4)非ホイッグ史観のメリット
非ホイッグ史観は、可能世界を扱います。
つまり、非ホイッグ史観に基づく歴史学は、帰納法にはなりません。
野口悠紀雄氏は、世界の大きな変化に気付かなかったことが、日本経済の停滞の原因であるといいます。
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日本の国際的地位が低下した要因について、私(野口)は日本人の「慢心」にあると考えている。日本は80年代に輸出で世界を制覇した。つまり、日本の経済力がこの時期に拡充したことで、多くの日本人が「日本は優れた国だ」といい気になってしまったのではないか。
一方、80年代から90年代にかけて、世界では非常に大きな変化が起こっていた。それは、中国の工業化やITという新たな技術の登場だが、日本人は気がつかなかった。譬(たと)えていうなら、日本人が眠っている間に、世界が大きく変わってしまったということだ。
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野口悠紀雄氏、独占インタビュー 世界の大きな変化に気付かなかった日本 平成の失敗を令和に生かすために… 2019/05/01 Zak II
https://www.zakzak.co.jp/article/20190501-3TZ5YQOXDZJG5HZO6G6NZUKJQQ/
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<80年代から90年代にかけて、世界で起きた非常に大きな変化(中国の工業化やITという新たな技術の登場)に、日本人は気がつかなかった>は、言うまでもなく、現在の視点で、80年代から90年代を見ています。
大栗博司の言葉でいえば、「現在の基準で過去を裁くというアプローチは歴史学の世界では禁じ手」に相当します。
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『科学の発見』なぜ、現代の基準で過去を裁くのか解説 by 大栗博司 2015/05/18 文芸春秋
https://honz.jp/articles/-/42803
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つまり、野口悠紀雄氏の発言は、ホイッグ史観に他なりません。
80年代から90年代にかけて、世界では、色々な変化が起きています。その変化のうち、今世紀の経済成長に影響を与えた要素は、野口悠紀雄氏が指摘するように、「中国の工業化やITという新たな技術の登場」でした。
しかし、ホイッグ史観で、「中国の工業化やITという新たな技術の登場」が、重要であると主張することと、時計を80年代から90年代に戻して、その当時の多数ある変化の中から、「中国の工業化やITという新たな技術の登場」を、経済成長に、もっとも大きな影響をあたる要因であると抽出することは、全く異なる問題です。後者には、非ホイッグ史観が必須になります。
野口悠紀雄氏、現在の日本が経済的停滞している原因は、「中国の工業化やITという新たな技術の登場」にあるといいます。
このことは、これから、20年後の日本が、遅れている、あるいは、進んでいる場合に、問題の所在が、「中国の工業化やITという新たな技術」にあることを意味しません。
バターフィールドは、ホイッグ史観は、進歩の必然性を強調し、出来事の進行の連続が「因果関係の線(a line of causation)」になるという誤った信念につながるといいます。
中国は、人口減少と高齢化で苦しんでいます。次の20年の主役は、「中国の工業化」ではなく、インド、ベトナム、インドネシアなどの他のプレーヤーレーヤーが主役になっているかも知れません。あるいは、高度人材の受け入れ条件のよいカナダやニュージーランドが主役になっているかも知れません。
ITの内容は多様です。
コンピュータサイエンスで、システムという単語は、問題を直接解かずに、問題を解くツール(道具)を開発する手法を指します。
パールは、「因果推論の科学」(p.47)で、次のようにいいます。
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例えば、ワシやフクロウは何百万年もかけて、実に驚異的な視力を進化させてきました。しかし、眼鏡、顕微鏡、望遠鏡、暗視ゴーグルなど、これまで発明したことはありませんでした。人間はこれらの奇跡を数世紀で成し遂げました。私はこの現象を「超進化のスピードアップ」と呼んでいます。進化と工学を全く異なるものとして比較することに異論を唱える読者もいるかもしれませんが、まさにそれが私の主張です。進化は私たちに、自らの生活を工学的に設計する能力を与えました。ワシやフクロウにはその能力が与えられていません。そして、ここで再び疑問となるのは「なぜ?」です。ワシにはない、人間が突然獲得した計算能力(computational facility)とは一体何だったのでしょうか?
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人間が動物より急速に進化した原因は、道具(眼鏡、顕微鏡、望遠鏡、暗視ゴーグルなど)の発明です。
しかし、パールは、歴史家ハラリ氏の主張に賛成して、人間が動物より急速に進化した原因は、道具を作ることのできる計算能力(computational facility)の獲得にあったと考えています。
ハラリ氏は、計算能力は、架空の生き物の絵をかいたり、像をつくることができる能力であると考えています。
パールは、計算能力を反事実を扱う因果推論であると考えています。
つまり、因果推論のできるツールである強いAI(AGI、Artificial General Intelligence、人工汎用知能)が実現できれば、技術者や科学者は、不要になります。
エマニュエル・トッド氏は、アメリカの製造業が、中国の製造業に勝てない原因は圧倒的なエンジニアの数の違いにあると考えています。
しかし、AGIができれば、このエンジニアの数の制約条件はなくなります。
こうした推論は、演繹法を使います。帰納法では、反事実が扱えないので、問題解決はできません。
5)汎ホイッグ史観
ホイッグ史観の歴史解釈では、過去を現在に照らして研究しました。
これに加えて、将来を現在に照らして研究する方法を汎ホイッグ史観と呼ぶことにします。
そして、特に、混乱の恐れのない場合には、汎ホイッグ史観をホイッグ史観と呼ぶことにします。
なほ、ホイッグ史観は、進歩が続くという前提で語られることが多いですが、ここでは、人口減少などの衰退も含むことにします。
バターフィールドは、ホイッグ史観で、進歩の必然性を強調することは、出来事の進行の連続が「因果関係の線(a line of causation)」になるという誤った信念につながるといいました。
ここでは、「因果関係の線」を、時系列を因果関係であると取り違える場合をさすと考えます。トレンド予測は、将来を現在に照らして研究する方法なので、汎ホイッグ史観になります。
政府は、2024年4月からトラックドライバーの時間外労働の960時間上限規制と改正改善基準告示が適用され、労働時間が短くなることで輸送能力が不足し、「モノが運べなくなる」「物流の2024年問題」が発生するといいました。
これは、トレンド予測(因果関係の線a line of causation)であり、ホイッグ史観です。
中国では、米国と並んで、車内にドライバーのいないレベル4の自動運転タクシーが走り始めています。
中国では、自動運転トラックも走り始めています。
WSJは、トラックの自動運転に関する技術が、アメリカから、中国に流出したといいます。
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米自動運転トラック大手トゥーシンプルは、今後は提携先の中国企業と秘匿性の高い技術を共有しないと米政府に確約した1週間後、中国国有企業に大量の重要データを移転した。
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米企業の自動運転技術、中国はこうして入手 2025/05/28 WSJ Heather Somerville
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こうしたニュースの真偽は不明です。
とはいえ、中国企業は、トラックの自動運転の実現にむけて、努力をしています。
日本政府は、ホイッグ史観にたって、「物流の2024年問題」は避けられないといいました。日本の人口減少は、中国以上ですから、中国以上に、トラックの自動運転の実現にむけて、努力をしていて当然ですが、そうなっていません。
年金改革法案が国会で成立しました。
加谷珪一氏の解説を参考に問題点を整理します。(筆者要約)
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日本の年金制度はつぎはぎだらけの構造で、方向性が見えない。
本来、基礎年金で最低限度の年金を確保するのであれば、基礎年金部分については全額税金を使い、(保険料を徴収することなく)一定金額の年金給付を保証すべきである。
しかし、基礎年金部分を税方式にすれば、当該部分の保険料はなくなるものの、消費増税は避けられない。
政府・与党は、この議論から逃げ続けてきた。
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1973年(福祉元年)に、田中内閣は、年金水準の大幅な引上げを行いました。
この年金計算は、高度経済成長を前提にしています。
田中内閣は、日本列島改造を掲げて、都市部の公共投資を減らし、地方への振替えました。
その結果、地方から都市へ、農業から工業への労働移動が減速して、高度経済成長は終わります。
つまり、税収では、年金の財源をカバーできなくなり、世代間所得移転を組み入れました。ます。しかし、戦後の人口増加はどこかで、減速しますので、この時点で、時限爆弾を抱え込んだことになります。
破綻の兆しは、10年程で現われ、日本の公的年金制度は1985年の制度改正によって、全国民共通の基礎年金制度が創設されており、国民年金と厚生年金は事実上、統合されています。
厚生年金(企業年金)は、アメリカの401K にみられるように、給与の一部です。
国民年金と厚生年金を事実上、統合することは、合法ですが、財産権の侵害にあたり、法の支配に反します。
加谷珪一氏は、<税方式にせず、現行制度のまま基礎年金の底上げを図るのであれば、結果として厚生年金の積立金を流用する形が最も現実的ということになるだろう>といいます。
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年金改革法で「厚生年金が損をする」は本当か...実は、ずっと割を食ってきた「あの世代」を救う効果が 2025/06/26 Newsweek 加谷珪一https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2025/06/post-331_1.php
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我が国の18歳人口の推移を見ると、2005年には約137万人であったものが、2024年の18歳人口は約106.3万人です
2024年の日本の出生数は68万6061人です。
単純に考えれば、18年後の2042年の18歳人口は、68万人になります。これは、2005年の約半分です。
18年後にも、GDPが減少しない状態を考えると、これから18年間で、生産性を2倍にする必要があります。これは、年利4%の所得(生産性)の増加に相当します。
厚生年金の積立金を流用する方法では、、年利4%の所得(生産性)の増加はできないので、若干の時間稼ぎができるだけで、年金が破綻する(支給額が激減する)ことに変わりはありません。
6)マスク氏の指摘
ロイターは次のように伝えています。
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米実業家イーロン・マスク氏は28日、米上院が公表した税制・歳出法案の最新版を「上院の最新の法案は米国で何百万もの雇用を破壊し、わが国に甚大な戦略的損害を与える。過去の産業に補助を与える一方で、将来の産業に深刻な打撃を与える。完全に狂気で破壊的だ」と批判しました。
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マスク氏、税制・歳出法案また批判 「雇用破壊し米国に損害」2025/06/29
ロイター
https://jp.reuters.com/world/us/ELTMCQBB3FJONMZUCA7WYW6HA4-2025-06-29/
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マスク氏の発言の「過去の産業に補助を与える一方で、将来の産業に深刻な打撃を与える」がポイントです。
現在の自民党の政治は、補助金のみえりとして選挙の票を獲得するシステムになっています。これは、マスク氏が批判した「過去の産業に補助を与える一方で、将来の産業に深刻な打撃を与える」政策です。
この方法は、田中内閣ときと同じように、産業間労働移動を止めて、「将来の産業に深刻な打撃を与えて」、労働生産性の向上を阻止します。
補助金を廃止して、生産性の低い企業を淘汰すれば、産業間労働移動がおきて、給与がふえ、経済成長が実現します。
もちろん、そうすれば、自民党の議員は落選してしまいます。なので、自民党は、過去の産業に補助を与える一方で、将来の産業に深刻な打撃を与え続けています。
「過去の産業を退出させ、将来の産業に活躍の場を与えた」場合、現在の日本企業の半分は、いったん潰れます。これは、ホイッグ史観では、考えられない世界になります。
筆者には、将来がどうなるかは、わかりません。
しかし、未来へ通じる道は、マスク氏の言うように、「過去の産業に補助を与える一方で、将来の産業に深刻な打撃を与える」道と、「過去の産業を退出させ、将来の産業に活躍の場を与える」道の2つしかないと考えます。
筆者は、仮に補助金があっても、2030年までには、AIによって、過去の産業の多くは、退出させられると考えています。例えば、2025年に、GAFAMでは、AIに勝てない単純作業のプログラマーはレイオフされています。
2025年1月の世界経済フォーラムのレポートでは、郵便は、ほぼ100%なくなります。日本では、不必要な郵便に補助金が投入され続けています。これは、郵便局が集票マシンになっているためです。デンマークでは、2025年中に、郵便業務の廃止がきまっています。こうした「過去の産業を退出させ、将来の産業に活躍の場を与える」ことは、産業間労働移動をおこして、生産性の向上につながります。
最近のYou tubeでは、自動音声による翻訳が拡大しています。国際ニュースを日本のテレビ局で見るメリットは消滅しました。
自動音声による翻訳が拡大すれば、英語の不得意な学生でも、アメリカの大学の講義を聞くことができます。演習はともかく、講義については、日本の大学を選択するメリットは消滅しています。
念のためにカーンアカデミーをみると、自動翻訳の利用が拡大していました。
郵便と同じように、消滅する大学も出て来るはずです。
現在のAIは、不完全なもので、強いAIではありません。
それでも、あと5年程度は、進歩(改善)の余地があると考える専門家が多くいます。
つまり、AIの進歩を考えれば、2つの道の選択に使える時間は、なくなりつつあります。