理系の経済学(12)ゴジラ-1.0

1)特攻問題の背景

 

ゴジラ-1.0」を見ました。

 

ネタばれになるので、詳細には、書きませんが、「ゴジラ-1.0」は、ゴジラと特攻問題を絡めて組み立ててあります。

 

生物は、基本的には、自分の生存を優先する行動をとりますが、場合によっては、自分の生息よりも、子孫の生存を優先します。これが、ウィルソンが社会生物学で指摘して、ドーキンス利己的な遺伝子で定式化したアイデアです。

 

ドーキンスは、生物は、遺伝子の乗り物に過ぎないと考えます。遺伝子が、乗り物を乗り継いで生き残れば、生物の個体の生存よりも、遺伝子の生き残りが優先されるというアイデアです。

 

特攻に似た行動は生物でも見られますが、その場合には、遺伝子が、生物をコントロールしていることになります。



脇田晴子氏は、特攻は中世から続く文化の力で行なわれてたといいます。

 

水林章氏は、特攻の原因には、日本には、天皇制を中心とした法度制度があり、法度制度は日本語を介して、現在も生き残っているといいます。

 

文化の問題は、ドーキンス流にいえばミームの問題です。

 

ミームは、遺伝子のように、物理的に引き継がれるものではありませんが、ウィルスのように感染して広がります。感染を一度根絶やしにしなければ、拡散を止めることは困難です。

 

2)特攻問題と責任

 

ゴジラ-1.0」では、主人公が、「自分は生きているために必要な責任を果たしていないのではないか」、「自分は誰のために生きているのか」という自責の念にとらわれます。

 

主人公は、特攻の生き残りであり、「自分だけが生き残ったのは間違いではないか」と自問します。

 

この自問は、人権思想とは相容れないので、危ない自問ですが、映画では、この自問が繰り返されます。

 

ゴジラ-1.0」から、責任とは自分に対するものではなく、自分以外の他人に対して生ずる概念であることがわかります。

 

つまり、責任という単語(オブジェクト)には、かならず、誰に対するという属性値が付随します。



特攻や切腹は、責任を達成できなかった場合には、死んでお詫びするというロジックで構成されています。

 

切腹しても、何らの問題解決にはなりませんので、意味不明な活動です。

 

筆者が、生まれて初めて忠臣蔵のストーリーを聞いたときに、余りに不合理で、動機が、理解できませんでした。問題解決にならない活動に熱中することは、科学的には、ナンセンスです。不治の病のように、祈る以外に方法がない場合には、不合理な活動をする心理も理解できますが、治療が可能であれば、祈るよりも治療すべきです。

 

話が脱線しましたが、忠臣蔵の責任は、君主に対して生じました。

 

明治憲法下の特攻の責任は、天皇に対して生じました。

 

今の時代に、天皇に責任を感じて特攻したとは、かけないので、「ゴジラ-1.0」には、天皇は出てきません。その結果、誰に対する責任を感じての特攻かという点が、グレーになっています。

 

とはいえ、誰に対する責任があるかという点は、重要で、議論を整理する上で役立ちます。

 

3)政策の責任と発言の責任

 

誰に対する責任があるかという点は、政策の責任と発言の責任に影響します。

 

日銀は、10年間金融緩和をしてお札を刷り続けました。円の価値の減価を進めてきました。

 

ジム・ロジャーズ氏は、10年間の金融緩和は、日銀の大失策であるといいいます。(捨てられる日本)(以下筆者要約)

通貨の流通量を増やせば、その価値は下落します。一時的なバブルの後には、おおきなクラッシュが起こります。そのツケは、次世代の若者たちが払うことになります。

 

これは、愚かな政策ですが、歴史を振り返れば、この愚かな政策の繰り返しパターンが見られます。

 

ジム・ロジャーズ氏の指摘を、責任の視点でみれば、「ツケは、次世代の若者たちが払う」政策は、責任の対象を次世代の若者たちに押しつけている点で、無責任な政策であり、許容できないことになります。

 

東京オリンピックは、大きな赤字を残しました。

 

大阪万博も、赤字になる可能性が高いです。

 

大阪万博は、経済効果があると主張する人もいます。これは、東京オリンピックや大規模金融緩和のときの繰り返しです。

 

筆者は、どの主張が正しいかはわかりません。

 

しかし、誰に対する責任があるかという視点に立てば、利害関係者の発言は、その業界にとってプラスになることを主張しているだけです。

 

モントリオールオリンピックで、大きな赤字が出て、モントリオール市は、赤字の返済に30年かかりました。

 

東京オリンピックも、大阪万博も単独会計ではないので、赤字が出た場合の返済計画は、赤字国債に含まれて、詳細は不明です。

 

しかし、モントリオール市の例からすれば、赤字が出れば、30年後までの将来世代に負担が続くと思われます。

 

少子化が進んだ原因は、若年世代の所得減少です。

 

大阪万博が赤字だった場合には、将来の若年世代の負担は更に増加して、少子化が促進されます。

 

大阪万博には経済効果があると主張する人の中に、大阪万博の結果、将来の若年層の所得が増えると予測している人は誰もいません。

 

マスコミは、有識者と称して、責任能力のない利害関係者の意見を繰り返して、洗脳しています。

 

政府は、説明責任と言いますが、責任という単語は、責任を負う対象とセットになっています。

 

政府は、政治献金をしてくれる業界団体に対して、十分すぎるほど責任を果たしています。

 

同じ政策が、業界団体以外に対して、責任を負うことはありません。

 

説明責任とは、国民は責任の対象の業界団体には含まれていませんという内容の婉曲した表現になっています。

 

発言の内容について水掛け論をするのは、時間の無駄で、問題解決を困難にします。

 

発言をきく前に、責任の視点で、不要な情報はスクリーニングすべきです。