Society 5.0は永久に来ない(16)

25)鎖国

 

高等学校の統計教育は、アメリカと中国の教科書を参考にしていません。

 

WEBで、検索すると高等学校の統計教育に関する情報がヒットします。

 

しかし、情報の参考文献は、日本語だけで、全て、文部科学省の学習指導要領に基づいています。

 

次節で、筆者は、アメリカの標準的な統計学の学習内容を参照しますが、海外の情報を引用した日本語のWEBはありません。

 

これは、高等学校の統計教育は、法度体制に完全に組み込まれていることを示します。

 

海外の情報を引用すれば、それは、クリティカルシンキングを起こし、下剋上の発生源になります。ですから、海外の情報を引用することは、タブーです。そのようなことをすれば、村八分になります。日本では、教育は、鎖国状態でなければいけないのです。

 

あるいは、「アクティブ・ラーニング」の例のように、海外の情報は、学習指導要領の変更とは関係がないという立場(下剋上の意図がないこと)を明確にすることになります。

 

鎖国が解かれれば、法度体制は崩壊してしまいます。

 

法度体制は、高度人材の受け入れをブロックしています。外国人の受け入れは、法度体制の外、下位者より下の最下位に位置付けられています。

 

研修生制度に、人権無視が多発する理由は、法度制度で説明がつきます。

 

一方、1970年頃の日本では、スプートニク危機の影響があり、海外の情報を引用して、議論がなされていました。法度体制の制約は、弱かったと言えます。

 

図1 日本からアメリカへの留学生数の推移

 

<< 出典

Japanese Students in the US 1954-2023

https://educationusa.jp/docs/jstds1954-2023.pdf

>>

 

図1は、日本からアメリカへの留学生数の推移です。1ドル360円であったプラザ合意前には、留学のコストは膨大でした。1987年以降の留学生数増加は、円高の影響です。

 

2000年以降は、留学生数が減少しています。つまり、鎖国が強化された時期になると思われます。

 

2007年から2010年にかけて、留学生が、急減しています。

 

神村玲緒奈氏は、<2006年にTOEFL® CBTからTOEFL iBT®に変更されたスピーキング能力が問われるようになったことが、2007から2010年の留学生の大幅減少の要因の一つである。高等学校教育の新学習指導要領では、令和4年度から「英語表現」から「論理・表現」へと科目名が変更され、ディベート等の実践的な学習に舵を切り始めたところであり、教育現場ではこうした学習を着実に実践することが望まれる>と言います。

 

<< 引用文献

なぜ米国大学への長期留学生は減ったのか 第一生命経済研究所 神村玲緒奈

https://www.dlri.co.jp/report/ld/190309.html

>>

 

スピーキング能力は、英語の能力と考えることもできますが、英語以前の日本語の作文能力がなければ、成り立ちません。

 

日本の作文教育は、共感重視で論理のない段落の教育であり、論理のトレーニングであるパラグラフの教育をしていませんので、日本の学生は、論理的に話すことができず、スピーキング能力は、落第になる可能性が高いです。

 

アメリカの作文教育は、パラグラフの論理で、問題をクリティカルに考えて、解決策を探索します。TOEFLに、スピーキング能力が追加された理由は、パラグラフの論理で、推論できない落ちこぼれが多発したためであると考えることができます。

 

留学してアメリカの教育をうけて、日本に帰って、日本の法度体制の年功型雇用の日本の会社に就職して、科学的な推論をすれば、村八分になるので、居場所がありません。

 

売り上げが拡大して、海外部門が拡充している企業の場合には、海外部門で活動することが可能です。

 

しかし、2000年以降、製造業の海外部門は、中国との価格競争に負けて、規模が縮小しています。

 

統計学は、30年前に、図表を参照する頻度統計から、コンピュータで分布を確認して、ベイズ統計をつかう手法に変化しました。

 

これは、それまでの頻度統計の教育が間違っていた(不適切であった)という事実を認めることになります。

 

しかし、それは無謬主義に反します。法度体制が崩壊してしまいます。

 

なので、2025年現在でも、日本では、30年前の頻度統計の教育が行われています。

 

法度体制の基本は、変化を認めないことです。

 

漸近的でない変化を提案する人間は、危険分子になります。

 

法度体制では、戦略(原因療法)はタブーであり、戦術(対処療法)のみが、認められます。

 

デジタル社会へレジームシフトするためには、経済のドライビングフォース(原因)を切り替える戦略が必要です。

 

しかし、法度体制では、戦略としてのSociety 5.0は、タブーです。

 

法度体制で、認められるのは、戦術に、Society 5.0の色を付けることだけです。

 

もちろん、それでは、Society 5.0にはなりません。

 

鎖国状態は、文部科学省に限定されず、法度体制の年功型組織では広く見られます。

 

統計学は、過去30年で、教義が入れ替わりました。

 

同様の変化は、経済学、生態学、生物学でも起こり、これらの学問は、データサイエンスの一部になりました。

 

筆者は、ビッグデータのない経済学、生態学、生物学は、想像できません。

 

筆者は、詳しくないのでわかりませんが、恐らく、政治学、法学、社会学、哲学などでも、同様の変化が起きていると思われます。

 

学問がデータを扱う限り、データサイエンスを無視することはできません。

 

Society 5.0とは、非常に多くの学問が、データセイエンスに飲み込まれるプロセスであると考えることができます。