注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。
(49)メンタルモデルで整理する(中編)
5)経験科学の課題
本居宣長は昼間は医師としての仕事に専念していました。
この江戸時代の医師の仕事の方法論は、経験科学であったと言われます。
江戸時代には、科学の方法は確立していませんので、経験科学は科学ではありません。
あるいは、筆者の知っている土木工学の大家は、土木工学は、経験科学であると主張していました。
日本語版のウィキペディアの「学問の一覧」には、分類として、次のように書かれています。
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経験科学か形式科学か
経験科学:人文科学、社会科学、自然科学、応用科学
形式科学:数学、統計学
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この「経験科学」にはリンクがはってあります。
リンク先は、英語版のウィキペディアでは、次です。
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経験論
経験論、あるいは、経験主義( empiricism)とは、「人間の全ての知識は我々の経験に由来する」とする哲学上または心理学上の立場である。
概要
この語彙・概念自体は、元々は17世紀から18世紀にかけて生じた近代哲学の認識論において、イギリスを中心とする経験主義的傾向が強い議論(イギリス経験論)と、欧州大陸を中心とする理性主義(合理主義)的性格が強い議論(大陸合理論)を区別するために生み出されたものだが、現在では遡って古代ギリシア以来の西洋哲学の傾向・系譜を大別する際にも用いられる。
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これは、日本語版のウィキペディアの「経験科学」ではありません。
英語版のウィキペディアの科学は以下です。
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科学
Science
科学は、世界についての検証可能な仮説や予測の形で知識を構築し、組織化する、厳密に体系化された学問です。現代科学は通常、3つの主要な分野に分かれています。[ 3 ]自然科学(物理学、化学、生物学など)は物理的な世界を研究します。社会科学(経済学、心理学、社会学など)は個人と社会を研究します。形式科学(論理学、数学、理論計算機科学など)は公理と規則によって支配される形式的なシステムを研究します。形式科学が科学的分野であるかどうかについては意見の相違があります。経験的証拠に依存していないためです。応用科学は、工学や医学など、科学的知識を実際的な目的で使用する分野です。
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「科学は、世界についての検証可能な仮説や予測の形で知識を構築し、組織化する、厳密に体系化された学問」とあります。
これは検証可能な命題以外は、科学ではないということです。言い換えれば、エラーリカバリ―の方法のない知識は、科学ではないということです。
経験科学という科学は存在しないのです。
英語版のウィキペディアの「科学的方法の歴史」の一部を引用します。
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科学的方法の歴史
History of scientific method
Integrating deductive and inductive method
科学的手法を体系化する試みは、18 世紀半ばに帰納法の問題に直面しました。帰納法とは、簡単に言えば、実際に観察されたもの以外は確実に知ることはできないと主張する実証主義の論理定式です。デイヴィッド ヒュームは経験主義を懐疑的な極みにまで推し進めました。彼の立場の 1 つは、未来が過去に似ているという論理的必然性はなく、したがって帰納的推論自体を過去の成功に訴えて正当化することはできないというものでした。もちろん、ヒュームの議論は、経験的観察とテストに基づかない過度の推測に次ぐ過度の推測が何世紀にもわたって続いた後に生まれました。ヒュームの過激な懐疑主義の議論の多くは、18 世紀後半のイマヌエル カントの「純粋理性批判」で反論されましたが、完全に反駁されたわけではありませんでした。ヒュームの議論は、帰納的方法が有効であるかどうかという議論が当時の焦点となり、19 世紀の大部分において、知識階級の意識に強い影響を及ぼし続けました。
Empirical research(実証研究)(Empirical method、 経験的手法)
用語
経験的という用語は、もともと、当時の独断的な教義に従うことを拒否し、経験で知覚された現象の観察に頼ることを好んだ古代ギリシャの特定の医師を指すために使用されていました。後になって経験主義は、知識は経験と感覚を使って特に収集された証拠から生じるという原則に従う哲学の知識理論を指すようになりました。科学的な用法では、経験的という用語は、感覚で観察できる証拠のみを使用して、または場合によっては較正された科学機器を使用してデータを収集することを指します。経験主義的および経験的研究と称される初期の哲学者に共通するのは、理論を策定してテストし、結論を導くために観察可能なデータに依存していることです。
経験的サイクル
AD デ・グルート の経験的サイクル:
観察 :現象を観察し、その原因を探ること。
帰納法 : 仮説の定式化 - 現象の一般化された説明。
演繹 : 仮説をテストするための実験の定式化 (つまり、仮説が真であれば確認し、偽であれば反駁する)。
テスト : 仮説をテストし、データを収集する手順。
評価 : データの解釈と理論の定式化 - 抽象的な議論。 現象の最も合理的な説明として実験結果を提示する
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要約すれば、2点にまとめることができます。
第1に、「エラーリカバリーのない方法は、科学の方法ではない」ということです。
第2に、「帰納法と演繹法はセットでつかう必要がある」という点です。
5-1)エラーリカバリー
第1点から、エラーリカバリーのない実務経験(体験)には価値がありません。
科学の方法には、そもそも、実務経験(体験)に価値があるというメンタルモデルがありません。
にほんでは、実務経験の長い職人のわざは確かであると信じられています。
これは、科学のない江戸時代の価値観です。
経験主義は、データに価値を置きますが、実務経験(体験)に価値があるという主張ではありません。
実務経験(体験)は、エラーリカバリーが行なわれれば、間違いをしなくなりますが、エラーリカバリーが行なわなけば、間違いをし続けます。
科学の方法を使っていない実務経験(体験)には、価値がありません。
実務経験(体験)のエラーリカバリーを最も効率的に行なう方法が教育カリキュラムです。
現在の医師は、大学の医学部のカリキュラムを習得します。
医学生は、カリキュラムで間違いをおかし、エラーリカバリーをします。
この過程は、リアルではなく、シミュレーションです。カリキュラムの間違いで、患者が死亡することはありません。
実務経験(体験)に絶亭的な価値がある場合には、このカリキュラムは成立しません。
自動車学校もシミュレーションです。メンタルモデルが不完全な場合には、運転はぎこちなくなりますが、2、3年の実務で、スムーズに運転できるようになります。
ドライバー暦が長ければ、運転が安全になるというエビデンスはありません。
ところが、日本の社会では、科学の方法を否定した江戸時代のメンタルモデルが生きています。
年功型雇用は、ジョブローテーションをして、実務経験(体験)を積ませます。
実務経験(体験)が長いと、ポストの階段をあがって、給与が増えます。
科学の方法のメンタルモデルがある場合には、実務経験(体験)の長さに注目することはありません。この科学的意味のないパラメータは、意識されることすらありません。
文部科学省は、習得主義ではなく、履修主義です。
履修主義には、エラーリカバリーがありません。
科学の方法のメンタルモデルがある場合には、エラーリカバリーのない履修主義は、意識されることすらありません。
メンタルモデルが形成され、エラーリカバリーの達成度が、教育の達成度評価ですから、基準を満たした場合には、コースを卒業します。固定的な履修期間という概念はないので、飛び級は、自然な流れになります。
実務経験(体験)は、エラーリカバリーが行なわれれば、間違いをしなくなりますが、エラーリカバリーが行なわなけば、間違いをし続けます。
これが、現在の政府の姿です。少子化対策も、分数の出来ない大学生も、エラーリカバリーが行なわなけば、間違いをし続けます。官僚のポストも、実務経験(体験)に応じてあがりますので、エラーリカバリーとは関係がありません。
日本では、実務経験(体験)の長さに価値があると信じられています。
堀江貴文氏は、次のようにいっています。
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【「寿司職人の修行10年」と「義務教育9年」の残念な共通点】
寿司屋の修行に10年かける意味はない。私が提言したこの説は、一時期ネット上で大きな議論を巻き起こし炎上もした。
しかし、賢い人達はそれを実践して飲食業界に次々と参入してきている。なかにはかなりの成果を上げている人達もいるようだ。優れたセンスと頭の良さがあれば、短期間で寿司の握り方も身につけることができると証明していると思う。
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<< 引用文献
「寿司職人の修行10年」と「義務教育9年」の残念な共通点
https://x.com/takapon_jp/status/1674584288870948866
https://note.com/takapon/n/n87965119a289
ホリエモンが「修業は、まぎれもなく時間の浪費だ」と主張する真意 2021/03/27 ITmediaビジネス
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2103/27/news013.html
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堀江貴文氏は、「修業は、まぎれもなく時間の浪費だ」といいますが、エラーリカバリーの効率の向上が基本です。
エラーリカバリーは、科学のメンタルモデルの問題です。
科学のメンタルモデルがなければ、ジョブ型雇用はできません。
日本では、データを集め、帰納法で法則を見つけましたという科学の方法があると信じられていますが、そのような科学の方法はありません。
整理しておきます。
日本では、問題があった時に現場にいってデータを集めて、要約する研究方法がよく使われますが、これは科学の方法ではありません。
日本では、現場をよく知っている人が専門家(有識者)であると考えられていますが、こうした専門家は、科学の応報をつかった科学者ではありません。
演繹法を使わずに、帰納法を単独で用いる方法は、科学の方法ではありません。
検証可能な仮説と仮説の検証(その結果のエラーリカバリー)がない場合は、科学ではありません。
人文科学は、科学ですが、この条件を満たさない文系の人文科学は、科学ではありません。
6)1985年の日航ジャンボ機墜落事故
日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日、日本航空123便(ボーイング747SR-100型機)が操縦不能に陥り、群馬県多野郡上野村の高天原山山中ヘ墜落した航空事故です。日航ジャンボ機墜落事故とも言われます。
運輸省航空事故調査委員会の事故調査官の藤原洋氏の話がTBS News DIGに紹介されています。(筆者要約)
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8月22日に現場に入った米国調査団(NTSB、FAA、ボーイング社の合同調査団)のNTSBのロン・シュリード氏は、藤原洋氏に、名刺の裏側に書かれた3つのイラストを渡して説明しています。
シュリード氏が描いた3つのイラストは、隔壁の断面を簡潔に示していた。1枚目は「正常な隔壁」2枚目は「正しく修理された場合の隔壁」そして3枚目に、事故機の隔壁の「継ぎ板」が途中で切れていることを“点線”で表現していました。
藤原氏は日本側の現地調査を仕切る立場にありました。機体後部の「圧力隔壁」が壊れたことに注目していたが、なぜそうなったのかまだわからない段階でした。
説明を聞いた藤原氏は、「(隔壁を)外からみていてもわからない。なんでそんなことまで知っているの?」と思ったそうです。
翌日から藤原氏は、昼食時も「隔壁」のそばに座り、残骸を眺めていたといいます。しかし継ぎ目にシールが施されるなどしていたため、シュリード氏が描いた「修理ミス」の痕跡はわかりませんでした。
藤原氏は、「我々の知らない情報を(アメリカは)持ってるんじゃないかなという感じは持ちましたがそれ以上、深くは考えなかった」そうです。
事故から25日後、思わぬ形で表面化した。米ニューヨークタイムズは「ボーイングの修理ミスが原因か」との見出しでスクープ記事を掲載します。
藤原氏は、「やったなという印象です。その意味は“トカゲの尻尾切り”と同じで、ボーイング社にしてみれば、ジャンボの747の隔壁が弱い、ウィークポイントという評価がくだり、そうすると世界中飛んでいる747を止めなければならない。こうなったら大変な事態なんで、この飛行機だけなんだよと、あとは大丈夫なんだよ、ということを言おうとしたのでは」といいます。
747型機の構造に問題はなかったのか、事故調査官として調査途中の公表には違和感があったそうです。
「修理ミス」を特定するためには、隔壁のシールで覆われた部分を確認するために、液体窒素を隔壁にかけ氷点下196度の状態で接着剤を剥がしたそうです。
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<< 引用文献
日航機墜落 “事故の核心” 御巣鷹で描かれた3つのイラスト アメリカが突き止めた圧力隔壁の「修理ミス」2024/08/11 TBS News DIG
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1353285
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さて、この記事を読んで、メンタルモデルの違いがわかりましたか?
アメリカの調査団は、科学のメンタルモデルの持ち主です。
調査に入る前に、メンタルモデルで、絞りこみをします。
推論の基本は、結果(事故)から、原因を推定するアブダクションです。
事故機以外のジャンボ機は、同じような大事故を起こしていませんので、原因は、事故機に固有の性質にあると推定されます。
事故機に固有の性質は、圧力隔壁の修理ですから、圧力隔壁の修理に関係した何かが原因になります。
修理しているジャンボ機は、事故機の他にもありますが、大事故には、なっていません。
修理のエラーは、修理の指示書(修理方法)の間違いと、指示書通りに修理がなされていなかった間違いの2種類があります。
修理が大きく間違っていた場合には、修理直後に問題が発生します。
事故機は、圧力隔壁の修理後も、一見すると正常に飛行していました。
これから、修理の指示書(修理方法)の間違いの可能性は低くなります。
飛行機の過去の事故では、金属疲労による破壊の事例が見られます。
金属疲労による破壊の事例では、それまで、一見すると正常に飛んでいた飛行機の一部の部材が破壊されて事故を起こします。
この事故発生のパターンは、今回の事故機にもあてはまります。
そうすると、圧力隔壁が、指示書通りに修理がなされなかった結果、金属疲労が生じた可能性が高いと推測されます。
アメリカの調査団は、日本に来る前に、恐らく、このあたりまでの議論をすすめていたはずです。
日本の事故調査団は、体験科学のメンタルモデルであった可能性があります。
少なくとも、アブダクションが出来ていれば、「我々の知らない情報を(アメリカは)持ってるんじゃないか」と考えることはあり得ません。
日本航空123便墜落事故(ウィキペディア)から、アメリカの調査団の活動を引用します。
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8月16日、米国調査団は初めて現場入りしたものの、未だ遺体収容活動が行われている状態で、圧力隔壁の調査はできずに終了した。
8月22日、米国調査団は2回目の現地調査を行った。後部圧力隔壁に絞った調査で、実物大の隔壁図面を広げて調べているうちに、修理された隔壁の一部に一列しかリベットが効いていない箇所があることを発見した。米国調査団のひとり、アメリカ連邦航空局 (FAA)技術アドバイザーのトム・スイフトは、修理ミスから金属疲労破壊が発生したと推定しました。
8月24日、3回目の調査に入った米国調査団は、隔壁破断面のサンプルを採取した。ワシントンの国家運輸安全委員会(NTSB)本部にサンプルを送って検査したところ、ストライエーションと呼ばれる金属疲労痕が見つかった。
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アメリカの調査団は、22日の調査で、「隔壁図面を広げて調べているうちに、修理された隔壁の一部に一列しかリベットが効いていない箇所があることを発見」しています。これは、修理完了後の出来形図面です。図面は、米国調査団のボーイング担当者が持参したと思われます。
シュリード氏は、金属疲労の試算の結果、隔壁破壊までの推定飛行回数は「1万3000回」で、この数字が当該機の修理から事故までの飛行回数とほぼ一致したことが決め手になったといいます。
TBS News DIGは、アメリカに行って、シュリード氏にもインタビューしています。
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シュリード・元NTSB調査官
「私たちは、事故原因を特定した際に関係者全員を集め、アメリカ大使館で会議を開きました。ボーイングの技術者たちは、かなり落胆していました。実際、何が起きたかを悟った時、彼らは涙を流していました」
ひとつの「仮説」が、アメリカの結論となった。
シュリード・元NTSB調査官
「事故は、墜落した一機だけの問題で、747型機共通の問題ではありません。これを日本が公開しないことに私たちは、いらだっていました」
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<ひとつの「仮説」が、アメリカの結論となった>という表現は、TBS News DIGのコメントです。
このコメントは、科学のメンタルモデルからみれば、異常です。
科学の結論は、全て検証された「仮説」です。「仮説」と「検証」のメンタルモデルがある場合には、<ひとつの「仮説」が、アメリカの結論となった>とわざわざ書くことはありません。これ以外の方法は科学の方法ではないからです。ここには、科学のメンタルモデルはありません。