カモフラージュと違法(5)

10)空約束と形而上学

 

リチャード・カッツ氏の記事の「空約束」の要点をもう一度繰り返します。(筆者の要約)

 

2003年に小泉純一郎首相は民間企業の女性管理職の割合を30%に引き上げると宣言した。

2013年に安倍晋三元首相は同じく2020年を期限にその割合30%の約束を繰り返した。

2015年に安倍晋三元首相は同じく2020年を期限にその割合15%の約束をした。

2023年に岸田文雄首相は2030年を期限に企業の役員の30%以上を女性にすると宣言した。

 

つまり、女性管理職の割合を引きあげるという目標達成は、常に空約束でした。

 

これは、女性管理職の割合の数字というエビデンスに基づくカッツ氏の見解です。

 

つまり、カッツ氏は、科学の方法に立っています。

 

コロナウイルスの対策のときに、専門家委員会が、科学的な対策について提案をしたあとで、最終的な決断は、科学ではなく、政治が行うと政治家はいっていました。

 

これは、科学の方法より、政治決断の方が優れているという主張です。

 

しかし、科学は、その時代の技術レベルに合わせたベストな方法を採用しています。

 

パースが、「ブリーフの固定化法」で、科学の方法を薦めているのは、エビデンスをもとに計測すれば、形而上学や権威の方法のパフォーマンスは、科学の方法のパフォーマンスより落ちるという主張です。

 

パースは、権威の方法や形而上学によるブリーフの固定化法があることを認めています。しかし、科学の方法以外を使う場合には、経済成長が進まないなどのパフォーマンスが落ちることを承知して使うべきであるという主張です。パースの時代には、これは予想にすぎませんでしたが、現在のデータサイエンスは、目的関数を最大化する確率の一番高い方法を選択しますので、科学的に保証されています。

 

さて、筆者には、よく理解できませんが、政治家は、科学の方法よりも、政治決断の方が優れていると考えているようです。

 

エビデンスをもとにすれば、「科学の方法よりも、政治決断の方が優れている」という判断にはなりません。つまり、政治家は、エビデンスにもとづかない形而上学で判断していると思われます。

 

たとえば、ジェンダー対策は、女性管理職の割合の数字というエビデンスに基づけば、カッツ氏のように空約束であったことになります。

 

しかし、ジェンダー対策は、ジェンダー対策のポストを増やしたり、ジェンダー対策の予算を増やしたいう点を基準に判断すれば、歴代の首相は、立派な業績をあげたことになります。

 

ポストを増やしたり、予算を増やしたら業績であるという基準は、官僚が使っています。

 

「科学の方法よりも、政治決断の方が優れている」という判断基準であれば、エビデンスはどうでもよいので、ポストや予算を増やせば、よいことになります。

 

つまり、「科学の方法よりも、政治決断の方が優れている」という形而上学の基準であれば、空約束ではなく、約束は実行され、政府と官僚は良い仕事をしてきたことになります。

 

そこでは、女性管理職の割合の数字というエビデンスは、政治決断よりもレベルの低い科学の方法の問題に過ぎないことになります。

 

カッツ氏は、自分の科学の方法によって判断をしていますので、政治家は空約束をすると結論付けます。

 

しかし、どうみても、政治家は科学の方法にしたがって判断をしているとは思えません。

 

政治家は、空約束をしたと考えていない可能性が高いことになります。

 

マスコミの報道は空約束を気にしているようには思われません。

 

マスコミが空約束を気にしているのであれば、カッツ氏と同じように、過去の政策目標の達成度を評価するはずです。

 

有権者も、科学の方法によらない政治家に投票しています。

 

すべてが形而上学の中で回っていれば、夢遊病にかかっているような状態です。

 

科学のリテラシーがなければ、形而上学から抜けられないのかもしれません。

 

宗教法人の政治関与が問題になっていますが、エビデンスに基づかない政治は、宗教と相似形になります。日本の政治は、宗教と大差がないのかも知れません。