シンプソンのパラドックス

1)部分集合と全体集合

 

シンプソンのパラドックスとは、男性、女性を別々に分けたような部分集合の相関と、全体集合の相関が逆転する現象をいいます。

 

もちろん、正解は、部分集合の結果になります。

 

2)2023年の日本の1人当たり名目GDP

 

2023年の日本の1人当たり名目GDP国内総生産)は、前年比約0.8%減の3万3849ドルで、経済協力開発機構OECD)加盟38カ国中22位で、21位の韓国に抜かれています。



冷泉彰彦氏は、次のように言っています。(筆者要約)

 

1980年代後半からの40年近く、多くの日本企業はこうした現地生産や海外法人の買収を続けてきました。空洞化を進めた結果、国内のGDPは大きく損なわれ、韓国にも抜かれました。

 

1つは、製造業を海外に出した場合に、本来であれば国内はより付加価値の高い知的産業にシフトするべきです。ですが、日本の場合は分厚い言語の壁があり、文明の成り立ちや教育の方法が、グローバルな先進産業とはミスマッチを起こす中で、改革を先送りし続けました。その結果、国内経済においては衰退トレンドが定着したのだと思います。

 

もう1つは、高学歴な人口の多くは多国籍企業に就職していることが多く、空洞化しても海外からの収益で潤うからです。つまり、海外で売上が立つ企業の場合は、円安も加わる中で「史上最高の収益」や「大幅な賃上げ」が可能になり、GDP低迷の「痛み」を感じないのです。

 

今となっては、製造業では中国やアジア諸国に生産性という点で対抗できていません。また知的付加価値を求める新産業においては、欧米やアジアの一部の国には現時点では全く勝ち目がないのも事実です。つまり、日本という文明の弱みを克服し、中進国型の教育を改革しないと、このままでは衰退が加速するだけです。

<< 引用文献

日本企業の国内軽視が招いた1人当たりGDPの凋落 2024/12/25 Newsweek 冷泉彰彦

https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2024/12/1gdp.php

>>

 

冷泉彰彦氏は、日本企業は、国内生産だけの企業と、国内生産と海外生産を持っている企業があり、海外生産が主体の企業では、海外部門の売り上げは落ちていないといいます。

 

本社が日本にある場合には、日本企業は、海外生産部門からピンハネしています。この方法は、海外に競合する企業がない場合には、うまくいきますが、台湾や中国の家電製品のように、ピンハネしない企業が出てくると競争力がなくなります。彼らは、ピンハネではなく、株式を給与の一部に使います。この方法では、ピンハネ問題は生じません。

 

西陣の和服は、主にベトナム製です。日本企業は、ベトナム製の和服は、それまでの和服と同じような価格で販売しています。これは、ピンハネによる大きなマージンがあることを意味します。マーケットはあまりに小さいので、あえてビジネスを仕掛ける人はいませんが、ベトナムの企業が、原価に近い価格で製品を販売すれば、日本のメーカーの製品は売れなくなります。製品の品質管理などで、ノウハウによる差があれば、まだ、競争力がありますが、差がなくなれば、高い製品は売れなくなります。

 

ホンダと日産が、経営統合しても、ノウハウによる差のないEVが主力製品になると、立ち行かなくなります。

 

シンプソンのパラドックスから考えれば、日本企業を見る場合に、国内部門と海外部門を常に分けて考えるべきであるといえます。

 

野口悠紀雄氏は、次のように言っています。(筆者要約)

 

この記事は、以前の記事の再配信ですが、日本の1人当たり名目GDPが、韓国に抜かれたときに、再配信されているので、1人当たり名目GDPを意識しています。

2023年9月に公表された2023年のIMDの「世界人材ランキング」結果を見ると、日本が特に低いのは、「国際的な経験」(世界第64位)、「シニアマネージャーの能力」(世界第62位)、「語学の能力」(世界第60位)だ。「国際的な経験」では、文字通り世界最低だ。

 

国際経験の面で日本人に問題があるとは、これまでもしばしば指摘されてきたことだが、このように「世界最低」という数字を突きつけられると、改めて愕然とする。

 

そして、このことがビジネスの機敏性などに影響与えていることは疑いがない。つまり世界が大きく変化していることを、日本の経営者は肌で感じられず、そのため必要な対応をしていないのだ。

 

日本が、IT革命、世界的水平分業の進展、製造業のファブレス化といった大きな変化に対応できなかったのは、そうした変化を身の回りの出来事として直接に感じることができなかったからだろう。

<< 引用文献

日本が「4年連続1位→38位」に転落した国際的指標【再配信】 2024/12/25 東洋経済 野口 悠紀雄

https://toyokeizai.net/articles/-/848900

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「つまり世界が大きく変化していることを、日本の経営者は肌で感じられず、そのため必要な対応をしていない」理由は、年功型雇用にあります。

 

今回は、この問題を除きます。

 

野口悠紀雄氏の視点では、日本企業を見る場合に、海外部門を常に分けて考える視点が明確ではありません。

 

冷泉彰彦氏のように、国内部門だけの企業と、海外部門と国内部門からなる企業は分けて考えるべきであると思います。

 

3)英語の問題

 

野口悠紀雄氏は、「国際経験の面で日本人に問題がある」という点に注目しています。

 

冷泉彰彦氏は、「日本の場合は分厚い言語の壁があり、文明の成り立ちや教育の方法が、グローバルな先進産業とはミスマッチを起こす」といいます。

 

国際化は、英語教育の問題であると考えられています。

 

しかし、筆者は、英語教育の問題以前に、日本語教育の問題であると考えます。

 

ビジネスの世界では、会話でネゴシエーションできた方がよいです。しかし、企業内の多くのジョブは、協調して行います。企業内では、ネゴシエーションが必要な場面は、少ないです。

 

会話の聞き取りができた方がよいですが、大切なポイントは、メールなどの文章で、コミュニケーションをとります。

 

自動翻訳の精度は高くはありませんが、意図が全く伝わらない程のレベルではありません。

 

パラグラフ(paragraph)のルールは、教育向けで、必ずしも、その制約に縛られる必要は、ありませんが、ビジネスの文章は、論理的で、用語の使い方が明確である必要があります。段落(danraku)では、コミュニケーションが成り立ちません。

 

段落(danraku)では、どんなに、自動翻訳がよくなっても、コミュニケーションが成り立ちません。

 

4)技術の問題

 

冷泉彰彦氏は、「知的付加価値を求める新産業においては、欧米やアジアの一部の国には現時点では全く勝ち目がない」といい、「中進国型の教育を改革」する必要があるといいます。

 

これは、現在の日本の教育では、技術開発ができる人材が育っていないという主張です。

 

大学定員の7割は文系であり、作文教育は、段落の綴り方です。

 

統計学とプログラミングのできる人材は、少数です。

 

日本では、1959年に、スノーが「エンジニア教育のできない国は、経済的に滅びる」といった予言が実現しています。

 

1990年頃まで、18歳人口は増えていて、よい大学に合格するには、それなりの学習が必要でした。

 

2024年の現在は、大学は全入できる定員があります。

 

文部科学者は、履修主義で、卒業には、学習内容を理解する必要はないといいます。

 

当然、問題が解けない学士、修士、博士があふれています。

 

企業は、ODを採用しません。それは、ODは、統計学とプログラミングができないので、まともな推論はできないからです。大企業は、海外部門では、博士を採用しています。

 

大企業は、使えない人材を回避して、研究所を海外に移転しています。

モンスターペアレンツもいますが、それ以前に、生徒が、理解できなかったり、卒業できない原因は、教員の責任であるといいます。

 

日本の教育には、目的と、教育を実現するためのツールがありませんので、精神を病む教員が続出します。

 

これらのデータは、経済学のお金のデータには入りませんので、経済学者は、日本の人材の経済価値がなくなった点を問題にしません。

 

人材を説明変数にとった経済モデルを作るべきです。

 

自由貿易をすれば、賃金は、国際価格に収斂します。

 

インバウンドで、観光客が増えれば、観光大国のフランスやタイの賃金になります。観光収入が増えても、賃金が上がることはありません。

 

このことは、自明なので、シンガポールと中国では、ハイテク産業を将来の産業の中心に置いています。