(ミームの科学の概要を説明します)
1)事前情報
ミームは、ドーキンスが、遺伝子に似た概念として導入した個人の行動様式を支配するコードで、伝播性のあるものを指します。
ドーキンスは、生物を遺伝子の乗り物と考えました。
遺伝子が、人間の行動を支配していると考えました。
ミームも、遺伝子と同様に人間の行動を支配しているコードで、文化と呼ばれることもあります。
簡単な例を言えば、和食を食べている人は、日本文化のミームに支配されています。
ミームは、交代することがあります。
ラテン文化を取り入れた人は、イタリアやスペインの地中海料理を食べるようになります。
地中海料理の食塩摂取量は、和食より少ないので、ミームは高血圧リスクを左右します。
食文化に関わる日本文化のミームは弱く、他の文化のミームに容易に交替します。
東京では、世界中の料理が食べられます。
反対に、イタリアでは、地方の食文化が健在です。
アメリカには、州ごとの地方の食文化があります。
日本では、地域の食文化は、殆ど残っていません。
イタリアとアメリカの政治は分権主義ですが、日本の政治は中央集権なので、政治体制が食文化に影響を与えている可能性があります。もちろん、交通や通信の発達は、食文化のミームの独立性を弱めます。核家族化も食文化のミームに影響を与えます。
何がミームであるかを一様に定義することは困難ですが、人間の行動パターンに影響を与え、伝播性の強い行動様式を支配するコードがあれば、ミームであると推定できます。
ミームには、影響範囲と影響力の大きな強いミームとそれ以外の弱いミームがあります。
脇田晴子氏は、太平洋戦争のときには、中世から続く天皇制の文化が、特攻を生み出したと考えました。
フランス文学者の水林章氏は、江戸時代の幕藩体制によって、上位者が下位者に命令し、下位者が上位者に隷従する垂直構造を本質とする法度(はっと)体制ができあがり、戦前には、法度制度が、特攻を生み出したと考えました。
中世から続く天皇制の文化と法度制度は、ミームです。この2つは、重複するので、以下では、法度制度で代表させます。
年功型雇用は、太平洋戦争の戦時体制の中で確立しました。
年功型雇用は、「上位者が下位者に命令し、下位者が上位者に隷従する垂直構造」であり、制度法度です。
法度制度のミームは、賃金や就職など生活全般を左右する強いミームです。
2)強いミームの閉鎖性
経済学は、経済的に合理的な選択をする人間を想定しています。
この経済的に合理的な選択に対しては、批判がなされていますが、反例は提示されていますが、利用可能な代替案はありません。その理由は、データ収集と数学的な処理の難しさにあります。ビッグデータは、その状況を変えつつありますが、普及には至っていません。
経済的に合理的な選択をする人間とは、経済的な合理性というミームが、人間の経済活動を支配しているという前提です。
化学反応では、金属(金属単体の原子)が水または水溶液中で陽イオンになろうとする性質のことをイオン化傾向とよび、金属によって、イオン化傾向の強さがことなすます。イオン化傾向の強さで、複数の金属を含む水溶液で、反応する金属が決まります。
ミームにも、似たような性質があり、競合する複数のミームがあった場合に、活性化できるミームはひとつになります。
現在の世界の大企業は、経済合理性から、水平分業を選択しています。
これは、世界の大企業では、経済的な合理性というミームが有効に機能していることを意味します。
日本の大企業は、法度制度のミームの年功型雇用で出きています。
法度制度のミームは、大企業だけでなく、系列中小企業を含む企業グループに及んでいます。
企業グループには、法度制度と経済的な合理性という2つのミームがありますが、法度制度のミームが経営を支配しています。
イオン化傾向のように、ミームの強さの順位を書けば次になります。
法度制度>経済的な合理性
ミームの強さの順位が何で決まるかは、究明すべき課題です。
「空気を読む」、「同調圧力」などと言われるように、法度制度のミームが、経済的な合理性のミームを圧倒している現状は確認できます。
焚書坑儒は、その典型です。
仮に、「経済的な合理性>法度制度」であれば、経済合理性のない太平洋戦争は起きませんでした。
「経済的な合理性>法度制度」であれば、日清戦争は、戦勝でしたが、日露戦争は、戦敗であったと思われます。
日露戦争が、戦敗であると認識していれば、太平洋戦争は回避できたと思われます。
日本企業の経営は、法度制度のミームで行なわれ、世界の大企業が、経済的な合理性のミームで行われてきたとすれば、失われた30年は、必然的な結果になります。
太平洋戦争の特攻と日本企業の経営の間には、共に。法度制度のミームで行なわれているという共通点があります。
そして、この2つには、経済的な合理性がありませんので、経済的な破綻という成果を生み出します。
むしろ、疑問は、日本は、1994年のバブル崩壊まで、法度制度のミームでどうして経済成長が出来たのかという点になります。
法度制度のミームのもとで、成果主義とジョブ型雇用を導入することは不可能です。それらの内容は、経済的な合理性のミームのもとの成果主義とジョブ型雇用とはまったく異なります。
成果主義の失敗例は、このことを示しています。
3)ミームの科学
前世紀は、物理学の世紀でした。
物理学の法則は、世界のどこでも、いつでもあてはまります。
物理学の法則は、ユニバーサルです。
科学とは、現象を分析して、ユニバーサルな、法則を見つけることであると考えた人が多数いました。
これは、理論科学のパラダイムです。
多くの学問では、物理学をモデルに、学問の再構築を行いました。
今世紀は、生物学の世紀です。
生物学の法則は、ローカルです。
生物は、遺伝子のコードを元に、つくられますが、遺伝子のコードは、生物の個体毎に違います。
遺伝子はコピーされて伝播しますが、そのときに、コピーのエラーが発生します。
病気の原因は、遺伝子因子と、環境因子に分解されます。
ここで、ミームが遺伝子と類似の効果を持つことを思い出して下さい。
次の対応を考えます。
遺伝子=>ミーム
病気=>人間の行動
こうすると、上記のテーマは次になります。
人間の行動の原因は、ミーム因子と環境因子に分解されます。
脇田晴子氏と水林章氏の特攻の説明は、次になります。
特攻の原因は、法度制度と環境因子に分解されます。
脇田晴子氏と水林章氏の主張は、「特攻の主要因は、法度制度にあり、環境要因は無視できる」と書き換えられます。
「特攻は、遺伝病のような法度制度のミーム病であり、環境要因で制御することはできなかった」と書き換えられます。
これは、文学的な表現ですが、遺伝病と同じ解析手法が使えれば、各因子の強度を確率的に表現できます。
物理学は理論科学のパラダイムでしたが、生物学は、データサイエンスのパラダイムで出来ています。
この主張に反対する人も多いと思いますが、遺伝子のコピーやコピーエラーは、データサイエンスを使わないと処理できません。
データサイエンスから、遺伝子とミームを見ると、データ処理の対象が、遺伝子でもミームでも、コードデータであれば、同じソフトウェアが使えることになります。
データサイエンスをつかった生物学は、発展途上にありますが、加速度的に進歩をとげています。
データサイエンスをつかった生物学のルーツは、1970年頃の生物物理学にあります。
生物物理学とは、生物は全て遺伝子コードに還元できるというアイデアで、当時は、物理学者には受け入れられましたが、生物学者には受け入れられませんでした。
ミームがコード化できれば、データサイエンスをつかった人文科学は可能です。
筆者は、ミームは、脳の神経ネットワークの構造を反映していると推測しています。
4)ミームを研究する目的
生物学は、病気の原因を、遺伝子要因と、環境要因に分解しました。
脇田晴子氏と水林章氏は、「特攻の主要因は、法度制度にあり、環境要因は無視できた」と主張しました。
生物学によれば、特攻の原因を、遺伝子要因と、環境要因に分解できます。
特攻の遺伝子はありません。
特攻の原因は、生物学的環境要因にあります。
脇田晴子氏と水林章氏は、特攻の生物学的環境要因は、法度制度のミームと、その他の環境要因に分解でき、後者の影響は小さいと主張しています。
このように、生物は、遺伝子とミームに支配されていると考えることで、人文科学は、生物学に内包されます。
なお、ここで言う生物学とは、ドーキンスの進化を中心にした拡張された生物学を指しています。
1970年頃の生物物理学が提唱されて、50年が経ちましたが、遺伝子と進化の生物学は、発展しているとはいえ、物理学のような成功をおさめていません。
その理由は、遺伝子と進化の生物学は、ローカルな法則で構成されているため、非常に複雑になるからです。
ローカルな法則が適用可能な時間と空間は限定されています。
ミームの法則をつくる科学的な方法は、ユニバーサルですが、ミームの法則には、賞味期限があり、ミームが変化すると毎回作りなおす必要があります。(注1)
例えば、コロナウイルスのワクチンは、ウイルスが変化するたびに作り直しています。
ミームの法則も、ミームが変化するたびに作り直す必要があります。
ミームの科学も、実用可能になるまでには、大きな時間がかかると思われます。
ミームの研究の目的は、生物学の環境因子を説明できるミームのモデルを考察して、コード化の準備をすることです。
注1:
これは、教育の目的が、公式(法則、ソフトウェア)を覚えて使うことではなく、公式を作る能力の獲得に変化したことを意味します。暗記中心のカリキュラムは、無効です。