手順が担保されています。
文系の人文科学・社会科学は、世界でも日本にしかありません。
これは、科学ではないので、エラーリカバリーがありません。
エラーリカバリーがなければ、生産性があがりませんので、経済成長はしません。
内容以前に、メンタルモデルの共有ができて、コミュニケーションが可能なレベルの答申を出すべきです。
中央教育審議は、科学の方法も、メンタルモデルも、理解できていないので、このように書いても、コミュニケーションはできないのですが。
10)メンタルモデルとコミュニティ
パール先生は、次のように言ってます。
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ルイスが言うように、人間が反事実的な可能世界として思い浮かべるものは、驚くほど一様です。
この一貫性は、私たち全員が一つの世界を経験し、因果構造についてのメンタルモデルも共有しているという事実から来ている。メンタルモデルを共有することによって私たちは結びつき、コミュニティを形成している。
>(p.409、筆者要約)
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私たち人間の知性は、もし世界が現実と違っていたらどうなるか、あるいは、どうなったかという問いについて、信頼性と再現性の高い判断ができる。
皆の意見が一致するのは、反事実的推論は恣意的なものではなく、私たちの世界モデルの構造を反映したものであることを意味している。同じ構造の因果モデルを共有する人であれば、誰もが同じ反事実的判断をするはずだ。
>(pp.25-26、筆者要約)
<
私たちの知識の大部分は、単なる事実ではなく、因果関係による説明からなっている
>(p.46)
<
ホモ・サピエンスの祖先たちは、因果関係を頭に思い浮かべるという新しい能力を獲得し、(中略)今、私たちが「計画」と呼んでいる芸当が可能になった
>(p.48)(筆者要約)
<
メンタルモデルとは、まさに私たちの想像力の働く場である。私たちは、頭の中でモデルに様々な変更を加え、いくつものシナリオの良し悪しを思考実験によって確かめる。
>(p.49)
つまり、因果推論の科学は、メンタルモデルの共有がなければ、理解できません。
筆者は、「因果推論の科学」を理解する上で、最大の難所は、メンタルモデルであると思います。
中央教育審議会答申をみると、そこには、因果推論に基づく「計画」がありません。思考実験によって、ベストのシナリオが選択されたという痕跡はありません。
科学の基本である因果推論はまったくありません。
世界は利権で動いているので、科学的な推論はどうでもよいのかも知れません。
世界は利権で動いているので、答申に求められる役割は、祝詞(のりと)のようなお題目だけがあれば、十分なのかも知れません。
しかし、お題目では問題は解決しないので、現場は疲弊してしまいます。
お題目では、人材育成ができないので、経済はどん底に沈みます。
その前に、コミュニケ―ションができなくなり、コミュニティが崩壊します。
英語版の「因果推論の科学」の読者がいるアメリカのメンタルモデルと、日本の分断したメンタルモデルの間には、大きな断絶があります。
因果ダイアグラムを学生に教えて、教育に使う試みがなされています。
因果ダイアグラムを使いこなす中学生の方が、中央教育審議会より、マシな因果推論をしていると思います。