段落の論理の行方(4)

1)第2やまびこ学校

 

2020年、高等学校の学習指導要領が大幅に改訂され、今までの「現代文」という科目がなくなり、「論理国語」と「文学国語」との選択となりました。

 

つまり、国語教師は、「論理国語」を教えなければ、ならなくなりました。

 

この状況は、1951年の「やまびこ学校」と同じです。

 

GHQ (連合国軍最高司令部) は、第二次世界大戦後の日本を占領統治した連合国軍の最高司令部です。正式名称は「連合国軍最高司令官総司令部」で、英語では「General Headquarters, Supreme Commander for the Allied Powers」と言います。マッカーサー元帥が最高司令官に任命され、1945年8月から1952年4月まで東京に設置されました。

 

GHQの元で、新憲法が制定され、従来の思想教育は否定されました。

 

戦前の作文教育は、綴り方教育で、生活指導と思想教育をかねていました。

 

GHQのもとで、従来の綴り方教育は、否定されましたが、学校教師は、綴り方教育にかわる作文指導のノウハウをもっていませんでした。GHQの顔色を伺っていた文部科学省は、主体的に動いていませんでした。

 

つまり、国語教師は、板挟みになっていました。

 

「やまびこ学校」は、その時代に、登場して、従来の綴り方教育を認める内容でした。

つまり、GHQは気にしないで、従来通りの作文教育を続けてよいというお墨付きでした。

 

高等学校学習指導要領(平成 30 年告示)解説には、次のよう書かれています。

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高等学校学習指導要領(平成 30 年告示)解説 国語編 平成 30 年 7 月

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/11/22/1407073_02_1_2.pdf

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考える力については、「現代の国語」、「言語文化」、「国語表現」、「古典探究」では、論理的に考える力、「論理国語」では、論理的、批判的に考える力、及び創造的に考える力、「文学国語」では、創造的に考える力の育成に重点を置いている。共感したり想像したりする力については、「論理国語」を除く全ての科目で、深く共感したり豊かに想像したり

する力の育成に重点を置いている。伝え合う力については、「現代の国語」、「言語文化」、「論理国語」、「文学国語」では、他者との関わりの中で、「国語表現」では、実社会における他者との多様な関わりの中で、「古典探究」では、古典などを通した先人のものの見方、感じ方、考え方との関わりの中で伝え合う力を育成することを求めている。自分の思いや考えについては、全ての科目で、広げたり深めたりすることができるようにすることを求めている。

つまり、段落の論理(共感の論理、綴り方教室)は、「論理国語」を除く全ての科目でつかうことができますが、「論理国語」では、使えません。

 

欧米では、パラグラフの論理の習得に10年以上の時間をかけています。

 

つまり、各段の工夫が出来なければ、段落の論理をパラグラフの論理に切りかえるには、10年近いタイムラグが必要になります。

 

段落の論理を否定されても、パラグラフの論理の教育をうけていない教師が、「論理国語」を教育することは困難です。

 

そもそも、中央教育審議会の答申自体が、パラグラフの論理になっていません。推論は、データに基づかず支離滅裂です。推論の根拠となるデータよりも、先例主義(共感の論理)が幅を利かせています。「全ての子供たち」と「個別最適」はデータが異なります。論理はデータに合わせて使い分ける必要があります。「個別最適」の問いを発するには、理想的には、全生徒のデータが必要です。サンプルでごまかすにしても、各学年で、継続的に観察する1000人以上のサンプルが必須です。パラグラフの論理では、1000人以上のサンプルについて、できれば、with-withoutの介入をして、介入効果を計測します。介入をせずに、観察データで分析する場合には、交絡因子の調整が必要になります。そのためには、介入前後について、交絡因子を含む縦断研究データが必要になります。

 

縦断研究(縦断調査、パネル研究など)とは、長期間にわたり同じ変数(例:被験者)を繰り返し観察する研究デザイン(縦断データを用いる研究)です。

 

子供の縦断研究データは、教育、少子対策に必須のデータで、次のような例があります。

2002年教育縦断調査(ELS:2002)

Education Longitudinal Study of 2002 (ELS:2002)

https://nces.ed.gov/surveys/els2002/

 

オーストラリアの子どもの縦断的研究(LSAC)

https://aifs.gov.au/research_programs/growing-australia

 

ニュージーランドで育つへようこそ

https://www.growingup.co.nz/

 

アイルランドで育つことについて

https://www.growingup.ie/about-growing-up-in-ireland/

 

スコットランドで育つ

https://growingupinscotland.org.uk/

 

全国教育パネル調査(NEPS) ドイツ

https://www.neps-data.de/Mainpage

 

全国児童発達調査(NCDS)イギリス

https://en.wikipedia.org/wiki/National_Child_Development_Study

 

ミレニアムコホート研究 イギリス

https://en.wikipedia.org/wiki/Millennium_Cohort_Study

 

児童発達プロジェクト アメリ

https://web.archive.org/web/20140228225154/http://childandfamilypolicy.duke.edu/project/child-development-project-developmental-pathways-to-adjustment-and-well-being-in-early-adulthood/

 

家族の未来と子どもの幸福に関する研究 アメリ

https://en.wikipedia.org/wiki/Future_of_Families_and_Child_Wellbeing_Study

 

中央教育審議会は、縦断研究データなしで、答申を書いています。つまり、答申は、データに基づいていません。

 

このことから、中央教育審議会の答申は、パラグラフの論理ではなく、段落の論理(共感の論理)でできていることがわかります。なぜなら、そこには、データがなくとも推論ができるという科学と相いれない前提があるからです。

 

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令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(答申)令和3年1月26日中央教育審議会

https://www.mext.go.jp/content/20210126-mxt_syoto02-000012321_2-4.pdf

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 ozeanschloss氏は、2023年に次のように書いています。

新課程が導入されて2年目(すなわち「論理国語」「文学国語」などの本格実施が始まる時期)にも拘らず、現場の動きはあまり見えてこない。ただし中には、匿名の一部発信者(私もその1人だが)から、

   ”「論理国語」の枠内で、隠れて文学授業を実施する”

的な発信がSNS上で観測されている

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新課程国語でどうしても文学授業を実践したいと切望する方々へ #国語教育 2023/02/26 note ozeanschloss

https://note.com/ozeanschloss/n/n2bf0bd0feba5

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渡邉雅子氏の「論理的思考とは何か (岩波新書 新赤版 2036、 2024/10/21)」は、ベストセラーです。この本は、<「論理国語」では、本来使用禁止の深く共感したり豊かに想像したりする力(段落の論理)が、じつは、立派な論理であり、使用が推奨される>といいます。

 

もちろん、その主張は、科学的に破綻しています。「論理的思考とは何か 」自体が、パラグラフの論理(一般的な論理)ではなく、深く共感したり豊かに想像したりする力(段落の論理)を使って書かれています。

 

深く共感したり豊かに想像したりする力(段落の論理)は、共感しない人を村八分にする論理です。

 

参政党は、20220年4月に結成され、新型コロナウイルスの感染拡大が進む中で、反ワクチン、いわゆる「反ワク」の立場でした。

 

段落の論理からは、「反ワク」は、間違いであるという科学的な結論を導き出すことができません。

 

段落の論理では、フェイク情報を識別することができません。

 

「論理的思考とは何か 」は、第2やまびこ学校になっています。

 

渡邉雅子氏が、特異というわけではありません。

 

たとえば、次の例でも、パラグラフの論理がなく、論理展開は破綻しています。

 

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国語科における「論理」教育の射程

https://www.jstage.jst.go.jp/article/booklet/13/0/13_58/_pdf/-char/ja

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なぜ各教科等を横断する汎用的な能力のような考え方が必要になってくるのだろうか。コンピテンシー・ベースの学力観では、答えのない問い、あるいは正解が一つではない問いに向き合う学力が重視される。そこで大事なのは、答えの正しさ以上に「わけ」が十分に説得力を持つかどうかである。そしてその「わけ」を支えるのが「論理」となる。つまり社会参加の学力とも言える新しい学力観では、正解の分からない問いに対して説得力のある自分の考えを作っていくことが求められ、そこに「論理」が必要とされている。いわば「論理」は学習の内容であると同時に、学習のための社会・文化的道具でもあるのである。

 

議論の前提となる「論理」の定義について述べたい。「論理」を辞書で引くと「与えられた条件から正しい結論が得られるための考え方の筋道」(新明解国語事典)「議論・思考・推理などを進めて行く筋道。思考の法則・形式。」(日本国語大辞典)とある。論理とは正しい結論にたどり着く考え方の筋道のことである。

 

「正解が一つではない問い」は、まったく問題がありません。

 

2方程式の解は2つあります。

 

微分方程式の解は、無数にあります。

 

無数にあると、数値計算ができないので、数値解を求める場合には、初期条件を固定します。

 

解は、1つ(スカラー)ではなく、ベクトル、マトリックステンソルの場合もあります。

 

「正解が一つではない問い」を取り上げていることは、数的言語がないので、「問い」を発することができないからです。

 

パールは、「因果推論の科学」(p.80)で、次のようにいいます。

P(Y | X) のような式で与えられる確率は、因果関係の梯子の第一段に位置し、それ自体では第二段や第三段の問いに答えることはできません。一見単純な第一段の概念で因果関係を「定義」しようとする試みは必ず失敗するでしょう。だからこそ、本書では因果関係の定義を一切試みていません。定義には還元(reduction)が必要であり、還元(reduction)にはより低い段への到達が求められるからです。その代わりに、私は因果関係の問いにどのように答えるか、そしてそれに答えるために必要な情報は何かを説明するという、究極的に建設的なプログラムを追求してきました。

 

つまり、「論理」を辞書で引くと、定義に伴う還元(reduction)があるため、「論理」を理解することができなくなります。辞書や言葉の定義では、理解することはできません。

 

辞書は、難しい言葉を、より易しい言葉の近似で置き換えます。したがって、辞書をつかえば、言葉を正確に理解することができなくなります。

 

これは、英和辞典を考えればわかります。

 

英語の単語を日本語に置き換えても理解できません。英語の単語は、その英語の用例のなかで、理解しないと、永久に理解できません。

 

筆者は、パール流に考えます。コンピュータ(AI)に教えることができれば、その内容が理解できていたと考えます。コンピュータ(AI)に教えることができなければ、その内容が理解できていないと考えます。

 

この基準で考えると、「学力観」は、筆者には、理解不可能です。つまり、筆者は、中央教育審議会は、だれも、「学力観」を理解していないと考えています。「学力観」は、裸の王様であると思います。「学力観」という言葉をつかっても、この言葉をつかわなくても、教育内容に変化が起きるとは思えません。



今回は、Toulminまで到達できませんでした。

 

次回は、Toulminの論理を考えます。