3)反事実
3-1)反事実の概念
最初に例をあげます。
食べられない料理:
Aさんが、見当をあやまって、料理に塩を入れすぎて、料理がたべられなくなった場合を考えます。
このとき、Aさんは、塩を入れすぎなければ、料理が食べられたはずであるという反事実を考えています。
なぜなら、観察データ(ファクト)の入れた塩は、Xgであり、このデータからは、「塩を入れすぎ」という判断はできないからです。
つまり、この場合には、2つの世界があります。
事実の世界では、Aさんは、塩をXg入れています。
反事実の世界では、Aさんは、塩をXgより少なく入れています。
Aさんは、この2つの可能世界を比較して、反事実の方が良い結果(料理)が得られただろうと考えて、「塩を入れすぎ」と判断しています。
Aさんが、次に料理をする(料理のパターンが繰り返される)場合には、塩を入れる前の料理のステップで、過去の事実ではなく、反事実にしたがって、塩の量を決めると思われます。
次の料理でも、塩をXg入れれば、悲惨な結果になると思われます。
このように、Aさんは、反事実は、事実と変わらない同じ客観的事実であると考えています。
これは、ルービンの潜在的な結果の意味です。
煩雑になるので、省略しますが、サッカー選手が、シュートでゴールを外した場合、スイカ農家が、スイカの栽培がうまくいかなった場合など、類似例を簡単につくることができます。
ここには、原因(塩の量)と結果(料理の味)の因果モデルがあります。さらに、結果がうまくいかない場合に、因果モデルを使う方法を示しています。
この例では、因果モデルの正しさと交絡因子に注意する必要があります。
「原因(塩の量)=>結果(料理の味)」という因果モデルは正しいと思われます。
しかし、食材の水分量が変われば、料理の味は変化します。
水分の多い食材は、料理の味を薄くします。つまり、塩の味に対する効果を緩和します。
食材の水分量は交絡因子です。
まとめると、因果モデルを使って、問題を解決するには、反事実を含む可能世界を考えて、原因を変える必要があります。
原因と結果の間には、タイムラグがありますので、問題解決法は、原因が設定される前に、明示される必要があります。
3-2)異次元金融緩和政策
前回に引き続き、野口悠紀雄氏の年頭の記事を引用します。(筆者要約)
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日本が変わらないことを痛感した3番目のニュースは、日本銀行が、12月19日、過去25年間の金融緩和策を検証する「多角的レビュー」を公表したことだ。2013年に導入された異次元金融緩和政策について、「導入当初に想定していたほどの効果は発揮しなかった」とした。
しかし、これは、いま初めて明らかになったことではない。導入して2年後の2015年に、すでに明らかになっていたことだ。
異次元金融緩和政策は、2年間で政策目標を達成するとしていたのだから、失敗であることは、2015年の時点で明らかになっていた。だから、2015年で「多角的レビュー」を実施し、その時点で終了とすべきだった。
しかし、実際にレビューが行われたのは、その約10年後だった。この間の約10年間の歳月は、失敗した金融政策に固執しただけだったと言わざるをえない
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<< 引用文献
2025年、日本がもっと「後進国になる」根本理由 2025/01/05 東洋経済 野口 悠紀雄
https://toyokeizai.net/articles/-/849507
>>
可能世界の視点で考えれば、異次元金融緩和政策というレシピによる料理は、2015年には出来上がっていたことになります。
事実(異次元金融緩和政策あり)と反事実(異次元金融緩和政策なし)を比較すれば、異次元金融緩和政策というレシピの効果は、分かります。
2015年の時点で、政策変更(レシピの改善)をするのが、まともな対応です。
少なくとも、料理の世界では、レシピの改善ができないシェフは、クビになります。
レシピの改善ができないシェフを抱えていれば、レストランは、倒産してしまいます。
これが、日本経済で起こったことです。
経済学が、料理の科学(Cooking Science)レベルの科学の水準を保っていれば、日本経済は傾かなかったとも言えます。
どうして、2015年に経済学者は、異次元金融緩和政策というレシピを問題にしなかったのでしょうか。
これは、仮説の検証に関わる問題で、経済学が科学か否かの問題になります。
仮説の検証を放棄すれば、科学ではなくなります。
3-3)経済学は科学か
水野和夫氏は、「シンボルエコノミー」(p.39)で、ロバート・スキデルスキー著「経済学のどこが問題なのか」の次の言葉を引用しています。
「経済学の仮説は概して検証不可能である。この点において、それは宗教上の信念と似ている」
水野和夫氏は、次のように言います。
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理論的には、「異次元金融緩和政策」は、検証不可能なので、理屈抜きで気合を入れて念じれば、何事も成就すると言わんばかりです。これはもはや信仰であり、呪術化です。
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水野和夫氏は、「異次元金融緩和政策」は、呪術であるといいますが、スキデルスキーは、経済学は、呪術であるといいます。
スキデルスキーの「経済学は呪術である」を受け入れれば、「シンボルエコノミー」の論理自体も呪術になって破綻してしまいます。
水野和夫氏は、「黒田総裁は、(物価上昇率2%を)達成できなかった原因を、2015年から2016年の原油価格の下落などさまざまな金融政策以外の要因を挙げていますので、異次元金融緩和が物価を押し上げたとも仮説は検証不可能です」と言います。
しかし、金融政策以外の要因は交絡因子です。交絡因子は、補正する必要がありますが、交絡因子があるから仮説は検証不可能にはなりません。
重回帰分析で、交絡因子の補正ができる場合もあります。
黒田総裁も、水野和夫氏も、交絡因子を理解していないように見えます。
水野和夫氏は、「多角的レビュー」は、検証になっていないと発言しているとも解釈できます。
可能世界では、交絡因子の問題は排除できます。
「多角的レビュー」で、可能世界を扱っているのは、数値経済モデルだけです。
数値経済モデルによる「異次元金融緩和政策」のインフレ効果は、0.7%です。
0.7%は、2%未満なので、「異次元金融緩和政策」は、効果がなかったと結論づけられます。
しかし、日銀は、この0.7%を無視して、「異次元金融緩和政策」には、一応の効果があったとして、2%のインフレ目標を取り下げていません。
つまり、ここには、検証に基づく、科学的な意思決定プロセスが欠けています。
数値経済モデルには、モデル化に伴う現象の単純化があります。ここに、問題がありますが、ファクト(観察データ)で、反事実を扱える手法は、数値経済モデルだけです。
数値経済モデルの制約をこえて、反事実を扱える手法が、因果推論になります。
因果推論を行うためには、介入に伴って発生するデータであるエビデンスが必要になります。そのためには、介入前に研究計画を立てる前向き調査研究が前提になります。
2013年に因果推論の科学を使っていれば、2015年には、政策効果の有無が自動的に判定されていたはずです。
「多角的レビュー」は、ファクト(観察データ)のみを使っていますので、反事実の比較ができず、「異次元金融緩和政策」の検証ができなったと言えます。
3-4)反事実思考
シェフは、良い料理をつくるために、レシピの改善を続けています。
同じレシピを繰り返すこと(行政の連続性)はありません。
「異次元金融緩和政策」は、経済対策の同じレシピが繰り返された例です。
この同じレシピを繰り返す現象は、日本中で見られます。
過疎問題、教育問題、農業問題、環境問題などほとんどの行政施策では、効果の認められないレシピが繰り返されています。
同じレシピの繰り返しを変更するには、反事実を考ればよいと言えます。
経済学は、相関をつかった統計手法に偏重しています。
相関は、反事実を科学的でないといって封印しています。
「異次元金融緩和政策」は、10年続きました。日銀は、依然として、現在も2%のインフレ目標をとりさげていません。
反事実を事実と同じ、客観的事実であると認めていない点に、経済学が検証可能な科学になれない原因があります。