政治的判断の科学的正当性(2)

総裁選に向けて、岸田氏が「令和版所得倍増」を掲げています。

ここでは、池田内閣の所得倍増計画を振り返ってみます。

所得倍増計画

池田内閣の所得倍増計画は、1960年から10年間で、所得を倍増する計画です。

実は、所得倍増計画には、論点があります。取り敢えず、次の様に、大きく分けてみます。

1)政策議論の展開

池田内閣の所得倍増計画が、どの程度の指示を受けたかの判断は難しいですが、福田氏の清話会は反対、都留重人氏も現実的でないと反論しています。ともかく、政策論争があって、その上で、政策が遂行されています。

最近の政策は、十分な説明がないまま、一方的に遂行されます。また、政策評価に必要なデータが公開されない、学者は、議論に参加しない傾向が見られます。

岸田氏の「令和版所得倍増」も、唐突ですし、理論的な背景(実現可能性)が不明です。

この点では、1960年頃よりも、民主主義が、遅れてしまった感じすらうけます。

2)労働生産性向上の源泉

所得倍増計画というのは、労働生産性の向上に他なりません。

池田内閣の労働生産性の向上は、農村から都市への人口移動によってもたらされました。

農業の労働生産性を工業の労働生産性に置き換えることで、進められました。

1972年に、田中内閣が発足し、日本列島改造を唱えて、地方への投資を増やします。

それまでは、公共投資は、都市部に集中し、増える人口に合わせた、公共投資が、主眼でした。

地方への公共投資が進んだ結果、都市への人口流入が減少します。その結果、労働生産性の伸びが落ちて、経済成長の速度が減少します。

ここでのポイントは、労働生産の向上は、産業間の人口移動という非常に安易な方法で達成されたということです。

2021年以降、労働生産性の劇的な向上を目指すのであれば、産業間の人口移動を起こすために、労働生産性の低い雇用は、レイオフして、AIやロボットに置き換え、失業した人には、公的な補助を入れて、再教育するしか方法がありません。

この方法はよいとはいえません。ソフトランディングができるのであれば、進めるべきでした。しかし、失われた30年で、ソフトランディングが可能な時間を食いつぶしたのではないでしょうか。

3)所得倍層計画の清算

労働生産性の伸びは、1973年以降低下します。さらに、1990年頃のバブル経済以降は、労働生産性は、向上しなくなって、失われた30年に突入します。

池田内閣の所得倍層計画は、経済成長の速度が落ちた1973年頃までを指すと、みなされています。

しかし、所得倍増計画に合わせて、1960年頃にセットされた、システムが今世紀まで生き残っています。

1962年に第1次が作られた全国総合開発計画は、1998年の五全総、2009年の六全総、2016年の七全総と続いています。流石に、人口減少になった、六全総からは、「開発」の文字は消えました。しかし、「七全総に、少子化問題の解決策が書いてある」と考えている人はいないでしょう。

「地域間の均衡ある発展」は、1961年に、全総の前に提案され、1962年の全総に盛り込まれています。しかし、全総によって、「地域間の均衡ある発展」ができたとは思われません。

1969年の新全総(二全総)に、むつ小川原開発が盛り込まれます。ここには、港湾整備、工業団地の移設、原発計画、小川原湖の淡水化計画が盛り込まれます。2003年 3 月に「小川原湖総合開発事業」は正式に中止されます。六ケ所村の原発は、まだ続いています。

このように、所得倍層計画の時期にセットされた仕組みで、効果がないまま、引き継いだものが多くあります。

原発か、自然エネルギーがという選択は、こうした枠組みの再検討なしに、できるとは思われません。

まとめ

政治家が、政策提言をすることは必須の政治活動です。しかし、過去の政策の評価と軌道修正なしに、思い付きで、キーワードだけを並べることは不毛です。このように、所得倍増計画時代の政策が、まだ、十分に再検討と軌道修正されていない状態を見ると、悲しくなります。

 

 

 

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