非ホイッグ史観(2)

4)非ホイッグ史観のメリット

非ホイッグ史観は、可能世界を扱います。

つまり、非ホイッグ史観に基づく歴史学は、帰納法にはなりません。

野口悠紀雄氏は、世界の大きな変化に気付かなかったことが、日本経済の停滞の原因であるといいます。

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日本の国際的地位が低下した要因について、私(野口)は日本人の「慢心」にあると考えている。日本は80年代に輸出で世界を制覇した。つまり、日本の経済力がこの時期に拡充したことで、多くの日本人が「日本は優れた国だ」といい気になってしまったのではないか。

一方、80年代から90年代にかけて、世界では非常に大きな変化が起こっていた。それは、中国の工業化やITという新たな技術の登場だが、日本人は気がつかなかった。譬(たと)えていうなら、日本人が眠っている間に、世界が大きく変わってしまったということだ。

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野口悠紀雄氏、独占インタビュー 世界の大きな変化に気付かなかった日本 平成の失敗を令和に生かすために… 2019/05/01 Zak II

https://www.zakzak.co.jp/article/20190501-3TZ5YQOXDZJG5HZO6G6NZUKJQQ/

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<80年代から90年代にかけて、世界で起きた非常に大きな変化(中国の工業化やITという新たな技術の登場)に、日本人は気がつかなかった>は、言うまでもなく、現在の視点で、80年代から90年代を見ています。

大栗博司の言葉でいえば、「現在の基準で過去を裁くというアプローチは歴史学の世界では禁じ手」に相当します。

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『科学の発見』なぜ、現代の基準で過去を裁くのか解説 by 大栗博司 2015/05/18 文芸春秋

https://honz.jp/articles/-/42803

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つまり、野口悠紀雄氏の発言は、ホイッグ史観に他なりません。

80年代から90年代にかけて、世界では、色々な変化が起きています。その変化のうち、今世紀の経済成長に影響を与えた要素は、野口悠紀雄氏が指摘するように、「中国の工業化やITという新たな技術の登場」でした。

しかし、ホイッグ史観で、「中国の工業化やITという新たな技術の登場」が、重要であると主張することと、時計を80年代から90年代に戻して、その当時の多数ある変化の中から、「中国の工業化やITという新たな技術の登場」を、経済成長に、もっとも大きな影響をあたる要因であると抽出することは、全く異なる問題です。後者には、非ホイッグ史観が必須になります。

野口悠紀雄氏の分析は、帰納法に基づいています。

野口悠紀雄氏、現在の日本が経済的停滞している原因は、「中国の工業化やITという新たな技術の登場」にあるといいます。

このことは、これから、20年後の日本が、遅れている、あるいは、進んでいる場合に、問題の所在が、「中国の工業化やITという新たな技術」にあることを意味しません。

バターフィールドは、ホイッグ史観は、進歩の必然性を強調し、出来事の進行の連続が「因果関係の線(a line of causation)」になるという誤った信念につながるといいます。

中国は、人口減少と高齢化で苦しんでいます。次の20年の主役は、「中国の工業化」ではなく、インド、ベトナムインドネシアなどの他のプレーヤーレーヤーが主役になっているかも知れません。あるいは、高度人材の受け入れ条件のよいカナダやニュージーランドが主役になっているかも知れません。

ITの内容は多様です。

コンピュータサイエンスで、システムという単語は、問題を直接解かずに、問題を解くツール(道具)を開発する手法を指します。

パールは、「因果推論の科学」(p.47)で、次のようにいいます。

例えば、ワシやフクロウは何百万年もかけて、実に驚異的な視力を進化させてきました。しかし、眼鏡、顕微鏡、望遠鏡、暗視ゴーグルなど、これまで発明したことはありませんでした。人間はこれらの奇跡を数世紀で成し遂げました。私はこの現象を「超進化のスピードアップ」と呼んでいます。進化と工学を全く異なるものとして比較することに異論を唱える読者もいるかもしれませんが、まさにそれが私の主張です。進化は私たちに、自らの生活を工学的に設計する能力を与えました。ワシやフクロウにはその能力が与えられていません。そして、ここで再び疑問となるのは「なぜ?」です。ワシにはない、人間が突然獲得した計算能力(computational facility)とは一体何だったのでしょうか?

人間が動物より急速に進化した原因は、道具(眼鏡、顕微鏡、望遠鏡、暗視ゴーグルなど)の発明です。

しかし、パールは、歴史家ハラリ氏の主張に賛成して、人間が動物より急速に進化した原因は、道具を作ることのできる計算能力(computational facility)の獲得にあったと考えています。

ハラリ氏は、計算能力は、架空の生き物の絵をかいたり、像をつくることができる能力であると考えています。

パールは、計算能力を反事実を扱う因果推論であると考えています。

つまり、因果推論のできるツールである強いAI(AGI、Artificial General Intelligence、人工汎用知能)が実現できれば、技術者や科学者は、不要になります。

エマニュエル・トッド氏は、アメリカの製造業が、中国の製造業に勝てない原因は圧倒的なエンジニアの数の違いにあると考えています。

しかし、AGIができれば、このエンジニアの数の制約条件はなくなります。

こうした推論は、演繹法を使います。帰納法では、反事実が扱えないので、問題解決はできません。

5)汎ホイッグ史観

ホイッグ史観の歴史解釈では、過去を現在に照らして研究しました。

これに加えて、将来を現在に照らして研究する方法を汎ホイッグ史観と呼ぶことにします。

そして、特に、混乱の恐れのない場合には、汎ホイッグ史観をホイッグ史観と呼ぶことにします。

なほ、ホイッグ史観は、進歩が続くという前提で語られることが多いですが、ここでは、人口減少などの衰退も含むことにします。

バターフィールドは、ホイッグ史観で、進歩の必然性を強調することは、出来事の進行の連続が「因果関係の線(a line of causation)」になるという誤った信念につながるといいました。

ここでは、「因果関係の線」を、時系列を因果関係であると取り違える場合をさすと考えます。トレンド予測は、将来を現在に照らして研究する方法なので、汎ホイッグ史観になります。

政府は、2024年4月からトラックドライバーの時間外労働の960時間上限規制と改正改善基準告示が適用され、労働時間が短くなることで輸送能力が不足し、「モノが運べなくなる」「物流の2024年問題」が発生するといいました。

これは、トレンド予測(因果関係の線a line of causation)であり、ホイッグ史観です。

中国では、米国と並んで、車内にドライバーのいないレベル4の自動運転タクシーが走り始めています。

中国では、自動運転トラックも走り始めています。

WSJは、トラックの自動運転に関する技術が、アメリカから、中国に流出したといいます。

米自動運転トラック大手トゥーシンプルは、今後は提携先の中国企業と秘匿性の高い技術を共有しないと米政府に確約した1週間後、中国国有企業に大量の重要データを移転した。

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米企業の自動運転技術、中国はこうして入手 2025/05/28 WSJ Heather Somerville

https://jp.wsj.com/articles/the-self-driving-truck-startup-that-siphoned-trade-secrets-to-chinese-companies-95fc0c5b

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こうしたニュースの真偽は不明です。

とはいえ、中国企業は、トラックの自動運転の実現にむけて、努力をしています。

日本政府は、ホイッグ史観にたって、「物流の2024年問題」は避けられないといいました。日本の人口減少は、中国以上ですから、中国以上に、トラックの自動運転の実現にむけて、努力をしていて当然ですが、そうなっていません。

年金改革法案が国会で成立しました。

加谷珪一氏の解説を参考に問題点を整理します。(筆者要約)

日本の年金制度はつぎはぎだらけの構造で、方向性が見えない。

 

本来、基礎年金で最低限度の年金を確保するのであれば、基礎年金部分については全額税金を使い、(保険料を徴収することなく)一定金額の年金給付を保証すべきである。

 

しかし、基礎年金部分を税方式にすれば、当該部分の保険料はなくなるものの、消費増税は避けられない。

 

政府・与党は、この議論から逃げ続けてきた。

1973年(福祉元年)に、田中内閣は、年金水準の大幅な引上げを行いました。

 

この年金計算は、高度経済成長を前提にしています。

 

田中内閣は、日本列島改造を掲げて、都市部の公共投資を減らし、地方への振替えました。

 

その結果、地方から都市へ、農業から工業への労働移動が減速して、高度経済成長は終わります。

 

つまり、税収では、年金の財源をカバーできなくなり、世代間所得移転を組み入れました。ます。しかし、戦後の人口増加はどこかで、減速しますので、この時点で、時限爆弾を抱え込んだことになります。

 

破綻の兆しは、10年程で現われ、日本の公的年金制度は1985年の制度改正によって、全国民共通の基礎年金制度が創設されており、国民年金と厚生年金は事実上、統合されています。

 

厚生年金(企業年金)は、アメリカの401K にみられるように、給与の一部です。

 

国民年金と厚生年金を事実上、統合することは、合法ですが、財産権の侵害にあたり、法の支配に反します。

 

加谷珪一氏は、<税方式にせず、現行制度のまま基礎年金の底上げを図るのであれば、結果として厚生年金の積立金を流用する形が最も現実的ということになるだろう>といいます。

 

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年金改革法で「厚生年金が損をする」は本当か...実は、ずっと割を食ってきた「あの世代」を救う効果が 2025/06/26 Newsweek 加谷珪一https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2025/06/post-331_1.php

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我が国の18歳人口の推移を見ると、2005年には約137万人であったものが、2024年の18歳人口は約106.3万人です

2024年の日本の出生数は68万6061人です。

単純に考えれば、18年後の2042年の18歳人口は、68万人になります。これは、2005年の約半分です。

18年後にも、GDPが減少しない状態を考えると、これから18年間で、生産性を2倍にする必要があります。これは、年利4%の所得(生産性)の増加に相当します。

厚生年金の積立金を流用する方法では、、年利4%の所得(生産性)の増加はできないので、若干の時間稼ぎができるだけで、年金が破綻する(支給額が激減する)ことに変わりはありません。

 

6)マスク氏の指摘

ロイターは次のように伝えています。

米実業家イーロン・マスク氏は28日、米上院が公表した税制・歳出法案の最新版を「上院の最新の法案は米国で何百万もの雇用を破壊し、わが国に甚大な戦略的損害を与える。過去の産業に補助を与える一方で、将来の産業に深刻な打撃を与える。完全に狂気で破壊的だ」と批判しました。

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マスク氏、税制・歳出法案また批判 「雇用破壊し米国に損害」2025/06/29 

ロイター

https://jp.reuters.com/world/us/ELTMCQBB3FJONMZUCA7WYW6HA4-2025-06-29/

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マスク氏の発言の「過去の産業に補助を与える一方で、将来の産業に深刻な打撃を与える」がポイントです。

現在の自民党の政治は、補助金のみえりとして選挙の票を獲得するシステムになっています。これは、マスク氏が批判した「過去の産業に補助を与える一方で、将来の産業に深刻な打撃を与える」政策です。

この方法は、田中内閣ときと同じように、産業間労働移動を止めて、「将来の産業に深刻な打撃を与えて」、労働生産性の向上を阻止します。

補助金を廃止して、生産性の低い企業を淘汰すれば、産業間労働移動がおきて、給与がふえ、経済成長が実現します。

もちろん、そうすれば、自民党の議員は落選してしまいます。なので、自民党は、過去の産業に補助を与える一方で、将来の産業に深刻な打撃を与え続けています。

「過去の産業を退出させ、将来の産業に活躍の場を与えた」場合、現在の日本企業の半分は、いったん潰れます。これは、ホイッグ史観では、考えられない世界になります。

筆者には、将来がどうなるかは、わかりません。

しかし、未来へ通じる道は、マスク氏の言うように、「過去の産業に補助を与える一方で、将来の産業に深刻な打撃を与える」道と、「過去の産業を退出させ、将来の産業に活躍の場を与える」道の2つしかないと考えます。

筆者は、仮に補助金があっても、2030年までには、AIによって、過去の産業の多くは、退出させられると考えています。例えば、2025年に、GAFAMでは、AIに勝てない単純作業のプログラマーレイオフされています。

2025年1月の世界経済フォーラムのレポートでは、郵便は、ほぼ100%なくなります。日本では、不必要な郵便に補助金が投入され続けています。これは、郵便局が集票マシンになっているためです。デンマークでは、2025年中に、郵便業務の廃止がきまっています。こうした「過去の産業を退出させ、将来の産業に活躍の場を与える」ことは、産業間労働移動をおこして、生産性の向上につながります。

最近のYou tubeでは、自動音声による翻訳が拡大しています。国際ニュースを日本のテレビ局で見るメリットは消滅しました。

自動音声による翻訳が拡大すれば、英語の不得意な学生でも、アメリカの大学の講義を聞くことができます。演習はともかく、講義については、日本の大学を選択するメリットは消滅しています。

念のためにカーンアカデミーをみると、自動翻訳の利用が拡大していました。

郵便と同じように、消滅する大学も出て来るはずです。

現在のAIは、不完全なもので、強いAIではありません。

それでも、あと5年程度は、進歩(改善)の余地があると考える専門家が多くいます。

つまり、AIの進歩を考えれば、2つの道の選択に使える時間は、なくなりつつあります。

 

非ホイッグ史観(1)

1)ホイッグ史観

パールは、「因果推論の科学」で、ホイッグ史観を、次のように言います。

ゴルトンの物語に関する最後の個人的なコメントとして、歴史記述における大罪を犯したことを告白します。本書で犯すであろう多くの罪の一つです。1960年代には、私が上で述べたように、現代科学の観点から歴史を記述することは流行遅れになりました。「ホイッグ史観(Whig history)」とは、成功した理論や実験に焦点を当て、失敗した理論や行き詰まりをほとんど評価しない、後知恵的な歴史記述スタイル(hindsighted style of history writing)を揶揄するレッテル(epithet)でした。現代の歴史記述スタイル(modern style of history writing)はより民主的になり、化学者と錬金術師を同等に尊重し、あらゆる理論をそれぞれの時代の社会的文脈の中で理解することを重視するようになりました。

 

この部分を読み解くには、かなりの前提知識が必要になります。

 

パールは、後知恵的な歴史記述スタイル(hindsighted style of history writing)であるホイッグ史観の反対語として、現代の歴史記述スタイル(modern style of history writing)をあげています。

 

しかし、この用語は、あまりに一般的で、誤解をまねきやすいので、以下では、ホイッグ史観の反対語として、非ホイッグ史観(非ホイッグ歴史記述スタイル)を使います。

 

2)ホイッグの歴史解釈

Butterfieldは、1931年に「ホイッグの歴史解釈( the Whig interpretation of history)」を出版します。

英語版のウィキペディアの「Whig history」説明から、引用します。

バターフィールドが1931年に著書を執筆した目的は、「ドラマチックな演出と見かけ上の道徳的明快さ」を目的として、過去の出来事を、現在に即して解釈した、過度に単純化された物語(あるいは「要約」)を批判することだった。

ホイッグの歴史解釈において、過去を現在に照らして研究することは不可欠な要素である。

バターフィールドは、歴史に対するこのアプローチは、歴史家の仕事をいくつかの点で損なうと主張した。進歩の必然性を強調することは、出来事の進行の連続が「因果関係の線(a line of causation)」になるという誤った信念につながり、歴史家が歴史的変化の原因をさらに探求することを止めてしまう誘惑に駆られる。歴史的変化の目標として現在に焦点を当てることは、歴史家を特別な種類の「要約」へと導き、現在の視点から重要と思われる出来事だけを選択することになる。

彼はまた、それが過去を近代化していると批判した。「ホイッグ党歴史学の結果は、私たちの多くにとって歴史上の人物が実際よりもはるかに現代的に見えることであり、より詳細な研究によってこの印象を修正した後でも、彼らの世界と私たちの世界の違いを心に留めておくことが難しいことに気付くのです」

「因果関係の線(a line of causation)」の意味が不明ですが、時系列を因果と取り違えることを指しているのでしょうか。

おおざっぱな例をあげれば、司馬の作り上げた「司馬史観」(ドラマチックな演出と見かけ上の道徳的明快さを目的として過去の出来事を現在に即して解釈した過度に単純化された物語)は、「ホイッグ史観」なので、バターフィールドに言わせれば、間違いになります。

日本語版Wikipediaの「司馬遼太郎」の項には、「司馬史観」の批判は書かれていますが、バターフィールドの「ホイッグ史観」に言及した人はいません。日本の歴史学では、バターフィールドの指摘は、共有されていないようです。

「ホイッグ史観」が正しいか否かは別にして、バターフィールドの指摘は、歴史学の方法論を考える上で、基本のメンタルモデルを形成しています。

バターフィールドに言わせれば、日本のテレビの大河ドラマは、「ホイッグ史観」で書かれていますので、フィクションであって、歴史学とは無縁になります。

福島県会津若松市郷土史家・宮崎十三八(とみはち)氏が提唱した「観光史学」も、「ホイッグ史観」で、歴史学ではありません。

白虎隊も、忠臣蔵も、明治政府の「ホイッグ史観」が作り出したフィクションです。

バターフィールドは、ホイッグ史観は、ビジネスになりますが、科学としての客観性がないので、歴史学ではないと主張します。

現在の義務教育では、科学的にまちがった「ホイッグ史観」が、無条件に採り入れられて、洗脳の手段になっています。

「特攻」や「原爆」ですら、「ホイッグ史観」になっています。

段落の論理(共感の論理)では、非ホイッグ史観を理解することは不可能です。

1945年8月6日午前8時15分に、広島に原爆が投下されました。

「ホイッグ史観」では、ともかく、広島に原爆投下があったという前提で、推論がなされます。

原爆の被害は、悲惨ですが、まずは、共感からスタートすることを強要することは、段落の論理です。

パラグラフの論理でいえば、日本政府に原爆を回避する手段があったかが問題になります。

原爆の問題をアメリカ軍に押しつけても、再度同じような場面があれば、原爆を落とされるリスクがあります。

人道的な問題はありますが、アメリカ軍が、納税者であるアメリカ国民を日本国民より優先するのは、当然の活動といえます。

1945年6月12日に、昭和天皇は、「本土決戦の戦勝による有利な講和」は不可能であり、ともかく講和を優先する判断にかわっています。

 

1945年6月19日に、沖縄における日本軍の組織的抵抗がほぼ終わり、これ以降は、日本軍の組織的活動はできていません。

6月12日から、8月5日の間に、講和ができれば、原爆投下はありませんでした。

1945年4月5日に、 ソ連は、日本に対して翌年期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないと通達します。この時点で、ソ連は、中立を維持しない可能性を明らかにしています。

それにもかかわらず、日本政府は、スターリンに講和の仲介を要請しています。

 

スターリンに講和の仲介を要請するというミスをしなければ、原爆投下がなかった可能性があります。筆者には、これは、日本の外交史上の黒星に見えます。

バターフィールドは、<歴史的変化の目標として現在に焦点を当てることは、歴史家を特別な種類の「要約」(原爆中心の視点)へと導き、現在の視点から重要と思われる出来事だけを選択することになる>といいます。

1945年8月5日以前には、原爆という言語はありませんでした。

原爆の投下を防ぐために、日本人は、何ができたのでしょうか。

バターフィールドが指摘するように、ホイッグ史観が使う原爆というキーワードを避けて、この疑問に答えることは、できるのでしょうか。

パールは、言語がなければ、問いを発することができないといいます。

つまり、過去を現在の視点で見るホイッグ史観を封印すれば、「日本人は、1945年8月5日以前に、原爆の投下を防ぐために、何ができたか」という問題を、1945年8月5日以前の視点で、書き換えて表現することは非常に難しくなります。

たとえば、原爆と言語を使わなければ、「日本人は、1945年8月5日以前に、アメリカ軍が開発中であると伝えられる超強力爆弾の投下を防ぐために、何ができたか」と書くしかありません。

1945年8月5日以前に、「アメリカ軍が開発中であると伝えられる超強力爆弾」といっても、意味を理解することのできる人は、どれくらいいたでしょうか。かなり、難しい用語であったと思われます。

パラグラフの論理では、問いが、原爆投下を回避する方法になります。

しかし、段落の論理の教育をしている日本では、そのような問いは出てきません。

バターフィールドは、<ホイッグ史観が、歴史的変化の目標として現在に焦点を当てることで、歴史家を特別な種類の「要約」へと導き、現在の視点から重要と思われる出来事だけを選択することになる>といいます。

これは、非ホイッグ史観でなければ、可能世界を扱うことができないという意味になります。

3)科学史とホイッグ史観

バターフィールドのホイッグ史観の主張には、錯綜があります。

「過去を現在に照らして研究する」ことが大きなポイントですが、「過度に単純化された物語」、「進歩の必然性を強調」という別の要素もあります。

こうした錯綜の結果、歴史学におけるホイッグ史観と科学史におけるホイッグ史観には、ずれがあります。

Ungureanu氏は、次のようにいいます。

1970年代半ば以降、「ホイッグ」または「ホイッグ主義」というレッテルは、科学史の専門用語において頻繁に使用され、進歩という概念を重要な価値あるものとして受け入れる特定の科学史を軽蔑し、拒絶するものとして用いられてきました。より懐疑的で社会学的なアプローチを支持するこの専門用語は、「ホイッグ主義」「時代錯誤」「勝利主義」「現在主義」といったレッテルを、過去のあらゆる事柄を本質的に劣っていると考える年代順のスノッブ主義を示すために用いています。現在を基準として過去を研究するホイッグ主義の歴史学は、現在を過去の必然的な産物と見なすとされています。そのため、過去の科学は、現在において真であるとされる定理への貢献度に応じて評価されます。つまり、過去は現在の価値観を通して解釈され、結果として、先人たちの科学者たちの問題や考えは却下されるのです。

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Alvargonzález on Whig history and the History of Science、James C. Ungureanu

https://jamescungureanu.com/2013/04/23/alvargonzalez-on-whig-history-and-the-history-of-science/

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科学史におけるホイッグ史観は、このようなものと思われます。

1979年のノーベル物理学賞を受賞したスティーブン・ワインバーグ氏は、テキサス大学の教養課程の学部生にむけて行っていた講義のノートをもとに「To Explain the World: The Discovery of Modern Science (2015)、「科学の発見」 赤根洋子 訳 2016年 文藝春秋社 」を出版します。

この本で、ワインバーグ氏は、「ホイッグ史観」を使っています。

ワインバーグ博士は、「ホイッグ史観」を使った理由を説明しています。

現在に目を向けて—ホイッグの科学史

ティーブン・ワインバーグ

ケンブリッジ大学の歴史家ハーバート・バターフィールドは、自ら「ホイッグ派の歴史解釈」と呼んだものを描写し、非難しました。1931年、若きバターフィールドは同名の著書の中で、「いわば現在に目を向けながら過去を研究することが、歴史におけるあらゆる罪と詭弁の根源である…」と断言しました。彼は、アクトン卿をはじめとする、過去を現代の道徳的判断に委ねる歴史家たちを特に軽蔑した。例えば、ホイッグ党チャールズ・ジェームズ・フォックスを英国の自由の救世主としか見ていないような歴史家たちだ。バターフィールドは個人的に道徳的判断を下すことを嫌っていたわけではない。ただ、それが歴史家の仕事ではないと考えていたのだ。バターフィールドによれば、16世紀のカトリックプロテスタントを研究するホイッグ党の歴史家は、「どちらの党派が正しかったのかを示さない限り、依然として未解決の問題が残っている」と感じているという。

 

バターフィールドの批判は、後世の歴史家たちに熱心に受け継がれた。歴史家にとって「ホイッグ」と呼ばれることは、性差別主義者、ヨーロッパ中心主義者、東洋主義者と呼ばれることと同じくらい恐ろしいものとなった。科学史も例外ではなかった。科学史家ブルース・ハントは、1980年代初頭、大学院生だった頃、「ホイッグ派」という言葉が科学史において頻繁に使われる侮辱語だったと回想する。この非難を避けるため、人々は科学の進歩の物語や、あらゆる種類の「全体像」を語ることを避け、時間と空間に厳密に焦点を絞った小さなエピソードの記述へと移行していった。

 

それでも、物理学と天文学の歴史の講義をし、その後講義をまとめ本にまとめる中で、他の分野の歴史におけるホイッガー主義についてどう考えようとも、科学史においては正当な位置を占めると考えるようになった。芸術史やファッション史において善悪を論じることは明らかに不可能であり、宗教史においても不可能だと思う。政治史においてそれが可能かどうかについては議論の余地があるが、科学史においては誰が正しかったかを真に断言できる。

(以下省略)

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ティーブン・ワインバーグは、「現在に目を向けて ― ホイッグ派の科学史」[ NYR、2015年12月17日]

Eye on the Present—The Whig History of Science, 201/12/17 The New York Review, Steven Weinberg

https://www.nybooks.com/articles/2015/12/17/eye-present-whig-history-science/

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この論文には、ジョンズ・ホプキンス大学医学部名誉教授のアーサー・M・シルバースタイン氏の批判もついています。

ティーブン・ワインバーグは、「現在に目を向けて ― ホイッグ派の科学史」[ NYR、2015年12月17日]の中で、科学史家は過去を現代の知識(いわゆる「ホイッグ派の歴史」)の観点から考察することが許される一方で、そうでない歴史家はそうではないと示唆している。これは、科学においては過去に誰が「正しかった」か、誰が「間違っていた」かが分かるのに対し、宗教、政治、その他の社会学の分野では、科学的方法論と数学的応用に基づく究極の真実は決して決定できないからである。

しかし、これは本当に科学において真実なのでしょうか?

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The Whig History of Science: An Exchange, Arthur M. Silverstein, reply by Steven Weinberg

https://www.nybooks.com/articles/2016/02/25/the-whig-history-of-science-an-exchange/

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この後には、ワインバーグ氏の反論への回答がのっています。

「科学の発見」は、大論争を引き起こしました。

この問題については、大栗博司氏(カリフォルニア工科大学教授・東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構主任研究員)のすぐれた解説があるので、一読をお薦めします。

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『科学の発見』なぜ、現代の基準で過去を裁くのか解説 by 大栗博司 2015/05/18 文芸春秋

https://honz.jp/articles/-/42803

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「因果推論の科学」は、2018年に出版されています。

パールが、「因果推論の科学」を執筆している時は、ワインバーグ氏の「ホイッグ派の科学史」論争の最中であったことを理解する必要があります。

これは、アメリカ人の読者にとっては、言うまでもない前提になりますが、日本では、背景を理解する努力が必要になります。

イラン・イスラエル危機(12)

1)年表の修正

 

次の文献を参考に、年表を追加修正しました。

 

日本語のウィキペディアの引用文献は、日本語の文献ばかりで、古い文献は、1960年代のものです。1960年頃、日本で、英語の文献を参照することは非常に困難でした。また、第2次世界大戦関連のアメリカの公文書も、まだ、非公開でした。つまり、信頼性の低い文献になりますが、現在でも、引用されています。

 

次の文献は、ポツダム会議の詳細な情報を含んでいます。

 

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PRESIDENT TRUMAN AND (THE CHALLENGE OF) THE POTSDAM CONFERENCE 1945 Col(GS) Uwe F. Jansohn 2013

https://apps.dtic.mil/sti/tr/pdf/ADA584192.pdf

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年表を読む場合の留意点は、以下です。

 

第1に、ヤルタ会談の特殊性です。ヤルタ協定では、南樺太と千島をソ連領にすることが決まっています。しかし、ソ連は、日本との対戦国ではありません。ソ連が、南樺太と千島を日本からとられた状態ではありませんので、これは、非常に不合理な協定です。台湾や韓国のように、日本政府は、南樺太と千島をアイヌから取り上げたので、アイヌに返還するのであればわかりますが、そうした論理ではありません。

 

ポツダム宣言の時には、ソ連は、日本の対戦国ではありませんので、降伏を要求する立場にありません。

 

第2に、対戦国としてのソ連の存在がいつできたかという問題があります。ポツダム会議で、トルーマンとその顧問たちは、東欧におけるソ連の行動をヤルタ協定違反の侵略的な拡張主義と見なしていました。トルーマンは、スターリンに、対日戦線への参戦の意図を確認しています。1945年7月18日に、トルーマンは、ソ連なしの終戦シナリオに変更しています。ポツダム宣言発表の1日前の1945年7月25日に、トルーマンは軍備開始のため原爆投下命令を承認しています。ポツダム宣言は、トルーマンソ連なしの終戦シナリオに基づいています。

 

第3に、日本政府の交渉能力は、とても低いです。1945年6月12日以降、昭和天皇の意向を受けて、日本政府は、ソ連に、和平の仲介を依頼します。1945年7月18日に、ポツダムで、スターリンは、日本の天皇がモスクワ駐在のトルーマン大使に宛てた和平への関心を示す覚書をトルーマンに提示しています。

 

ポツダム会談直前のトルーマン大統領の評価によれば、なお、400万人以上の日本兵が、日本本土、朝鮮半島満州、そして華北を守る準備を整えていると推定しています。

 

1945年6月9日に、中国大陸を視察した参謀総長梅津美治郎は、「在満洲と在中国の戦力は、アメリカ陸軍師団に換算して4個師団程度の戦力しかない」と言っています。

 

1945年6月12日に、海軍の軍事参議官長谷川清大将は「海軍は兵器も人員も底をついている」と報告しています。

 

しかし、ここには、トルーマンのような推定戦力の人員数がありません。

 

インパール作戦も含めて、日本軍には、自軍の戦力を評価するシステムが欠けているように思われます。

 

1945年6月19日に、沖縄における日本軍の組織的抵抗がほぼ終わります。これ以降は、組織的な軍事行動はないと思いますが、そのような視点で、整理した資料は見つかりませんでした。

 

第4に、歴史家のミーは「20世紀の核軍拡競争は、1945年7月24日午後7時30分、ツェツィーリエンホーフ宮殿で始まった」と述べています。つまり、日本への原爆投下は、冷戦の開始の産物であったと考えることができます。原爆をめぐるトルーマンスターリンの駆け引きにはよくわからないところがあります。トルーマンは、原爆ができたので、ソ連の参戦が不要になったとつたえてはいません。逆に、ソ連が参戦する前に、終戦にして、ソ連なしの終戦を目指すのであれば、原爆をスターリーンに秘密しにておくべきであったと思われます。トルーマンは、チャーチルに、「原爆の説明をスターリンにすべきか」相談しています。チャーチルの説明は、「原爆の説明をスターリンにすべき」でした。チャーチルの説明の論旨はわかりませんが、トルーマンは、チャーチルの説明に感心したといわれています。そして、トルーマンは、スターリンに原爆の説明をしています。

 

なお。ポツダム宣言の最後の「我々は日本政府に対し、ただちに全日本軍の無条件降伏を宣言し、その行動における誠意について適切かつ十分な保証を与えるよう求める。日本にとって代替策は、迅速かつ完全な破滅である」は、原爆を指しています。



以下、年表です。



1945年2月に、第二次世界大戦末期のウクライナのヤルタでヤルタ会談が開かれました。アメリカ、イギリス、ソ連の首脳により、ドイツの戦後処理や国際連合の設立などが話し合われ、ヤルタ協定が結ばれました。

 

1945年3月3日に、アメリカ軍は、マニラを占領します。

 

1945年3月10日に、東京大空襲がありました。以降、日本各地で、空襲が続きます。つまり、制空権はなくなりました。

 

1945年3月26日に、アメリカ軍が、慶良間列島に上陸し、地上戦が始まります。

 

1945年3月29日には、アメリカ軍統合参謀長会議が「対日攻撃戦力最終計画」を作成し、日本本土侵攻作戦全体を「ダウンフォール作戦」、九州侵攻作戦(1945年11月)を「オリンピック作戦」、関東侵攻作戦(1946年春)を「コロネット作戦」と命名した。

 

1945年4月5日に、 ソ連は、日本に対して翌年期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないと通達します。

 

1945年5月8日に、ドイツは無条件降伏しました。

 

1945年5月16日夜に、マレー半島北西岸、ペナン島沖で、日本海軍とイギリス海軍との間で、ペナン沖海戦が起き、アンダマン・ニコバル諸島の日本軍守備隊は完全に孤立しました。

 

1945年5月25日に、- 日本軍は、南寧を放棄します。

 

1945年6月9日に、昭和天皇は、中国大陸を視察した参謀総長梅津美治郎から、「在満洲と在中国の戦力は、アメリカ陸軍師団に換算して4個師団程度の戦力しかなく、弾薬も近代戦であれば1会戦分ぐらいしかない」という報告を受け、「日本内地の部隊は在満部隊より遙かに戦力が劣るので本土決戦は不可能」と認識します。

 

1945年6月12日に、昭和天皇は、海軍の軍事参議官長谷川清大将から「海軍は兵器も人員も底をついている」「動員計画も行き当たりばったりの杜撰なもの」という報告も受けて、「本土決戦の戦勝による有利な講和」は幻影と認識します。このあと、日本政府は、講和を試みます。

 

1945年6月19日に、沖縄における日本軍の組織的抵抗がほぼ終わります。

 

1945年7月2日に、アメリカ軍が沖縄作戦の終了を宣言します。

 

1945年7月14日に、アメリカ海軍第38機動部隊(空母4隻、艦載機248機)は青函連絡船を攻撃して11隻が沈没し、北海道は孤立します。

 

1945年7月16日にアメリカ・ニューメキシコ州のアラモゴードで原爆の実験に成功しました。

 

1945年7月17日以降、英米首脳は、日本を降伏に追い込む上でソ連の助けは不要と判断しています。

 

1945年7月17日、ベルリン郊外ポツダムにあるツェツィーリエンホーフ宮殿に三大国の首脳、アメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連スターリン書記長が集まり、ポツダム会談が始まる。会議の目的は、9週間前に無条件降伏に同意したドイツの統治方法の決定でした。

 

トルーマンとその顧問たちは、東欧におけるソ連の行動を侵略的な拡張主義と見なし、それは2月のヤルタ会談スターリンが約束した協定とは相容れないと考えていました。

 

1945年7月17日、トルーマンスターリンから直接、ソ連が依然として対日戦争に参戦する意向であることを確認しました。

 

1945年7月18日 、スターリンは戦車と部隊に東方へ迅速な進撃を命じた。

 

1945年7月18日に、ポツダムで、トルーマンは、中東および極東の当初の戦略を180度転換し、ソ連が東太平洋戦域に介入する前に戦争に勝利する計画に変更する。

 

1945年7月18日に、ポツダムで、スターリンは、日本の天皇がモスクワ駐在のトルーマン大使に宛てた和平への関心を示す覚書をトルーマンに提示した。

 

1945年7月18日に、ソ連は、時間稼ぎのため引き延ばした上で、仲介役とした終戦工作に対して、日本政府に、はぐらかした回答をした。

 

1945年7月24日午後7時30分に、ポツダムで会談後、トルーマンスターリンに「並外れた破壊力を持つ新兵器を持っている」とさりげなく告げ、原爆の秘密を暴露した。歴史家のミーは「20世紀の核軍拡競争は、1945年7月24日午後7時30分、ツェツィーリエンホーフ宮殿で始まった」と述べています。

 

1945年7月25日に、トルーマンは軍備開始のため原爆投下命令を承認しました。

 

1945年7月26日に、アメリカ、イギリス、中国の首脳によって日本の降伏条件を定めたポツダム宣言(Potsdam Declaration)が、発表されます。最後通牒は、日本が降伏しない場合、「即時かつ完全な破滅」に直面するであろうと規定しています。「ソ連はまだ日本との戦争をしていなかった」ので、宣言にかかわる立場ではありませんでした。

 

1945年8月1日にポツダム協定(ドイツの戦後処理)が調印され、翌日に発効する。

 

1945年8月6日午前8時15分、広島市原子爆弾が投下されました。

 

1945年8月8日にソ連が日本に宣戦布告し、翌8月9日早朝(長崎原爆投下の数時間前)から満州南樺太、千島列島などに侵攻を開始します。これは、ヤルタ会談での秘密協定に基づいて行われたもので、日ソ中立条約を破棄しての参戦でした。

 

1945年8月9日午前11時02分に、長崎市原子爆弾が投下されます。

 

1945年8月10日午前2時半、日本政府は御前会議(昭和天皇の参加する最高決定の会議)において「国体護持」を条件にポツダム宣言受諾を決定しました。

 

1945年8月14日正午前に、御前会議で、天皇の無条件降伏受諾の決断をふたたび仰いで最終的に決定し、「終戦詔勅」に天皇が署名します。

 

1945年8月14日に、天皇は、敗戦の詔勅を録音します。

 

1945年8月15日に、玉音放送天皇の肉声が放送されたこと)が行われます。

 

1945年8月15日に、トルーマン大統領は、日本の降伏を発表し、アメリカ軍に戦闘停止を命じます。

 

1945年8月15日、スターリンは、九州、四国、本州、北海道の日本軍をアメリカ軍に降伏させ、その他はソ連軍に降伏させると伝えてきたトルーマン大統領の電報に対する返信で、北海道北部の占領の許可を求めた。トルーマン大統領はこれを拒否します。

 

1945年8月22日、日本側1018人、ソ連側1567人の戦死者を出した対ソ連戦が日本側の降伏によって終わる。

 

1945年9月2日、東京湾上のアメリカ軍艦ミズーリ号において、日本代表と連合国代表との間で日本の降伏に関する文書が署名され、日本の無条件降伏が確定します。

 

1945年9月5日、歯舞、色丹の占領を終えてソ連軍が日本に対する組織的軍事行動を停止する。

 

 

イラン・イスラエル危機(11)

1)広島と長崎

 

NATO=北大西洋条約機構の首脳会議に出席するため、オランダ・ハーグを訪れているトランプ大統領は25日、アメリカ軍によるイランの核施設への攻撃を、第二次世界大戦での広島と長崎への原爆投下になぞらえ、「広島や長崎をたとえにしたくないが本質的に同じもので、アメリカの攻撃が戦争を終結させた」と述べて、イランへの攻撃を正当化しました。

 

アメリカ トランプ大統領

「あの攻撃が戦争を終結させたのです。広島や長崎をたとえにしたくはないが本質的に同じもので、あの攻撃が戦争を終結させた」

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トランプ大統領 イラン核施設への攻撃 広島・長崎への原爆投下になぞらえ「戦争終結させた」と正当化 2025/06/25 TBS

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このニュースは、日本語は、25日ですが、英語は、26日になっています。

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トランプ氏、広島への原爆投下を引き合いにイランへの攻撃の重要性を主張 2025/06/25 CNN

https://www.cnn.co.jp/usa/35234737.html

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Trump compares Iran strike to Hiroshima, claims it ended the war | Power & Politics

CBC News 2025/06/26

https://www.youtube.com/watch?v=aiyoHk4bJNE

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Comparing US Iran strike to Hiroshima, Trump plays down intelligence report 2025/06/26 Reuter

https://www.reuters.com/world/middle-east/trump-says-intelligence-iran-was-inconclusive-suggests-severe-damage-2025-06-25/

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つまり、英語版のニュースは、日本語版の反応を見て、取りあげられた可能性があります。

 

終戦の経緯を、次の2つの文献から、時間の順序で、整理しました。

 

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8月15日は「終戦の日」ではない…早大教授が「終戦の日は9月2日に改めるべき」と強く主張する理由 2023/08/13 Preisident 有馬哲夫

https://president.jp/articles/-/72443

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日本の無条件降伏/終戦詔書/降伏文書

https://www.y-history.net/appendix/wh1505-121.html

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1945年2月に、第二次世界大戦末期のウクライナのヤルタでヤルタ会談が開かれました。アメリカ、イギリス、ソ連の首脳により、ドイツの戦後処理や国際連合の設立などが話し合われ、ヤルタ協定が結ばれました。

 

1945年3月26日に、アメリカ軍が、慶良間列島に上陸し、地上戦が始まります。

 

1945年5月8日に、ドイツは無条件降伏しました。

 

1945年6月19日に、沖縄における日本軍の組織的抵抗がほぼ終わります。

 

1945年7月2日に、アメリカ軍が沖縄作戦の終了を宣言します。

 

1945年7月16日にアメリカ・ニューメキシコ州のアラモゴードで原爆の実験に成功しました。

 

7月17日以降、英米首脳は、日本を降伏に追い込む上でソ連の助けは不要と判断しています。

 

1945年7月26日に、アメリカ、イギリス、中国の首脳によって日本の降伏条件を定めたポツダム宣言(Potsdam Declaration)が、アメリカ、イギリス、中国の首脳によって発表されます。有馬は、ポツダム宣言は、トルーマンが一人で決めて、イギリス、中国の了承をえたものと考えています。ソ連は、ポツダム宣言に、後で参加したと主張していますが、文面から明らかに、ソ連は、関係がありません。これは、英米首脳は、日本を降伏に追い込む上でソ連の助けは不要と判断したためです。

 

1945年8月6日午前8時15分、広島市原子爆弾が投下されました。

 

1945年8月8日にソ連が日本に宣戦布告し、翌8月9日早朝(長崎原爆投下の数時間前)から満州南樺太、千島列島などに侵攻を開始します。これは、ヤルタ会談での秘密協定に基づいて行われたもので、日ソ中立条約を破棄しての参戦でした。

 

1945年8月9日午前11時02分に、長崎市原子爆弾が投下されます。

 

1945年8月10日午前2時半、日本政府は御前会議(昭和天皇の参加する最高決定の会議)において「国体護持」を条件にポツダム宣言受諾を決定しました。

 

1945年8月14日正午前に、御前会議で、天皇の無条件降伏受諾の決断をふたたび仰いで最終的に決定し、「終戦詔勅」に天皇が署名します。

 

1945年8月14日に、天皇は、敗戦の詔勅を録音します。

 

1945年8月15日に、玉音放送天皇の肉声が放送されたこと)が行われます。

 

1945年8月15日に、トルーマン大統領は、日本の降伏を発表し、アメリカ軍に戦闘停止を命じます。

 

1945年8月15日、スターリンは、九州、四国、本州、北海道の日本軍をアメリカ軍に降伏させ、その他はソ連軍に降伏させると伝えてきたトルーマン大統領の電報に対する返信で、北海道北部の占領の許可を求めた。トルーマン大統領はこれを拒否します。

 

1945年8月22日、日本側1018人、ソ連側1567人の戦死者を出した対ソ連戦が日本側の降伏によって終わる。

 

1945年9月2日、東京湾上のアメリカ軍艦ミズーリ号において、日本代表と連合国代表との間で日本の降伏に関する文書が署名され、日本の無条件降伏が確定します。

 

1945年9月5日、歯舞、色丹の占領を終えてソ連軍が日本に対する組織的軍事行動を停止する。

 

つまり、全ての戦闘が終了したのは、9月日ですが、これは、ルール違反なので、国際的には、日本の無条件降伏が確定した9月2日が戦争の終わった日になります。

 

ポツダム宣言の全文は、以下です。

 


1945年7月26日、ポツダムで発布された日本の降伏条件を定める宣言

  1. 我々、アメリカ合衆国大統領中華民国政府主席、及び英国首相は、数億の国民を代表して協議し、日本国にこの戦争を終結させる機会を与えることに同意する。
  2. アメリカ合衆国、イギリス帝国、そして中国の圧倒的な陸海空軍は、西側諸国からの陸軍と航空艦隊によって幾重にも増強され、日本に最後の一撃を加えようと態勢を整えている。この軍事力は、日本が抵抗をやめるまで戦争を遂行するという全ての連合国の決意によって支えられ、鼓舞されている。
  3. 世界の目覚めた自由な諸民族の力に対するドイツの無益で無分別な抵抗の結果は、日本国民への恐るべき見せしめとして、恐るべきほど鮮明に浮かび上がっている。今、日本に集結している力は、抵抗するナチスに向けられた力、すなわち全ドイツ国民の土地、産業、そして生活様式を必然的に破壊した力よりもはるかに大きい。我々の決意に支えられた我々の軍事力の最大限の行使は、日本軍の不可避かつ完全な壊滅、そして同様に不可避的に日本祖国の完全な荒廃を意味するであろう。
  4. 無分別な計算で大日本帝国を滅亡の淵に追いやったわがままな軍国主義顧問らに今後も支配され続けるのか、それとも理性の道を歩むのか、日本が決断すべき時が来た。
  5. 以下が我々の条件です。我々はこれらから逸脱することはありません。他に選択肢はありません。遅延は一切許しません。
  6. 日本国民を欺き、世界征服に乗り出すよう誘導した者たちの権威と影響力は永久に排除されなければならない。なぜなら、無責任な軍国主義が世界から駆逐されない限り、平和、安全、正義の新しい秩序は不可能であると我々は主張するからである。
  7. このような新たな秩序が確立され、日本の戦争遂行力が破壊されたという説得力のある証拠が得られるまで、連合国により指定される日本領土内の地点は、我々がここに提示する基本目的の達成を確実にするために占領されるものとする。
  8. カイロ宣言の条項は履行され、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及び我々が決定するその他の小島嶼に限定されるものとする。
  9. 日本軍は、完全に武装解除された後、平和で生産的な生活を送る機会を得て、それぞれの家庭に帰還することを許可されるものとする。
  10. 我々は、日本人を民族として奴隷化したり、国家として滅ぼしたりするつもりはない。しかし、我々の捕虜に残虐な行為を行った者を含め、すべての戦争犯罪者に対しては、厳正な裁きが下されるであろう。日本政府は、日本国民の間に民主主義的傾向が復活し、強化されることを阻むあらゆる障害を取り除くであろう。言論、宗教、思想の自由、そして基本的人権の尊重は確立されるであろう。
  11. 日本は、自国の経済を支え、正当な現物賠償の請求を可能にする産業の維持を認められるが、戦争のための再軍備を可能にする産業は認められない。この目的のため、原材料へのアクセス(ただし、原材料の管理は除く)は認められる。最終的には、日本の世界貿易関係への参加が認められる。
  12. 連合国の占領軍は、これらの目的が達成され、日本国民の自由に表明された意思に従って平和志向と責任感を持った政府が樹立され次第、日本から撤退するものとする。
  13. 我々は日本政府に対し、ただちに全日本軍の無条件降伏を宣言し、その行動における誠意について適切かつ十分な保証を与えるよう求める。日本にとって代替策は、迅速かつ完全な破滅である。

(外務省『日本外国年表に関する修養資料:1840年~1945年』第2巻、1966年)

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Copyright©2003-2004 国立国会図書館 All Rights Reserved.

https://www.ndl.go.jp/constitution/e/etc/c06.html

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チャーチルは、次のようにいっています。



日本の運命が原子爆弾によって決定したと考えるなら、それは間違いであろう。日本の敗北は最初の原爆が投下される前に確定していたのであり、圧倒的な海軍力によってもたらされたものなのである。最後の攻撃の拠点となっていた海洋基地を押え、突撃に出ることなく本土軍に降服を強制することができたのは、ただ海軍力のおかげだったのである。

(中略)

ともかく、原子爆弾を使用すべきかどうかについては、一刻の議論の余地もなかった。一、二度の爆発の犠牲によって圧倒的な力を顕示し、それによってぼう大な無制限の殺戮を回避し、戦争を終わらせ、世界に平和をもたらし、苦悩する人民に治療の手を与えるということは、われわれがあらゆる労苦と危険を経験してきた後では、奇跡的な救いのように思われた。

チャーチル第二次世界大戦』4 河出書房

1945年7月2日のアメリカ軍の沖縄作戦の終了、1945年7月16日のアメリカ・ニューメキシコ州のアラモゴードの原爆の実験の成功、1945年7月26日のポツダム宣言の発表をみれば、この時点で、チャーチルの言うように、日本の敗北は確定していました。

 

ポツダム宣言は、日本の敗北が確定した結果を見て、出されています。

 

ポツダム宣言の最後は、次で終わっています。

我々は日本政府に対し、ただちに全日本軍の無条件降伏を宣言し、その行動における誠意について適切かつ十分な保証を与えるよう求める。日本にとって代替策は、迅速かつ完全な破滅である。

これは、「日本軍の無条件降伏」を要求しています。ポツダム宣言には、天皇の文字はありません。

 

「1945年7月2日のアメリカ軍の沖縄作戦の終了」時点で、日本には、抵抗可能な軍隊はほとんど存在していません。

 

7月2日から7月26日の間に、日本政府が、勝ち目ないと判断していれば、7月26日のポツダム宣言の発表直後に、日本政府は、ポツダム宣言の受け入れを表明していたはずです。

 

7月26日から8月5日の間に、日本政府が、勝ち目ないと判断していれば、7月26日のポツダム宣言の発表直後に、日本政府は、ポツダム宣言の受け入れを表明していたはずです。

 

日本政府は、1945年7月16日の原爆の実験の成功を知っていたかはわかりません。

 

しかし、日本政府も、原爆の開発を試みていましたので、アメリカが原爆を開発する可能性は視野にはいっていました。

 

8月5日までに、ポツダム宣言を受け入れていれば、原爆の投下はありませんでした。

 

ここには、企業ビジネスの撤退問題と同じ構造があります。

 

失敗が確定して、撤退がやむを得なくなった場合には、ダメージを最小化する方法が探索されます。

 

日本政府が、この思考ルートをとっていれば、8月5日までに、ポツダム宣言を受け入れていたはずです。

 

1945年7月16日の原爆の実験の成功は、連合軍のパワーバランスを大きく変えました。

 

連合軍にとって、ヤルタ協定は、不要になっていました。

 

ドイツの無条件降伏は、1945年5月8日でした。

 

ヤルタ協定には、次のように書かれています。

三大国、すなわち、ソヴィエト連邦アメリカ合衆国及びグレート・ブリテンの指導者は、ソヴィエト連邦が、ドイツが降伏し、かつ、欧州における戦争が終了した後2箇月又は3箇月で、次のことを条件として、連合国に味方して日本国に対する戦争に参加すべきことを協定した。

 

「欧州における戦争が終了した後2箇月、又は3箇月」は、7月8日から8月8日になります。

 

1945年8月8日にソ連が日本に宣戦布告しましたが、これで、ソ連はデッドラインを守ったことになります。

 

ソ連にとっては、被害を最少化して、最大の領土を獲得することが合理的な行動になります。

 

日本が、ポツダム宣言を受け入れてしまうと、ソ連には、参戦する理由がなくなります。

 

なので、ソ連としては、日本が、ポツダム宣言を受けれる前で、最も遅い参戦時期、かつ8月8日以前を最適な参戦時期として、探索していたはずです。

 

アメリカは、ソ連が遅くとも8月8日には、参戦することを知っていました。

 

なので、アメリカとしては、できるだけ早く、日本を降伏させて、ソ連の参戦をブロックすることが最適な戦略になりました。

 

1945年7月16日の実験から、最短で、1945年8月6日午前8時15分、広島市原子爆弾が投下されました。

 

この時点で、日本が降伏していれば、ソ連の参戦はなく、長崎の原爆もありませんでした。

 

ソ連は、恐らく、8月8日まで、原爆が投下されるとは思っていなかったと思われます。

 

ソ連が参戦したので、アメリカは、ソ連を押さえるために、長崎に原爆を投下しています。

 

有馬哲夫氏は、「ソ連の日本に対する侵略に歯止めをかけられたのは、アメリカの軍事力、とくに原爆だった」といいます。

 

冷静な判断ができれば、1945年7月2日のアメリカ軍の沖縄作戦の終了から、8月6日の広島への原爆投下の前までに、敗戦をうけいれる判断ができていたはずです。

 

このような冷静な判断ができない状態では、何が起きるかを予測することは困難でした。

 

ヤルタ協定からみれば、8月8日は、ソ連が参戦できるデッドラインでした。これは、協定を読めば、自明ですが、あまり触れらえていないと思います。

 

ソ連の実際の参戦は、8月9日であり、デッドラインを越えていますが、8月8日に、宣戦布告して辻褄を合わせています。

 

このように、原爆の投下は、終戦のタイミングと複雑な関係があります。

 

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ヤルタ協定

https://www8.cao.go.jp/hoppo/shiryou/pdf/gaikou07.pdf

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イラン・イスラエル危機(10)

1)マスコミの機能

 

ロイターは、イランも、イスラエルも、大勝利であるといっていると伝えています。

 

これは、停戦が実現するための前提条件なので当然といえます。

 

イランメディアによると、ペゼシュキアン大統領は、同国が戦争を「偉大な勝利」で終結させたと表明。さらにサウジアラビアムハンマド・ビン・サルマン皇太子に対し、イランは米国との対立を解決する用意があると伝えたという。

 

一方、イスラエルのネタニヤフ首相は、イスラエルは何世代にもわたって記録される歴史的勝利を収めたと表明。同時に、イランに対する軍事作戦を完了させ、イスラム組織ハマスを打倒しなければならないとも語った。

 

イスラエルのエヤル・ザミール参謀総長は、紛争の「重要な一章」は終結したが、イランに対する作戦はまだ終わっていないと指摘。同軍はパレスチナ自治区ガザ地区においてイランが支援するハマスとの戦闘に再び焦点を当てると述べた。

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イスラエル・イラン紛争停戦へ 米仲介も永続的和平は前途多難 2025/06/25 ロイター Jeff Mason, Alexander Cornwell, Parisa Hafezi

https://jp.reuters.com/world/security/3TL7OUV7IJOVXOTKV3DKHG3YRQ-2025-06-24/

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CNNは、イランの核開発プログラムの中枢部分を破壊するには至っていないと伝えています。

 

米軍が21日に行ったイランの核施設への空爆について、初期評価ではイランの核開発プログラムの中枢部分を破壊するには至っておらず、開発計画を数カ月後退させた程度とみている。

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米軍のイラン空爆、核開発の中枢破壊に至らず 初期評価 CNN EXCLUSIVE 2025/06/25

https://www.cnn.co.jp/usa/35234682.html

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トランプ大統領も、軍も、そのことは、十分承知しています。

 

今回は、取り合えずの停戦が目的なので、イランの核開発プログラムの中枢部分の破壊の有無を持ち出して、停戦をぶちこわすことには、腹がたっているはずです。

 

CNNは次のように、伝えています。

 

トランプ氏は今週の北大西洋条約機構NATO)首脳会議に出席するためオランダに滞在中。今回の攻撃を「歴史上最も成功した軍事作戦の一つ」と評し、「イランの核施設は完全破壊されている!」と付け加えた。

 

CNNはこれに先立ち24日、事情に詳しい関係者7人が説明した米情報機関の初期評価として、米軍は先週末にイランの核施設3カ所を攻撃したものの、イランの核計画を数カ月遅らせただけの可能性が高いと報じていた。

 

トランプ氏は現地時間の午前3時半ごろに最初の投稿を行ったが、その後スペルミスを修正して再投稿。CNNと米紙ニューヨーク・タイムズによる「攻撃をおとしめる試み」だと非難した。

 

ホワイトハウスのレビット報道官もこれより前、CNNに反論し、報道の存在を認めつつも「まったくの誤り」と評していた。

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トランプ氏がCNNに反論 「イラン核開発の中枢破壊に至らず」との報道巡り 2025/06/25 CNN

https://www.cnn.co.jp/usa/35234718.html

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CNNは、テレビは政治報道では一貫して民主党支持です。

 

なので、問題はありますが、トランプ大統領の反論を掲載した点では、マスコミの中立性を守っています。

 

CNNは、次のようにもいいます。

 

米軍がイランの核施設に対して実施した空爆をめぐり、トランプ大統領とそのチームは攻撃前に共和党の有力議員と連絡を取っていた一方、民主党の有力議員は爆弾が投下されるまでその計画を知らされていなかった。

 

共和党のトップ2人であるマイク・ジョンソン下院議長とジョン・スーン上院院内総務はいずれも攻撃前に通知を受けていた。

 

だが、民主党のハキーム・ジェフリーズ下院院内総務、チャック・シューマー上院院内総務に通知があったのは攻撃について発表する直前で、攻撃自体は終わった後だった。上院と下院の情報委員会の幹部であるマーク・ワーナー上院議員とジム・ハイムズ下院議員も同様に攻撃が行なれた後まで通知を受けていなかった。

 

ワーナー氏は、「トランプ政権は、議会と協議することなく、明確な戦略もなく、情報機関の一貫した結論を考慮することもなく、米国民に対して何が危険にさらされているのか説明することもなかった」と批判した。

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トランプ米政権、イラン空爆前に共和党に情報共有 民主党には知らせず 2025/06/22 CNN

https://news.yahoo.co.jp/articles/b6e1e3284411d9bf66943c4d41cd54cc5c6246b6

>>

 

ワーナー氏は、「トランプ政権は、議会と協議することも、明確な戦略もなかった」といっています。つまり、ワーナー氏の発言は、「トランプ政権は、明確な戦略をもって、議会と協議すべきである」という主張です。

 

問題は、軍事作戦なので、「明確な戦略をもって、議会と協議する」ことが難しい面があります。

 

軍事作戦でなければ、ワーナー氏の「トランプ政権は、明確な戦略をもって、議会と協議すべき」は正論でしょう。

 

ワーナー氏の発言を、日本の政治に置き換えてみます。

 

ワーナー氏のような野党議員が日本にいれば、「骨太の方針、予算案などについて、政府(与党)は明確な戦略をもって、野党と議会と協議すべき」という要求になります。

 

日本には、そのような主張をする野党議員はいません。

 

骨太の方針、予算案などの実態は、有識者会議の答申をうけて、「明確な戦略をもって、野党と議会と協議する」ことなしに、決められています。

 

この点を問題にせうえうマスコミはありません。

 

政府は、説明するといいますが、「明確な戦略をもって、野党と議会と協議」していないので、民主主義のルールに従った説明がなされたことはありません。

 

そのことを問題視する学者も、裁判官もいません。

日本には、憲法裁判所がありません。

 

太平洋戦争のときから、何も、変わっていないと思います。

 

イラン・イスラエル危機(9)

1)停戦の継続

25日0時時点は、事態は予測通りに動いています。

 

ロイターは、次のように伝えています。

 

[ワシントン 24日 ロイター] - トランプ米大統領は24日、数時間前に発表した停戦にイスラエル、イラン両国が違反したと指摘した。双方を非難したが、特にテヘランへの新たな攻撃を発表したイスラエルに不満だと述べた。オランダ・ハーグで開催される北大西洋条約機構NATO)首脳会議に向けて出発する前に記者団に語った。

 

大統領はホワイトハウスを出発した直後に「イスラエルよ、爆弾を投下するな。もし投下すれば重大な違反だ。パイロットを今すぐ戻せ!」とSNSに投稿した。

 

ホワイトハウスを去る際に記者団に対し、停戦協定に違反したどちらの側にも、特にイスラエルに対して「不満だ」と述べた。

 

「今すぐイスラエルを落ち着かせなければならない」と指摘。「イスラエルは、合意に至った途端に爆弾を投下した」として不満を表明。両国は「あまりに長く、あまりに激しく争っているので、自分たちが一体何をしているのか分からない」と述べ、カメラから背を向けてヘリコプターに向かった。

 

大統領はイランの核開発能力はなくなったとも指摘した。

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トランプ氏「停戦は発効」、違反でイラン以上にイスラエルに不満 2025/06/24 10:36PM ロイター

https://jp.reuters.com/world/security/MUEZUKEWYFK55LBVLLSBQSJ2U4-2025-06-24/

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以上の発言から、トランプ大統領の目的が、イスラエルの戦争継続を封じ込めることにあったことがわかります。

 

「イランの核開発能力はなくなった」かは、わかりません。

 

しかし、当面は、今までの速度で開発できなくなったことは明らかです。

 

イスラエルのガザ支配は、目的を失っています。

 

イランについては、ガザより、広く、人口も多いので、イスラエルが実効支配することはありません。

 

イスラエルの中には、戦争の遂行を自己目的化した軍人がいます。

 

こうした軍人は、暴走するリスクがあります。

 

しかし、そのリスクは最初から、折り込み済みです。

 

少し前の23日のCNNの記事では、各国のコメントは以下でした。

米国の緊密な同盟国の多くは、イランが核の脅威を及ぼしたと主張し、イランへの攻撃への支持を表明する一方で、外交と緊張緩和を強く求めている。湾岸諸国を含む他の国々は、今回の攻撃に対する懸念と失望を表明している。

 

    オーストラリア :アンソニー・アルバネーゼ首相は月曜日の記者会見で、イランが「核兵器を取得することは許されない」と述べた。「米国の行動は、イランの核開発計画の中核となる特定の施設を狙ったものだ。事態のエスカレーションや全面戦争は望んでいない」と述べ、イランは国際的な義務を「遵守していない」と付け加えた。

 

    英国 :キア・スターマー首相は日曜日、米国の攻撃を受け、イランに対し交渉のテーブルに戻るよう強く求め、イランの核開発計画は「国際安全保障に対する重大な脅威だ。イランが核兵器を開発することは決して許されず、米国はその脅威を軽減するための行動をとってきた」と述べた。数時間後、英国のデイビッド・ラミー外相もXへの投稿でスターマー首相の発言に同調し、「英国は今回の攻撃には参加していない。イランに対し、自制を示し、この危機を終結させるための外交的解決に至るよう強く求める」と付け加えた。

 

    フランス :ジャン=ノエル・バロ外相は、フランスは米国の攻撃を「懸念を持って」受け止めており、参加していないと述べた。「フランスは、イランの核兵器取得に断固反対する姿勢を繰り返し表明してきた」とバロ外相は述べた。

 

    日本 :石破茂首相は「一刻も早い緊張緩和が何よりも重要」としながらも「同時に、イランの核兵器開発を阻止しなければならない」と述べた。

 

    サウジアラビア :外務省はアラビア語の声明で、同国はイランの情勢を「深い懸念を持って」見守っていると述べ、国際社会に対し「この危機の終結を保証し、地域の安全と安定の達成に向けて新たな一歩を踏み出す外交的解決」に向けた努力を強化するよう求めた。

 

    カタール :外務省は、「この地域で経験されている危険な緊張は、地域と国際社会の両面で壊滅的なエスカレーションにつながるだろう」と警告した。外務省は、全ての関係者に対し、「賢明さと自制心を発揮」し、既に紛争と人道危機に見舞われているこの地域の人々に影響を与えるような更なるエスカレーションを回避するよう求めた。

 

    クウェート :外務省は国連安全保障理事会に対し、「世界の平和と安全を維持する責任を果たす」よう特に呼びかけた。声明では、「あらゆる形態のエスカレーションの即時かつ完全な停止、軍事活動の完全な停戦、そして言論の抑制と自制」を求めている。

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米国の主要同盟国はイラン爆撃についてどのような立場を取っているか 2025/06/23 CNN

https://edition.cnn.com/world/live-news/israel-iran-conflict-06-22-25-intl-hnk

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ここで、注目すべきは、アメリカ軍が、在中しているサウジアラビアカタールクウェートの見解です。この3カ国には、アメリカ軍がいるので、日本と同様に、直接的に、アメリカの対応を批判することは困難です。

 

この3カ国は、アメリカ軍の攻撃を名指しで、非難していませんが、「更なるエスカレーションを回避」といった、基本線を押さえています。

カタールアメリカ軍基地に、イランのミサイルが飛んできました。イランが、ミサイルを全く、打たなければ、国内を押さえることが困難になるので、もちろん、それは、予告のある儀式に過ぎませんでした。しかし、カタールは、儀式に対応できています。

 

日本の米軍基地に、北朝鮮のミサイルが飛んできた場合に、日本政府は、カタールのような外交ができるか不安になります。

 

今のところ、北朝鮮のミサイルは、日本の領土に落下していませんが、仮に、北朝鮮のミサイルが、日本の領土に落下した場合に、日本政府は、どうする計画でしょうか。

 

現状をみると、国会では、「もしもの話はしないことになっている」ので、今回と同じように、攻撃があってから、相談することになると思います。

 

北朝鮮のミサイルが、日本の領土に落下した場合でも、今までと同じように、口頭で、厳重に抗議する以外の手段をもっていない気がします。

 

イラン・イスラエル危機(8)

1)イスラエル首相、トランプ氏の停戦案に同意 2025/06/24 16:40

 

予想通り、ネタニヤフ首相が停戦合意を受け入れました。

 

[エルサレム 24日 ロイター] - イスラエルのネタニヤフ首相は24日の声明で、トランプ米大統領から提案されたイランとの停戦に同意したと明らかにし、イランの核・弾道ミサイルの脅威を取り除く目標を達成したとの見方を示した。

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イスラエル首相、トランプ氏の停戦案に同意 イランの核の脅威排除 2024/06/24 16:10 ロイター

https://jp.reuters.com/economy/GFZONJ73NNPQXLKDLKA7N24N7A-2025-06-24/

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これから、ネタニヤフ政権の維持が、困難になるかも知れません。