1)広島と長崎
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NATO=北大西洋条約機構の首脳会議に出席するため、オランダ・ハーグを訪れているトランプ大統領は25日、アメリカ軍によるイランの核施設への攻撃を、第二次世界大戦での広島と長崎への原爆投下になぞらえ、「広島や長崎をたとえにしたくないが本質的に同じもので、アメリカの攻撃が戦争を終結させた」と述べて、イランへの攻撃を正当化しました。
「あの攻撃が戦争を終結させたのです。広島や長崎をたとえにしたくはないが本質的に同じもので、あの攻撃が戦争を終結させた」
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トランプ大統領 イラン核施設への攻撃 広島・長崎への原爆投下になぞらえ「戦争終結させた」と正当化 2025/06/25 TBS
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このニュースは、日本語は、25日ですが、英語は、26日になっています。
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トランプ氏、広島への原爆投下を引き合いにイランへの攻撃の重要性を主張 2025/06/25 CNN
https://www.cnn.co.jp/usa/35234737.html
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Trump compares Iran strike to Hiroshima, claims it ended the war | Power & Politics
CBC News 2025/06/26
https://www.youtube.com/watch?v=aiyoHk4bJNE
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Comparing US Iran strike to Hiroshima, Trump plays down intelligence report 2025/06/26 Reuter
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つまり、英語版のニュースは、日本語版の反応を見て、取りあげられた可能性があります。
終戦の経緯を、次の2つの文献から、時間の順序で、整理しました。
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8月15日は「終戦の日」ではない…早大教授が「終戦の日は9月2日に改めるべき」と強く主張する理由 2023/08/13 Preisident 有馬哲夫
https://president.jp/articles/-/72443
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https://www.y-history.net/appendix/wh1505-121.html
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1945年2月に、第二次世界大戦末期のウクライナのヤルタでヤルタ会談が開かれました。アメリカ、イギリス、ソ連の首脳により、ドイツの戦後処理や国際連合の設立などが話し合われ、ヤルタ協定が結ばれました。
1945年3月26日に、アメリカ軍が、慶良間列島に上陸し、地上戦が始まります。
1945年5月8日に、ドイツは無条件降伏しました。
1945年6月19日に、沖縄における日本軍の組織的抵抗がほぼ終わります。
1945年7月2日に、アメリカ軍が沖縄作戦の終了を宣言します。
1945年7月16日にアメリカ・ニューメキシコ州のアラモゴードで原爆の実験に成功しました。
7月17日以降、英米首脳は、日本を降伏に追い込む上でソ連の助けは不要と判断しています。
1945年7月26日に、アメリカ、イギリス、中国の首脳によって日本の降伏条件を定めたポツダム宣言(Potsdam Declaration)が、アメリカ、イギリス、中国の首脳によって発表されます。有馬は、ポツダム宣言は、トルーマンが一人で決めて、イギリス、中国の了承をえたものと考えています。ソ連は、ポツダム宣言に、後で参加したと主張していますが、文面から明らかに、ソ連は、関係がありません。これは、英米首脳は、日本を降伏に追い込む上でソ連の助けは不要と判断したためです。
1945年8月6日午前8時15分、広島市へ原子爆弾が投下されました。
1945年8月8日にソ連が日本に宣戦布告し、翌8月9日早朝(長崎原爆投下の数時間前)から満州、南樺太、千島列島などに侵攻を開始します。これは、ヤルタ会談での秘密協定に基づいて行われたもので、日ソ中立条約を破棄しての参戦でした。
1945年8月9日午前11時02分に、長崎市へ原子爆弾が投下されます。
1945年8月10日午前2時半、日本政府は御前会議(昭和天皇の参加する最高決定の会議)において「国体護持」を条件にポツダム宣言受諾を決定しました。
1945年8月14日正午前に、御前会議で、天皇の無条件降伏受諾の決断をふたたび仰いで最終的に決定し、「終戦の詔勅」に天皇が署名します。
1945年8月15日に、玉音放送(天皇の肉声が放送されたこと)が行われます。
1945年8月15日に、トルーマン大統領は、日本の降伏を発表し、アメリカ軍に戦闘停止を命じます。
1945年8月15日、スターリンは、九州、四国、本州、北海道の日本軍をアメリカ軍に降伏させ、その他はソ連軍に降伏させると伝えてきたトルーマン大統領の電報に対する返信で、北海道北部の占領の許可を求めた。トルーマン大統領はこれを拒否します。
1945年8月22日、日本側1018人、ソ連側1567人の戦死者を出した対ソ連戦が日本側の降伏によって終わる。
1945年9月2日、東京湾上のアメリカ軍艦ミズーリ号において、日本代表と連合国代表との間で日本の降伏に関する文書が署名され、日本の無条件降伏が確定します。
1945年9月5日、歯舞、色丹の占領を終えてソ連軍が日本に対する組織的軍事行動を停止する。
つまり、全ての戦闘が終了したのは、9月日ですが、これは、ルール違反なので、国際的には、日本の無条件降伏が確定した9月2日が戦争の終わった日になります。
ポツダム宣言の全文は、以下です。
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1945年7月26日、ポツダムで発布された日本の降伏条件を定める宣言
- 我々、アメリカ合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国首相は、数億の国民を代表して協議し、日本国にこの戦争を終結させる機会を与えることに同意する。
- アメリカ合衆国、イギリス帝国、そして中国の圧倒的な陸海空軍は、西側諸国からの陸軍と航空艦隊によって幾重にも増強され、日本に最後の一撃を加えようと態勢を整えている。この軍事力は、日本が抵抗をやめるまで戦争を遂行するという全ての連合国の決意によって支えられ、鼓舞されている。
- 世界の目覚めた自由な諸民族の力に対するドイツの無益で無分別な抵抗の結果は、日本国民への恐るべき見せしめとして、恐るべきほど鮮明に浮かび上がっている。今、日本に集結している力は、抵抗するナチスに向けられた力、すなわち全ドイツ国民の土地、産業、そして生活様式を必然的に破壊した力よりもはるかに大きい。我々の決意に支えられた我々の軍事力の最大限の行使は、日本軍の不可避かつ完全な壊滅、そして同様に不可避的に日本祖国の完全な荒廃を意味するであろう。
- 無分別な計算で大日本帝国を滅亡の淵に追いやったわがままな軍国主義顧問らに今後も支配され続けるのか、それとも理性の道を歩むのか、日本が決断すべき時が来た。
- 以下が我々の条件です。我々はこれらから逸脱することはありません。他に選択肢はありません。遅延は一切許しません。
- 日本国民を欺き、世界征服に乗り出すよう誘導した者たちの権威と影響力は永久に排除されなければならない。なぜなら、無責任な軍国主義が世界から駆逐されない限り、平和、安全、正義の新しい秩序は不可能であると我々は主張するからである。
- このような新たな秩序が確立され、日本の戦争遂行力が破壊されたという説得力のある証拠が得られるまで、連合国により指定される日本領土内の地点は、我々がここに提示する基本目的の達成を確実にするために占領されるものとする。
- カイロ宣言の条項は履行され、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及び我々が決定するその他の小島嶼に限定されるものとする。
- 日本軍は、完全に武装解除された後、平和で生産的な生活を送る機会を得て、それぞれの家庭に帰還することを許可されるものとする。
- 我々は、日本人を民族として奴隷化したり、国家として滅ぼしたりするつもりはない。しかし、我々の捕虜に残虐な行為を行った者を含め、すべての戦争犯罪者に対しては、厳正な裁きが下されるであろう。日本政府は、日本国民の間に民主主義的傾向が復活し、強化されることを阻むあらゆる障害を取り除くであろう。言論、宗教、思想の自由、そして基本的人権の尊重は確立されるであろう。
- 日本は、自国の経済を支え、正当な現物賠償の請求を可能にする産業の維持を認められるが、戦争のための再軍備を可能にする産業は認められない。この目的のため、原材料へのアクセス(ただし、原材料の管理は除く)は認められる。最終的には、日本の世界貿易関係への参加が認められる。
- 連合国の占領軍は、これらの目的が達成され、日本国民の自由に表明された意思に従って平和志向と責任感を持った政府が樹立され次第、日本から撤退するものとする。
- 我々は日本政府に対し、ただちに全日本軍の無条件降伏を宣言し、その行動における誠意について適切かつ十分な保証を与えるよう求める。日本にとって代替策は、迅速かつ完全な破滅である。
(外務省『日本外国年表に関する修養資料:1840年~1945年』第2巻、1966年)
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https://www.ndl.go.jp/constitution/e/etc/c06.html
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チャーチルは、次のようにいっています。
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日本の運命が原子爆弾によって決定したと考えるなら、それは間違いであろう。日本の敗北は最初の原爆が投下される前に確定していたのであり、圧倒的な海軍力によってもたらされたものなのである。最後の攻撃の拠点となっていた海洋基地を押え、突撃に出ることなく本土軍に降服を強制することができたのは、ただ海軍力のおかげだったのである。
(中略)
ともかく、原子爆弾を使用すべきかどうかについては、一刻の議論の余地もなかった。一、二度の爆発の犠牲によって圧倒的な力を顕示し、それによってぼう大な無制限の殺戮を回避し、戦争を終わらせ、世界に平和をもたらし、苦悩する人民に治療の手を与えるということは、われわれがあらゆる労苦と危険を経験してきた後では、奇跡的な救いのように思われた。
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1945年7月2日のアメリカ軍の沖縄作戦の終了、1945年7月16日のアメリカ・ニューメキシコ州のアラモゴードの原爆の実験の成功、1945年7月26日のポツダム宣言の発表をみれば、この時点で、チャーチルの言うように、日本の敗北は確定していました。
ポツダム宣言は、日本の敗北が確定した結果を見て、出されています。
ポツダム宣言の最後は、次で終わっています。
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我々は日本政府に対し、ただちに全日本軍の無条件降伏を宣言し、その行動における誠意について適切かつ十分な保証を与えるよう求める。日本にとって代替策は、迅速かつ完全な破滅である。
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これは、「日本軍の無条件降伏」を要求しています。ポツダム宣言には、天皇の文字はありません。
「1945年7月2日のアメリカ軍の沖縄作戦の終了」時点で、日本には、抵抗可能な軍隊はほとんど存在していません。
7月2日から7月26日の間に、日本政府が、勝ち目ないと判断していれば、7月26日のポツダム宣言の発表直後に、日本政府は、ポツダム宣言の受け入れを表明していたはずです。
7月26日から8月5日の間に、日本政府が、勝ち目ないと判断していれば、7月26日のポツダム宣言の発表直後に、日本政府は、ポツダム宣言の受け入れを表明していたはずです。
日本政府は、1945年7月16日の原爆の実験の成功を知っていたかはわかりません。
しかし、日本政府も、原爆の開発を試みていましたので、アメリカが原爆を開発する可能性は視野にはいっていました。
8月5日までに、ポツダム宣言を受け入れていれば、原爆の投下はありませんでした。
ここには、企業ビジネスの撤退問題と同じ構造があります。
失敗が確定して、撤退がやむを得なくなった場合には、ダメージを最小化する方法が探索されます。
日本政府が、この思考ルートをとっていれば、8月5日までに、ポツダム宣言を受け入れていたはずです。
1945年7月16日の原爆の実験の成功は、連合軍のパワーバランスを大きく変えました。
連合軍にとって、ヤルタ協定は、不要になっていました。
ドイツの無条件降伏は、1945年5月8日でした。
ヤルタ協定には、次のように書かれています。
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三大国、すなわち、ソヴィエト連邦、アメリカ合衆国及びグレート・ブリテンの指導者は、ソヴィエト連邦が、ドイツが降伏し、かつ、欧州における戦争が終了した後2箇月又は3箇月で、次のことを条件として、連合国に味方して日本国に対する戦争に参加すべきことを協定した。
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「欧州における戦争が終了した後2箇月、又は3箇月」は、7月8日から8月8日になります。
1945年8月8日にソ連が日本に宣戦布告しましたが、これで、ソ連はデッドラインを守ったことになります。
ソ連にとっては、被害を最少化して、最大の領土を獲得することが合理的な行動になります。
日本が、ポツダム宣言を受け入れてしまうと、ソ連には、参戦する理由がなくなります。
なので、ソ連としては、日本が、ポツダム宣言を受けれる前で、最も遅い参戦時期、かつ8月8日以前を最適な参戦時期として、探索していたはずです。
アメリカは、ソ連が遅くとも8月8日には、参戦することを知っていました。
なので、アメリカとしては、できるだけ早く、日本を降伏させて、ソ連の参戦をブロックすることが最適な戦略になりました。
1945年7月16日の実験から、最短で、1945年8月6日午前8時15分、広島市へ原子爆弾が投下されました。
この時点で、日本が降伏していれば、ソ連の参戦はなく、長崎の原爆もありませんでした。
ソ連は、恐らく、8月8日まで、原爆が投下されるとは思っていなかったと思われます。
ソ連が参戦したので、アメリカは、ソ連を押さえるために、長崎に原爆を投下しています。
有馬哲夫氏は、「ソ連の日本に対する侵略に歯止めをかけられたのは、アメリカの軍事力、とくに原爆だった」といいます。
冷静な判断ができれば、1945年7月2日のアメリカ軍の沖縄作戦の終了から、8月6日の広島への原爆投下の前までに、敗戦をうけいれる判断ができていたはずです。
このような冷静な判断ができない状態では、何が起きるかを予測することは困難でした。
ヤルタ協定からみれば、8月8日は、ソ連が参戦できるデッドラインでした。これは、協定を読めば、自明ですが、あまり触れらえていないと思います。
ソ連の実際の参戦は、8月9日であり、デッドラインを越えていますが、8月8日に、宣戦布告して辻褄を合わせています。
このように、原爆の投下は、終戦のタイミングと複雑な関係があります。
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https://www8.cao.go.jp/hoppo/shiryou/pdf/gaikou07.pdf
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