アーキテクチャ(13)

アーキテクチャシリーズの冒頭の内容紹介の原案です>

デジタル社会に生き残る国と企業は、アーキテクチャの優劣で決まる

 

(本の全体の紹介をします)

 

1)この本は、どのようは読者のためのものか




2050年には、2015年の仕事の50%が無くなると予測されています。

 

デジタル社会へのレジームシフト(DX)によって、50%の人の働き方は抜本的に変化し、残りの50%の人の働き方も DXよって少なからず影響を受けます。

 

これは、裏返して見れば、2050年までにジョブの50%をAIなどのコンピュータに入れ替えるDXに成功しない企業は淘汰されることを意味します。

 

それでは、DXに成功する企業と失敗する企業の違いはどこにあるのでしょうか?

 

これは、重要な質問です。

 

この本は、DXに成功する企業と失敗する企業の違いを知りたい人のために書かれました。

 

想定する具体的な読者は次のような人です。

 

ー 新規に就業する学生

  新規に就業する学生にとっては、DXに失敗して市場から退場する企業が見分けられれば、企業選びの基準が変わります。

 

 

ー 転職を考えている人

  転職する人にとっては、DXに失敗して市場から退場する企業が見分けられれば、企業選びの基準が変わります。

 

ー 投資家

  投資家にとっては、企業の将来性、特に、デジタル社会へのレジームシフトを乗り切れる企業と乗り切れない企業を識別できれば、投資先の選択が変わります。

 

ー 経営者

  経営者にとっては、デジタル社会へのレジームシフトを乗り切る経営がわかれば、経営方針を大きく変更する基準になります。

 

ー 大学などの高等教育機関

  大学などの高等教育機関において、デジタル社会の役に立つ教育がわかれば、学部・学科構成やカリキュラムの再編を考える基準になります。

 

2)この本を読めば何が分かるか

 

この本は、「デジタル社会で生き残る企業は、アーキテクチャの優劣で決まる」と主張しています。

 

筆者は、既に、「2030年のヒストリアンとビジョナリスト」を書いてます。この旧著の視点は、日本中が、ヒストリアンは客観的で正しく、ビジョナリストは主観的で間違っているというおかしな認知バイアスにとらわれているという指摘です。つまり、認知バイアスから目覚めることで、変わらない日本の問題の解決策がみつかるだろうという主張です。

 

アーキテクチャ革命」の主題は、変わらない日本から一歩踏み出して、DXによってデジタル社会へのレジームシフトに生き残るにはどうすべきかという問題に対する答えを探すことです。

 

ジームシフトへの適切な道のりは、分野や課題によって異なります。つまり、万能薬はありません。

 

とはいえ、欧米に比べて日本のDXは常識では考えられないほど遅れています。筆者は、この異常な遅れには、日本の企業に共通した原因があると考えます。

 

重要な視点は、DXは手段であって目的ではないということです。DXの前に、プロジェクトの目的の設定が必要です。

 

プロジェクトの目的を決めて、それを実現する手段をモジュールや階層構造で記述する手法はアーキテクチャと呼ばれます。住宅の設計図が、土台、梁、窓、屋根といった部品の組合せで書かれるように、プロジェクトの目的を実現する設計図は、モジュールの組合せで描かれます。プロジェクトの設計図の良し悪しの半分以上はアーキテクチャが指定するモジュールの分割と構成で決まってしまいます。

 

プロジェクトに明確な目的があれば、アーキテクチャを組み立てるのが自然な流れです。アーキテクチャにも良し悪しがありますから、できるだけ良いアーキテクチャを採用します。アーキテクチャにDXを組み込めば、労働生産性が上がり、企業の利益は上がり、労働者の賃金も上がります。こう考えれば、DXはアーキテクチャの一部として自然体で進んでいきます。これが、欧米の現状です。

 

この本の目的は、デジタル社会へのレジームシフトに成功して、デジタル社会の先進国になることです。デジタル社会へのレジームシフトに失敗すれば、デジタル社会の発展途上国になります。

 

この本を読めば、デジタル社会へのレジームシフトのためのアーキテクチャを考えることができるようになります。

 

この本では、巷に流布しているDXを進めることを目的とするアプローチは採りません。DXは手段です。このアプローチは、目的と手段を取り違えています。こうしたおかしなアプローチでは、問題解決はできません。こうしたおかしなアプローチが出てくる原因は、問題解決のための目的の設定とアーキテクチャの不在にあります。

 

この本は対処療法であるソリューショニズムを否定します。

 

例えば、「デジタル社会への対応=>DXの推進=>DXへの政府補助金」という発想は、ソリューショニズムです。

 

ソリューショニズムは一見すると問題解決のための設計図のように見えます。

 

ソリューショニズムでは問題解決はできません。ソリューショニズムは因果モデルを無視した科学で否定されたアプローチです。

 

筆者は、デジタル社会へのレジームシフトに対応する問題は、生態学のレジームシフトモデルを前提としたアーキテクチャになると考えます。

 

そこで、レジームシフトモデルを説明しておきます。

 

3)生態学のレジームシフトモデル

 

前世紀に、農業社会から工業化のレジームシフトの対応に成功した国は、(工業社会の)先進国になり、失敗した国が(工業社会の)発展途上国になりました。先進国か、発展途上国になるかは、レジームシフトの時期の対応で決まってしまい、その後の逆転は困難になります。工業社会では、先進国が固定化する問題は、南北問題と呼ばれました。先進国の反対語は、後進国でしたが、この名称は、後進性を固定化するということで発展途上国という名称に変更されました。この名称変更は、発展途上国が、先進国に発展することの難しさを表しています。

 

南北問題は、経済学の検討対象になり、中進国の罠などいくつかの仮説が出されています。

 

しかし、筆者は、南北問題は、生態学のレジームシフトで説明できると考えます。生態学では、複数のアクターが相互依存で棲息しています。生態系にはホメオスタシスがあり、いったん安定した生態系が形成されると変化を受け付けなくなります。先進国と発展途上国は、異なった種類の生態系を形成して、それぞれがホメオスタシスを形成するのが南北問題です。

 

今世紀に入って、中国は驚異的な経済成長を遂げています。その結果、南北問題は影を潜めます。しかし、中国以外の発展途上国は、経済成長を遂げていません。

 

筆者は、その理由は、中国は、農業社会から工業社会へと、工業社会からデジタル社会へとの2つのレジームシフトを連続的に進めた点にあると考えます。

 

生態学のレジームシフトモデルは、生態系の変化を比較的短期間のレジームシフト期と長期間の安定期に分けて考えます。レジームシフト期には、生態系には、非可逆変化が起こります。レジームシフト期は、ホメオスタシスが破綻していて、生態系の大きな変化が続いて起こります。

 

ジームシフトは、複数のアクターの変化が連続的に発生して進みます。食物連鎖で考えれば、下位のレイヤーのアクターの変化が、上位のレイヤーのアクターの変化をドミノ倒しのように引き起こします。

 

同様にデジタル社会のレジームシフトでは、個別のアクターである企業が主体的に対応できる事項と下位レイヤーのアクターの変化に従属する事項が発生します。

下位のレイヤーの変化はアーキテクチャの作成時に考慮します。

 

4)アーキテクチャ理解の難しさ

 

 解決法は、良いアーキテクチャを作りましょうということになりますが、それは、簡単にはできないと思われます。というのは、経営に科学的なアプローチを持ち込めば、アーキテクチャの作成は、自然な作業の流れだからです。つまり、アーキテクチャを作成しないという不自然な問題解決アプローチが標準になってしまった原因を取り除かなければ、アーキテクチャは作れないと思われます。

 

その原因は1つではありませんが、現状は、アーキテクチャ不在という問題解決に対しては、極めて不自然な姿勢が、蔓延しています。そして、この状態を不自然で、アーキテクチャを作るべきだと感じる人がほとんどいない状態になっています。

 

認知バイアスが蔓延して、集団催眠にかかったような状態になっています。

 

欧米では、問題解決にアーキテクチャを使うことは常識で、アーキテクチャはどこにでもあり、人々は毎日アーキテクチャを見たり、論じています。

 

日本では、意識してアーキテクチャを使うことが避けられています。

 

日本では、明示的なアーキテクチャを見かけることはほとんどありません。

 

このため意識しないとアーキテクチャを使うことはありません。

 

日本人の特徴と言われる性質がいくつかあります。

 

ー 同調圧力が強い。

ー 空気を読む。

ー 批判的な発言を避ける。

ー 明確な賛成又は反対の意思表示をしない。

ー 前例主義を採用する。

ー プロジェクトの評価をしない。

ー 現場主義で、理屈を嫌う。

ー 分野別の縦割りで、専門家は一芸に秀でていると考えられている。

ー 文書化しないで、実地で伝える。

ー 評価は、合格すれば良いと考える。

ー 過剰品質を好む。

ー サービス残業をする。

ー 年功型雇用は優れている。

 

デジタル社会に向けたレジームシフトのためのアーキテクチャの視点で見ると、これら日本人の特徴の9割以上は、単なるアーキテクチャの不在を美化して述べているに過ぎません。

 

デジタル社会へのレジームシフトが進めばこれら日本人の特徴の9割はなくなります。もしも、これらの特徴が今後も残っていれば、アーキテクチャが組めていないことになりますので、日本は、デジタル社会へのレジームシフトに失敗しているはずです。

 

筆者は、2022年の現状は「デジタル社会へのレジームシフトへの失敗」に近い状態と見ています。

 

この本の執筆動機は、この点にあります。

 

アーキテクチャの視点でみれば、簡単に分かる違いが、アーキテクチャの視点がないために、混乱しているように思われるのです。

 

アーキテクチャの視点をいれることで、今まで雑然としていた問題の情況が、すっきり整理できます。