デジタル教科書とクラウド・エデュケーション(4)

できる学生御用達システム

前回の考察で、クラウド・エデュケーションをつくるなら、できる学生用が簡単で、できない学生用は、まず、仕様書をつくる段階で、問題があると申し上げました。できる学生用システムは、およそ、次のような仕様で行けるのではないでしょうか。

  • 教材提供システム

  • 演習システム

  • 自己診断、試験などの到達度評価システム

  • 友達と共同で問題を解く、グループウェア

  • 会議システム

  • 学習指導と相談

このようなシステムは、要するにエリート教育システムです。日本では、エリート教育システムは、高度成長期以降は否定されて、話題にあげること自体がタブー視されています。特に、公教育では、ほぼ、皆無になりました。しかし、IT産業や、クリエイティブな産業、言い換えれば、コモディティをつくらない産業では、エリートがいないと産業が成り立ちません。音楽大学の学生を何千人集めても、ベートーベン一人に勝てません。瀧本哲史がいっていたように、努力すればできるようになることは、コモディティなので価値がないのです。努力しなくともできる才能こそが価値があります。つまり、エリート教育システムでは、教材を与えて、到達度診断と相談に乗るだけでよいのです。できない問題を解けるように、教えるにはどうしたらよいかという問題は存在しません。これが、システムの開発仕様が、普通の教育システムと同一にならない理由でもあります。

システム運用の現場

次に、このようなクラウド・エデュケーション・システムが運用された場合に、具体的に何が起こるかを考えます。適切な教材が、固定化したカリキュラム(注1)と関係なく与えられます。その結果、できる学生は、学年のカリキュラムに関係なく、学習を進めるはずです。つまり、このシステムを運用することで、優秀な学生の選別が結果としてできてしまいます。

実は、クラウド・エデュケーション・システムに似たシステムは既にあります。Googleクラウド上で、ソフトウェア開発をする環境を無償で提供しています。筆者は、このブログをフリーのはてなブログで書いていますが、「はてな」の会社は、全てのブログの投稿数や、参照数を把握しています。同様に、Googleの無料サービスを受けるためには、Google IDを取得します。GoogleGoogle IDで優秀な人を識別できます。もちろん、Google IDには個人を特定するデータはありませんが、Facebookなどのデータとリンクすれば、実際には、個人がわかります。米国では、教育は学校に行くことが必須ではなく、家庭学習でも、レベルに到達できればよいことになっています。州によると思いますが、飛び級もできるはずです。大学も、多様な採用枠がありますから、飛び級できるような学生は、18歳より前に入学して、18から20歳で卒業、場合によっては博士をとって卒業します。プログラマーの能力は正規分布しませんので、特別に優秀なプログラマーには、格段の価値があるので、年俸5000万円以上の人もいるはずです。

日本の場合を考えますと、一番優秀かはわかりませんが、試験の一番難しい学科は、東京大学の医学部医学科になります。医学科の試験の合格者の半分以上が鉄緑会という進学塾にかよった経験があります。鉄緑会というのは、特別なことをする塾ではなく、中学3年間で、高等学校終了までの6年分の数学と英語を教えるカリキュラムになります。つまり、15歳であれば、大学入学できる学力を身に着けているわけです。米国であれば、このレベルの能力があれば、15歳で大学入学、18歳で卒業して、年収5000万円以上コースになりますが、日本では、医学部に6年通っても、24歳で最初は年収2000万円レベルでしょう。

こうした実情を無視して、ITエンジニアが必要なので、年功序列をやめて、初任給1500万円だすから人を集めたいという企業が続出しているのが日本の現状ですが、どうみても勝ち目はないと思います。まあ、新卒一括採用という意味のないシステムにしがみついている日本と、クラウド・エデュケーション・システムで、中学生頃からヘッドハンティングしている米国では、最初から勝負にならないのは当たり前です。

まとめますと、デジタル教科書の問題は、日本の教育システム全体の問題を無視して議論しても仕方がありません。IT立国のためには、エリート教育を避けている現在の教育システムを変えない限りは、未来はありません。

 

 

注1:

固定化したカリキュラムの問題点は、できない学生向けのシステムにも共通した課題です。これは、理解できないところ、躓くところに個人差があるという問題です。教師1人に生徒1人のシステムであれば、教師は生徒の進捗を確認しながら教育を進めることができます。しかし、このコストに耐えられるのは、むかしのイギリスの貴族くらいで、公教育では不可能です。カーンアカデミーのシステムは、講義の1コマを小さくし、詳細な到達度評価をすることで、弱点の部分の講義を繰り返し聞き、演習の量を増やすことで、この問題の解決を図っています。残念ながら、日本の公教育では、この問題の存在自体が無視されています。特に、カーンアカデミーのような詳細な到達度データをとって分析することが、データサイエンスでは、出発点なのですが、そのためには、クラウドでできれば全生徒のデータ収集をする必要があります。現在は、そのようなデータは存在しません。なお、これは、個々の生徒に成績を付けるためのデータではなく、教育の質を確保するために必要なデータです。つまり、現在のデータサイエンスのレベルで考えれば、公教育は、教育の質が担保されていないだけでなく、担保するつもりもないことになります。なお、米国では、ブッシュ政権のときに、エビデンスに基づく教育予算の配分が進められ、一部のサンプルデータではありますが、到達度データを取っています。