政治的判断の科学的正当性(1)

一般的には、科学は、価値判断を伴わないと思われています。

筆者は、生態学や経済学は、価値判断と無縁ではないと思っていますが、少数派でしょう。

科学的に判断できない場合には、政治判断をすることになるのですが、この政治判断に正当性はあるのでしょうか。すくなくとも、日本の政治判断と呼ばれるものには、エビデンスがなく、思い付きか、利益誘導らしいことが、コロナ対策で露呈しています。

 

政治判断といえども、エビデンスや根拠がなく、忖度の度合いで決定されているとすれば、組織が、機能しなくなります。例えば、ワクチン接種の遅れは、政治家の責任か、官僚の責任か、政治家が忖度中心に組織運営をした結果、官僚組織が機能不全に陥ったためなのかを分析して、判断する必要があります。

官僚組織が機能不全に陥っている場合には、「デジタル庁」を作るといった、組織を追加しても効果はありません。問題の原因を分析して、そこを治療するという態度が、科学的態度です。政治は科学とは無縁だというのは、シャーマニズムの時代ならともかく、現代では、不遜な態度といえます。

自民党の総裁選挙に向けて、各候補が、政策提言をあげてきました。

しかし、政策提言をみると、怪しいものが多く、気が遠くなりました。

人権問題

ひとつは、人権問題です。

自民党の議員の中には、年寄を中心に、右派と呼ばれる人が、かなりの数いるそうです。

右派の賛同をえるには、女系天皇夫婦別姓に反対するのが必須の条件らしいです。

自然科学は、仮説と検証で、仮説は、反例があれば、仮説は否定されます。

この時に、結果が出た後で、例外条件を付けて、仮説を修正して生き残りを図る方法をアドホックな仮説(後付け仮説)と言います。

たとえば、魔術のネタがばれて、手品であったことがわかった時に、それは、証拠撮影用のカメラがあったからだ。カメラがない条件であれば、魔術は成功していたといいます。

コロナの感染拡大の影響の議論も、ほとんどがアドホックな仮説で、科学的には容認できないものです。

アドホックな仮説を避けるためには、イベントが発生する前に、仮説と検証条件を明示する必要があります。

女系天皇問題には、詳しくありませんが、過去の女性の天皇が在位していたというエビデンスがありますから、これを回避して、女系天皇を否定できる仮説は、アドホックな仮説しかありえません。したがって、科学者は、取り上げるに値しない話題と考えます。

アメリカのテキサス州では、妊娠中絶が違法になりました。これは、カソリックの宗教的価値観によるものです。進化論は間違いであるという主張と同じ価値観です。

歴史的には、人権は拡大して、女性の投票権が認められ、最近では、LGBTの権利が認められています。動物の虐待も犯罪になりました。こうした動きは、人権思想のひろまりととらえられています。

一方では、中国やアフガニスタンのように、人権が尊重されていないと言われている国もあります。

人権問題を、人文科学の範疇で考える方法と、社会科学の経済発展との関連で考える方法があります。

筆者は、後者の立場です。

労働の中心が、肉体労働であった時代には、男性優位の社会システムが、経済発展に結びつきます。

一方、労働の中心が、頭脳労働であれば、女性を活用しないと経済発展が進みません。そのため、女性の権利が認められる方向に社会が動きます。タクシードライバーが男性でも、女性でも、到達する時間に変わりはありません。

日本の会社で、女性役員の数が少ないことが指摘されますが、そこは、問題のスタートです。男性の役員の4割程度は、潜在的女性の役員候補より出来が悪いはずです。女性役員が少ないと、会社の経営の効率が落ちて、業績が悪化しているはずです。実際、日本企業の経営実績は、米国より大きく見劣りしますから、女性を活用しないことが、経済停滞の原因を考えることも可能です。

人文科学の人権問題から考えれば、女性役員が少ない、不平等が問題ですが、社会科学の経済で考えれば、どうして、経済合理性のないシステムが温存しているかが課題です。

たとえば、次のようなパターンを考えたときに、どうして、パターン2が温存されるのでしょうか。

パターン1:

1)女性の役員比率が高く、優秀な人が、経営をしている。

2)労働生産性が上がり、業績がよくなり、利益が上がる。DXが進む。

3)賃金が高くなり、優秀な人が、採用される。

4)1)に戻る

パターン2:

1)人事が男性中心、年齢中心に経営陣が決まる。

2)業績がふるわず、賃金は上がらない。DXは進まない。

3)賃金を下げるために、非正規の採用比率を上げる。

4)1)に戻る。

筆者は、これは、身分制度で、労働市場がないためと考えます。

2020/07/29のニューズウィークで、加谷珪一氏は、「中抜き」が、経済停滞の原因であると指摘していますが、「中抜き」が可能であるのは、一種の身分制度があるからです。国の受注ができる企業は、官僚のOBを雇用している大企業だけで、実績のない中小事業は、受注資格がないとして、除外されますが、実際には、大企業は、中小企業に、下請けにだします。つまり、ピンはねで食べている人がいますので、労働生産性があがりません。なぜなら、ピンハネ部分は、労働生産性がゼロだからです。

2021/09/14の日新聞の1面には、中小企業の資金繰りを支える国の主要基金で、窓口要因が過剰なため、管理費(要するにピンハネ)の割合が4割であると書かれています。中小企業の資金繰りを支える国の主要基金は、利益誘導の政治課題になりやすく、生産性の低い企業を温存させますので、公共経済学の基本理論では、税金は、失業者の再教育などの公共財に使うことが原則です。

まあ、いろいろな意見があるので、決めつける必要はありませんが、身分制度もどきの問題があることは確かです。つまり、人権の経済発展には、関係があります。

候補者は、なぜか、この点には、触れられていません。

 

  • 日本経済の悪しき習慣「中抜き」が、国と国民を貧しくしている 2020/07/29  ニューズウィーク 加谷珪一

https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2020/07/post-111.php

 

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