パラダイムの変化予測とレジームシフトモデル~経験科学の終わり

(レジームシフトと今後の科学パラダイムのシェアの変化予測を説明します)



1)本書の立場

 

この本で論じたいことは、現在、既に起こっているデジタル社会へのレジームシフトの今後の展開を考え、何をすべきかという行動の優先順位の指針を得ることです。

 

これからの将来予測は、確定的なことは誰にもわかりませんが、多くの人の関心事であり、膨大な予測がなされています。

 

筆者がここで行う予測と、既存の予測の違いは次の点にあります。

 

(1)ヒストリアンの立場はとりません。

 

(2)科学パラダイムの入れ替えが、大きなドライビングフォースであると仮定します。

 

(3)将来への変化は、生態学のレジームシフトモデルに従うと仮定します。

 

(4)ドキュメンタリズムを排して、社会実装が必須との立場をとります。

 

2)ヒストリアンの誤謬

 

「(1)ヒストリアンの立場はとりません」を説明します。

 

ヒストリアンは、歴史は繰りかえす、あるいは、前例主義です。

 

この手法の欠点は以下の通りです。

 

(1)因果モデルを無視している

 

(2)レジームシフトが起こっている場合(現在です)には、全く使えません。

 

ヒストリアンの反対語はビジョナリストです。

 

過去にとらわれずに、どうあるべきかを考えます。

 

これが、本書の立場です。

 

3)科学パラダイムの入れ替え

 

本書は、グレイの科学の4つのパラダイムを採用しています。

 

第2から第4のパラダイムの科学には、方法論があります。

 

第1のパラダイムの経験科学にだけは方法論がありません。

 

2022年にマイクロソフトは、第5のパラダイムを提案しています。

これは、第3と第4のパラダイムを混合して利用した結果を第5のパラダイムと呼んで区別すべきという提案で、非常に合理的な提案です。

 

図1は、本書で想定している科学のパラダイムのシェアのイメージです。

 

人間の活動がAIに替われば、経験科学は、その分だけ、データサイエンスに置き換わったと考えられます。

 

そう考えると、大きくは、経験科学(P1)が、データサイエンス(P4)に置き換わるという学問のパラダイムシフトが起こると思われます。



      

図1 科学のパラダイムのシェア

 

4)生態学のレジームシフトモデル

 

社会経済システムの変化が、連側的に緩やかにおこるのであれば、軋轢は少ないと思われます。

 

しかし、現実には、変化は不連続におこります。

 

その原因には、次の2通りがあげられます。

 

(1)バイナリーバイアス

これは、物事を2分して考えたがる人間の認知バイアスを指します。人間は、連続分布を扱うのが苦手なので、分けて考えてしまいます。

 

(2)社会組織への順応の慣性

人間は、居住環境に順応しますが、順応の結果、変化に対して脆弱になります。

これを回避するには、常に新しい環境に接して、変化に対する能力を磨く必要があります。

データサイエンスのように知識の半減期が短い世界に接していると常に学びなおしを迫られることになりますが、そのような分野は、デジタル社会へのレジームシフトが起こるまでは、マイノリティです。過去の経験、記憶した知識に価値があると思い込みがちです。

このような思いこみをして人が集団をつくって、企業や学会を形成すると思いこみが強化されて行きます。

 

2022年11月に、政府は厚生年金の企業数の拡大を図っています。ここには、企業は継続するという認知バイアスがあります。レジームシフトによって、企業の過半数が改廃することは十分にあり得ます。ジョブ型雇用になって、年金をもらわない代わりに、年金分を給与や持ち株でもらって、自分で試算管理をしたい人が出てくる可能性もあります。そうなれば、厚生年金に依存することはリスクになります。

 

過疎の村の公務員になって、人口流出が続き、20年したら村民は、公務員だけになっている可能性もあります。こうなれば、厚生年金が維持できないのは自明です。

 

このように変わらないと考えることは、社会の変化をレジームシフトモデルで見ていないために起こります。

そこで、本書では、レジームシフトモデルを採用します。

 

5)ドキュメンタリズムの課題

 

問題解決を論ずる場合には、検討する内容が問題であって、形式には価値はありません。

 

形式を優先して、内容のない議論を、筆者は、ドキュメンタリズムと呼んでいます。

 

本書では、ドキュメンタリズムは扱いません。

 

この問題は、別の本で扱うことにします。

 

6)人新世の補足

 

人新世は、本書では扱いませんので、補足しておきます。

 

人新世は、地質年代なので、実体は、工業社会によって引き起こされた地球環境を指しています。

 

本書は、工業社会の先のデジタル社会を取り扱いますので、人新世は検討しません。

 

温暖化、生物多様性などの環境問題に対して、デジタル社会は、既にデータサイエンスに基づく新しい問題解決のアプローチを提案しています。

 

この内容は、データサイエンスの言葉で書かれているため、経験科学の言葉で理解することは困難です。その結果、基本的に、英語で書かれたデータサイエンスに基づく新しい問題解決のアプローチは、日本語には翻訳されていません。

 

これは、重要な課題ですので、別の本が必要になるでしょう。