政治と説明責任

緊急事態宣言が出されましたが、いつ、どのエリアをどんな根拠に基づいて決めたのかは、はっきりしません。

与党議員が、問題行動を起こした場合には、野党は、説明責任を果たせと言いますが、この言葉の使用方法には、違和感があります。

知らしむべからず、よらしむべし」の典型的な分野であった医療では、インフォームドコンセントが徹底しています。最後に治療法を決めるのは医師でなく、患者です。説明責任を同じような意味で考えれば、情報を提示して、最終的な意思決定は、国民に委ねるべきであることになります。もちろん、政治家は、選挙によって、代表として選ばれています。しかし、内閣の支持率が極端に下がることは、問題視されますから、選挙で選ばれたことは免罪符ではありません。医療で言えば、患者が医師を選ぶ場合と似ていると思います。患者が住んでいるエリアの医師の数は限られているので、理想的な医師を選ぶことはできませんが、藪医者にかかる患者はいないでしょう。選挙で選ばれている政治家も同様に、ネガティブセレクションがなされています。ですから、政治家も、重大な局面では、国民投票には至らなくとも、国民の意思を政策に反映することは、望ましい行動と思われます。もちろん、国民の意思が妥当な結果になるためには、説明責任を果たさねばなりません。

この視点で見れば、日本の政治はかなりおかしいです。例えば、アンケートでは、オリンピックを中止すべきと言う人が多いです。この場合には、考えられる組み合わせは、次になります。

  • アンケートが偏っていて、国民の意思を正しく反映していない。

  • オリンピックに対する国民への説明責任が十分に果たされていない。

  • オリンピックを実行するという政策が間違っている(民意を代表していない)。

 

どれが、正しいのかはわかりませんが、いずれにしても、現在のような状態を放置することは、インフォームドコンセントの視点からすれば、とんでもないことになります。