アベノミクスの総括(3)

4)マクナマラの誤謬

 

山本謙三氏が、紹介しているマクナマラの誤謬(McNamara fallacy)について、日本のメンタルモデルの視点で整理します。

 

4-1)NHKと 山本謙三氏

 

山本謙三氏は、ブログで、マクナマラの誤謬を紹介しています。

先日、NHKがテレビ番組「映像の世紀バタフライエフェクトベトナム戦争 マクナマラの誤謬(ごびゅう)」を放送していた。概要が、同局のホームページに紹介されている。

 

「数字にばかりこだわり物事の全体像を見失うことを「マクナマラの誤謬」という。この言葉の由来となったのが、米国防長官を務めたロバート・マクナマラ。神童と呼ばれたマクナマラはデータ分析を駆使してベトナム戦争を勝利しようとしたが、数値では計れないベトナム人愛国心アメリカ市民の反戦感情に目を向けず、300万以上の犠牲者を出す泥沼の戦争を招いた。アメリカを敗北に導いた一人の天才の物語である。」(NHKホームページより)

 

経済政策は、もちろん戦争とは違う。しかし、「数字にこだわり物事の全体像を見失う」との文脈は、日本銀行の異次元緩和を想起させる。

<< 引用文献

物価目標2%へのこだわりは「マクナマラの誤謬」2023/07/03 山本謙三

https://www.kyinitiative.jp/column_opinion/2023/07/03/post2353/

 

ベトナム戦争 マクナマラの誤謬(ごびゅう) NHK

https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/episode/te/Z18PZ1RJX9/

>>

 

NHKは、「神童と呼ばれたマクナマラはデータ分析を駆使してベトナム戦争を勝利しようとしたが、数値では計れないベトナム人愛国心アメリカ市民の反戦感情に目を向けず、300万以上の犠牲者を出す泥沼の戦争を招いた」といいます。これは、正しいのでしょうか。

 

4-2)WOWOWの紹介

 

WOWOWは、映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」で、次のように書いています。 

 

ハーバード大学経営学大学院の教授、世界的自動車会社フォードの社長、国防長官、世界銀行総裁などを経験したエリート中のエリートである一方、第2次世界大戦中は日本への爆撃や広島・長崎への原爆投下に関与し、キューバ危機やベトナム戦争を合衆国の中枢から見てきたマクナマラ。撮影当時85歳だったマクナマラに過去を回想させるとともに、彼自身の戦争に関する見解を聞き出したのが本作。語られる衝撃的事実の数々は、まさに実録ならではの迫力といえよう。監督は社会派ドキュメンタリーの巨匠、E・モリス。

 

第2次世界大戦当時、経営管理の理論を米軍の戦略に応用するマクナマラの報告書は、日本へのじゅうたん爆撃を促し、マクナマラは自分が戦争犯罪を行なったと認める。85歳になったマクナマラは自分の人生で得た11の教訓を語る。“敵の身になって考えよ”、“理性は助けにならない”、“戦争は釣り合いが必要”、“人間の本質は変えられない”など。さらに彼はケネディ政権、ジョンソン政権などについて知られざる事実を明かす。

<< 引用文献

フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白 WOWOW

https://www.wowow.co.jp/detail/018269

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ウィキペディアによると、「マクナマラ氏は、1943年初めにアメリカ空軍に大尉として入隊し、第二次世界大戦の大半を統計管理局で従軍しました。彼の主な職務の1つは、インド、中国、マリアナ諸島カーティス・ルメイ少将が指揮するB-29部隊の米爆撃機の効率と効果の分析でした。マクナマラ氏は第20爆撃軍団の統計管理ユニットを設立し、ハンプ越えの燃料と貨物の輸送機としても機能するB-29のスケジュールを考案しました。」

 

第2次世界大戦(太平洋戦争)で、マクナマラ氏は、味方の兵士の死亡数と敵の兵士の死亡数を基準に、作戦の選別をする方法を推奨しました。作戦は、費用(味方の兵士の死亡数)対便益(敵の兵士の死亡数)分析を使って、選択されるべきであると主張しました。

 

マクナマラ氏は、ベトナム戦争でも、兵士の死亡数を基準とした費用対便益分析を導入しました。

 

4-3)ウィキペディアマクナマラ誤謬

 

英語版ウィキペディアマクナマラ誤謬は、以下のとおりです。

マクナマラ誤謬(定量的誤謬としても知られる) は、1961年から1968年まで米国防長官を務めたロバート・マクナマラにちなんで名付けられ、定量的な観察(または測定基準)のみに基づいて意思決定を行い、他のすべてを無視することです。多くの場合、他の観察は証明できないことが理由として挙げられます。

 

しかし、マクナマラの規律( McNamara discipline)をあまりに文字通りに適用すると、最初のステップは簡単に測定できるものはすべて測定することです。2 番目のステップは、簡単に測定できないものや定量的な値を与えることができないものを無視することです。3 番目のステップは、簡単に測定できないものは実際には重要ではないと想定することです。4 番目のステップは、簡単に測定できないものは実際には存在しないと言うことです。これは自殺行為です。

 

 ダニエル・ヤンケロヴィッチ、「新しいライフスタイルの解釈」セールスマネジメント(1971)

この引用はもともとマクナマラフォード・モーター社の社長を務めていた2か月間の思想について言及したものだったが、その後ベトナム戦争中の彼の姿勢について言及していると解釈されるようになった。

 

戦争における例

 

ベトナム戦争

マクナマラの誤謬は、敵の死者数が正確かつ客観的な成功の尺度とみなされたベトナム戦争の文脈でよく考えられている。戦争は数学モデルに還元され、敵の死者数を増やし、自軍の死者数を最小限にすることで勝利が確実となった。ジョナサン・セーラム・バスキンやスタンレー・カーノウなどの批評家は、ゲリラ戦、広範囲にわたる抵抗、敵の死傷者数の推定における避けられない不正確さによって、この公式が妨げられる可能性があると指摘した。

 

伝えられるところによると、アメリカ空軍准将エドワード・ランズデールは、戦争の進行を科学的に追跡するための測定基準のリストを作成しようとしていたマクナマラに、ベトナムの一般農村住民の感情を考慮していないと言った。マクナマラは鉛筆でそのことをリストに書き、その後それを消し、ランズデールに、測定できないのだから重要ではないに違いないと言った。

 

マクナマラ定量的数字への関心は、 10万人計画、別名マクナマラの愚行にも表れている。軍隊への入隊基準を引き下げることで、入隊者数が増加した。この決定の鍵となったのは、兵士は抽象的には他の兵士とほぼ同等であり、適切な訓練と優れた装備があれば、戦争の数学においてプラスの要素となるという考えだった。この計画で入隊した兵士の死亡率は、以前の基準を満たした兵士の3倍だった。

 

ヤンケロヴィッチ氏は、「新しいライフスタイルの解釈」の中で、フォード時代マクナマラ氏の経営の問題点を指摘しました。企業経営では、経営にかかった費用と経営で得られた便益をつかって費用対便益分析をすることができます。

 

しかし、いうまでもなく、単純な費用対便益分析は、基礎数値にすぎません。技術開発や先行投資をする場合には、タイムラグや、分析を行う期間の取り方を考慮する必要があります。労働者の能力は、数値化が難しい項目ですが、重要です。

 

1960年代に、マクナマラ氏は、PPBSを導入しています。

 

日本では、PPBSは失敗したという都合のよい解釈が流布しています。

 

PPBS時代のコンピュータは、メモリーは小さく、能力が低かったので、PPBSは十分な成果をあげられませんでした。

 

しかし、PPBSのアイデアは生きていて、マクナマラは、今日では政策分析として知られる公共政策におけるシステム分析を創設しています。

 

PPBSは費用対効果分析の拡張です。これは、政府機関の資金と成果を結び付けて公共支出の効率性を高めることを目的とするパフォーマンス予算編成の理論になります。

 

パフォーマンス予算編成の理論は、IMFOECDも採用しています。

<< 引用文献

Mr. Marc Robinson, Performance Budgeting Linking Funding and Results

https://www.elibrary.imf.org/display/book/9780230553569/9780230553569.xml

 

OECD Performance Budgeting Framework

https://one.oecd.org/document/GOV/SBO(2023)1/en/pdf

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英語版ウィキペディアによると、フォード時代のマクナマラ氏の活動は次の通りです。

マクナマラは、1946年に企画および財務分析のマネージャーとしてスタートし、一連のトップレベルの管理職に急速に昇進した。マクナマラは、最も効率的で合理的な生産手段を見つけるためのモデルを構築するためにフォードにコンピューターを導入させ、多くの合理化をもたらした。自動車業界の傾向を示すグラフを備えたスプレッドシートを使用するマクナマラの「科学的管理」スタイルは、1950年代に非常に革新的であるとみなされ、その後の数十年間に他の幹部によって模倣された。 1995年の回顧録で、マクナマラは次のように書いている。「私は[フォードで]マネージャーとして15年間を過ごし、問題を特定し、組織に(多くの場合は彼らの意志に反して)代替の行動方針とその結果について深く現実的に考えるように強制しました。」

 

橘玲氏は、意思決定をベイズ統計をつかって数学問題に還元する経営者をテクノリバタリアンとよんでいます。マクナマラ氏は、テクノリバタリアンのルーツであったことがわかります。

 

代替の行動方針とその結果について深く現実的に考える」というポイントは、マクナマラ氏が、反事実思考を強制したことを指しています。

 

パフォーマンス予算編成の理論にあてはめれば、費用対効果分析を、常に、複数の代替案で行ない、パフォーマンスの悪い予算は取り除き、パフォーマンスのよい予算に入れ替えることになります。

 

この方法は、先進国の予算編成の基本です。

 

山本謙三氏は、次のようにいいました。

経済政策は、もちろん戦争とは違う。しかし、「数字にこだわり物事の全体像を見失う」との文脈は、日本銀行の異次元緩和を想起させる。

 

この発言には、NHKがテレビ番組「映像の世紀バタフライエフェクトベトナム戦争 マクナマラの誤謬(ごびゅう)」を通じた認知バイアスがあります。

 

ヤンケロヴィッチ氏は、1971年に、マクナマラ氏のフォードの経営に対して、マクナマラの誤謬という単語を使っています。

 

マクナマラ氏、今日では政策分析として知られる公共政策におけるシステム分析を創設しています。

 

仮に、マクナマラ氏が、日銀の金融政策に、政策分析を導入する場合、インフレ率2%を目標することはありません。

 

金融緩和政策の因果モデルは、「経済の成長期待(金融緩和、原因)=>経済成長(結果)」になります。

 

ヤンケロヴィッチ氏のマクナマラの誤謬は次のステップでした。

 

1番目:マクナマラの規律( McNamara discipline)を文字通りに適用して、簡単に測定できるものはすべて測定する。

2 番目:簡単に測定できないものや定量的な値を与えることができないものを無視する。

3 番目:簡単に測定できないものは実際には重要ではないと想定する。

4 番目:簡単に測定できないものは実際には存在しないと言う。これは自殺行為です。

 

経済の成長期待は簡単に測定できないので、マクナマラ氏は、大規模緩和の理論を認めないことになります。

 

また、インフレになっても、日本が経済成長する訳ではありません。

 

マクナマラ氏が、経済成長を目標にするのであれば、インフレ率ではなく、実効ベースの1人上がりGDP可処分所得を評価関数にとると思われます。

 

もちろん、これは、日銀の金融政策の外の課題になります。

 

4-4)マクナマラ氏の行政改革

 

英語版のウィキペディアには次のように書かれています。

ケネディマクナマラに国防長官か財務長官になる機会を提供した。マクナマラは1週間後に戻ってきて、国防総省のすべての人事の最終承認権を持つという条件で国防長官のポストを受け入れたが、ケネディは「それは取引だ」と答えた。マクナマラのフォードCEOとしての年俸は300万ドルだったが、対照的に国防長官の地位は年間2万5000ドルに過ぎなかった。金銭的な犠牲を考慮して、マクナマラケネディに、彼には職員を任命し、国防総省を自分のやり方で運営する権利があると主張することができた。 

 

コスト削減

マクナマラのスタッフは、兵器開発やその他の多くの予算問題に関する意思決定の助けとしてシステム分析を強調した。The secretaryは、米国は国家安全保障に必要な金額をいくらでも支出できると考えていたが、「この能力があるからといって、国防費の支出方法に厳格な有効性と効率性の基準を適用する必要がないわけではない。いくらで十分かを判断しなければならない」と考えていた。これらの原則に従って、マクナマラは広く宣伝されたコスト削減プログラムを導入し、1961年からの5年間で140億ドルを節約したと報告した。影響を受ける議会地区の上院議員や下院議員からの激しい批判に耐えなければならなかったが、彼は国家安全保障に不必要と判断した多くの軍事基地や施設を閉鎖した。彼は他のコスト削減策についても同様に断固たる決意を持っていた。

 

これをみると、行政改革、特に、歳出の削減に必要な条件がわかります。

 

JAL会長を引き受けた稲盛和夫氏は、マクナマラ氏のことを知っていたのはないでしょうか

 

稲盛和夫氏は、JAL会長を「無給」を条件に受諾しています。それまでのJALは倒産に至るまで、幾度も計画を発表しては未達を繰り返していました。

 

煎じ詰めて言えば、「計画」はあれど、それを「実行」する心構えがない――。稲盛氏はそんな問題意識から着任後、JAL幹部らに対し、自らの経営哲学に基づく「意識改革」を行った後、(少人数の単位で採算を管理する)「アメーバ経営」を実践し、グループ全体で一致団結すれば必ず再建できると説きました。

 

というのも、倒産直後のJAL社内には、根深い相互不信が広がっていた。幹部はエリート意識が強く現場を見下ろしがちな一方、社員側も経営陣に不信感を抱き、現場はマニュアル至上主義に縛られている。そこで、稲盛氏はアメーバ経営に先立ち、互いに助け合えるような一体感を醸成する意識改革が不可欠と考えたのだ。

<< 引用文献

【初公開】JAL再建の重要内部資料で学ぶ!稲盛和夫流“スパルタ”副官育成術とは? 2023/09/19 ダイアモンド 竹田幸平

https://diamond.jp/articles/-/329187

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また、意識改革は、メンタルモデルの共有になります。

 

マクナマラ氏のような人材が、大臣にならなければ、行政改革は難しいと思われます。

 

4-5)ベトナム戦争の失敗の原因

 

マクナマラ氏は、太平洋戦争で、死者数を基準に、作戦の選択をすべきであると主張しました。

 

日本政府は、作戦の選択基準に、死者数を考慮していませんでした。その結果、インパール作戦では、多数の死者が出ています。インパール作戦の死者の内訳では、戦闘による死者を、病死と飢餓による死者がうわまわったと推定されていますが、そもそも、正確な統計データは収集されていませんでした。

 

また、死者数を基準に、作戦の選択をしていれば、特攻が選択されることはありませんでした。

 

ベトナム戦争で、死者数を基準に、作戦の選択をしたことは、間違いではありません。問題は、データの取り扱いにありました。

 

英語版のウィキペディアには次のように書かれています。

ウィリアム・ピアーズ将軍は「死者数」戦略について批判的に次のように書いている。「...不適切なリーダーシップのもとでは、『死者数』は部隊間の競争を生み出す可能性がある。特に、これらの統計が野球の順位表のように比較され、誰がどのように数えるかについて厳格な要件がない場合にはそうである」。 「死者数」への執着は、敵に与えた損失を誇張することにつながった。最も多くの「死者数」を獲得した将校が昇進した一方、部隊間で最も多くの「死者数」を達成するための陰惨な競争を煽り、毎日の「死者数」を膨らませるために罪のない民間人が殺された。歴史家の間では、昇進を切望する多くの将校が実際に達成した「死者数」をはるかに上回る数字を報告したため、米軍将校がベトコンに与えたと主張した膨大な毎日の損失は捏造されたと一般に認められている。

 

作戦の基準となる死者数のデータは捏造によって、ふくれあがっていました。報告されたすべてのベトナム兵の死者数を合計するとベトナムの人口の2倍になったという推定もあります。

 

マクナマラ氏は、戦況を把握できなくなっていました。

 

ヤンケロヴィッチ氏のマクナマラの誤謬は次のステップでした。

 

1番目:マクナマラの規律( McNamara discipline)を文字通りに適用して、簡単に測定できるものはすべて測定する。

2 番目:簡単に測定できないものや定量的な値を与えることができないものを無視する。

3 番目:簡単に測定できないものは実際には重要ではないと想定する。

4 番目:簡単に測定できないものは実際には存在しないと言う。これは自殺行為です。

 

ここでのポイントは、「簡単に」です。

 

「測定できないものは存在しない」ことは、分析の基礎です。

 

分析の対象にするためには、「測定して、値を与える」必要があります。

 

測定できないものは管理できない。(If you can't measure it, you can't manage it.)は、デミング博士の名言として「誤って」頻繁に引用されています。

 

正しい出典は、「Management Matters: Building Enterprise Capability」の著者、ジョン・ハンターによる記事です。

 

「測定できないものは管理できないと考えるのは間違いであり、高くつく神話である。」

 

It is wrong to suppose that if you can’t measure it, you can’t manage it – a costly myth.

 

戦場において、敵の兵士の死者数のデータを正確に集めることは困難です。

 

代替指標のデータも収集して、クロスチェックをかけていたら、歴史は変わっていたと思われます。

 

ヤンケロヴィッチ氏は、簡単に測定できないものも測定しなければならないといっています。決して、数字を無視してよいといっているわけではありません。

 

ベトナム戦争に関するマクナマラ氏の見解は、「フォッグ・オブ・ウォー」で述べられています。そこには、マクナマラ誤謬はありません。

 

フォッグ・オブ・ウォー」は、2003年のアメリカの ドキュメンタリー映画で、1960年代の米国内閣の会話の録音、元国防長官ロバート ・マクナマラへの新たなインタビューで構成され、87歳のマクナマラの人生が描かれています。モリスがマクナマラへのインタビューから得た「教訓」と、マクナマラが1995年に出版した著書『ベトナムの悲劇と教訓』(ブライアン・ヴァンデマークとの共著)の最後に提示された11の教訓に基づいて、11のセクションに分かれています。

 

フォッグ・オブ・ウォー」の11の教訓は、英語版のウィキペディアに書かれているので、ここでは省略します。内容は非常に複雑です。

 

なお、現在の日本政府の政策実施は、インパール作戦の時代rとまったく変わっていません。政策の効果を測定して、その効果を元に、政策を修正するプロセスはありません。日本政府では、非科学的としてプラグマティズムアメリカでは否定されている固執の方法(前例主義)が繰り返されています。

 

4-6)ヤンケロヴィッチ氏の活動

 

英語版のウィキペディアには次のように書かれています。

1982年までに、ヤンケロヴィッチは、1945年から1980年の間に多かれ少なかれ成功した戦後政策の多くが、再考を強く必要としていることに懸念を強めていた。ヤンケロヴィッチは、レス・アスピン下院議員とともに、さまざまな分野の著名な男女を集め、改革の実りある分野について議論する「アメリカ民主主義の未来財団 Future of American Democracy Foundation」の議長を務めた。彼らは、経済政策、外交問題、社会政策、政府の役割の4つのサブグループを作った。

 

アメリカ民主主義の未来財団は、アメリカの非営利、無党派の公共政策財団であり、研究と教育に取り組んでおり、イェール大学出版局と提携して、現代のアメリカの国内政策と外交政策を解明し、分析しています。理事会のメンバーには、さまざまな政治的所属と信念を持つ著名な学者や専門家が含まれています。理事会のメンバーには、イェール大学出版局の編集ディレクターであるジョナサン・ブレント、ジョージ・ワシントン大学共同体政策研究所の元会長であるノートン・ガーフィンクル、ブルッキングス研究所のトーマス・E・マン、アメリカンエンタープライズ公共政策研究所の名誉研究員であるノーマン・J・オーンスタイン、全米都市連盟の元会長であるヒュー・プライス、ボストン大学 のアラン・ウルフ、ルース・A・ウッデンが含まれます。

 

2012年、ヤンケロヴィッチはカリフォルニア大学サンディエゴ校にヤンケロビッチ社会科学研究センターを設立し、社会科学を利用して国の最も差し迫った問題に対する実用的な解決策を見つけることに専念しています。

 

ヤンケロヴィッチ氏は、戦後政策の再評価の専門家でした。

 

アベノミクスの総括は、余りに問題を局所化(矮小化)しているように見えます。