「因果推論の科学」をめぐって(34)

注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。

 

(34)メンタルモデルとイデオロギー

 

1)ミームの変更

 

パール先生の「因果推論の科学」は、まともな科学のメンタルモデルの共有ができているという前提で書かれています。

 

まともでないメンタルモデルを「因果推論の科学」に関連する考察として扱うのは気が引けますが、「因果推論の科学」を引用するので、関連記事にします。

 

メンタルモデル、パラダイムミームはかなり重複しています。これらは、抽象的な概念なので、線引きをしても大きなメリットはないと思われます。

 

ミームは、遺伝子の拡張概念なので、大きな変化を想定しないで使われます。

 

水林章氏と脇田晴子氏は、「法度制度(天皇制の文化)のミームが、特攻を生み出した」と主張します。

 

脇田晴子氏は、天皇制の文化を変える方法については論じませんでした。

 

水林章氏は、「法度制度は、日本語に組み込まれているので、日本語を使うことをやめないと、法度制度はなくならない」と主張します。

 

水林章氏と脇田晴子氏は日本の文系のメンタルモデルの持ち主です。

 

主な研究手法は、帰納法です。

 

水林章氏は、「法度制度は、日本語を使うことをやめないと、法度制度はなくならない」と主張しています。

 

筆者は、「水林章氏の考察は、日本の文系のメンタルモデルに支配されている」と考えます。

 

日本の文系のメンタルモデルの持ち主は、主な研究手法を科学的に間違った帰納法にするため、反事実を考えることができません。

 

反事実を考えるメンタルモデルは、科学の方法には、必須の条件です。

 

2)地動説

 

天動説は、長期間、天文学の主要なメンタルモデルでした。

 

しかし、天動説のメンタルモデルは、地動説のメンタルモデルに入れ替わります。

 

そのメンタルモデルの入れ替わりが余りに劇的であったので、この入れ替わりを、コペルニクス的転換と呼ぶ人もいます。

 

天動説の時代には、天動説は真実(事実)であると思われていました。

 

この天動説のメンタルモデルが、地動説のメンタルモデルに入れ替わったプロセスを考えます。

 

その展開は、ガリレオ裁判です。ガリレオ裁判の詳細は、後世の脚色が多く、実際の裁判の内容については議論がありますが、本来行なわるべきであった裁判の基本的なフレームワークは、以下です。

 

仮説1:天道説(原因)=>天体の運動がよく予測できる(結果)

 

仮説2:地動説(原因)=>天体の運動がよく予測できる(結果)

 

このどちらの仮説が有効であるかという判断がなされれば、ガリレオは、結果が、どちらであっても、判決に不服を唱えなかったと思われます。

 

ガリレオは、この2つの仮説の比較を繰り返していますので、結果には、自信があったと思われます。

 

なお、円軌道を前提とする天動説は、ガリレオの時代には、円軌道の補正項が追加されていたので、2つの仮説の予測精度に劇的な違いがあったわけではありません。また、コンピュータのない時代ですので、大量の計算をこなして比較することはできませんでした。

 

さて、実在するミームを事実と呼ぶことができるのであれば、天道説の時代には、天動説が事実であり、地動説が反事実になります。

 

天動説は直接観測できないので、事実と呼ぶべきではないかも知れません。

 

遺伝子は、観測できる実在です。遺伝子と、ミームを同じように扱うのであれば、天動説(ミーム)も、事実と呼ぶ方が理解しやすくなります。

 

水林章氏と脇田晴子氏は、「法度制度(天皇制の文化)(のミーム)(原因)が、特攻(結果)を生み出した」と主張しました。

 

この因果モデルでは、特攻を繰り返さないためには、法度制度のミームを取り除く必要があります。

 

ガリレオ裁判の場合に対比してみます。

 

天動説(事実)<=>法度制度のミーム(事実)

 

地動説(反事実)<=>ミームX(反事実)

 

法度制度を封印するには、法度制度に代わるミームX(反事実)を提案して、ミームXが、法度制度に代わる新しいミーム(メンタルモデル)になる必要があります。

 

そのために、法度制度の研究は役に立ちません。

 

科学的に間違った帰納法を放棄して、研究方法を変える必要があります。

 

3)イデオロギー

 

民主主義は、フランス革命前後に、それまでの王権神授説を否定するために発案されています。

 

王権神授説の仮説:王が国を支配(原因、事実)=>民が豊になる(経済成長、結果)

 

民主主義の仮説:民が国を支配(原因、反事実)=>民が豊になる(経済成長、結果)

 

法度制度と並べれば、民主主義は、王権神授説(事実)に対抗するためにつくったミームX(反事実)が、民主主義でした。

 

帰納法では、王権神授説(事実)から抜け出せません。

 

そこで、自然状態や社会契約という帰納法にかわるツールが発明されました。

 

ガリレオ裁判と比べるとフランス革命(民主主義の選択)では、仮説を検証するデータはありませんでした。

 

つまり、「民主主義の選択」は、壮大な社会実験でした。

 

残念ながら、フランス革命の時には、データサイエンティストがいませんでしたので、前向き研究でデータをあつめて、民主主義の仮説の検証をしていません。

 

保坂修司氏は、クウェートの首長による議会閉鎖を次のよう述べています。(筆者要約)

世界全体で中国やロシアなど権威主義体制の影響が強まっており、中東でもそれは例外ではない。

 

クウェートには、他の中東諸国にない自由や民主主義があったが、それが経済発展を妨げる要因となった。

 

現在のクウェートは、首長による議会閉鎖があり、民主主義から「開発独裁」に移行中である。

 

多くのクウェート人が、他の湾岸諸国と同様の「開発独裁」のほうが効率的だと主張している。西側の専門家も、首長による議会閉鎖を、脱炭素などのプロジェクトが進みやすくなるとして、ポジティブにとらえる人が多い。

<< 引用文献

開発独裁が効率的」「脱炭素も進む」...中東の「民主国」クウェートで何が起こっているのか 2024/07/17 Newsweek 保坂修司

https://www.newsweekjapan.jp/hosaka/2024/07/post-42.php

>>

 

日本は、太平洋戦争の敗戦に、天皇制に代わるイデオロギーとして民主主義を受け入れました。

 

日本には、民主主義のメンタルモデルがありませんでしたので、民主主義が天皇制の法度制度のミーム(メンタルモデル)に組み込まれた可能性があります。

こうしたイデオロギーの受容の形式は、民主主義だけでなく、社会主義やドイツやフランスの哲学、社会学や経済学の理論などでも発生したと思われます。

 

民主主義は検証されていない仮説です。

 

同様に、社会主義なども検証されていない仮説です。

 

これらの仮説が、そのまま日本にあてはまることはありません。

 

2024年のアメリカやヨーロッパの政治をみれば、単純な民主主義の仮説が成り立たないことは明らかです。

 

メンタルモデルの理論は、共有するメンタルモデルがあれば、コミュニケ―ションが可能であるが、共有するメンタルモデルがなければ、コミュニケ―ションが成り立たないといいます。

 

アメリカの政治分断をみて、民主主義が終わったという識者もいますが、こうした識者は、メンタルモデルを理解していません。政治分断は、メンタルモデルの共有ができず、コミュニケーションが成立していない状態です。

 

アメリカの政治は、保守(共和党)と革新(民主党)でした。これは、メンタルモデルが2種類に分かれることを意味します。

 

保守仮説:保守(共和党)政権(原因)=>高い経済成長(収入)

 

革新仮説:革新(民主党)政権(原因)=>高い経済成長(収入)

 

保守仮説がなりたてば、共和党に投票する人が増えます。

 

革新仮説がなりたてば、民主党に投票する人が増えます。

 

イデオロギーは固定化されているのではなく、仮説検証の結果を反映して変化します。

 

この現象を、帰納法でみれば、アメリカの政治には、政権が、共和党民主党の間で、入れ換わる法則があるように見えます。

 

しかし、この法則は、因果モデルではないので、科学的な間違いです。

 

そして、この2つのメンタルモデルの間には、共通項も多くありました。

 

民主主義は、適切なメンタルモデルの共有を前提とします。

 

相互の乗り入れが出来ない分断したメンタルモデルのグループができてしまうと、グループ間では、コミュニケ―ションが成り立たなくなります。この状態で、多数決原理をしても、政治は機能不全になります。アメリカの教育の目的に、民主主義が含まれている理由は、メンタルモデルの共有なしに、民主主義は成り立たないからです。

 

メンタルモデルの共有に失敗すると衆愚政治パンとサーカス)になります。現在の日本の政治には、まともなメンタルモデルがないので、恐らくこの状態になっていると思われます。

 

民主主義仮説は、適切に機能しない場合が多くあります。

 

筆者は、「開発独裁」が最適な政治体制であると思いませんが、制約条件のない単純な民主主義がベストな政治体制ではあるとは言えないと考えます。ベストな政治体制は、仮説検証の科学の問題であって、形而上学イデオロギーの問題でないと考えます。

 

チャーチルは、次のように言ったと伝えられています。

民主政治は、論理的にあり得る政治形態としては「最善」と言えませんが、実在し得る政治形態の中では「もっともまし」です。

 

これは、願望です。2024年の英国の政治の状況をみれば、<実在し得る政治形態の中では「もっともまし」>とは、言い切れないと思います。

 

最大の課題は、民主主義は、メンタルモデルの共有(コミュニケ―ションの可能性)を保証していない点にあります。民主主義は、納得できない人が多発するリスクを抱えています。メンタルモデルの共有が可能になる条件を付けなければ、民主主義は崩壊する可能性が高いと思われます。

 

「Democracy indices(Wikipedia)」には、民主主義指標が載っています。

 

そのうちのひとつ「The Economist Democracy Index」によれば、Full democraciesは、24か国で、世界人口の7.8%です。Flawed(欠陥のある) democraciesは、24か国で、世界人口の7.8%です。主主義国家は、50か国で、世界人口の37.6%です。

 

日本は、16位で、Full democracies、アメリカは、29位で、Flawed democraciesです。アメリカは、2015年までは、Full democraciesでした。

 

Full democraciesとFlawed democraciesをあわせた国の数でも、人口でも、民主主義は世界の少数派になっています。

 

4)パラダイムシフト

 

橘玲氏は、「テクノリバタリアン」の中で、アメリカでは、「自由を重視する功利主義者のうち、極めて高い論理・数学的能力をもつテクノリバタリアン」(p.33)が政治勢力になっているといいます。

 

テクノリバタリアンとは、多くの問題は数学(科学)によって、問題解決が可能であるというメンタルモデルを共有するグループを指します。

 

保守仮説と革新仮説は、以下でした。



保守仮説:保守(共和党)政権(原因)=>高い経済成長(収入)

 

革新仮説:革新(民主党)政権(原因)=>高い経済成長(収入)

 

同様に、テクノリバタリアン仮説を作ることができます。

 

テクノリバタリアン仮説:テクノリバタリアン政権(原因)=>高い経済成長(収入)

 

S&Pの評価額でみれば、ハイテク企業の割合が高くなっています。

 

つまり、データを見る限り、テクノリバタリアン仮説は、保守仮説や革新仮説より有望に見えます。

 

ただし、テクノリバタリアン仮説を民主主義に組み込む場合には、メンタルモデルの共有という高いハードルがあります。

 

テクノリバタリアンの科学のメンタルモデルを共有できる人はそのままでは、少数になります。数学のリテラシーがないと難しいと感じます。

 

パール先生の「因果推論の科学」は、啓蒙書であり、パール先生は、「因果推論の科学」のメンタルモデルを共有するために、大変な努力をして書かれた名著です。

 

「因果推論の科学」は、パール先生の主著である「統計的因果推論」に比べれば、圧倒的にわかりやすいのですが、それでも、メンタルモデルが共有できている日本人がどのくらいいるかを考えると、少数と思われます。統計の専門家でも、ルービン派が主流です。

 

これから、テクノリバタリアンの科学のメンタルモデルの共有は、非常にハードルが高いと思われます。

 

遠藤誉氏は、習近平氏の「中国経済パラダイム・チェンジ」を次のように説明しています。(筆者要約、ここでは、生態学の用語のレジームシフトを使って書き換えています)

2015年に発表したハイテク国家戦略「中国製造2025」に対して、トランプ前大統領は2018年から必死で潰しにかかりました。最近では、習近平氏は「中国製造2025」のキーワードを表に出していませんが、政策に変更はありません。

 

目標値達成年の2025年を前に、2024年現在、微細な線幅の半導体半導体製造装置を除いて、「中国製造2025」の目標値はほぼ達成され、目標値を超える分野もあります。

 

今やハイテク国家戦略は「中国経済パラダイム・チェンジ」を起こしつつあります。中国経済は、不動産産業といった「従来の経済」の旧レジームと、ポテンシャルの高い「新質生産力」の新レジームに分かれています。

 

習近平氏は、旧レジームにおいては、江沢民政権が残した「腐敗」や胡錦涛政権が残した不動産産業」などの「負の遺産」と闘っており、新レジームで「中国が世界トップになっている産業分野の促進」に(秘かに)邁進しています。

<< 引用文献

三中全会 秘かに進む「中国経済パラダイム・チェンジ」への相転移 2024/07/20 中国問題グローバル研究所 遠藤 誉

https://grici.or.jp/5490

>>

 

さて、遠藤誉氏の「中国経済パラダイム・チェンジ」は、単純に読めば、新産業創出に成功したという記事に過ぎません。

 

しかし、「パラダイム・チェンジ」は、メンタルモデルの切り替えに対応しています。

 

ポテンシャルの高い「新質生産力」に従事している人のメンタルモデルは、橘玲氏は、「テクノリバタリアン」のメンタルモデルを共有している可能性が高いと考えられます。

 

習近平氏の政治スタイルは「開発独裁」であると思われます。

 

過去に、スターリンは、開発独裁の中で、科学を否定して、ルイセンコ学説を広めました。自然改造計画を進めて、アラル海を空にしました。日本流に言えば、科学を無視して、政治主導を貫いた訳です。

 

習近平氏の政治スタイルは「開発独裁」ですが、スターリン毛沢東の科学を無視した政治主導の問題点は熟知しています。習近平氏の「開発独裁」が、科学を無視した政治主導になる可能性は低いです。

 

つまり、中国でも、中国流のテクノリバタリアンの科学のメンタルモデルが活用されると思われます。

 

日本でも、新産業創出を考える人がいます。しかし、レジームシフトに対応した新しいメンタルモデルの共有ができていないと、先に進むことは不可能です。

 

5)法度制度のミーム

 

経済新聞には、就職氷河期の年代は、その前の年代に比べると、賃金の伸びが低く、管理職の割合も低いという記事が出ています。

 

これは、帰納法による分析で、科学的な価値はありません。年功型雇用が未来永劫続くという暗黙の了解で記事が書かれています。

 

労働市場では、賃金はジョブに対して支払われます。

 

就職氷河期の年代という属性には、意味はありません。

 

就職氷河期の年代は、他の年代に比べて、恵まれていないのであれば、人材が多いはずです。

 

ジョブの内容と給与をオファーすれば、就職氷河期の年代からの人材確保が容易なはずです。

 

就職氷河期の年代を冷遇することには、経済合理性がありません。

 

これは、女性を冷遇することに、経済合理性がないのと同じです。

 

反事実の思考をすれば、次になります。

 

事実:

年功型雇用仮説:年功型雇用(原因)=>人材の確保=>企業収益の増加(結果)

 

反事実:

ジョブ型雇用仮説:ジョブ型型雇用(原因)=>人材の確保=>企業収益の増加(結果)

 

官庁や大企業の幹部は、年功型雇用仮説のメンタルモデルができあがって、そこから抜け出せません。

 

難関大学の学生は、ジョブ型雇用仮説のメンタルモデルができあがっています。これは、労働市場がある場合の世界標準のメンタルモデルです。

 

官庁や大企業では、年功型雇用仮説のメンタルモデルが事実で、ジョブ型雇用仮説のメンタルモデルは反事実です。

 

難関大学の学生の間では、ジョブ型雇用仮説のメンタルモデルが事実で、年功型雇用仮説のメンタルモデルは反事実になっています。

 

メンタルモデルが異なる場合には、コミュニケーションができません。

 

橘玲氏は、「テクノリバタリアン」の中で、年功型雇用は、「終身雇用とは、選択(転職)の自由をを放棄することを手放すことで、将来の予測可能性(安心感)を高める制度」(p.258)であり、そのために「できるだけ不満がでないように、極めて難度の高い人事施策が必要」(p.260)といいます。

 

橘玲氏は、「テクノリバタリアン」の中で、年功型雇用からジョブ型雇用の転換を推奨しているのですが、橘玲氏のメンタルモデルは、年功型雇用のものです。

 

年功型雇用は、「将来の予測可能性(安心感)を高める制度」ではありません。

 

生産性を無視すれば、夕張市のように、破綻します。終身雇用が、「選択(転職)の自由をを放棄」しているのではありません。労働市場がないので、転職できなかったのです。実体は、憲法違反の人権無視の身分制度であると思われます。身分制度は法度制度と親和性が高いのです。

 

ジョブ型雇用で、成功率70%で3回転職する場合、3回とも失敗する確率は、0.3x0.3x0.3 = 0.027(2.7%)に過ぎません。労働市場があれば、ジョブ型雇用の将来は、組織が倒産するリスクのある年功型雇用より遥かに安定しています。

 

医療費が破綻していて不足しています。そのつけは、薬価と看護師の給与の圧縮にきています。恐らく、次は、医師の給与が下がります。労働市場があれば、転職することが可能ですが、年功型雇用では何も手が打てません。

 

年功型雇用の人事は、本人の能力を評価しません。経験年数とそれまでのポストを見るだけで、評価能力はゼロです。このことが、ジョブ型雇用への移行を困難にしています。

 

橘玲氏は、「極めて難度の高い人事施策」であると言いますが、これは、年功型雇用のメン

タルモデル(法度制度のミーム)に囚われていることを示しています。

 

年功型雇用は、変えないことで成立します。これは、パースの分類では、科学の方法ではなく、固執の方法でブリーフを固定化していることになります。

 

固執の方法をとれば、ハイテク時代には変化に対応できず、組織はつぶれてしまいます。

 

このように、日本の状況は悲惨ですが、メンタルモデルの共有が出来ていないので、コミュニケーションができない状態にあります。