エビデンス革命のイメージ

(レジームシフトとエビデンス革命の説明をします)

1)レジームシフトのイメージ

ジームシフトはエコシステムの入れ替えになり、古いエコシステムは、破棄されてしまいます。

交通手段でいえば、舟運の時代が長く続きました。

現在でも、ドイツでは、大型貨物の輸送には、ライン川の舟運が使われており、2023年は、ライン川の水位低下によって、貨物船の運行に支障をきたして問題になっています。

しかし、これは、例外で、交通手段は、その後、鉄道、自動車にレジームシフトしています。

ジームシフトが起こると、古いエコシステムを維持するコストが肥大化します。

鉄道では、運行車両本数が多ければ、1列車当たりの線路の維持管理負担は、小さくなりますが、運行本数が減れば、1列車当たりの線路の維持管理負担は、大きくなります。

この傾向は、道路も同じで、通行車両数が極端に減れば、自動車よりドローンの方が経済的になります。

ジームシフトによって、エコシステムの入れ替えになる場合には、古いエコシステムをバージョンアップすることは非現実的で、新しいエコシステムをゼロから構築する方が合理的です。

アマゾンがネット販売を始めた時に、百貨店などのリアルショップもネット販売を始めることは可能でした。

ウォールマートは、ネット販売にある程度成功していますが、これは例外で、消えていったリアル店舗が多いです。

アマゾンは、ネット販売をするために、クラウドシステムを構築してきました。アマゾンのビジネスモデルは利益は、クラウドシステムで生み出し、ネット販売は、当面は、規模拡大に焦点おいて、利益はとらないというものでした。

これから、レジームシフトが起こると考えられる分野は、多数あります。放送と新聞は、減少モードがとまりません。

大学も、相対的にみれば、総合大学よりも、技術系大学の進展が大きいです。

日本では、私立大学で、定員割れを起こして、閉鎖する大学が出てきています。

この場合、文系学部しかない大学より、理系学部をもつ総合大学の方が変化に強いという人もいます。しかし、この推論は、帰納法に縛られています。

世界的な大学の流れは、技術系大学を新設あるいは、充実させることです。アブダプションによる推論では、現状にとらわれずに、新しい組織を作ることがベターになると思います。

日本では、DXでも現状の組織にDXを入れ込む考え方をします。これは、思考が帰納法に制約されていることを意味します。社員のDXのトレーニングをする方法も年功型雇用を温存する帰納法の発想です。

本の学校は習得主義ではなく。履修主義です。授業を受ければ、誰もが理解できるという形而上学を続けています。

社員のDXのトレーニングにも非現実的な同じ形而上学の前提が採用されています。アルゴリズムに従ってコーディングできるようになる人の割合は5から10%あれば良い方です。説明を聞いただけで、コーディングできる人の割合は更に低く2%程度を思われます。これは、2%しか理解できないのではなく、一度の説明で理解できる人の割合に過ぎません。2度、3度とチャレンジすれば、理解できる人の割合はあがります。ただし、期間をきった1回の説明の講習会で2%以上が、コーディングできるようになることは不可能と思います。

ジョブ型雇用では、出来る人を雇います。人には向き、不向きがありますので、向いていない人に、DXのトレーニングを受けさせることはパワハラになります。

2)エビデンス革命の破壊力

ガリレオは宗教裁判で、教会の権威と対立しました。

物理学が誕生して、物理学と天文学における教会のドグマは、物理学に置き換わりました。

ダ―ウィンが進化論を提案します。進化論は、神様が、人間をつくったというドグマと対立します。

しかし、2023年時点では、多くの国や地域では、進化論は、宗教のドグマに置き換わっています。

今世紀になって、データサイエンスに基づくエビデンス革命が起こります。

エビデンス革命はベイズ統計学を使って、今まで、科学の対象にならなかった人文科学の分野を科学として置き換えています。

生成AIは、データサイエンスの理論に基づいています。現在のAIは、帰納法の推論だけでなく、アブダプションによる推論もこなします。

もしも、人間が帰納法による推論にこだわっていれば、その時点で、人間には、生成AIにかてる可能性はありません。

パースは、「ブリーフの固定化法」の中で、科学の方法を推奨しました。この時の科学の応報とは、形而上学に陥らないために、常に、アクションを起こすことをさしていました。

これが、プラグマティズムの誕生です。

今世紀の入って、エビデンス革命が起こった結果、パースの科学の方法は、データサイエンスの方法として再定義が可能になりました。

政治家は、選挙で選ばれています。コロナウイルス対策でも、福島県原発の汚染水の放出問題でも、最後は政治家が、政治的に決断すべきであると主張する人もいます。

しかし、政治的な決断の評価関数が、国民の所得や労働生産性である場合、科学の方法に優る政治的な決断は存在しません。パースが、「ブリーフの固定化」で主張したことを引用すればこうなります。

パースは、政治的な決断といって、利益誘導の固執の方法を使う例があることを認めています。しかし、そのブリーフは、科学の方法によって固定化されたブリーフより、国民を貧しくします。

国民の所得を最大化することを評価関数にとる点に、社会的な合意がなされれば、教会の天道説が、天文学の地動説に置き換わったように、政治決断は、科学の方法によって固定化されたブリーフに置き換わります。

これは、エビデンス革命を認めれば、アルゴリズムとデータの選択の幅の問題はありますが、「政治決断といって利益誘導に走る政治家より、ボットに政治を任せた方が、国民はより豊になれる」ことを意味します。

なお、筆者は、この命題が正しいことを主張していません。この命題は、エビデンスによって検証可能であるといいたいだけです。

科学の方法は、何が正しいかを主張するのではなく、命題の検証の仕方を論じます。

つまり、エビデンス革命は、政治家の一部を失業に追い込みます。

エビデンス革命には、破壊的な力があります。

政治家だけでなく、科学の方法に比べて、パフォーマンスの悪い労働者は、立ち行かなくなります。

もちろん、現在のように、固執の方法を続けることは可能です。現在のようにDXは実質は進めない方法です。しかし、固執の方法は、科学の方法に比べて、国や国民を貧しくします。その副作用は、既に、出生率の低下などに表れています。

ガリレオが宗教裁判を受けたころ、教会の中で、哲学などの形而上学の研究をライフワークとしていた人もいたと思われます。

物理学が、教会の形而上学に置き換わった結果、そのような形而上学は、無用の長物になります。形而上学を研究した人は、ライフワークとして、膨大な時間と労力をかけたと思いますが、その成果には価値がありません。

過去50年の日本人の土木工学の大家のなかで、国際的な知名度では、間違いなく、ベスト10にはいる専門家が数年前になくなりました。その専門家は、土木工学は、経験科学であるという信念の持ち主でした。大変尊敬に値する専門家でしたが、エビデンス革命を知ってしまった筆者としては、経験科学の成果は、エビデンス革命に対して無傷でいられるとは思えません。

これは、自然科学の分野の専門家の話です。より、形而上学に近い学問分野が、エビデンス革命によって、より大きなダメージをうけるでしょう。大きなレジームシフトは避けられないと考えます。

生成AIは、エビデンス革命の序盤に過ぎません。

生成AI に対して、形而上学の反論ばかりが蔓延していますので、ダメージはとても大きくなると思います。