1-1)ITエンジニアの基本思考
「因果推論の科学」の著者のパールは、AI研究者から、因果推論の科学の研究者に転じています。パールは、哲学者でもありますが、思考の基本は、AI研究者の立場にあります。
これは、コード化して、コンピュータに実装できないアイデアは、形而上学であり、使えないという基準です。
例えば、「因果推論の科学」(p.67)では、1980年に哲学者のサールが提案した「中国語の部屋」というAIの思考実験を、パラメータ数が膨大になり、実装不可能であるとして、否定しています。
ここでは、「コンピュータ上に実装できないものは、推論の対象にしない」という原則(哲学)を「コンピュータ思考」と呼ぶことにします。
この場合の哲学は、実装可能なコードの実現性の判定条件の問題になります。
「コンピュータ思考」は、ITエンジニアの常識ですが、世の中の常識ではありません。
「コンピュータ思考」は、DXへの最短ルートの探索問題でもあります。
1-2)経済学のコンピュータ思考
筆者は、経済学を理解する時に、「コンピュータ思考」を使います。アダム・スミス、マルクス、ケインズなどの経済学者は、コンピュータのない時代に理論をつくりました。つまり、経済学の先達は、コンピュータ思考が出来ていません。経済学の先達の理論には、実装不可能なアイデアが含まれているはずです。
コンピュータ思考と経済学の理論が対立した場合には、筆者は、コンピュータ思考を優先します。
コンピュータ思考の経済学は、コードの実装、つまり経済モデルの作り方になります。
コンピュータ思考の経済学の原則では、経済モデルに実装できない経済学は、無視できることになります。
この「経済モデルに実装できない」は、現在「経済モデルに実装できない」のではなく、将来も「経済モデルに実装できない」という意味である点に注意が必要です。
1-3)経済モデルの限界
GCMなどの物理モデルを作る場合には、原則は、連続方程式と運動方程式をつくります。
運動しない(動かない)物体については、運動方程式ではなく、静止力学(力のバランス)を考えます。
経済学のモデル(均衡モデル)を作る場合には、いくつか問題があります。
第1に、経済学では、力学の質量に相当するものとして、単位当たりの価格データを使いますが、インフレになると貨幣価値が下がってしまいます。価格データは、短期的には、質量のアナグラムになりますが、インフレやデフレになると、価格とモノの対応がシフトします。連続方程式は、生の価格データでは成り立たないので、常に、補正が必要になります。
つまり、連続方程式は、常に、補正が必要になります。
第2に、運動方程式に相当するモデルは、市場均衡モデルですが、これは、静止力学(力のバランス)に近い概念です。加速度項の再現性は怪しいです。
第3に、使えるデータは、社会会計行列(産業連関表の拡張)になります。これは、産業構造が変化しない前提で出来ています。
つまり、社会会計行列を使った経済モデルでは、「産業構造の変化」は、外生変数です。現在ある製造業とデジタル産業の間で、資源の消費がシフトすることがモデルに含まれますが、社会会計行列に反映されない新しいデジタル産業の出現は、モデルの外生変数になります。
同様に、技術革新による「生産性の向上」も、外生変数になります。
この「産業構造の変化」と「生産性の向上」が、内生変数ではないという点は、金融政策では、「産業構造の変化」と「生産性の向上」が、起きないという現象に対応しています。
つまり、経済学のモデル(均衡モデル)では、「産業構造の変化」と「生産性の向上」が、内生変数ではないという弱点は、経済学のモデル(均衡モデル)を日銀などの金融政策に使う場合には、制約条件にはなりません。
1-4)拡大再生産
社会会計行列を使うと、経済学のモデルなしでも、乗数効果が計算できます。
経済学のモデル(均衡モデル)は、4半期単位で計算することが多いですが、説明を簡単にするために、年単位で考えて、計算すると仮定します。
拡大再生産は、次のステップです。
第1:作れば売れる。
第2:売れるので、労働者の賃金があがり、内需が拡大する。
第3:内需が拡大するので、第1のステップに戻る。
これは、複利計算と同じ循環です。
複利計算では、利率がどれだけ1を越えているかが、課題になります。
複利の増加係数は、社会的割引率、乗数など、場面によってことなる名前がついていますが、数学的には、同じものです。
複利の増加係数が、1を下回る政策は、経済を縮小再生産させます。
コンピュータ思考の経済学、つまり、経済モデルの経済学で考えれば、公共投資の拡大再生産の増加係数(乗数効果)と民間投資の拡大再生産の増加係数(用語不明?)が問題になります。
これは、預金金利や利子率に相当する係数です。
マイナス金利は、縮小再生産のプロセスですから、資本主義ではあり得ません。
コンピュータ思考の経済学は、まず、経済成長する経済モデルをつくって、実際の経済をモデルにあうようにチューニングします。ITやDXで経済成長するというモデルを作れば、そのモデルに合わせて、人材の育成をします。財源が限られているので、目的達成に関係のない歳出を削減します。
ロケットを打ち上げるときには、設計図を書いて、設計図に合わせた部品を調達します。
料理の場合には、手元にある素材を活かしたり、旬の食材を活用する方法もありますが、これは、料理の目的が曖昧なため、できるアプローチです。
その辺にある素材を組み合わせても、月まで、飛行できるようなロケットはできません。
経済成長が目的であれば、成長率を最大化する経済のモデルをつくって、実社会をそれにあわせて、チューニングします。
「中国製造2025」は、こうしたコンピュータ思考で作られています。
1-5)推論の問題
政府も、日銀も、推論の方法は、欧米の前例、帰納法、時系列解析です。これらの推論は、科学の方法ではありません。
コンピュータ思考の経済学、つまり、経済モデルの経済学で考えれば、公共投資の拡大再生産の増加係数(乗数効果)と民間投資の拡大再生産の増加係数(用語不明?)が問題になりますが、民間投資の拡大再生産の増加係数の数字は議論されていません。
類似の指標に、中長期的に持続可能な経済成長率を示す「潜在成長率」があります。
「潜在成長率」は、設備などの資本、労働力、生産性の供給サイドの3要素から算定する、生産活動に必要な全要素を使った場合の供給能力の増加を示す指標です。
日銀の「経済・物価情勢の展望(展望レポート)2024/10」には、次のような注があります。
<
わが国の潜在成長率を、一定の手法で推計すると、足もとでは「0%台後半」と計算される。ただし、潜在成長率は、推計手法や今後蓄積されていくデータに左右されるうえ、デジタル化の進展などに伴い生産性や労働供給のトレンドがどのように変化するかといった点を巡る不確実性も高いため、相当の幅をもってみる必要がある。
>
<< 引用文献
経済・物価情勢の展望(展望レポート)
https://www.boj.or.jp/mopo/outlook/index.htm
>>
これは典型的な段落(danraku)であり、パラグラフ(paragraph)ではありません。
「潜在成長率が、0%台後半」は、根拠(一定の手法)がある数字です、
「推計手法や今後蓄積されていくデータに左右されるうえ、デジタル化の進展などに伴い生産性や労働供給のトレンドがどのように変化するかといった点を巡る不確実性も高いため、相当の幅をもってみる必要がある」は、根拠の主張です。
この主張は、「一定の手法による推定」を否定しています。「一定の手法による推定」は、数値実験の結果です。科学は、「データと実験」が全てです。それ以外の根拠は認めません。
推定には、誤差があり、推定精度の幅があります。とはいえ、「潜在成長率0%台後半」が、推定の中央値であると言えます。ベイズ統計であれば、初期値を「潜在成長率0%台後半」として、その後のデータの追加によって、ベイズ更新をすれば良いと言えます。
コンピュータ思考で、考えれば、例えば、次の表現になります。
<
わが国の潜在成長率を、一定の手法で推計すると、足もとでは「0%台後半」と計算される。この潜在成長率を向上させるためには、デジタル化の進展などに伴い生産性向上させること、ロボットの活用によって、労働供給不足を解消することが必要である。
>
政府の政策分析は、欧米の前例、帰納法、時系列解析です。政策は、検証可能な仮説の形式になっていません。過去の政策の評価はなされていません。
これは、政策分析の目的が、政策課題の解決ではなく、補助金を予算要求する背景資料になっていることを示しています。
コンピュータ思考は、目的、システム開発、システムの評価と改善のステップをとります。
しかし、政府の政策では、エビデンスに基づく政策評価は行われず、政策評価の代わりに、予算消化の数字が当てられています。