論理と科学(9)

9-1)パラグラフ(paragraph)の日本語

 

マイナーですが、科学技術の分野では、パラグラフ(paragraph)の日本語が使われています。

 

水林章氏は、中世の日本では、契約概念が通用していたといいます。これは、中世の日本語は、パラグラフ(paragraph)の日本語であったと思われます。

 

なぜならば、パラグラフ(paragraph)の日本語でなければ、契約が成り立たないからです。

 

9-2)段落(danraku)の問題点

 

国会答弁は、段落(danraku)の日本語で行なわれています。

 

次のような発言があります。

「誠心誠意、対応してきたつもりだ」

 

「適切に対応する」

 

「政府としては引き続きXXをめぐる動向をしっかりと注視していくとともに、わが国のXXに万全を期し、XXと緊密に連携しながら適切に対応していきたい」

 

あるいは、「XX問題の解決について、何をするつもりか」という質問に対して、次のような答えがあります。

XX問題は、重要です。

わが党としても、今まで、YYやZZの政策を実施して、鋭意努力してきたところです。

 

今後も、専門官の意見を聞きながら、問題点を検討して、適切な政策を実施していくつもりです。

 

これは、霞が関文学とも呼ばれる段落(danraku)の表現です。(補足1)

 

トピック・センテンスは、隠れています。

 

隠れているトピック・キーセンテンスは、「当面は、今まで通りで、新しいことをする計画はありません」というものです。

 

アメリカでは、段落(danraku)の表現では、大学入試に落第します。場合によっては、小学校でも留年します。

 

段落(danraku)では、議論ができません。

 

段落(danraku)では、変わらない日本ができます。

 

103万円の壁の問題は、1か月経っても、何も進みません。

 

防衛費の財源問題も何年経っても、前に進みません。

 

これらは、段落(danraku)の日本語では、論理的な議論ができないことで説明がつきます。

 

ある政治学者は、日本では、声の大きい人の主張が通るといいます。

 

この声とは、配布する現金のことかもしれません。

 

パラグラフ(paragraph)がないので、キャッシュバックの政治、あるいは、法度制度が永続します。

 

マスコミは、税調の委員が、比類ない税の専門家であるといいます。

 

103万円の壁に見るように、現在の税制は、利害関係で、ゲリマンダーのように、いびつになっています。特例の境界が多数あり、103万円の境界の処理は、基本は法律にかかれていますが、実際には、法律にかかれていない慣習による処理をしている部分が多くあります。

 

この成文化されていない慣習の部分は、比類ない税の専門家しか理解できません。

 

しかし、これでは、マイナンバーカードがあっても、税を自動的に収めるシステムをつくることはできません。

 

比類ない税の専門家しか理解できない慣習の部分は、コード化できないからです。

 

成文化されていない慣習の部分に熟知した比類ない税の専門家は、テクニシャンです。

テクニシャンには、問題解決能力はありません。

 

問題解決ができるエンジニアとしての税の専門家に求められる条件は、2つあります。

 

第1に、税の目的は、公共財供給と貧困対策の所得移転の財源を得ることです。税収の何%がこの2つの目的に使うかをデザインする必要があります。そのデザインの根拠を示す必要があります。近代経済学は、この2つの目的以外の税収を否定しています。ロックの考えでは、この2つの目的以外の徴税は、財産権の侵害になり、民主主義の敵になります。産業振興のための徴税は、民主主義の敵であり認められません。

 

食料は、生存にかかせない公共財です。農業には、産業としての側面と生存にかかせない公共財である食料生産の側面があります。しかし、この場合の農業は、世界の農業であって、日本の農業ではありません。日本の場合、生存にかかせない公共財である食料の大半を輸入にたよっています。現実問題として、輸入食料によって充足されています。

 

エネルギーも、生存にかかせない公共財です。エネルギーが自給できれば、イギリスが北海油田の発見で、経済が復活したように、日本経済も復活できます。しかし、過去に、エネルギーの技術開発には、膨大な税金が投入されましたが、技術開発には失敗しています。日本の太陽光発電の技術は、中国に勝てません。核融合や小型原子炉の技術でも、日本は、中国とアメリカに勝てません。

 

これから得られる結論は、ある産業に公共財としての側面があっても、補助金などの税金の投入によって、公共財供給が実現することはないという事実です。

 

食料とエネルギーには、生存にかかせない公共財の側面がありますが、同時に、市場で取引されています。公共経済学は、市場で取引されている経済財は、公共財ではないと判断します。この基準に基づけば、食料とエネルギーは公共財ではありません。経済財を公共財扱いして、政府が補助金などで介入すれば、公共経済学は、「政府の失敗」が起こると主張します。

 

軍事力は公共財であるという主張もあります。しかし、軍事力を支える技術がドローンやロボット兵士です。こうした軍事力を支えるパーツは、市場で取引されている経済財に、政府が補助金などで介入すれば、「政府の失敗」が起き、軍事力が低下します。

 

科学技術では、軍事技術開発をすべきではないという主張もあります。しかし、軍事力を支えるパーツは、市場で取引されている経済財です。線引きは難しいです。筆者には、「科学技術では、軍事技術開発をすべきではないという主張」は形而上学に見えます。

 

日本がある国と戦争になった場合を想定します。対戦国の技術は進んでいて、ドローンとロボット兵士で、戦争をしています。日本は、DXが遅れ、ドローンを作る技術がないために、人間の兵士で闘うことになります。

 

こうした状況になったときに、読者は、自分の子供を人間の兵士として差し出すことになります。そうなった原因は、「科学技術では、軍事技術開発をすべきではないという主張」を承認してきたからです。

 

筆者は、防衛費の増額には、実際の軍事力強化の効果はないと考えます。その分を減税して、市場経済下で、企業が技術開発できるようにする方が、軍事力強化になると思います。もちろん、「科学技術では、軍事技術開発をすべきではないという主張」に従えば、「企業が技術開発すれば、軍事力強化できる」という主張は受け入れられないことになります。

 

これは、「科学技術では、軍事技術開発をすべきではないという主張」は、論理展開のない(因果関係を無視した)段落(danraku)の文化であることを示しています。

 

第2は、歳出の効率化です。歳出が減れば、減税できます。

 

公共財の拡大解釈をやめて、歳出の効率化を行う政治はリバタリアンサッチャリズムです。

 

2024年に、英国では、労働党が政権をとりました。

 

労働党は、リバタリアンではありませんが、歳出の効率化に追い込まれています。

 

まとめると、この2つは、科学の法則と同じように、原理原則と基本概念に属する問題です。段落(danraku)の文化やテクニシャンの対応では、問題解決はできません。

 

補足1:

 

開幕まで4カ月を切った大阪・関西万博の前売りチケットが売れていない。

 

日刊現代は次のように伝えています。(筆者要約)

12月18日の衆院経済産業委員会で、経産省の事務方は、損益分岐点はチケット1840万枚と言いました。つまり、赤字回避には、既に売れた約744万枚を除く1100万枚を売り切る必要があります。

 

12月18日の衆院経産委で共産党の辰巳孝太郎議員が、監視委員から(赤字回避に、筆者注)「何を削るのか議論しておく必要がある、と再三にわたって出されている」と指摘し、支出削減について追及しました。

 

武藤経産相は「(監視委からの)指摘は承知している」とする一方、「具体的な対応方針については、博覧会協会において、支出抑制だけでなく収入の拡大策も含めて検討を進めていると認識している」と答えています。

 

万が一、赤字の場合にどう補填するのかは中ぶらりんのままです。税金で穴埋めになる可能性があります。

<< 引用文献

大阪万博チケットさっぱり売れず…1100万枚完売しないと赤字に、損益分岐点1840万枚なのに販売済み約744万枚 2024/12/21 日刊現代

https://news.yahoo.co.jp/articles/1b65a888520de27eb16693982d5f532ed8853fa6

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「検討を進めていると認識している」は、段落(danraku)です。

 

アメリカでは、段落(danraku)は認められませんので、マスコミは、経産相は、「回答ができなかった」と書くはずです。

 

9-3)反事実を考える

 

ここで、反事実思考をします。

 

日本でも、アメリカと同じように、パラグラフ(paragraph)の日本語の教育が行われていたとします。

 

その場合には、「当面は、今まで通りで、新しいことはしません」というトピック・センテンスをもったパラグラフ(paragraph)は、通用しません。

 

つまり、パラグラフ(paragraph)の日本語の教育が行われていれば、日本には、財産権の侵害はなく、民主主義が実現して、経済の停滞もなかったと思われます。

 

政治家、有識者、経済団体の幹部の発言を、パラグラフ(paragraph)か、段落(danraku)かで判定すれば、ほとんどの発言は、因果関係を無視した段落(danraku)です。

 

パラグラフ(paragraph)は、統計学で言えば、相関関係になります。

 

パラグラフ(paragraph)は、因果関係ではないので、交絡因子を無視しています。

 

「因果推論の科学」は、30年前に開発が本格化しました。

 

筆者は、将来的には、パラグラフ(paragraph)は、相関パラグラフ(correlational paragraph)と因果パラグラフ(causal paragraph)に分解すると考えています。

 

9-4)金融政策の多角的レビュー

 

日本銀行は、2024年12月19日に、「金融政策の多角的レビュー」を公開しています。





「金融政策の多角的レビュー」では、マクロモデル(Q-JEM)を使った大規模な金融緩和の効果(2013年度から2022年度の期間平均)は、実質GDP (水準)で、 +1.3から+1.8%、消費者物価(前年比)で、 +0.5から+0.7%あったと推定しています。

 

マクロモデル(Q-JEM)は、反事実を扱いますので、マクロ経済モデルの因果構造の前提が正しければ、因果推論になります。ただし、マクロモデル(Q-JEM)の因果構造は、因果推論の科学のプロセスに基づいて検証されてはいません。なので、実質は、相関モデルになります。とはいえ、推論の形式は、大保金融緩和があった場合となかった場合(反事実)をモデル上で比較することになります。

 

つまり、因果パラグラフ(causal paragraph)の日本語になります。

 

また、マクロモデル(Q-JEM)は、家計部門を所得階層で分解していないなど、多くのパラメータは、平均の議論に止まります。

 

「金融政策の多角的レビュー」は、時系列解析のモデルも引用していますが、時系列モデルでは、100%相関になり、因果構造がなく、科学的な根拠はないので、無視します。

 

さて、「金融政策の多角的レビュー 主なポイント」には、次のように書かれています。

 

大規模な金融緩和の効果と副作用の評価

  • 金融市場や金融機関収益などの面で一定の副作用はあったものの、現時点においては、全体としてみれば、わが国経済に対してプラスの影響
  • ただし、今後、なお低下した状態にある国債市場の機能度の回復が進まない、あるいは副作用が遅れて顕在化するなど、マイナスの影響が大きくなる可能性には留意

 

非伝統的な金融政策運営の考え方

 

・今後、非伝統的な金融政策手段を用いる必要が生じた場合には、その時点の経済・物価・金融情勢のもとで、ベネフィットとコストを比較衡量していくことが重要

 

2%の「物価安定の目標」

・引き続き、2%の「物価安定の目標」のもとで、その持続的・安定的な実現という観点から、金融政策を運営していくことが適切

ー非伝統的な金融政策手段は、短期金利操作の完全な代替手段にはなりえず、可能な限りゼロ金利制約に直面しないような政策運営が望ましい。景気悪化時に実質金利を引き下げることができるように、小幅のプラスの物価上昇率を安定して実現していくことが重要

消費者物価指数のバイアス

主要先進国の多くは物価目標を2%に設定

ーデフレ・低インフレ環境下では、個々の品目の価格や賃金が動きにくかったことが資源配分の歪みや企業の前向きな投資の抑制につながっていた可能性

<< 引用文献

金融政策の多角的レビュー 2024/12  日本銀行

https://www.boj.or.jp/mopo/mpmdeci/mpr_2024/k241219b.pdf

 

金融政策の多角的レビュー 主なポイント 2024/12  日本銀行

https://www.boj.or.jp/mopo/mpmdeci/mpr_2024/k241219c.pdf

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以上に引用した「主なポイント」は、パラグラフ(paragraph)ではなく、段落(danraku)です。

 

「金融市場や金融機関収益などの面で一定の副作用はあったものの、現時点においては、全体としてみれば、わが国経済に対してプラスの影響」があったというファクトの数字はありません。

 

「今後、非伝統的な金融政策手段を用いる必要が生じた場合には、その時点の経済・物価・金融情勢のもとで、ベネフィットとコストを比較衡量していくことが重要」は、「全体としてみれば、わが国経済に対してプラスの影響」があったというファクトチェックをしていない事実を無視しています。

 

<2%の「物価安定の目標」>も、段落(danraku)です。

 

マクロモデル(Q-JEM)は、消費者物価(前年比)で、 +0.5から+0.7%ptあったと推定しています。

 

つまり、マクロモデル(Q-JEM)は、<2%の「物価安定の目標」>は、達成不可能であると言っています。

 

主要先進国の多くは物価目標を2%に設定」は、交絡因子の完全無視です。雇用形態や産業構造などが異なる国のデータを比較することはナンセンスです。

 

ここには、前例主義が正しいという間違った推論があります。

 

9-5)<「量的・質的金融緩和」導入以降の政策効果の推計> 

 

日本銀行は、2021年4月に<マクロ経済モデルQ-JEMを用いた「量的・質的金融緩和」導入以降の政策効果の推計 > というレポートを出しています。

 

このレポートでは、Q-JEMで計測された政策効果の大きさは、(2013年4月の、筆者注)「量的・質的金融緩和」導入から 2020 年7から9月までの期間において、実質GDPの水準で平均+0.9から1.3%程度、消費者物価(除く生鮮食品・エネルギー)の前年比で平均+0.6から0.7%程度の押し上げ効果を推定しています。

 

<< 引用文献

マクロ経済モデルQ-JEMを用いた「量的・質的金融緩和」導入以降の政策効果の推計 2021/04/30 日本銀行

 https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2021/data/wp21j07.pdf

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筆者には、生産性が上がらない(生産関数を入れ替えない)のに、実質GDPが上がるモデルのメカニズムが理解できません。なので、筆者は、Q-JEMの計測には疑問があります。しかし、それは、モデルの精度の問題です。ここでは、モデルの精度の問題は脇におきます。

 

2013/2Qから2020/3Qにおける押し上げ効果の平均は、0.9から1.3%ですから、2021年4月に、2%のインフレ目標は、達成不可能であることがわかっています。

 

パラグラフ(paragraph)の文化で考えれば、2021年4月時点で、達成が不可能であると判定された時点で、<2%の「物価安定の目標」>は、取り下げになります。

 

筆者は、マクロ経済モデルQ-JEMの担当者は、<2%の「物価安定の目標」>は達成不可能であると考えていると思います。日銀の中で、その主張ができない理由は、段落(danraku)の文化にあり、水林章氏の表現では、<日本語が、法度制度を維持し、民主主義を破壊している>プロセスになります。

 

マクロ経済モデルQ-JEMは、実世界の近似であり、結果が正しいかは不明です。しかし、推論の正しさは、結果ではなく、推論のプロセスの正しさを意味します。宗教を根拠から除けば、正しい結果は、誰にもわかりません。

 

筆者が、マクロ経済モデルQ-JEMに対して抱いている疑問は、モデルの推定結果ではなく、モデル化のプロセスに対する疑問です。

 

モデルには、計算条件を変えても、2013/2Qから2020/3Qにおける押し上げ効果の平均は、0.9から1.3%でした。2013/2Qから2023/1Qにおける押し上げ効果の平均は、+0.5から+0.7%でした。後者が改訂版のモデルなのでより精度が高いと思われます。

 

モデルには、精度がつきものですが、モデルの+0.7%が、誤差を修正すれば、+2%になる可能性は極めて低いです。

 

地球温暖化は、GCMで予測しています。

 

GCMの予測に対する反論は、次の2点です。

 

第1は、モデルの作成プロセスでの見落としの問題です。グリッドが大きいので、台風などの予測精度には疑問があります。とはいえ、モデル化のプロセスを調整しても、平均的に気温が上昇するという予測は変わらないと思われます。

 

第2は、GCMに関係がありませんが、温暖化が、他の課題に優先するという根拠が薄いという主張です。貧困問題や生物多様性問題など、他の課題が、温暖化問題に優先すると主張する人がいます。

 

経済予測にも、同じ構造があります。

 

第1に、Q-JEMのモデルの作成プロセスでの見落としの問題があります。

 

第2に、経済金融モデルでは扱えない他の課題が、金融政策に優先すると判断する人がいます。経済金融モデルの生産性のモデル化は、主に、外生変数になってます。これは、技術革新の因果モデルが組み込まれていないことを意味します。

 

どうしたら賃金があがるかという問題は、経済金融モデルでは扱えません。

 

加谷珪一は、次のようにいいます。

経済学の理論上、中長期的な経済成長を担保するのは資本投入と労働投入、生産性の3要素しかない。資本については十分な余力がある一方、労働投入については、年収の壁問題の解決などによって、ある程度までなら就労者数を増やすことが可能だが、それにも限度がある。

<< 引用文献

国民を本当に救えるのは「補助金」でも「減税」でもない...本当に議論すべき大切なテーマとは? 2024/12/19 Newsweek 加谷珪一

https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2024/12/post-306.php

>>

 

生産性向上の基本は、技術革新です。この部分は、金融政策ではなく、Q-JEMにも、内生変数としては、組み込まれていないと思われます。

 

労働投入は、制約条件として、Q-JEMに組み込まれています。

 

移民を大量に受け入れるか、ロボットが普及しなければ、労働投入の制約条件は解消しません。この部分は、金融政策ではなく、Q-JEMにも、内生変数としては、組み込まれていないと思われます。(注1)

 

資本投入は、金融政策としてQ-JEMに組み込まれています。しかし、内部留保にみられるように、資本については十分な余力がありますので、金融政策の効果はありません。

 

まとめれば、「金融政策の多角的レビュー」の議論は、(Q-JEMの部分を除けば)段落(danraku)の文化で書かれていて、パラグラフ(paragraph)がなく、不毛な議論であると判断できます。

 

注1:

 

自動運転ロボットの実現が、目前になった現在、EUと米国で、問題が起きている「移民を大量に受け入れる選択」に合理性はないと思います。

 

主要先進国の多くは物価目標を2%に設定」という前例主義の論理では、「主要先進国の多くのように移民を大量に受け入れる」べきという推論になります。しかし、この推論は、自動運転ロボット技術の発展という交絡因子を無視しているので、正しい推論とは言えません。また、移民の拡大は問題を引き起こしました。同様に、「物価目標を2%に設定」することが、今後問題を引き起こす可能性がありますが、日銀は、この点には、言及していません。

 

前例主義を提示されたら、「交絡因子の問題はありませんか」と質問を切り返すべきです。

さらに、「将来問題が起こりませんか」と聞くことも大切です。

 

補足2:

 

大規模金融緩和が始まった2013年には、因果推論の科学をつかって、政策効果をエビデンスに基づいて評価することが可能でした。Q-JEM以外に、反事実を扱う手法が確立していました。

 

「金融政策の多角的レビュー」は、この点には、全く触れていません。つまり、「金融政策の多角的レビュー」の関係者には、因果推論の科学、あるいは、「相関と因果の区別」ができる人がいなかったことになります。