1)小説作法
西欧が近代化する中で、世界をモノとココロに分ける考え方が広まりました。
近代的な小説は、ココロを中心に構成されています。
プルーストは、失われた世界の冒頭で、ココロからモノを投影するという芸当をして、モノは動かなくても小説が進められることを示しました。
読者が感動するココロの変動パターンは研究されており、ココロの変化は同じでも、モノを入れ替えるような衣装変えの手法は広く使われています。
古い映画をリメイクする場合、シェークスピアの作品を下書きに小説を書く方法、連続ドラマ、ハーレクイーンロマンスなどの例を上げることができます。
ココロの変化のパターンが類型化されることで、読者は、小説の展開を予測し、安心して、先を読み進むことができるようになります。類型化が行き過ぎると、オリジナリティがなくなり、ノーベル文学賞の候補ではなくなりますが、商業的には、十分成功できます。映画の寅さんを思い浮かべればわかります。
むしろ、カフカのように、ココロの変化のパターン化を拒否してしまうと、読者にとっては、読みにくい小説になり、商業的な成功は難しくなります。
ココロの変化のパターン化を拒否した例外はありますが、少数に止まります。
2)SF小説の作法
SFの古典は、ジュール・ベルヌやHGウェルズです。
ベルヌは、100年後の世界をかなり正確に小説にしたと評価されています。
SF小説も、小説の作法に従っています。SF小説が、SFたる所以は、モノの部分に、未来のパーツを入れ込むことです。
SF小説は、その設定が、何百年先でも、ココロの部分は、20世紀の人間の欲望や愛を代弁しています。もっと言えば、ココロの部分は、狩猟時代から変わっていません。
ところが、デジタルシフトが進むと、人間の意識、ココロの部分が変化します。
デジタルシフトした世界では、リアルの物理的な境界を越えて、ココロが異動します。
デジタルシフトの前に、グローバリゼーションによって、国境を超えた人間の移動が盛んになりました。
愛国心は、かなり疑わしくなっています。
ウィキペディアは、「良心的兵役拒否」について、次のように書いています。
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良心的兵役拒否者は、かつて、国賊、売国奴、非国民、脱走兵、反逆者、臆病者等々、屈辱的な言葉で罵倒・侮蔑され、死刑に処される(エホバの証人とホロコーストを参照)など、ありとあらゆる差別・抑圧・迫害を受けてきた。「死にたくない」という自然で素朴な本能的欲求に従って軍務を離脱した数多くの人間が軍法会議で死を宣告された。第二次世界大戦時に後方部隊への異動を願い出たものの、却下されて脱走を図ったアメリカ兵エディ・スロヴィクが銃殺刑に処された事件はその例のひとつである。
しかし、欧米においては、数十年のうちに急激な変化がみられた。現在では良心的兵役拒否権は国際連合やヨーロッパ評議会のような国際機関では基本的人権として認知され、推奨されている。
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最近では、戦争になると、他の国に移住する人も多くいますが、犯罪者扱いされることはありません。
デジタルシフトが進むと所属意識は、益々薄くなります。また、所属グループが複数になり、オーバーラップしていきます。
たとえば、古いアカデミックソサエティは国毎に分かれていますが、githubなどの情報共有グループには、国境はありません。また、古い学会で交換されている情報量よりも、githubなどで交換されている情報量の方が多くなっています。世界最大のジャーナルは、PLOS ONEであり、国境を越えています。
現在、国を成立させている大きな要素は、徴税システムと国家予算ですが、国境が曖昧になってくれば、EUのようにある部分では、国をまたいだ徴税や公共予算にシフトする選択肢もありえます。
さて、今回の話題はSFです。
SFでも、スターウォーズのような戦争物が人気があります。
現在起こっている戦争では、良心的兵役拒否者は、出国していなくなり、兵士の主力の一部が傭兵になっています。愛国心を、その条件と想定して、スターウォーズのようなSFを書くことは困難です。
そして、ジュール・ベルヌのように、ある程度は、現実の世界を反映したSFを書こうとすると、ココロの変化の問題に遭遇します。
将来に向けたモノの変化とココロの変化の2つを、1つの小説に入れ込むことは無謀な気もします。
それどころが、ココロの変化を入れ込んだ小説は過去にも、事例はすくなく、多くは、病気や加齢によるココロのゆっくとした変化を扱っています。ココロの変化を入れ込むだけで、難易度が上がってしまいます。
自動運転が実用化しても、販売機のようにボタンを押すだけにはならないでしょう。
自動運転のAIとコミュニケーションして、自分が希望する運転スタイルを伝えるようになるはずです。
そうなると、自動車に乗るといったココロのあり方が大きく変化してしまいます。
荒唐無稽なSFに割り切れば別ですが、30年後、100年後にある程度予測があたったと言われるようなSF小説を書くことは、非常に困難です。
3)Data Science Fiction
近未来の社会を描くSF小説の書き方は、ココロの変化を考えると、変わらざるをえません。
そこで、デジタルシフト以降の社会を描くSF小説を、ここでは、Data Science Fictionと読んで、デジタルシフト社会以前のScience Fictionと区別することにします。
そうすると課題は「Science Fictionと同じように、Data Science Fictionを書く手法はあるか」という問いになります。
答えは、直ぐに出せませんが、取り敢えず間違い予測が含まれていても、部分的に正しい予測が含まれていればよしというレベルでスタートするしか方法を思いつきません。
つまり、要素が絡み合った長編や中編は、ひとまず、諦めて、短編か、ショート・ショートに焦点をおくしかないでしょう。
4)過去に遡るSF
2022/05/07 エコノミストには、現代ロシア作家の紹介がありますが、やはり、ココロの変化は扱っていません。過去に遡ったSF(?)を書いてる人もいます。このスタイルであれば、ココロの変化はありません。
もう少し調べてみますが、ココロの変化は、厳しいと感じます。
現代ロシア作家に広がる「プーチン支持」 ドストエフスキー、トルストイの“文学大国”はどこへ 2022/05/07 エコノミスト
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220427/se1/00m/020/001000d