10-1)空白の5年間
水林章氏は江戸時代から続く日本語が、法度制度の維持につながったといいます。そして、中世の契約社会では、法度制度がなかったといいます。
このことから、中世の日本語は、江戸時代以降の日本語とは異なっていたことが予測できます。
太平洋戦争の終結は、東南アジアの言語文化に大きな影響を与えました。
1945年の終戦によって、法度制度のメンバーは公職追放になります。1950年に、朝鮮戦争が始まり、アメリカは、当面の朝鮮戦争対策を優先して、公職追放を解除します。
つまり、1945年から1950年の5年間は、日本には、法度制度が存在しない空白の5年間だったと思われます。
「漢字」は、法度制度のような封建制度の申し子と考えた国も多くあります。
中国では、「漢字」は、近代化の障害であると考え、数多くの書くのは容易であるが、判読が困難な簡体字が発明されました。ベトナムは、漢字をやめて、ローマ字表記に変えました。韓国は、漢字を追放してハングル文字の独占使用に向かいました。日本でも、ベトナムのようにローマ字を使うべきであるという主張もありました。
しかし、全文が、ひらがな、または、カタカナの文章を読むことは、困難です。
筆者は、漢字が残って良かったと思います。
菅原稔氏は、次のように書いています。
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昭和20(1945)年から昭和22(1947)年にかけての3年間は、敗戦(終戦)によって、それまでの我が国の社会のあり方や体制のほとんどが否定され、全く新しい価値や目標に向けた全面的な転換・変革が行われた時期である。
それは、また、学校教育においても同様である。
教育の理念や制度・組織等だけではなく、具体的な教育の目的・目標、内容・方法等にいたるまで、全ての面で新しいあり方が模索された。それは、教育の根底を支える価値観や教育観・児童観、さらには、学校教育の制度や方法、指導のあり方にまで及ぶものであった。
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<< 引用文献
戦後作文・綴り方教育史研究― 戦後当初(昭和22年2月)刊行の作文(綴り方)教育実践書を読む― 国語教育研究 56 号 43-51 頁 2015-03-31 菅原稔
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00039478
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菅原稔氏は、戦前の教育システムに対する見直しが生じた空白期間は、1945年から1947年の3年間であったと言います。
筆者の推定値の5年間よりは、短いですが、戦後に法度制度の空白の期間があったと考えてよさそうです。
10-2)作文教育
「作文教育」には、2つの方法があります。
第1の「綴り方教育」は、法度制度の戦前からあるリキュラムです。
生活綴方 は、1910年前後に日本に現れた、子どもの生活全体の指導を目的とする教育方法、あるいは、指導過程で生まれる子どもの作文をさします。
精選版 日本国語大辞典の説明は以下です。
生活綴方(せいかつ‐つづりかた)
〘 名詞 〙 生活人としての子どもや青年たちが、生活のなかから発見したこと、考えたこと、感じたことを生き生きと表現した作文。また、これを推進する活動をもいう。
1930年代に、鈴木三重吉の影響下で教育運動として生活綴方運動が起きます。東京・下町の小学校教師、大木顕一郎の指導・編集・解説で、生活綴方運動の記録として、「綴方教室」が、1937年に出版されます。出版されるや否や、当時の大衆の生活を素直な子供らしい視点で描いたことが話題になり、大ベストセラーになります。
「綴方教室」は、「当時の大衆の生活を素直な子供らしい視点で描いて」います。つまり、「綴方教室」は、段落(danraku)の文化で書かれていて、法度制度の維持に貢献しています。
日本語版のウィキペディア「山びこ学校」は、次のように書いています。
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戦後、中学校教師の無着成恭氏は、教え子の中学生たちの学級文集、内容的には生活記録をまとめて、1951年(昭和26年)に青銅社から「山びこ学校―山形県山元村中学校生徒の生活記録」刊行しました。「山びこ学校」は、43人のクラスの生徒全員の作品で、生活の実体験の中から出てきた作品です。
当時、進むべき針路を模索していた日本の教育界において、「山びこ学校」は、戦後民主主義教育の教育実践記録の典型例として大きな反響を呼びました。本は刊行直後の2年間で、18刷を重ね12万部を売り、映画や舞台でも取り上げられました。
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つまり、「山びこ学校」は、戦後の「生活綴り方運動」復活の契機となっています。
民主主義は、社会契約理論なので、パラグラフ(paragraph)の文化で書かれています。
アメリカの教育は、民主主義社会の一員を養成する目的があるので、パラグラフ(paragraph)の文化を教育します。
戦後、日本の教育界は、GHQから、民主主義教育を求められました。
戦前の日本の教育界は、法度制度の文化でした。
戦前の日本の教育界は、段落(danraku)の文化でした。
段落(danraku)の文化では、パラグラフ(paragraph)の文化の民主主義教育が理解できません。なので、日本の教育界は、GHQから求められた民主主義教育の実施に困難をきたします。その結果、日本の教育界では、進むべき針路の模索が起きます。
「山びこ学校」は、法度制度のアンシャンレジームです。
「山びこ学校」によって、アンシャンレジームの段落(danraku)の文化は復活しています。
「山びこ学校」は、今まで、パラグラフ(paragraph)の文化は理解できなくて、困難を感じていた教育者に、「綴り方教育」の段落(danraku)の文化で構わないというお墨付きを与えたので、ベストセラーになりました。
1951年に出版された「山びこ学校」がベストセラーになって、「綴り方教育」が、作文教育の主流になります。そう考えると、法度制度の空白期間は、1950年までという推定も妥当に思われます。
「綴り方教育」は、正確には、「生活綴方教育」です。
「生活綴方教育」の主な目的は、作文指導ではなく、生活指導にありました。作文は、生徒の生活実態を把握するツールでした。
第2に、空白の5年間を中心に、日本語のパラグラフ(paragraph)の文化がありました。
「山びこ学校」がベス トセラーとな り, 劇化 ・映画化 され、 その反響が日本全国に及んだ1952年に、倉沢栄吉氏は、「作文教育の大系」を出版しています。
倉沢栄吉氏は、1951年1月から4ヶ月間、GARIOA(占領地域救済政府資金)による奨学金により米国国語教育を視察しています。
つまり、「作文教育の大系」には、パラグラフ(paragraph)の文化の影響が強く出ています。
菅原稔氏は、次のように言います。
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倉沢栄吉氏は、 かつて盛んに行われた 「文学的作文」や「生活作文」 の指導が、 第1に, 限られた特定の児童による、 ひとまとまりの感動的な 「作品」 を書く(創作する) ことにとどまり、 「多くの子どもは,『手紙一本満足に書けない』ままに放り出された」 経緯があったこと、 第2に、 作文活動が狭い意味での自己表現や自己表出に限られ, 必要・必然性に基づいた伝達、 コミュニケーション能力の育成にまで至 なかったことをあげていた。それは、 戦後の作文教育が「綴 り方」から「書 くこと」 にかわったように、その指導も、 優れた感動的な作品よりも、伝達・コミュニケーションのための的確で分かりやすい文章を目指すようになったからである。
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<< 引用文献
戦後作文 ・綴 り方教育史研究一倉沢栄吉氏の論考に見る戦後作文 ・綴 り方復興の一側面、岡山大学大学院教育学研究科研究集録 第148号 (2011)87-98、菅原 稔
https://core.ac.uk/download/pdf/12533036.pdf
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ただし、倉沢栄吉氏には、わからない点も多いです。
倉沢栄吉氏は、1965年には、筑波大学の母体となった東京教育大学で教鞭をとります。ここで定年退職を迎えますが、その後も、倉沢は研究を精力的に続けます。倉沢は、1976年に日本国語教育学会会長に就任しています。倉沢栄吉氏は、2015年に103歳で亡くなっています。
倉沢栄吉氏は、1976年に日本国語教育学会会長でしたから、パラグラフ(paragraph)による作文教育の拡大ができる立場にありました。しかし、そのような変革は観察されていません。
倉沢栄吉氏は膨大な著書を書き残しています。
筆者は、そこには、仮説と検証のプロセスが弱い気がします。
「作文教育の大系」は、アメリカのパラグラフ(paragraph)の文化を知識として、紹介しています。ただし、菅原稔氏が、説明しているような、切迫した動機は長続きしなかったように感じられます。
藤木剛康氏は次のように批判しています。
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日本の初等中等教育カリキュラムにおける作文教育の特徴は,初等段階にあたる小学校においてのみ、「自由に」「感じたままの気持ちを」「子供らしく」「ありのままに」書くという指導がなされてきたことである。昭和初期以来の「綴り方」の伝統が今日に至るまで引き継がれており、共通体験,すなわち学校行事を通じた心の成長を描く行事作文と,課題本の主人公に共感することで自己変革を遂げるという読書感想文とが主流である。指導に際し、特定の文章規範(=型)を正式に教えることはなく、良い作文とは「子供の気持ちが生き生きと書かれているもの」だとされる。すなわち、小学校の作文指導では、書くための技術ではなく、ものを書く児童の姿勢と、それを心情的に支援する教師の態度に重点が置かれているのである。そして、小学校以降の作文指導は教育カリキュラムには存在しない。つまり、一般社会では全く通用しない作文が教育カリキュラムにおける文章作成の唯一の規範となっているのである。
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<< 引用文苑
日本の作文教育の問題点とライティング・センター 和歌山大学経済学会『研究年報』第 15 号(2011 年)pp.109― 118 藤木剛康
https://repository.center.wakayama-u.ac.jp/ja/list/recent_addition/p/113/item/1990
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大学の教員が、藤木剛康氏の指摘を読めば、レポート課題を中止したくなります。
慶松勝太郎氏も、同様の指摘をしていますが、内容が重複するので、ここでは省略します。
<< 引用文献
我が国における作文教育の問題点 LEC会計大学院紀要 第 9 号 慶松 勝太郎
https://www.lec.ac.jp/activity/kiyou/pdf/no09/01.pdf
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なお。2024年には、うつ病などで休職した教員が7000人を越え、過去最多になっています。
昭和初期以来の「綴り方」は、「生活綴方教育」で、その主な目的は、作文指導ではなく、生活指導にあります。これでは、全ての教員は、カウンセラーになってしまいます。モンスターペアレントで、うつ病の教員が出ても不思議ではありません。
10ー3)現在の作文教育
「論理的思考とは何か」(p.iX)には、次のように書かれています。
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日本の作文教育では、どんなにお金を積んでも、そして戦略的なプロジェクトを実行しても達成することができない価値あるものが育まれ、その作文の論理が社会を支えていることが分かるだろう。
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これは、「綴り方」が正しいという主張です。言うまでもなく、この主張は、公教育の否定です。
経済学では、公教育は公共財です。これは、良質な労働者がなければ、経済が回らないからです。
ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、日本の明治初期の1人当たりの出版物数は、同時期の英国を越えていたと言います。
江戸時代の寺子屋と明治初期の学校教育は、非常に高い識字率を実現しました。これは、文書で指示を出すことを可能にし、素早い近代化を可能にしています。
2024年現在の識字率は、英語と数学(コンピュータ言語)の識字率です。この2つの識字率の低い国は、経済発展ができません。
現在は、E-メールで内容が簡単に確認できますので、筆者は、一般に言われているほど、英会話の重要性は高くないと思います。
数学(コンピュータ言語)の識字率には、統計学の基礎が絡んでいて、日本のこの分野の識字率は、危機的なレベルになっています。
教育の無償化(公教育、公共財としての教育)には、教育が、国の経済発展につながり、教育投資は、税収として、将来回収できるという想定にあります。
これを、個人の立場に読み替えれば、教育は、最低限の所得をえる手段を確保することになります。
「綴り方」は、教育が、最低限の文化的な生活をするためのスキルを身につけるという目標を放棄しててもかまわない、最低限の文化的な生活をするためのスキルよりも、「どんなにお金を積んでも、達成することができない価値あるものが得られる」と主張しています。
もちろん、「どんなにお金を積んでも、達成することができない価値」は、観測不可能な形而上学であり、カルトです。
宗教があるように、カルトな教育も、他人に害を及ぼさなければ、許容されます。
しかし、税金を投入して、最低限の文化的な生活をするためのスキルを身につけるという目標を放棄して公教育を行うことは、正当化できないと思います。
日本の親は、そのような作文教育をする公的学校に、子供を委ねています。
文部科学省も、教育審議会も、カルトな教育を放置しています。
文部科学省も、教育審議会も、科学技術立国をするつもりは、全くないと言えます公
科学技術立国以前に、先進国からの墜落も、必然と思われます。
パラグラフ(paragraph)と段落(danraku)を巡る旅は、今回で、いったん終了します。