特攻問題の研究(2)現象とプロセス

(現象とプロセスの違いを説明します)

 

1)特攻問題はプロセス問題です

 

特攻が問題になる、あるいは、注目をあつめる理由は、特攻が自死を含むという点にあります。

 

この自死は、観察可能な現象です。

 

しかし、特攻の再発を防ぐためには、特攻を生み出したプロセスを改善する必要があります。

 

自然科学は、要素分解をして、各要素のプロセスを研究対象にします。

 

プロセスは、2つの時点の変化を計測することで評価できます。

 

これは、時間微分の概念です。

 

従って、微分概念が理解できていないとプロセスが見えなくなります。

 

微分が理解ができている人と微分が理解できていない人の間には、理解の壁があります。

 

理解の壁は、養老孟司氏の「バカの壁」、あるいは、スノーの「2つの文化と科学革命」の文化のギャップに相当します。

 

太平洋戦争の時に、特攻が一般化しました。

 

特攻を繰り返したくないことが動機になって、脇田晴子氏は中世文化の研究を行ないました。

 

水林章氏も同様の研究動機をもって、日本には、天皇制を中心とした法度制度(文化の国)が、日本語を介して生き残ってきたと考えています。

 

脇田晴子氏は、中世から続く日本の文化が、水林章氏は、日本語と法度制度が、特攻の原因であると分析しています。

 

脇田晴子氏は、中世から続く日本の文化は、人文科学の研究対象であり、自然科学の研究対象ではないと考えていました。

 

脇田晴子氏と水林章氏は、人文科学の研究方法で、特攻を扱っています。

 

脇田晴子氏と水林章氏の研究対象は、特攻を含むより広い文化の問題であり、特攻に限定されてはいません。

 

ともあれ、人文科学の研究方法には、微分概念がないので脇田晴子氏と水林章氏は、プロセスを問題にしていません。



2)科学の世界観

 

科学の世界観の背景には、キリスト教一神教)の世界観があります。

 

これは、世界は、神様のデザインに従って、プロセスが実現して、現象が起こっているという世界観です。

 

ニュートンライプニッツが、微分法を理論化するまでは、プロセスの概念は曖昧でしたが、現在では、「デザイン=>プロセス=>現象」のフレームワークが出来あがっています。

 

「デザイン=>プロセス=>現象」に限りませんが、欧米では、議論をする前に、フレームワークを確認します。これは、キリスト教一神教)の世界観であると同時に、議論が空転しない工夫です。

 

プロセスは、微分概念が理解できないと正しく理解することは困難です。しかし、欧米では、微分概念の理解が不要であるという文系のカリキュラムはありません。また、プロセスが、日常的に問題にされているので、欧米には、緩やかな微分概念の理解があり、日本のような極端な「バカの壁」はありません。

 

緩やかな微分概念の理解とは、数式を使いませんが、微分で表現されるプロセスをイメージできるレベルの理解を指します。

 

ここでは、緩やかな微分概念の理解を前提に、「デザイン=>プロセス=>現象」のフレームワークを考えます。

 

3)特攻問題のフレームワーク

 

特攻問題を「デザイン=>プロセス=>現象」のフレームワークで考えれば、特記すべき現象が特攻作戦ですが、特攻作戦のデザインとプロセスも問題にする必要があります。

 

なぜならば、因果モデルで考えれば、課題は、どうして特攻作戦というデザイン(ブリーフの固定化)がなされたかということになるからです。

 

特攻作戦は、特攻兵器を含む作戦で、特攻兵器には、設計図(デザイン)があります。

 

しかし、特攻作戦全体の設計は書かれてません。

 

これは、特攻作戦が、科学の方法ではなく、権威の方法で行なわれたためです。

 

ブリーフの固定化が権威の方法で行なわれれば、残された記録には、ブリーフを固定化した権威者(あるいは、専門家会議のような権威者集団)の名前が記載されるだけです。

 

逆に言えば、ブリーフを固定化した手順を示す資料が公開されていない場合には、ブリーフの固定化は権威の方法で行なわれていると推測できます。

 

特攻問題を「デザイン=>プロセス=>現象」のフレームワークで考える場合、設計書(デザイン)が残されていれば、デザインを評価すれば、特攻問題の再発を防ぐことができます。

 

しかし、設計書(デザイン)が残されていない場合には、プロセスを研究対象に分析を進める必要があります。

 

権威の方法が使われれば、設計書(デザイン)が残されていないので、これは、科学の方法が使われていない場合の標準的な研究方法になります。

 

ここまでの考察を整理すると、特攻作戦の再発を防ぐには、作戦のプロセスを対象に評価をすればよいことになります。

 

一言で言えば、現象を問題にするのではなく、プロセスを問題にすべきであるということになります。

 

4)大阪・関西万博のプロセス

 

2024年2月に、2025年大阪・関西万博に自前建設のパビリオン「タイプA」で参加する国に対し、日本国際博覧会協会(万博協会)が、館内の空調を個別に設ける例外を認めました。協会は冷水を使った会場全体の集中管理を想定していたが、「省エネルギー」よりも、工期の短縮を優先しています。

 

大阪・関西万博では、費用の高騰をはじめ、多くの問題点が発生しています。

 

それらの問題では、万博の施設(現象)が問題にされる一方で、プロセスは問題にされていません。

 

目的を達成するためには、手段を問わないというブリ―フの固定化は、目的に各段の価値がある場合以外には、正当化されません。

 

太平洋戦争の時には、戦争に勝つという目的のために、特攻作戦という手段が正当化されました。

 

しかし、大阪・関西万博が中止になっても、日本経済に与える影響は限定的です。

 

したがって、大阪・関西万博は、プロセスで評価されるべきです。

 

プロセスで評価すれば、大阪・関西万博は、日本の政治のブリーフの固定化の問題点のデパートになっています。

 

大阪・関西万博のブリーフの固定化のプロセスを分析すれば、日本の政治を改善する方法が見つかりそうです。

 

しかし、「デザイン=>プロセス=>現象」のフレームワークで考えれば、万博の価値は、第1に、デザインにあります。デザインが公開されていない場合には、万博の価値は、第2に、プロセスで評価できます。

 

大阪・関西万博の価値をプロセスで評価すれば、大阪・関西万博の評価の結論は既に出ているように思われます。